pumpkin head hunting

「dolcetto o scherzetto」

 ドルチェット・オ・スケルツェット。

 すごい巻き舌だなあ。
 漠然とそう思った。言葉の意味はすぐに出てこない。おかしいな、私博識だったのに。博識で有名なイかれ衛生兵だったんだけど。博識故にイかれてても少尉の立場にいたんだけど。

 そう思いながら眠すぎてぼうっとする頭をゆっくりと横に振った。視界になんだか不穏な者が見える。

 ――いや、そんなはずは。どこの世界に軍人の家に忍び込む不届き者がいるというのか。

「dolcetto o scherzetto」

 再び聞こえた。低くて眠気を誘うようないい声だ。ちょっといやな感じに聞き覚えがあるが、まあいい。眠いからいい。

 しかし――何だそれは。呪文か。そんな呪文聞いたことないな。気のせいか。ああ、気のせいだ。視界を埋めるように黒いレザーコートが存在してるのも気のせいだし、無駄と言っていいほどの整った顔、男のくせに艶やかな黒髪を少しちらつかせながらオレンジ色の野菜を被っている男がみえるのも気のせいだ。

 間違いなく気のせいだ。

 目の前に立ちふさがるレザーコートを払いのけた。私は眠いのだと、早く寝かせろと、ベッドへの道をふさぐな――と遠慮なく払いのけた。本能にはあらがえない。眠い。睡眠不足でいずれ死ぬ。

 書類仕事に忙殺されていたのがいけない。きっと私は幻を見ているに違いない。忙しすぎたから流石に幻覚も見えてくる頃合いだったのか。二週間ぶっ続けて徹夜だったのがいけないのかもしれない。二週間前から一睡もしていない。もう寝よう。

 リピチア・ウォルターはそう決めて、もぞもぞとベッドの中に潜り込んだ。ひどく眠いしひどく疲れている。ベッドの中に潜り込んでしまえば、やってくるのは致死量に近いほどの睡魔。抵抗する気などとうになく、本当に死んだように彼女は眠りについた。ベッドに潜り込み毛布を掛けたその一瞬。その一瞬で彼女は深い深い眠りの底に沈んでいく。

「―― scherzetto」

 低い声だった。
 少し艶があるような、成人した男のそれ。
 けれど、眠りの国に行ってしまった彼女にはどんな声も響かない。王子からの接吻ですら、今の彼女を起こすことは叶わなかっただろう。

 暗闇の中でも月の光を受けてほんのりと光って見えるような、青く鮮やかな瞳をゆっくりと細めて男は笑った。
 吸血鬼のようなひっそりとした、闇を溶かしたような笑い声。招かれなくても勝手に入ってきた黒のレザーコートの吸血鬼は、被っていたカボチャの帽子をそっとおいた。

 深い眠りについた茶髪の女。その女の枕元で、男の頭からはずされたカボチャがにんまりと笑っている。
 
 外ではカボチャと悪霊、魔女、モンスターに扮した子供たちが賑やかにお菓子を強請って家を練り歩く。

 そんな夜だった。


***


 レグルス・イリチオーネは自室でのんびりと読書を楽しんでいた。故郷のものには及ばないが、それでも舌を楽しませるエスプレッソ。ふんわりと漂う苦くも香ばしい香りは、彼が愛する数少ないものの一つ。

 読んでいた【実録! となりのパンプキン!】をそっと閉じ――カボチャの栽培法が載っている専門誌だ――ゆったりと柔らかなソファに身を埋める。

 気分がいい。最高に気分がいい。
 簡素だが質素ではないローテーブルに置かれた、顔の彫ってある小さなカボチャを二つ手に取る。このカボチャが活躍するのは昨夜のイベントだけなのだけれども、もうこのカボチャはイベント的には賞味期限切れなのだけれども、そんなことな些細なことだ。

 どうせまた一年したら同じイかれカボチャ祭りを目にすることになるのだから。

 怨霊だか音量だか知らないが、妙な格好をしてお菓子を強請る子供たちは嫌いじゃない。カボチャと悪霊に何の関係性があるのかもレグルスは知ろうとしなかったし、知りたいとも思わなかったが、菓子を寄越さなかっただけで“ちょっとした悪戯《報復》”が出来るハロウィンは好きだ。

 ――“菓子を渡さなかったから”。

 そのひとことで大抵のことは納得されてしまう。素晴らしい日だと思う。
 朝起きたら部屋がカボチャでいっぱいだったとか、ベッドの回りがカボチャで埋められていて身動きがとれないだとか、それどころか頭にカボチャが被せられていただとか、そんなことすら“いたずら”の一言ですむのだから素晴らしい。多少の住居不法侵入くらい許してくれることだろう。

 なにせ、往来では仮装した子供たちによる脅迫に伴う強奪事件が行われているのだから。住居不法侵入くらいは可愛いものだ。

 レグルス・イリチオーネはとあるマフィアのボスだ。だから住居不法侵入くらいは気にも留めないし、報復が簀巻きで海にスローイン、とかではなく“いたずら”の範囲内のかわいらしいもので終わったことに自らの慈悲深さすら感じるほとだ。

 部屋の中をカボチャで埋め尽くし、カボチャで身動きを取れなくしたことが“いたずら”の範囲内に収まるかどうかは個人の感性と見解の違いによって左右されるだろう。が、マフィアのボス的には十分“いたずら”だ。人も死んでいなければ血すら流れていない。マフィアのボスの“報復”としてはあまりにもささやかで優しすぎるものではないだろうか。

