飴と鞭

「……いい加減に……して下さい……っ」
「往生際が悪いなァ。あきらめて身を委ねてみろって。天国見せてやるぜ?」

 死因は貧血って書いておいてやるから。
 そんな物騒なことを笑いながら言うのは一人の男だ。情け容赦なくラフィヌの上にのしかかり、全力で彼女を押しつぶそうとしてくる。押し倒す、なんて可愛らしいものでも艶っぽいものでもない。押しつぶす。――なんと暴力的な響きだろう。

 せめて床かどこか、堅い場所で押しつぶされようものなら足をばたつかせて反撃くらいは出来たのかもしれないが、生憎と押しつぶされたのは柔らかいソファの上だ。足をばたつかせようにも、ソファが柔らかく不安定で出来やしないのだ。しかも仰向け。胸まできっちり潰されているものだから苦しい。男の顔が比較的近くにあるというのも辛い。男――ルナールは憎たらしいことに見目だけはいいのだ、“種族柄”。
 ――残念ながらラフィヌは、顔立ちの整った男は得手ではない。目をそらしたくなるくらいには苦手なのである。なんだか得体が知れなくて。

 頬を張ってやろうと振りかぶった手のひらは難なく男の手のひらに納められ、男は上機嫌でその手のひらに唇を落としている。からかいだとしっかり理解しているからこそ顔が熱くなった。ラフィヌがもがく無様な姿をルナールが楽しんでいるのを彼女は嫌と言うほど知っていたし、そんな姿をこの男には見せたくなかったから。つまるところ、子供扱いされているような物なのだ。大人が子供をからかって遊ぶ。そんな風に。
 せめて口説く手札としての行動なら、ラフィヌにもいくらか突っぱねる勝算があるというのに――からかいでの行動でならば、ルナールには何をやっても無駄だ。むしろ面白がって事態は悪化するだろう。そういう男だから。

 明け方、日の少し上ったような空を思わせる青い瞳は、真っ直ぐに楽しげにラフィヌを見つめている。ラフィヌは何度も何度もこの瞳に泣かされてきたから、ルナールがこれから何をするのか、何をしたいと思っているのか、行き着く場所はどこなのか――予測できていた。

「お前、ほんとバカだよなあ。よく今まで生きてたっていうか――拾ったのが俺で良かったな?」
「バカとか言わないで下さい! 何でそんなことを言われなきゃいけないのか、意味も分からない!」

 拾われた先が貴方でお先真っ暗! と他に怒りをぶつける方法もないラフィヌが叫べば、ルナールは嬉しそうに目を細めた。罵倒されるのが趣味だったとは思わなかった、と愕然とラフィヌが呟けば、「やっぱり馬鹿だな」と今度は真剣な顔で返ってくる。

「罵倒されるよりは罵倒する方が好きだぜ、“ラピヌ”ちゃん?」

 雌兎、という単語を、ラフィヌの名前をもじったように口にしたルナールに怒りで顔が熱くなるのが分かる。

「――そんな風に呼ばないで下さいって何度も……!」
「うさぎちゃんを“うさぎちゃん”って呼んでどこが悪いって? 赤い瞳、白い髪。ほら、ラフィヌは“ラピヌ”じゃないか。立派な“うさぎちゃん”。だろ?」

 嘲るように笑って降りかかる言葉は、ラフィヌに対しての罵倒だ。ラフィヌは自分の瞳も、髪の色も大嫌いだというのに――この男はそんなことなど関係無しに、ラフィヌが大嫌いなラフィヌのあだ名を囁くのだ。恋人に甘い言葉を囁くように、耳元で。

「吸血鬼の目の前で白い首筋さらして微睡んでるお前が悪い。“俺に喰われたくなかったら、首筋は隠せ”――って前にご丁寧に忠告してやったろ? しかも今は夜だ。吸血鬼が腹を空かせて起きてくる頃合い。そんな中でうとうとしてるから馬鹿だって言われるんだよ、俺にな」
「真夏でも首をさらすなと? 暑苦しいことこの上ないじゃないですか」
「俺にのしかかられてる今の状況よりは暑苦しくないかと思いますがねえ」
「――首なんて隠したってどうせ噛みつくくせに!」

 悔し紛れのラフィヌの叫びにも、まあなァ、とルナールは笑うだけだった。腹が空いたらお前だって飯を食うだろ、と言われてしまえば、ラフィヌには「この蚊男!」という他なくなる。

「昔からうさぎの天敵は狐【ルナール】だろうが。それだけの話だろ。太古からの決まりじゃないか。大人しく喰われろ、ラフィ」
「狐なんて大ッ嫌い! どこかに猟犬でもいればいいのに!」

