「おや」
急にどうしたんだ、と目を丸くするハイドの目の前には、藍色の軍服に身を包んだエリシアがいる。エリシアはちょっとばつのわるそうな顔をしながら、「どうでしょうか」とおずおずとハイドに意見を求めた。どうでしょうか、とは――とハイドは首を傾げながら、「軍服だろう」と頷いてみせる。ただ、なぜエリシアが軍服に身を包んでいるのかはわからなかった。
紅茶を入れようとしていたのだろう。台所の方でしゅんしゅんとやかんが湯気を立てていた。
外は雨模様だ。
ハイドは普段から都合がつくときには、エリシアの住んでいる町外れのちんまりした家に足を運ぶようにしている。
それは、エリシアが若い女の一人暮らしだというのに、わざわざ人の目の届かないような場所に住んでいるからだったし、そんなエリシアのことが心配になることも少なくないからだ。
町よりも遙かに森に近い場所に位置するその家は、植物園のごとき庭と、エリシアが愛情を込めている菜園がある。
ハイドはエリシアの育てている植物をみるのが好きだった。それから、植物について楽しそうに話すエリシアも。
植物園の中に家を建てたような、不思議な雰囲気のログハウスに訪れる度に、ハイドはほんの少しだけ気が緩くなる。それはエリシアのもつ雰囲気に絆されているせいかもしれないし、それはつまり――安心しているのだろうか、とハイドは不思議に思っていた。この家ではどうも、時間が穏やかに流れていくらしい。軍服を着たままもじもじと何故か恥ずかしそうな素振りを見せるエリシアをぼうっと見つめながら、ハイドは取り留めもないことを考えていた。
窓ガラスを雨粒が叩いている。
今日も今日とて、穏やかでおっとりしたこの家の家主である娘に会いに来たハイドだったが――その家主の娘が勇ましく軍服などを身につけているから驚いた。
数年前までエリシアは軍に所属していた、というような話をハイドは友人でありエリシアの兄のようなルティカルから聞くこともあったが、何となく実感が持てないでいた。
ハイドの知るエリシアは勇ましいとは言えない性格だし、正しい意味で女性的だ。草花を慈しみ、ちょっとおっとりした性格のエリシアが、厳しい顔をして軍服を着ている所など、想像できようもなかった。
きっちりした詰め襟の上着は、銀色の刺繍が施されている。この国の軍服は華美な雰囲気だったな――と友人のルティカルを思い出す。確か、礼服になるともっと華やかになったはずだ。宝石の国だと謳われるせいか、軍人たちも華やかな出で立ちを強いられているようで――ルティカルがあまりいい顔をしていなかった。あの時に眉間に寄った物凄い皺を、忘れることはできそうにない。たった一言、動きにくいと低くつぶやかれたそれには、ハイドも頷かざるを得なかった。
「ええと、その……軍服なんですけど、変なところとか……ええと、その、何というか……」
「落ち着いてゆっくり話してごらん」
おどおどとし始めたエリシアに苦笑しながら、ハイドはエリシアを手招きして隣に座らせる。二人分の体重をかけられたソファはゆっくりと沈み込んだけれど、いつものことだ。
「……ちょっとぱつぱつなんですよ」
悔しそうに声を絞り出したエリシアは、すり寄るようにハイドの肩にもたれかかる。
太っちゃったみたいで、と不服そうに報告してくるエリシアを眺めれば、確かにいろいろと窮屈そうな気がする――とハイドは考えたのだが。
ハイドから見れば性別の差があるとは言え十分に細いし、ぱつぱつなんです――といったわりには腰の方の布は余っているようにも見える。あまり女性をじろじろみてはいけないと知っていたから、すぐに目を逸らしはしたが――どうも、ぱつぱつとしているのは胸元のようにみえてならない。
エリシアは性格と同じようにきわめて女性的な体つきをしていたし、異様に細いわけでもないのはむしろ好感が持てた。痩せすぎて骨と皮だけのような状態よりは、きちんと食べてきちんと肉の付いた体の方が健康的で良いとハイドは思うのだ。
