ワンダリング・ライフ 1−4
 
 先ほどまでにはなかった威厳が、今の少女には宿っている。
 いっそ冷酷ともいえるような色をその薄氷の眼に一瞬宿し、彼女は二人を見つめていた。
 品定めをされているようだと凛音は思う。
 隣の悠斗の顔色が良くないのも気にかかる。


 ――尤も、あんな話を聞いて顔色を変えない人間なんて、ごく少数しかいないのだろうが。


「閉じこめるわけでも、監禁・軟禁の類をするつもりもありません。……ただ、しばらくこの国で暮らして欲しいのです。魔力を制御できるようになるか、元の世界に帰るまで」


 リリーの声は穏やかだった。
 一拍前の表情が嘘のように消えている。少女らしい柔らかさと、まるで聖母のような優しさのある顔。


「……その要請を受諾しないと言ったら?」


 悠斗から見た凛音の顔はいつも通りだ。
 凛音は、震えていた悠斗の手に、自分の手を重ねる。

「それは賢明な選択とは言えませんし、私には貴女がどのような選択をするのか、視えています」
「そう。分かった。この国にいるわ」


 返事とともに紅茶を一口飲んで、凛音はゆったり笑う。


「弟が死ぬのもイヤだしね」


 凛音は、悠斗の手をぎゅっと握る。
 それには特別な意味はない。
 ただ、そこに彼がいるのか否かを、確かめるだけの、いつもの行動。


「寧ろ感謝すべきよねぇ。これから、どうぞよろしく」


「あらあら?意外と早く片付いちゃったみたいね」


 紅茶のカップを二人分持ってきた女性が、おっとりと笑った。
 透き通るような青のマーメイドスカートの裾が、窓からの光を受けてぼんやりと光っている。


 凛音は意識を集中させて、女性の色を読みとる。
 能力に馴れるには練習が必要だろうと彼女は断定していた。なら、新しく出会う人間には、片っ端からこれを試してみるに限る。


 徐々に女性の周りに靄のようなものが見え始め、ゆっくりと色付いていく。
 青と白。割合としては青の方が多いのだろう、青く色付いた硝子を思わせるような、そんな色だ。


「クラドを呼び戻すべきかしら?」


 おっとりとした声は緩く滑らかに部屋を滑る。
 それにヴェインが頷いて、女性は口元に何かを当てた。銀色に鈍く光る、クレヨンくらいの大きさのそれは。


 ピィーイ。


 ――ホイッスル。


 笛一つで呼び戻されるものなのか、というより、どこかに行ってしまったクラドと呼ばれる男性に、それが聞こえるのかも気になるところだが。


「終わったなー?」


 部屋の扉が、盛大に開いた音がした。


 「取ってこい」の犬か、と悠斗は思ってしまう。よく聞こえたものだな、とも。
 少しは心に余裕が出来たのを感じ、彼は双子の姉を見てみた。


「結局あの人は何しに行ったの?さっきは教えて貰えなかったけど」


 姉は憎らしいほどいつも通りだ。
 凛音の問いに、ヴェインが気のない返事をする。


「君たちが逃げ出した場合の保険だ。彼女も、彼も」
「なるほど?来る途中の給湯室と、扉を出たすぐの所で二つ保険をかけたってことか」


 凛音は納得したらしい。あっさりとそれ以上の追求をやめた。
 赤い男性が再び姿を表したところで、リリーが声をあげる。


「しばらく滞在して頂く方達ですし、自己紹介をお願いします」


 私とヴェインさんは済ませています、と前置いて、リリーはすぐ隣にいた少年に目を移す。
 少年はにっこり笑った。


「ルシィ・ティギィ!ルシィって呼んでね!」


 これからよろしくね、と元気一杯な挨拶に、双子の方も表情が緩む。
 それから、ルシィはすぐに、自分の後ろに隠れてしまった女の子を前に押し出した。


「……ミリア」


 それだけ言うと、ささっとミリアはリリーの後ろに隠れてしまった。
 金髪にルビーのような瞳が可愛らしい、と凛音は頬を緩ませる。アンティークドールのような衣装も、彼女にぴったりだった。
 ミリアの紹介に苦笑いしたルシィが、ごめんねー、と言いながら言葉を補足する。


「ミリアはちょっと恥ずかしがり屋だから……でも、良い子だからね!」
「ええ、もちろん。さっきは紅茶をありがとう」


 にっこりとした笑みで凛音がミリアに手を振る。
 そういえば子供好きだっけ、と悠斗は凛音を見てみる。


 悠斗自身は子供が嫌いではないのだが、悠斗の切れ長の目を怖がって、子供はあまり近寄ってきてくれない。
 凛音はその気安さと、いい加減とも思えるような気軽さで、子供にはよく集られている。


