コールタールの夜、アスファルトの星

 ――星を見に行かないか、ニルチェニア。

 城に幽閉されたおとぎ話の姫君に囁くように、真っ黒なコートを身に纏った男が一言。

 ――生憎、今は忙しいの。

 面倒なナンパ男を振り払うように、白髪の女は男の申し出をばっさりと切り捨てた。

 ――それなら仕方ないな。また今度誘うとしよう。
 ――誘わなくて結構。どうせまた厄介ごとなのでしょう?

 “私の仕事の本分を間違えて貰っては困るのよ、レグルスさん。”

 探偵でありながら情報屋でもある白髪の女は、菫色の目をきり、と細めて「分かったらお帰り下さいな」とレグルスの鼻先でドアを閉めた。ばたん、とよそよそしい音とともにレグルスの前髪を風が揺らしていく。
 ニルチェニアの探偵事務所の前にレグルスは立ち尽くし――

「誘えないなら仕方ないな。身体だけでも借りようか」

 不穏な一言を、ぽつりと口にした。


***


「コールタールの海の如きぬるりとした夜空には星は無く。けれど足元を見れば、街灯に照らされたアスファルトが星のように煌めく。これは現代におけるある種の皮肉じゃないか」
「本当にそれアスファルトだったか確かめたのか、レグルス? 輝くアスファルトなんて見たことねェよ。詩人に転向とはヤキが回った?」
「比喩だよユーレ。聞かないでくれ……詩人に転向ね、俺の有する語彙はあまりにも多いからな、ぴったりだろう」
「最低の比喩だな。何がぴったりなのかよく分からねェけど、頭がトんでるってとこでは最高に向いてると思うぞ、詩なんかよく分からないもんばっかりだしな」

 歩くたびにぬちゃり、べちゃりと気持ちの悪い音を立てる床を見ながら、茶髪の男が眉間に皺を寄せた。
 汚ねェな、と靴の裏を覗く茶髪の男の名前はユーレだ。表向きは図書館の司書、という三十路も半ばの男だが――一枚皮をめくれば図書館司書なんてうそっぱちだろと言いたくなるような顔を持っている。――例えば、武器の扱いに長けている、とか。

 気まぐれに投げられたようなユーレのペーパーナイフが、すとんと黒服の男の額に突き刺さった。ボードからダーツの矢でも引き抜くようにそれを引き抜くと、ユーレはそれを自分の後方へと向ける。銃口を向けていた男の鼻先にひたりと合わさったナイフは、そのまま鼻面を突き破った。それに目を合わせるわけでもなく、ユーレはレグルスに「イかれてるお前にぴったり」と軽口をたたく。

 マシンガンが壁に数多の弾痕を刻んでいくが、誰一人として侵入者を阻むことは出来ない。苛立ちと焦燥と恐怖――色々なものが合わさって、照準もろくに合っていない。素人め、とつぶやいたのはユーレだ。

「詩人に謝れよ、ユーレ! お前の図書館でだって詩集は扱うだろうに。詩人のように空を見てみろ! ああ、空がどこにあるか分かるか? おまえの頭上さ――ほら、見上げると良い」
「天井しかないよねえ」

 特に面白がるでも呆れるわけでもなく発された少女の声。それがユーレと自分に同行中の少女の言葉だと知っていても、レグルスは言葉に詰まることはなかった。

「建物の中だしな。これで空が見えたら天晴れな欠陥住宅だよ。まさしく天が晴れているのかどうか確認できる。――そもそも屋根がないものを建物と言っていいのかどうなのか、俺には皆目見当がつかないが。……いや、“建てられている”なら建物なのか。竹たてかけても建物か?」
「この人大丈夫?」
「頭の中身という点で聞いているなら、答えはノーだな、サスナちゃん」
「ふうん」

 ナイフを閃かせながら、サスナと呼ばれた少女は「まあ別にどうでもいいんだけどねえ」と銃弾を避けた。ピッ、とはしった銀の煌めきに驚く間もなく、拳銃を手にしていた男は喉笛から血を吹き出して絶命する。きったねえスプリンクラーもあったもんだよなあとユーレはまたも顔をしかめて、「コールタールの海よりひでェよ」と床に広がる血だまりに肩をすくめた。酔いそうなほどの血の臭いにも、三人は顔色一つ変えはしない。水たまりを踏むかのような気軽さで、レグルスは鉄臭いそこに足をつっこんだ。