例えば一般的な女性がたまにしてしまうように、過度なダイエットで体を壊しそうな程エリシアが痩せたりしたら、おそらくハイドは黙ってはいられない。
だから、今のままで丁度良いとハイドは思っているのだが――エリシアはどうやら違うようだった。
どうもふてくされているというか、落ち込んでいる。
女性はこのあたりが難しいのだよなと考えながら、ハイドはエリシアの銀髪を撫でた。
「ところで、何故軍服を?」
「ニルチェが“もし持っていたら譲っては貰えないか”って」
「彼女がか?」
ニルチェ――つまりニルチェニアとはルティカルの実妹であり、エリシアにとっては妹のような存在だ。ハイドにとっては歳の離れた友人といったところで、今時珍しく探偵という職に就いている女性でもある。謎を解くのが生き甲斐と公言してならないニルチェニアは、時折まわりの人間の度肝を抜くような行動にでることも少なくなかった。
「ルティが軍人ですから。――お揃いの服を着てみたかったのかも」
「……そうだな」
彼女の性格から言ってしまえば多分それは有り得ないだろう――とハイドは思いながらも、隣で嬉しそうににこにことしているエリシアにはそうは言えなかった。
恐らく、ニルチェニアは“探偵の仕事”の為の変装道具として軍服が欲しいのだ。何に使うかはわからないが、彼女の本意はわからなかったことにしておこうとハイドは決めた。兄の真似をしたい妹の小さな我が儘――と思っていた方が色々と精神面で楽になれる気がする。
「それで、引っ張り出してきたんですけど――何か解れてたり、破けてたりしたら直してあげておかないとって。……変なところとか、ありました?」
「いや。見た限りでは見当たらないよ」
物持ちが良いと思ったくらいで、と言葉をきったハイドに、「ニルチェにはぴったりなサイズだと思うんですよねえ」と軍服を身にまとった娘が切なげなため息をつく。
「良いじゃないか。私は軍服を着た君よりいつもの服を着た君が好きだし、細いよりは健康的な方がずっと好ましい」
「……そ、そうですか……ね」
ちょっと照れたように黙り込んでしまったエリシアの額にハイドがキスを落とせば、わいていたやかんがぴいっとやかましく鳴り響いた。
やかんのように赤くなった恋人をソファに残しながら、ハイドは茶葉の入ったポットに湯を注ぐ。カップを二つ用意したところで、「……わたしもすきですよ」と小さな声が耳に入った。
***
「アイツ、そういうところがなんかこう……ムカつくよな!」
「どこがですか」
あの女たらしめ、と毒づいたニックにエリシアがむっとして言葉を返す。「口説いてるつもりはねェのに口説いてんだよ、アイツ」と肩をすくめて返したニックに、「ああ……」とエリシアは納得したように返した。
今はもうどこにもいない夫に思いを馳せながら、来るべき冬に身をゆだねるのは何回目だろうか。
わけあって人から龍へと変わってしまったエリシアは、白い鱗に覆われた自らの体を泉の水面越しに見つめる。
水面に揺れる龍の隣には、貴族のような白い礼服を身にまとった青年が佇んでいた。エリシアの隣に腰を下ろし、思い出話に耳を傾けるその青年は、青年の姿をしていながらエリシアよりもずっと年上の――人ならざる者だ。
ニックはエリシアの夫であったハイドと親しくしていたらしく、ハイドがいなくなってしまったあと、龍となってしまったエリシアのことをよく気にかけ、エリシアが冬眠する支度をし始める秋頃になると、どこからかふらりと現れ、こうしてエリシアの思い出話に耳を傾ける。
時折ニックの方から話されるハイドの話は、エリシアが知らなかったハイドの一面を露わにすることもあったけれど、今も愛しい夫を近くに感じられる気がして、エリシアはニックの話も楽しみながら聞くことが出来ていた。
「今年も、冬が来ますね」
「……そうだな。でも、冬が来たらまた春が来るんだぜ、エリシアさん」
「……そうですね。何度でも、何度でも……春は来る」