 何の偶然か、それとも運命の嫌がらせか。狐という名を持った男は舌なめずりをしながらラフィヌの首筋に顔を埋めようと顔を近づける。舌なめずりをしたときにちらりと見えた尖った犬歯に、ラフィヌは思わず身をすくませた。あの牙は見た目よりずっと、鋭い痛みをラフィヌにもたらす。親しげに呼ばれた「ラフィ」という愛称が胡散臭かった。

「あんまり暴れなかったら痛くしねェから」

 ぎゅっと目をつぶり、痛みに耐える準備をしているラフィヌに慰めのような脅しのような言葉をかけて、ルナールは待ち望んだ白い首筋に顔を埋める。ほんのりと花の香りのような匂いがするのは石鹸か何かのせいだろうか。ルナールが知る限りラフィヌは彼に拾われる前は花屋の娘だったというから、もしかしたらそのせいかもしれないが――この香りは嫌いじゃない。

 首筋に顎のあたりがふれ合ったときに、ラフィヌの体がびくりと跳ねたのをルナールは不思議がったが、それが生えかけの髭による刺激だと言うことに気づいて吹き出した。確かにじょりっとはするだろうが、それにすら体を跳ねさせるほどこの娘はルナールを怖がっているのだということに気付く。からかいの延長線で何度が顎で首筋を擦ってやれば、そのたびにラフィヌは小さく身を跳ねさせた。痛い、と震えた声で紡がれて男は満足げに笑う。怖がるこの娘の反応はなかなか、嗜虐心を煽られて嫌いじゃない。

「暴れたからいつも通りな」
「――なっ、暴れてません!」
「痛いって言ったろ? 暴れたってか、逆らったからダメ」

 むちゃくちゃな理論を展開させた男はいつも通り遠慮なく娘の首筋に噛みつき、血が滲むそこを丁寧に舌でなぞる。そのくすぐったさを感じさせることもなくもう一度強く首筋にかじり付いて、赤い滴に心を躍らせた。ちょっと小生意気と言うか反抗的な娘だが、ラフィヌの血は気に入っている。なぜかは知らないが行き倒れていたところを拾ってしまったくらいには。

「や、やだ……やめ、やめてルナールさん、痛いっ」
「そんな痛がんなよ、もっと手酷くしてやりたくなる」

 がぶがぶと首筋にかじり付いてしまえば、ラフィヌの真っ白だったそこは無惨にも血の滲む、すこしグロテスクなものになる。月光に晒されるその首筋の傷跡がルナールはなぜか好きで、まるで命を奪うように血を奪ってしまうのだ。
 血を流すのと同じくらい痛みに涙を流すラフィヌを見ると、なんだか優しくしてやりたいのともっと酷くしてやりたいのと、そんな気持ちでない交ぜになるのも嫌いじゃない。

 “吸血鬼らしく”痛みを感じさせずに血を吸うことも出来なくはないのだが――一度試したときは流石のルナールにも罪悪感というか――何とも言えない犯罪の匂いがしたので、それ以降はやっていない。ラフィヌもアレを何回もやられるのは辛いだろう。ルナールはなれたものだから気にしないが、ラフィヌが気まずくなりそうだったし。

 がりがりと何度か噛みついてしまえば、ラフィヌは痛みに必死で動かなくなる。そんな一瞬がたまらなく好きだ。まるで、この娘のすべてを支配できたようで。

「お、終わり……?」
「ん、おしまい。――よくできました」

 そうしてラフィヌを“支配”した後は、思い切り甘やかせばいい。しつこい嫌がらせと手のひらを返したような優しい態度。飴と鞭の使い方を間違わなければ、あらゆるものは驚くほど従順になるのだとルナールは知っている。事実、ラフィヌはある程度ルナールに飼い慣らされ始めているのだ。本人は知らないだろうが、頭をなでれば身をすり寄せてくるのがよい証拠。吸血鬼が薄暗く笑っているのを、少女は知らない。

 痛みにぽろぽろと涙を流す娘の脇に腕を入れ、抱き寄せてから立ち上がる。しっかり抱えなおしてから、ルナールはソファにゆっくり座った。膝の上には首筋を血でぬらしたラフィヌがいる。
 滲む血液をキスで止め、泣きじゃくる兎のような少女の額にも口づけを落とした。

「悪い、俺はお前がいないと生きてけないからさー……」

 だから俺がいないと生きていけないようにしてやるよ――そわな物騒な本音は夜の闇に隠し、狐のように狡猾な男は、兎のように無力な少女に“飴”を与え続けている。


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