なんちゃって妖怪モノ

 墨を薄く流したような空の色だ。
 一雨来るのかと娘は目を細め、それからゆったりと家路についた。薄暗い空の下、娘の着ている朱い着物がよく目立つ。

 娘が身につけている朱色の着物はそれは豪勢で、往来では目を引いた。金糸の刺繍は狐をかたどり、色とりどりの糸で刺された鞠の刺繍を狐が楽しげに転がしている。呉服屋の娘にふさわしい装いだった。
 城下町でもついぞ見かけぬような、美しい顔立ちの娘。絹糸のような黒髪はとろりと艶めいていたし、娘の唇は桜にも負けず劣らずの繊細さを持っている。

 娘に影のようにつき従う男もまた、見目麗しい。少々目が細く、つり上がった様子からは狐を連想させられるけれど、顔の造作はしゅっとしていて涼やかな美男子といったところだろう。男の着物は身分に応じて地味な色のものだけれど、それがなかなかどうしてさまになっている。手にした紙の包みの中はどうやら甘味のようで、娘は時折「甘いものなど久しぶり」と機嫌良く口にしていた。

 時折立ち並ぶ店の商品に目を移しながらも、娘はのんびりと家に帰る。呉服屋の目の前を通り過ぎ、ぐるりと石垣伝いに呉服屋の裏に回る。
 石垣に少しかぶった枝振りの柿の木の前で、娘は着物をたくしあげた。辺りに人がいないのは確認済みだ。

「はいよッ」

 人とは思えぬ跳躍力で、人二人分の丈がありそうな石垣をひとっ飛び。娘は無事に石垣の向こう側に落ち着くと、乱れた着物の裾を直す。大胆不敵な――娘とは思えぬ振る舞いだ。否、人とも思えぬ振る舞いだ。続いて従者の男も娘と同じように石垣を飛び越え、すたりと着地する。そして、呆れながらも口を開いた。

「校倉、お前さんね、少しは慎みをもったらどうだよ。一応は年頃の娘じゃないか」
「今更じゃないか。どうせ表口から行ったら厭な顔をされるのさ、あのクソ婆に」
「仮にも母親にクソ婆とはねえ」
「あれを母親と思ったことはないね。血も繋がらない他人さ。人の死につけ込んで図々しく家に入り込んだ女狐じゃないか」

 ふん、と鼻を鳴らしたのは朱色の着物の娘で、呆れた顔をしたのは地味な着物の男だ。
 呆れた顔をした割には次の瞬間にはニヤニヤ笑いで娘の言葉に「女狐ねえ」と応じる。
 娘はずんずんと家の裏庭を歩き、大股で離れの向こう側の倉へと向かう。校倉造りのその倉は、呉服屋の大きさには似合わぬほどに小さかった。

「ま、そう気を損ねなさんな」
「いいや。あの女が家にいる限り私の心の平穏は訪れやしないよ」

 おっ死ねと続けないだけマシだなと男は思う。
 
 現在の娘の母親――つまりは、呉服屋の旦那の妻は血の繋がらない娘のことを殊更に嫌い、娘を見かけようものなら「はよう死ねば良いものを、いつまで長らえるのかしらねえ」とぼそぼそと本人に向かって呟くくらいだ。血の繋がらない母娘の間にある溝は途方もなく深く、また肥溜めのようにどろどろとしていた。人ならざる者であるこの男ですら、母娘が諍うところには出来るだけ居たくないと思う。面白い見せ物ではあるが、女の諍いとは醜いものだ。特にこの二人のやりとりはそのえぐさを全面に見せつけてくる。それほどに両者の仲は最悪だ。

「茶でも飲もうか!」

 倉に入って娘はやけくそ気味に口にする。呉服問屋の娘が倉で口にするような言葉じゃないが――否、呉服問屋の娘でなくとも倉で口にするようなことじゃないが、この場合はこれで正しい。

 倉の中には荷物の類はない。布団とそれ以外の寝具、それから慰め程度の生活小物がちまちまと置いてある。倉の真ん中は小さな火鉢。倉には似つかわしくなく、まるで小さな家のような雰囲気を持たせ――簡単に言ってしまえば、この娘はこの倉に住んでいた。

 茶でも飲もうかと口にした娘はてきぱきと茶の準備を整えて、それから男ががさがさと振っていた紙の包みをひったくる。

「あのねえ、饅頭を振る奴があるか。潰れるだろうに」
「潰れるかね」
「潰れるよ」

 全く――と言いながら娘は湯飲みを二つ引っ張り出す。出涸らしの茶を注いで、男の前に差し出した。

「これはどうも」
「茶を買い忘れて出涸らしだが、まあ、飲めなくはないだろう?」
「茶より菓子のが本命だしな」

 それは尤もと呵々として娘も笑い、いそいそと饅頭を取り出し、餡のたっぷりつまったそれを二つずつお互いの手のひらに乗せる。しばらく無言で饅頭にかじり付き、二人は丁度同じに湯飲みを傾けふう、と息をついた。