「君が眠りについたら、君が護るこの地を俺が護るからな。春までゆっくり休んでくれよ、【花の龍】」
「ふふ。その名前で呼ばれるのも、もう当たり前になってしまって。……不思議ね、そう、本当に不思議……」
寝そべるような体勢からゆっくりと首を持ち上げ、白い龍は空があるはずの宙を見つめる。そこにあるのは青い空ではなく、無数の蔦であり木の葉であり、植物だった。
所々に小さな花を咲かせる蔦たちは、とある巨木を護るように蔦で出来た繭を形成している。遠くの山からでも認識できるほどの大きな蔦製の繭となってしまったその場所は、【春の繭】と呼ばれ――繭の中心部には春を呼ぶ白い龍が棲んでいた。
「春が来たら、また遊びにいらして下さいね」
「勿論。友人の妻を退屈させるような俺じゃあないよ。美人とあらば尚更な?」
「やだ、ニックさんも人のことは言えないわ。口説き文句ならあの人と同じくらい上手」
「でも、口説き落とされるのはアイツにだけ。だろ? エリシアさん」
「ええ、もちろん」
ぱちんときれいにウィンクをしたニックにくすくすと笑いながら、エリシアは小さくあくびを漏らす。それに寂しそうに笑って、ニックは龍のしなやかな翼を撫でた。
「もう眠いか。冬も近いしな。それじゃあ、また春に。――おやすみ、エリシアさん」
「――ありがとう」
泉のほとりに横たわった白い龍は、昔の姿を思い出すようにゆっくりと一人の娘の形へと変わっていく。
懐かしいその姿に一瞬だけ痛ましい顔をしてから、ニックは寝息を立て始めた娘に藍色の毛布をかぶせた。
泉と巨木が娘を見守るような、繭の中にある小さな空間をニックが立ち去れば、その入り口を封じるように蔦と植物が絡んでいく。もはやどこが入り口だったかわからなくなってしまったそこを見ながら、ニックは小さく呟いた。
「何年待たせる気だよ、馬鹿野郎」
夜空のような藍色の髪が印象的だったあの友人は、今年の春が来ても――きっと、まだ帰っては来ない。
彼が帰ってくることだけを望み、春を待ちわびる白くて儚い春の龍は、きっと今年の春も寂しそうにニックに笑うのだろう。
早くお帰りなさいと言いたいわ、なんて口にしながら。
***
ううう、と小さくうなりながら、エリシアは必死にハイドを押し倒そうとしていた。
――と言っても腕相撲の話だ。
「腕相撲をしようか」といつも通りの穏やかな微笑みを浮かべてエリシアに腕を差し出してきたハイドは、腕相撲をし始めたときと変わらない、涼しい顔をしている。
一方でエリシアは両手まで使い、なおかつ腕を浮かせてなんとかハイドを倒そうとしているのに、ハイドの腕はぴくりともしなかった。
「両手を使っても私に勝てないのなら、君は普通の女性だ」
「……ぜったい……っ、何かやってるでしょう……!」
立ち上がって体重までかけ始めたというのにぴくりともしないのはおかしい、とエリシアは主張した。
何かずるをしているんじゃないか。必至になりすぎて息も切れ切れなエリシアに、ハイドはふふっと軽く笑いを漏らす。
「何かしているとするなら、手加減くらいだよ、エリス」
「……嘘っ」
「私を疑うことに必至になられても困るんだが」
そもそも、突拍子もなく腕相撲をすることになったのは、「普通の女性より力が強いのはあまり可愛くないかもしれない」とエリシアがまた妙な方向へ落ち込んだせいだった。
力が強いというのなら、力試しをしてみよう。
そう提案したのがハイドで、選んだ方法が腕相撲だった――というわけだ。
「だって私、パン屋で働いて庭仕事だってしてるんですよ……普通の男の人なら互角か……それくらいです」
「この細腕でそれはないな。それこそ嘘だよ、エリス」
ぽんぽん、と自由な方の腕でエリシアの腕を撫でたハイドは、「女性の中では力があるのかもしれないが」と目を細めて口元に弧を描く。
ハイドの手のひらよりも一回り、もしかしたらふた周りほど小さいかもしれない手のひらは、今は必至にハイドの手を握ってどうにかして腕を倒してやろう――と力を込め続けてきている。