「次は私ね」


 全体的に青く、海を思わせる女性が、ゆったりと前に出た。
 マーメイドラインのスカートが、穏やかに光を受けて、青く光っている。


「フィリア・スカイテナート。フィリアと呼んで頂戴ね」


 何か困ったことがあったらとりあえず聞いてみて、とゆったり笑って、フィリアはクラドの腕を引いた。
 ほら行ってらっしゃいなと前に押し出され、彼はたたらを踏みつつも前に出る。


「クラド・デュルグ。なんて呼ぼうが構わねえ」


 適当に呼んでくれや、と彼は笑って、次はお前らなと二人に笑いかけた。
 どっちから紹介する?と二人して目を合わせ、凛音が小さく頷く。私が行くね、と。


「高月凛音。凛音と呼んで下さい」


 ソファから立ち上がって凛音が頭を下げる。ルシィがすかさず手をあげた。


「タカツキリンネってどこで句切るの?あと、リンネは名前?名字?愛称?」
「高月・凛音。高月で句切るの。凛音は名前、高月が氏。多分皆さんとは名前の並びが逆かなって。だからつまりは、リンネ・タカツキね」
「分かった。リンネだね」


 ふむふむと馴れるように繰り返される名前に、凛音がくすぐったそうな顔をする。
 期待の視線を一身に背負って、悠斗もソファから立ち上がった。


「高月・悠斗です。悠斗と呼んで下さい」
「ユウト?」


 ルシィの言葉にそうだと頷く。


「あれ?ユウトもリンネも名字一緒?」
「双子だからな」


 悠斗の言葉に周りがぽかんとした顔をする。何か変なことでも言ったのだろうか、と悠斗は心配になった。
 凛音だけが小さく吹き出していた。肩が震えている。


「何それ!つまんない!」
「え?」
「恋人同士かと思ったのに!双子!」


 今度は悠斗がぽかんとした。
 それってつまり、ここにいた自分たち以外の皆はそう認識していたってことで、


「……だから『連れ』か!」
「気付くのおっそいわねぇ、悠斗!」


 ヴェインの『君の連れに取り返しのつかないことをした』と謝罪された際に、『連れ』と言われて少し気になってはいたのだ。
 何だか照れくさそうな発音の仕方だし、遠慮めいた所があったから。それはてっきり凛音に対しての罪悪感かと思っていたのだが、そういうことか。
 凛音はけらけら笑っている。


「……すまん、勘違いしていた」


 ヴェインが耳を少し赤くしてて謝罪を述べる。


「あんたと私、似てないしねぇ」
「いや、気付いてたらさりげなく訂正しろよ!」
「ま、ちょっと驚かせても良いかしらって」
「良くねえよ!」


 大体、何故勘違いしたんだ。


「人に不意討ちを狙う女と、殴りかかる男のどこが恋人に見えるんだよ!」


 最悪のカップルじゃないかと思う。通り魔的というか、まず関わりたくない。


「いや、揃いの服を着ていたからな」
「今時、ペアルックなんて流行らないわよ」
「これは制服だよ!ある一定のコミュニティに所属する時にお互いに仲間意識を持たせるために使うようなものなんだよ!」
「めずらしーね!」


 にこにこと笑うルシィに、でしょー、と凛音も笑う。


「服装程度で仲間意識なんて持てる訳ないじゃん!」


 笑顔で放たれたルシィの言葉に、私もそう思うわぁ、と凛音が笑っている。
 ヴェインがルシィの頭をはたいた。出ました教育的指導、とは、クラドの茶化す声だ。


「少しは内容を吟味しろ。それだと先程のクラドと同じだ」
「げっ」


 心底嫌そうな少年に、クラドが長い腕を絡めて問う。


「何でンな声出してんだァ?」


 ヤクザに絡まれる少年のようだが、この場合は少年の保護者が強かった。


「お前は本当に大人げないな。少しは成長しろ」


 ガキと変わらないぞとため息を付き、彼はクラドを黙らせる。


「客人もいる。まずは二人の滞在場所を決める」


 それに同意を返すかのように、部屋の入り口付近で座っていた狼が吠えた。
 ここにも保険かけてあるじゃないの、と凛音はさらりと狼を撫でる。
 狼を何の躊躇いもなく撫でた凛音にも驚いたが、驚いたのは悠斗だけではなかったらしい。