「やっぱり甘いものは良いね、生きてて良かったと唯一思える」
「同感だ。お前さんに取り憑いて良かったと思える唯一の時だからな」

 ふふん、と機嫌良さそうに茶をすする男は妖狐である。いわば化け狐の類のあやかしだ。そして、呉服問屋の一人娘であるこの少女、校倉がこんな倉に住んでいる原因でもある。

 娘は狐憑きだった。そう、この狐の男に取り憑かれている。
 取り憑かれているのにも関わらず、娘は気狂いも引きつけも起こさない。それは狐憑きとして娘は“半成り《はんなり》”だったからだ。要するに半端者。普通の人としては妖に近い感覚を持ってしまったし、妖にしては人に近いという――奇妙な状態だった。

 本来の“狐憑き”は妖狐が人に取り憑くことで、取り憑いた人の体を自由に操り勝手気儘に振る舞うのだけれども、半成りは別だ。

 “半成り”は、確かに妖狐は人に憑くが、妖狐が人の体を自由に扱うことはない。姿を消したまま耳元で囁くか、取り憑いた本人の許可を得て体を動かすか、その辺りが精々だろう。取り憑いた人と同じ感覚を持った肉体で実体化するも可能だけれど、元々消えたり現れたり出来る妖怪の身だ。実体化できたところで特に意味もない。
 何か良い点があるなら味覚が備わったことくらいだと妖狐の男はたまに娘にこぼしていたし、娘もそうだろうなと思う。聞けば、妖怪に味覚は備わらないとの話だ。

 娘の方は妖に取り憑かれたことで感覚や肉体が妖に近いものとなり、人二人分の石垣を一っ飛びで乗り越えられたりと、人間離れした力を身につけ、それなりに半成りの身を謳歌している。専ら窮屈な思いをするのは取り憑いたはずの狐の男で、彼は半成りになったことを時々ぼやいた。

 そのたびに娘は「君の力不足だろう」とばっさり切って捨てるのだ。
 しかも残念ながらその通りだから、男の方も黙りこくるしかない。

 娘が狐憑きになったのは、元々は娘が自分の産みの親を助けたいと狐の男に願ったからだ。
 男と娘が出会ったころの娘は、病気で死にかけた血の繋がった母を助けたい一心で、神社仏閣を手当たり次第に巡っては神だの仏だのに必死に願っていた。
 その娘をたまたま見かけ、手に入れてやろうと画策した男は「母を助ける代わりにお前の体をおくれよ」と娘に持ちかけたのである。

 母が助かるならと娘は二つ返事でそれを受け入れ、男の方も約束通りに娘に取り憑こうとしたのだが――。

 どこで知ったのか、娘の父親が邪魔立てしたのである。
 母が病状で伏せる中、娘は狐を母の部屋に招き入れ、そこで憑かれる代わりに何が何でも母を治せと念を入れ。狐もそこで娘に憑こうとした瞬間に、父親の呼んだ神主だか祈祷師だかにそれを邪魔されたのだ。
 半分ほど娘に憑きかけていた男はそのせいで“半成り”となったし、邪魔されたせいで娘の母はそのうち息を引き取った。

 何故止めたのかと娘は父を問いただし、父親はそれに「妖憑きとは世間体が悪い」と間髪入れずに答えたのである。
 世間体のために母を殺すのかと娘は癇癪を起こし、半成りとはいえ狐憑きとなった娘を恐れた父親によって、娘はこの倉に隔離された――というわけである。

 祈祷師だか神主だかを退けるほど狐の妖力が強かったなら、娘はちゃんとした狐憑きとなっていただろう。「君の力不足」とはつまりそういうことである。

「全く、娘をこんな倉に閉じこめて楽しいのかね」
「“世間体”のためなら仕方ないだろ」

 娘の愚痴にくすくすと笑って、男は饅頭を口に放り込む。

「立派な呉服問屋の一人娘が狐憑きとあらば、体裁もへったくれもないだろうな」
「あんな親父は世間体と結ばれれば良かったんだよ。そもそも世間体、世間体――と煩いわりには娘一人もまともに“育てなかった”じゃないか」
「そのようだなあ」

 ぶうたれた娘は男の差し出した紙の包みをといて、中に入っていた金平糖をがりがりとかじり始める。あぐらまでかきそうになったのを、流石にどうかと思うぜと狐の男が止めた。
 娘の口調は男のそれであり、娘らしい繊細さがない仕草や立ち居振る舞いは間違いなく男のもの。それが妙に艶っぽいのを狐の男は気に入っていた。