けれど、握ってしまえば手のひらにすっぽりと収まってしまう手は、ミルクのように白い肌は、しなやかな細い腕は、ハイドの腕を倒すには至らなかった。
ふふふ、と柔らかく笑ったハイドは、少し意地悪な声を出しながら一人で奮闘していた銀髪の娘に悪戯っぽく声をかける。
「悔しいなら、私が降参しようか」
「――それじゃあ意味がないでしょう? ハイドさんはたまに意地悪ですよね」
諦めたように離れていく手のひらを捕まえて、ハイドはエリシアに目を合わせて小さく微笑んでみせた。澄んだアクアマリンのような瞳がハイドの顔をきちんととらえた瞬間に、エリシアの顔はうっすらと赤くなる。未だに照れを捨て切れていないエリシアの反応は初々しくて、かわいらしいとも思うが――釣られて照れくさくなるのもいつものことだ。
「女性の中では力があったとしても、男にはかなわないだろう? 現にこうして私に勝てないわけだからな」
「……ハイドさんが強いのがいけないんだわ。絶対、そう」
どこもいけなくないだろうに、と苦笑したハイドに、エリシアは一瞬だけ何かを考えるような表情を向け、「たとえばの話ですけれど」と話を切りだした。
白手袋に収まった華奢な手のひらは、ハイドの手のひらの中で大人しくしている。布越しの手は温かいとも冷たいとも言えず、ただ滑らかな布の感触を伴ってそこにあるだけだった。
「私が勝ったとしたら、ハイドさんは何と仰るつもりでしたか?」
「君が勝ったら?」
エリシアの前髪にかかる銀髪をすくい上げ、耳にかけながらハイドは何てこともなさそうにエリシアに微笑みかける。
「手加減をしているんだ。私が負けても、何の不思議もないだろう?」
***
「……という話がありまして」
「あー、うん、アイツなら言いそう。あいつは君のことを大事にしてたからな」
ふわ、と眠そうにあくびを漏らしつつ、それでも楽しげに恋人との昔の思い出を語っていた白い龍を目の前にしながら、ニックは優しく目を細める。
ニックが目を細めたのに気づいているのかいないのか、エリシアは人の娘の姿のまま、眠そうに目元をこすっている。春が来たから目覚めたとはいえ、未だに本調子ではないらしい【花の龍】は手元の毛布を抱きしめながら巨木に寄りかかったような状態だ。
「すごく優しい人で」
「うん」
「こんなに面倒くさい私にもひとつひとつ丁寧に応えてくれて」
「うん」
眠気が勝っているのか、エリシアの言葉はどこかぼうっとしている。
藍色の毛布に顔を埋めて、エリシアは小さく呟いた。
「春が来る度に思うんです。起きたら実は全部嘘で。私は龍なんかじゃなくて。前みたいに、あの人と」
「うん」
「お帰りなさいとか、ただいまとか。良いんです、抱きしめてもらいたいとか、そういうのはいらない。小さな挨拶を交わせるだけでも、いいから……」
会いたい、と龍になってしまった娘は涙声で肩を震わせる。彼女の言葉に連動するように、植物がざわめいた。
こういうときにかける言葉をニックはしらない。彼には生き別れた知人はいても、また会えるかもしれないという、細くて頼りない希望を抱かせ続ける思い人はいないから。
「もう少し待ってみようぜ、アイツきっとどこかで迷ってるんだよ。もしかしたら、どこかで人助けしてるのかもしれない。それでここに来るのが遅れてるのかもしれないし……」
「……ええ」
泣くなよ、とはニックには言えなかった。
今までずっと泣くことを我慢していたエリシアに、それを言うのは残酷すぎると思ったからだ。人の身で一度滅んだあの男を見送るときでさえ、彼女は無理して優しく微笑んで「ゆっくり休んで」と声をかけたのに。
龍の身となってから不死に近くなってしまった彼女は、老いて逝く妹やかつての知人を若い姿のままで見送ったというのに。
人でありながら人の時間から切り離されてしまった彼女を、哀れだと思ったのは事実だし、同情したくなったのも事実だ。だから、ニックは特に用事が無くても――人でいられなくなってしまった彼女に会いに来るのだ。