「コールタールの方が生活に役立つ分だけ随分マシさ」

 血を跳ね上げてレグルスは走った。
 ぬちゃ、と粘着質な音とともに赤い滴が飛んでいく。レグルスが先ほどまでいた場所に銃弾が飛んできたが、それは誰にも当たらずに壁にめり込んだ。

 照明を破壊して回った三人のおかげで、死体が転々と転がる廊下は薄暗い。徐々に広がっていく血だまりは、コールタールのように黒く廊下を濡らしていく。

 ――資産家の館で起こった凄惨な事件。
 この惨状がおおやけになり次第、新聞にはそういう見出しが派手に踊るのだろうか、とユーレはこの現状を見て感慨もなく思う。
 
 きっと、“資産家”が裏社会の人間であることも、“凄惨な事件”がある種の“お礼参り”であることも、新聞には一切かかれないのだろう。

「まさか東さんも捕まったとはなあ……」
「そっちも捕まってるって聞いたけど? ニルチェニア、だっけ」
「ああ。東君もそろってとらわれのお姫様さ。男だが」

 愉快愉快、とレグルスは立ちふさがった男を殴り飛ばす。顔が奇妙に歪んでしまった男に「男前になったな」と無表情に口にしてから、ナイフを器用に使いながら返り血一つ浴びずに男たちの間をくるくると駆け回る鎖砂に「ナイス血祭り」と口笛を一つ。派手にあがる血しぶきは主にユーレの顔を濡らしていたけれど、「こいつら変な病気持ってないだろうな」とユーレは血液感染を心配するのみだった。

 根本的におかしい三人組は、闇に紛れることもなく派手に人を手に掛けていく。一人、また一人と倒れていくのを目にして、武装した黒服の男たちがたじろいだ。

 銃声に踊るように閃くナイフ、振りかざされる拳。白っぽかった大理石の床をあっという間に赤い血の絨毯で染め上げて、三人は死体の山を築き上げていった。

「まるで夜空に浮かぶ星みたいだな」
「そんなロマンティックなもんじゃねェだろ」

 コールタールのようにどす黒くどろりとした血だまりに、白い歯がいくつか飛んでいる。血だまりに浮かぶ歯が夜空の星に見えるのはお前くらいだろうとユーレは半眼になると、こときれた黒服の男の頭を蹴飛ばす。またぽろりと歯が落ちた。
 殴った拍子に歯をぶっ飛ばしていたのか、とレグルスは納得して、ユーレと鎖砂に無表情で告げる。

「さ、とらわれのお姫様とやらを助けに行こう。そうだな、東君を助けたらお姫様よろしく抱き抱えてやろうじゃないか」

 お姫様、といった拍子に鎖砂が小さく吹き出したのは、おそらく気のせいじゃないだろう。


***


 頭の中で鉄球が飛び跳ねているような痛みを感じて、東はゆっくりと目を開く。ぼやけながらも徐々にクリアになる視界に、人知れず舌打ちをした。
 身動きはとれない。四肢は縛られ、おそらく床に放置されている。汚い床に寝かせやがって、と悪態をつけば、東は自分の近くに何かがいることを知った。
 あまり動かない体で首を動かし、衣擦れの音がした方向を見やる。何か白いものが目に入った。

 ――白髪?