 きっと彼女も楽しいハロウィンをおくれたことだろう。
 慈善活動とは素晴らしい――。
 そう思いながらレグルスはエスプレッソをゆっくりと喉に送った。手に取った二つのカボチャは黒のレザーコートのポケットに忍ばせた。

 それから、まだ熱いエスプレッソが入ったカップを何のためらいもなく背後に投げつける。銃声とともに陶器のカップが割れる音がしたし、レグルスの頬に勢いで飛んできたエスプレッソの雫が伝う。レグルスの目の前の壁に弾痕が一つ。よくあることだ、気にしない。

「Happy Halloween!」
「――ハロウィンは昨夜終わりを迎えましたけど?」

 せっかくのカボチャ祭りの常套句をばっさり切って捨てる女の声。この声をレグルスはよく知っている。

「俺たちのハロウィンはこれからだ!」
「さっさと終わって下さいよ。ついでに貴方も」

 本当についでみたいな声だと思う。本当についでなんだろうなと思った。
 ふざけたレグルスの後頭部にこつん、と冷たい鉄が当たる。銃身だろうなあとレグルスはのんびり構えた。慣れている。

「よく眠れたか?」
「ええ、もちろん。死んだように眠れましたよ」
「目覚めはどうだ?」
「ええ、“最高”でしたよ」

 ――多種多様なカボチャを粉砕することで一日を始めることになるとは思いませんでした。生まれてはじめての経験です。

 女は至って冷静、というかいつも通りの声だった。どこか楽しむような遊んでいるような声だ。そりゃあ良かった、とレグルスも軽口で返す。後頭部の方でカチッと音がした。銃の安全装置を外しでもしたのだろうか。何にせよ、引き金には彼女の指がかけられているに違いない。彼女はやるときはやる人間だ――というか、殺るときは殺る人間だ。職業は軍人で階級は少尉。そりゃ、殺るときは殺る人間だろう。職業病だなとレグルスは思う。自分のことを棚に上げているのは忘れている。レグルスも殺るときは殺る人間だ。でないとこちらが死ぬ。

「まさかマフィアに住居侵入されるとは」
「まさか軍人に銃を突きつけられるとは」
「マフィアなら銃くらい突きつけられてるでしょ。慣れてるんじゃありませんかー?」
「否定はしないさ」

 ごりっと頭に銃身が食い込む。これだけ殺気を込めて銃身で頭をゴリゴリされたのは初めてだ。

「住居侵入くらいは大目に見てくれ、昨夜なんて至る所で恐喝、脅迫に伴う強奪事件が発生していたじゃないか」
「子供たちがお菓子を強請っていただけですよ」

 マフィアに比べれば遙かに可愛いものですと軍人――リピチアは口にした。

「まあそう怒るな、俺も慣習に倣っただけだ。《お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ》。ハロウィンの常套句だろ。俺が菓子を強請ったのにお前は菓子をくれなかったからな、その“悪戯”さ」
「……やっぱり、貴方だったんですね?」

 寝る前に不愉快なものを目にした気がしたんです。
 リピチアからは背を向けているレグルスには、彼女の顔なんてみえやしないが、今にもレグルスの頭をぶっ飛ばす勢いで睨みつけ、しっかりと――あわよくば“うっかり”引き金を引きそうな位置に指をかけていることくらいよくわかっている。

「朝起きてカボチャに囲まれていた瞬間にすべてを理解しましたので、殴り込みをかけに来たのですが」
「マフィアのボスの部屋にあっさり来られることに敬意を。それから、俺の愛の塊を粉砕してくれたことに遺憾の意を」
「カボチャが愛の塊? 寝ぼけてます?」

 どうせ寄越すならもっと値のはるものにしてください、と軍人の女はマフィアのボスに吐き捨てた。

「薬指につける指輪でも贈ったら身につけてくれるか?」
「何を貰っても溝に捨てます」
「だろうな」

 むしろ高ければ高いほど彼女は嬉々として溝に捨てるだろう。レグルスの金から出たものなら何だって彼女は無駄にしたがるに違いない。彼女はレグルスを隙あらば殺したいと思うくらいには憎んでいる――のだろうし、それでいい。

「訳わかんない呪文なんか口にしてるし――気持ち悪い声だなあと思いながら寝たんですけど」
「……お前なあ」

 自慢ではないが、レグルスが耳元で囁くだけでオとせる女は少なくないというのに――まさか“気持ち悪い”といわれるとは。レグルスにしては珍しく、彼はひっそり落ち込んだ。

「――まあ、知らなくて当然か」

 彼の住んでいた国の言葉が、彼女に通じるなんて思っちゃいない。

「訳の分からないことはおいておいて――それでは、一足遅く」

 ――trick or treat.

 彼女の口から出たのは愉快なハロウィンの常套句だ。しかし殺気がこもっている。

「身柄拘束させなきゃ強制連行しますよ、って?」
「ええ」

 とんだお菓子も悪戯もあったものだ、とレグルスは口元だけで微笑んだ。マフィアのハロウィンよりも余程タチが悪い。

「残念ながらハロウィンはもう終わっている」

 レグルスはそう口にして、ポケットから顔の彫られたカボチャに似せた煙玉を二つ取り出し、床に投げつける。
 カラフルな紫とオレンジ色の煙に紛れて、レグルスはさっさとその場を後にした。
 後ろの方でリピチアの怒りに満ちた声が聞こえる。うかうかしているとすぐ追いつかれるな――。

 そう思いながら昨夜の空気が残る、灯のともっていないカボチャのランタンがちらほらと顔をのぞかせる裏路地を走り抜けた。時折飛んでくる鉛玉が、カボチャのランタンを粉砕したが――一日たっただけだか季節はずれになってしまった代物だ、壊れても誰も文句を言わないだろう。



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