そんな彼女に我慢しろとは、とても言えなかった。けれど、うまい慰めも出来なかった。
ニックは人間らしくはあっても元々人ではなかったから、ありとあらゆることに見切りをつけることが出来たし、折り合いをつけることも出来ていた。けれど、エリシアはそうではない。
何を言っても慰めにはならないことを察していたからこそ、ニックには何も言えなかったのだ。
「必ず帰ってくるって、アイツ言ってただろ」
「……はい」
「慰めにならないのは知ってるけど、アイツは絶対君との約束を破らないよ、エリシアさん。だから、帰ってきたら俺たちで一発ずつ殴ってやろうぜ」
うん、と言うこともなかったエリシアに、ニックは顔をくしゃりと歪めた。
帰ってこないのかもしれない。彼を待つうちにそう思ってしまったのは他ならないニックだったし、エリシアも何となく思うことがあったのだろう。
彼が旅立った日に植えた小さな木は、今や龍の姿となったエリシアより大きな巨木として、この【春の繭】に佇んでいるほどだから。
「エリシアさん、今年の春は少し遅くても良いと思う。もう少しだけ、寝てようぜ。春が遅れて誰も許さなくても、俺は君をもう少し寝かせてあげたい。な、だからもう少しだけ寝ようぜ。それで、落ち着いたらまた起きよう。――君が目覚めるまで、俺はいつもどおりにこの部屋の外で君の目覚めを待つからさ」
「……ニックさん」
「よく寝て、元気いっぱいにして。それから帰ってきたアイツに飛びついてやれよ。腕相撲では勝てなかったかもしれないけど、タックルかませばわかんねえよ?」
「……ふふ、それもそうかもしれませんね」
ようやく少しだけ笑ったエリシアの頭を撫でながら、ニックはやりきれない気持ちでいつも通りにその場を離れる。
――今年も、春は当分先になりそうだった。
***
「ここは、君らしい迷宮だな」
数週間ぶりに目覚めたエリシアを迎えたのは、ニックではない別の男だった。帽子を目深にかぶったその男に、エリシアは潤んだ目を向けてぱちぱちと目を瞬かせる。
「――随分と遅くなってしまって、申し訳なかった。……エリシア」
「ハイ……ド……さん?」
「よかった、忘れられていたらどうしようかと思ったよ」
巨木の根本で座り込んでしまったまま、夢かうつつかと目を見開いてしまったままのエリシアに、ニックは「春が来たよ、エリシアさん」とにんまり笑って声をかける。
ハイドさん、と呆然とした顔のままでひとこと呟いたエリシアは、ふらりと立ち上がってころぶようにハイドへと駆け寄った。
「ハイドさんっ……ハイドさん、ハイドさん……! おかえりなさいっ……! お帰りなさい、わたし、ずっと……!」
「エリス、お帰りなさいは君の笑顔で言ってもらいたかったものだが……ただいま、エリス」
ころぶように駆け寄ったエリシアを受け止めながら、帰ってきた男はしっかりと龍の娘をその腕に閉じこめた。ぎゅっと抱きしめあう二人に「春全開って感じだな」とニックは笑いながら二人の足下を指さす。
足下から、色とりどりの花が咲き誇っていた。
ハイドとエリシアを中心に徐々に咲いていく花に「なんだこれは」と驚きを隠せなかったハイドに、「お前の奥さんは正直者ってヤツさ」と訳知り顔でにんまりと笑う。
「嬉しいと花を咲かせる体質になっちまったんだよ。――ったく、見せつけやがってこの野郎。……俺は空気を読んで席を外すから、あとはキスでも何でも自由にしろよ?」
「……ッ、君は昔と変わらないな……!」
後半部分はエリシアには聞こえないようにとハイドに耳打ちしたニックは、あとでゆっくり話を聞こうじゃないか――と赤くなりながらも懐かしく低い声を返してきた友人に「そりゃ楽しみだ」と軽口を返す。
自分のことを睨みつけながらも腕の中の娘を離そうとはしなかった友人を背中にしながら、勘が外れたな――と嬉しそうにニックは笑った。
――今年こそ、春はやってきたのだから。
bkm