 床に広がった白いものは、おそらく人の髪だろう。
 人の髪が流れているその先を視線だけでたどって、東は一瞬息を呑んだ。
 倒れているのは――きっと、女だ。

 白っぽいワンピースに薄紫色のボレロ。どこか上品そうなその服装には見覚えがあったし、何度か言葉を交わしたこともある。
 ぴくりともしないその体には、ところどころ赤いシミが付いていた。

 背筋を冷風が撫でていくような、不愉快な寒気を東は感じる。

「――フィアールカ、さん……?」

 呼んだ名前は“彼女”の“情報屋としての名前”だ。
 情報屋としてではない彼女の名前を東は知っていたけれど、誰が聞くともわからないこの状況でその名を呼ぶのは躊躇われた。

「フィアールカさん」

 四肢を拘束されていては体を揺さぶることも許されない。代わりに近くまで這っていって、声をかけ続けるしかなかった。
 声をかけるたびにガンガンと痛む頭。気を飛ばすのに使われた薬品が穏便なものでなかったのは明白だった。こみ上げた吐き気をこらえた瞬間に、東の目の前の女は小さく身じろいだ。死んでいたわけではなかった、とほっと息をついた東に、女はゆっくりと視線を合わせる。

「――っ、ここは……ああ、待って、何で貴方も……?」
「良かった、起きたんですね。……ここがどこかはわからないし、何故こうなっているのかもわからない……」
「それなら……巻き込まれたのね、もしくは巻き込まされた……」
「フィアールカさん?」

 目覚めて早々何事かを口走り始めたフィアールカに、東は不安そうな顔を隠せなかった。変な薬を嗅がされて、頭がおかしくなったのでは――。
 東がそう思い始めるよりも前に、「あの男」とフィアールカは苦々しく吐き捨てた。

「本当に碌でもない――ごめんなさいね、東さん。全部レグルスのせいよ。ここから出たら、お互いに一発ずつくれてやっても誰も咎めはしないわ」
「――ああ、やっぱり……」

 さらわれる前後の詳しい記憶は飛んでしまっているとはいえ、東だってそうそうさらわれるようなことはないし、そもそも身に覚えがない。情報屋だからさらわれたのかもしれないと思ったりもしたが――だとすれば、自分の他に“フィアールカ”をつれてくるのもよく分からない。
 二人情報屋をつれてきたところで、得たい情報が一つなのだとしたら、“つれてくる”というリスクを二倍に増やす意味が分からないのだ。薬を嗅がせて車につっこむだけだとしても――人を一人さらうというのは中々に面倒なのだから。

 そうなるとわざわざ二人揃えてつれてくる、という事自体に意味があったとしか考えられないし――そこに意味を持たせるのだとしたら、切っても切れない関係にあるのが“レグルス・イリチオーネ”だろう。

 レグルス・イリチオーネはとあるマフィアのボスだというのに、至る所で問題を作り込んでは周りにばらまいている。トラブルメイカーの親玉だと言っても問題はないだろうし、トラブルそのものだと言われても納得がいく。レグルスの訳の分からない性格はそのまま、周りに訳の分からない甚大な被害をもたらしていると言っても過言ではない。事実、たまたま酒場で居合わせ、少し会話をした程度の仲である東ですら――なぜだか分からないがレグルス関係で二度ほどさらわれているのだから。

「か、関わるんじゃなかった……!」
「それに関して同意見よ、東さん。……でもあの人、関わりたくなくても関わってくるわ、こんな風に」
「迷惑の権化みたいなひとだな……」
「すてきな表現。今度裏社会に流行らせてみましょうか」

 本気なのか冗談なのかわからないフィアールカは、落ち着いている、というより淡々としている。どこか馴れたような雰囲気に、“この人も苦労しているんだな”と思いつつ、「大丈夫ですか」と東は声をかけた。そういえば怪我をしていたようだし、と。

「ええ、私は大丈夫」
「血は……」
「うっかり鼻を折ってしまったのかも。誰かの顔を蹴ったことは覚えているのだけど……」
「そうですか……」

 見た目だけならおとなしそうな女の口から、さらりと物騒な言葉が出てきたものだから、東は言葉に詰まった。

 ――うっかりで鼻の骨って折れるもんなのか。

「多分、助けは早く来ると思います。問題はそれまで私たちが生きているかどうかというところなのですけど」
「ですよね」

 自慢じゃないが東もフィアールカも腕っ節に自信があるわけじゃない。このまま放置されたとして、暴行でも受ければさっさと三途の川を渡ることになるだろう。
 どうしましょうかと二人で顔を見合わせて、結局さらわれたときのいつもの方法を採ることにする。

 力でかなわないのなら、別の力に訴え出るしかないのだ。




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