「齢十二になるまで娘を男として育てたやつなんだ、あの親父は。そんなやつが世間体を語るなんて鼻で笑えるね。臍で茶を沸かすどころか血の池地獄の血だって沸かせるだろうよ」
「ま、お前さんの言うことはよくわかる」
「血縁者に店を継がせたかったとあの男は言うがね、あいつ自体が入り婿――余所者なんだよ。店を継ぐのにお前の血は要らないと言う話さ」
「ごもっとも」

 校倉が腹を立てているときは、そうだそうだと同意するのが一番無難なことを男は知っていた。ここで反論でもしようものなら校倉は男に掴みかかるだろうし、半成りでも狐憑きの力は馬鹿に出来ない。男の方も娘の話にはほぼ同意見だったし、甘いものが食べられるなら娘の話など聞き流せる。

「大体、血縁者云々と言ったくせに母上が死んだあとにすぐあのクソ婆を連れてきたじゃあないか。あの二人に男の子が出来たら店を継がせるつもりだろ。血の話はどこにいったんだか」

 まるで“女の子が男の子になりますように――”という願いでもかけるようにして、男として育てられた娘には、やはり父親に対する並々ならぬ恨みがあったと見て取れる。ふむ、と狐は鼻を擦って「そうなりゃお前さんは追い出されるのか」と首を傾げた。対する娘はびくりともせずに、年頃の少女が浮かべるとは思えぬ悪意の塊のような笑いで顔を彩った。あやかしだってこんなにあくどい顔はしないだろうよと男は表情を変えずに思う。

「狐憑きだからと私を跡継ぎにするのを諦め、この倉に追いやったときに“私を追い出そうものならお前の末代まで祟り殺す”と言ってやったからね。背丈と同様肝っ玉もちんけな親父には堪えただろうよ。御覧、その証拠にあのクソ婆が何と言おうと、親父は私を家から追い出さない」

 末代というなら校倉もそれに含まれるし、母屋からは追い出されているが――と思いながらも賢い妖はそれを口にしない。面倒だからだ。代わりに、口の中に饅頭を頬張った。

 そして、その饅頭を飲み込むより先に姿を消した。妖が姿を消したのと同じか、少し遅れて倉の扉が開く。娘は厭な顔をして来客を迎える。
 扉を開けたのは件の継母だ。馬の糞でも見るような目で義理の娘に目を合わせた女は「まだ生きておるのかえ」と憎々しげに口にする。顔も見たくないと言った風情だが、それならなぜ毎日毎日この倉に足を運ぶのかと娘は舌打つ。

「ええ、大変良い陽気でございますから。お義母様もこんなところまで足を運んでくださり、わたくしは幸せ者ですわね」
「減らず口を」

 顔は両者ともお互いに糞でもみるような目だ。曇り空だというのに良い陽気だと皮肉った娘に、顔だけは美しい義母は「お前、また外に出たね」と吐き捨てる。

「まさか。表からわたくしが出た姿でも見ましたか? 行った姿も帰った姿も見てはおらぬでしょ。これだけ高い石垣に囲まれて、わたくしがどこかに行けるとお思いか」
「町で派手な着物の女を見たよ。丁度、あんたみたいな朱の着物さ。下品ったらありゃしない」
「おやおや。呉服問屋の妻でありながらわたくしの着物の価値がわからないとは恐れ入りますわ、お義母様。どうせその町で見た女とやらも、耄碌した目の為せること。歳は取りたくないものです」
「――死んだ母親の着物に縋り、穢らわしい妖に取り憑かれたお前に着物の善し悪しなど判ろうか!」
「耄碌婆の目よりは、余程」

 にこりと微笑んだ血の繋がらぬ娘に女は顔をあかくして、つかつかと歩み寄るなり平手で打った。

「未だ己の立場がわからぬか!」
「わからぬのはそちらの方では?」

 少女はにやにやと笑みを浮かべたまま、「男の子はまだですか」と口にする。さっと青くなった女に追い打ちをかけるようにして「男の子はまだなのですか」ともう一度。

「歳のこともありますゆえ、わたくしが死ぬのはお義母様よりあとになるでしょう。跡継ぎは決まりましたか? 珠のような子は産まれましたか? 丈夫なお子を授かると良いですね」
「お前……」
「父上はわたくしをこの家から追い出せはしませんよ。父も貴方も亡き後、わたくしがお義母様の子をお義母様がわたくしにして下さったように可愛がりますから、どうぞご心配なく」

 受けた恩《怨》には報いねば――と童のように少女は笑う。
 決着はついたも同然だ。血の気の引いた義母の顔に、娘は不気味に口角を上げる。

 それ以上女は何も言わず、荒々しく扉を閉じて母屋へと戻っていく。その後ろ姿にざまあみやがれと校倉は笑って、「見たかいあの顔」と狐の妖を呼ばわった。

「お前さん、相変わらず怖いね」
「古来より、恐ろしいは妖怪より人の心と言うからね」

 


 


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