 撫でられた狼が、小さく鳴いて体を丸めている。


「怖がられた」
「こいつにはリンネ、君の魔力が見えている。暫くしないと馴れて貰えないと思う。ユウト、君もだ」


 ヴェインの言葉にそうなの……と、凛音がしょんぼりした。


「ヴェインさんがこの子の飼い主?」
「そんなところだな。私よりミリアに懐いているようだが」


 手に擦り寄る狼を一撫でしてから、ヴェインは部屋の扉を開けた。
 フィリアとクラド、ルシィは部屋に残り、行ってらっしゃいと手を振って二人を見送っている。


「……この子は貴方に忠誠を誓っている。わたしに対する愛情とは別のもの」


 部屋を出た所で狼の背に乗ったミリアが、ヴェインの言葉にゆっくりと返す。
 やはりそれきり黙ってしまうと、凛音とヴェインの間、狼の歩くペースで揺れながらたまに交わされる話を興味深そうに聞いていた。


「俺達のいた『約束の間』って何で立ち入りを禁止されているんですか」


 前を歩くリリーとは十歩の距離を保って、悠斗は隣にいた騎士に説明を求めた。
 二人が目覚めた場所があそこでなかったら、こんな事態にはなっていない。


「……『約束の間』は、この国の存在に根本から関わっている」


 まだ知らないだろうが、とヴェインは本を朗読するような調子で、この国の立地について話し始めた。


 この国は一つの大きな湖の上にあること。
 国全体は大きな浮島の上に成り立つものであること。
 その浮島は国を支えられるような強度はないこと。
 その浮島を沈まぬようにしているのが魔力だということ。
 その魔力の源はリリーであり、その力の増幅させるのがあの薄紫の水晶で、年に一度ある『魔力増幅の儀式』が行われるのがあの『約束の間』だということ。


「凄いところに入っちゃったな」
「あの部屋には、普段は限られた者しか出入りできない結界が張ってある。さっき部屋に残った三人と、リリー、ミリア、私の六人だ」
「ああ、だからあれだけ真剣に入った方法を聞いたのねぇ」


 凛音が独り言のように呟く。水晶削ってこなくてよかった、と聞こえたのは気のせいだと思いたい。


「そうだ」
「帰る方法についても検討しないとだめですね」


 出来るだけ早くに帰れるよう協力は惜しみません、と言ったリリーに、双子は声を揃えて「もう少しこの世界にいたい」と言った。
 何故、と静かな声で問うヴェインに、二人とも曖昧な言葉を返す。


「何故、か。分かんないかもしれないけど、俺達の居た世界って、俺達に馴染んでない気がしてたんです」
「才有る身に生んでくれた両親に感謝はしていても、その両親もあんまり構ってくれなかったしねぇ……」



 この世界は面白そうだと双子は思っていた。


 退屈も平凡さもない世界。
 自分達のやり方、力が通用しない世界。
 自分達を区別することなく、同一視する世界。
 自分達の本質を、価値を、力を一から試せそうな世界。


「急にこっちに飛ばされて、確かに戸惑ったけど……同時に、どこか救われた気もしました」


 悠斗の言葉に、ヴェインは頷いただけだ。


「巧く話せませんけど、俺はこれを“チャンス”だと思ってます」
「さっき見た顔が嘘のようだな。良い顔をしている」


 死刑宣告されたような顔だったものねぇ、と凛音がくすくす笑った。
 うるさい、とぶっきらぼうに返せば、凛音が笑ってごめん、と言う。


 それを優しい眼差しで見つめているヴェインはどこか遠くの何かを二人に重ねるようだ。
 不意に彼は視線をそらし、何事もなかったかのように前を向く。


「はい、じゃあ下におりましょう」


 一時拘束されていた部屋の前を通り過ぎ、五十歩ほど歩いたところで、行き止まりに案内された。
 階段もなしにどうやって降りるのかとヴェインに問えば、彼は人の悪い笑みをニヤリと浮かべる。


「見ていれば分かる」


 行き止まりの前で、リリーが祈るような仕草をしている。
 何かとのぞき込んでみれば、床に何かが描かれているのが分かった。
 淡青の光をほろほろとこぼしながら息づくように光るそれは、魔法陣。


 淡く光るそれに足を乗せたリリーが、双子に手招きする。
 おそるおそるそれに乗り、ヴェインと狼に乗ったミリアもそれに続けば、リリーがブーツの踵を打ち鳴らす。


 あっと言う間に魔法陣から溢れた光が、四人を包み込んだ。


 ジェットコースターと言うよりはフリーフォールだろうか。
 一瞬持ち上げられたような感覚の後に、急降下するような感覚が襲ってくる。
 まるで、夢の中で高いところから足を滑らせて落ち続けているようだ。


 包まれていた光が淡く四散すれば、そこは外に続く入り口の目前だった。



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