甘い毒を飲み干す愉悦


「うまく行くと良いけど」

 五分五分かな――。そう呟いて、白い指先で小瓶のコルクを弾いた。ころんと転がった桔梗色の小瓶の中では、たぷりと赤い液体が揺れている。血みたい、とリピチアは小さく笑って、その小瓶をポケットに放り込んだ。

 ――美しい小瓶の色に反して、中身は毒薬だ。それも特製の。
 たった一人の男を死に至らしめるために作り上げた毒薬は、それ相応の期間と材料、手間をかけて作られたリピチア一押しの逸品だ。
 何しろ、ターゲットの男は“普通に殺しても死なない”と来ている。銃で撃とうが鞭でひっぱたこうが、それこそ毒を盛っても――平然とリピチアに笑いかけるだけだ。
 何故そんなことができるかは分からないが、相手はそういう訳の分からない男なのだから仕方がない。攻撃を加えても傷を負わないわけではないし、毒を盛ったら血も吐くのに――しばらくすればぴんぴんとしている男。

 そんな訳の分からない男がレグルス・イリチオーネだった。

 リピチアは生涯でこれほど訳の分からない男を見たことはないし、これほどまでに狂った男を見たこともない。
 リピチアにつきまとえるだけつきまとい、求めてもいない甘ったるい愛の言葉を紡ぐ唇は――まるでリピチアの為だけに存在しているようだった。滑らかに睦言を紡ぎ続けるその唇は、リピチアにとって心から縫いつけたくなるモノで。

 けれど、「口を縫いつけてやりたい」とでも言おうものなら――レグルスは平然とリピチアに糸と針を渡すだろうし、身長差を考慮してわざわざ屈むことだろう。そんなのは厭と言うほど理解できていた。常識を物差しに計ってはいけない人間だから。

 死ね、と。直接的に口にしたことはない。けれど、リピチアがレグルスの甘言に返す言葉はどれもそれに等しい。遠回りであってもリピチアが彼に伝えている言葉は常に「私の目の前から去れ」ということだけなのに――レグルスは。

 そんなお前が好きだ、と優しく笑いかけてくる。俺とともにいてくれないか、と囁きながら、リピチアに撃たれても「これがお前の愛か」と鉛玉に愛おしげな目を向けるから――気持ち悪い。

 そんな男からランチの誘いを受けること二八五回。ついにそれを了承したリピチアは、お手製で特製の劇薬を手にして町に出た。待ち合わせ場所なんて決めてはいない。レグルスにとってはリピチアがいる所こそが「待ち合わせ場所」だろうし、不本意ながらリピチアもそれをよく理解している。呼ばなくても来る男なのだから、呼ぶつもりで町をふらつけば絶対に来るだろうと。


 ――結果から言えば、リピチアの予想は大当たりだった。

 リピチアが町をふらふらと歩いていれば、どこかから甘い笑みを浮かべた男がやってくる。きっとこの顔を見るのも今日が最期かなと清々しながら、リピチアはレグルスに連れられるがまま町の裏路地へと誘われた。二人並んで歩くのはギリギリ許せたが、腰に腕を回されたところで足が出てしまった。

「随分お転婆じゃないか。――エスコートはいらないのか」
「貴方にエスコートされるくらいなら、腰から下を失った方がマシですね」
「――これはまた、手厳しい」

 ふ、と口元に笑みを浮かべる男は、レグルスでなかったらリピチアの目にも美しい青年として映っていたことだろう。
 無駄に見目がよく、何をしても無駄なほどに絵になる青年。それもまた、レグルス・イリチオーネだった。
 空気までとろけてしまいそうな甘く低い声も、レグルスのものでなかったら好意的に受け止められたかもしれないのに。

 ――レグルス・イリチオーネのものだと認識した瞬間に、リピチアにはすべてが塵のようになってしまう。体が受け付けないのだ、致命的に。それはもう、毒のように。

「――面白そうなモノを持っているな」

 リピチアが険しい顔をしている間に、レグルスはあっという間にリピチアと距離を詰め――腰のあたりのポケットに入れていた例の小瓶を摘み取る。足払いは避けられてしまった。相変わらず身のこなしの素早い男だ。あっさり小瓶を取られたのは悔しかったが、そんな顔など見せてはやらない。

 レグルスはしばらくじっと瓶を見つめ、「香水の類じゃなさそうだ」と鮮やかな青の瞳を細めた。
 おそらく、レグルスにはそれが何であるのか見当はついているはずだ。レグルスが好きな赤ワインの色にとけ込むように作ったものだし――その色が何を意味するのかも、全部。

「新作か。楽しみにしていた」
「――相変わらず、頭のおかしい人ですね」
「お前が俺のために作ってくれたものだろう? 手間暇かけて、全部……俺のために。俺だけを想って作ってくれたモノを貰えるとあらば、頭もおかしくなると思わないか?」
「思いませんけど」

 ここまで好意的な解釈をされるとは思わなかったな、とリピチアは冷えたまなざしをレグルスに向ける。目元を甘く滲ませて、恋人に囁くようにレグルスは声をひそめた。

「――俺の故郷には“カンタレラ”という毒があった。“雪のように白く、快いほど甘美な毒薬”と称される毒だ」

 ちゃぷん、と小瓶の中の緋が揺れている。
 それを愛おしそうに見つめて、レグルスはリピチアの目の前で小瓶をゆっくりと揺らした。

「甘くなくても、快くなくとも――。お前の“愛”で死ねるなら、それが俺にとっての“甘美”だと俺は想う。この毒々しいまでの緋も、お前の愛で染まったと想えばいっそ美しい」
「寝ぼけたこと言わないでくれます? 愛なんてひとかけらも入れてませんよ」
「――だが、俺だけを想って作った。違うか?」

 間違ってはいないが――ベクトルは逆方向に突っ切っている。
 リピチアが毒薬に込めたのは愛憎の憎の方だし、愛はこれっぽっちも入れていない。誓っていい。

 無言だったリピチアに、レグルスはさらに近づいてくる。思わず後ずさってしまって背が裏路地の汚らしい壁に付いてしまったことを悟って――リピチアは舌打ちをしてしまった。すらりとした腕がリピチアの顔の両隣の壁につかれる。かちっと音がして壁と小瓶がぶつかった。

「ありがとう。お前の愛の結晶、大切に飲むよ」

 例の毒よりずっとずっと甘い声が降ってくる。砂糖菓子より甘い声なのに、それはどんな薬よりもリピチアの顔を歪ませた。

「――飲んだらさっさと、この世からご退場願います。永遠に」
「ふむ……死んでからお前にとりつくのも悪くないな」
「残念ながら、幽霊などという世迷い言は信じませんから」
「それなら俺だけを信じて俺だけを見ていると良いさ」
「そんなことになるくらいならこの目をえぐり出しますよ」

 盛大に顔を歪ませたリピチアに、それは俺がいやだな――とレグルスは笑いながらリピチアの頬をそっと撫でる。背筋に虫が這ったようにぞわりとした。触るな、と手を払いのければ目の前には整った男の顔。息を呑むより早く奪われた唇に、ふわりと漂ったのは男物の香水の香り。
 何をされたのか理解したリピチアが銃を抜くより前に、「今日のランチ、御馳走様」とわらった男が逃げていく。

 ふざけんな、と腹の底から叫びながら乱暴に拭った唇。拭った拍子に切れてしまったのか――リピチアの蒼い軍服の袖には、あの男に渡した毒のような、真っ赤な血が付いていた。



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