最終兵器お粥

 季節は夏から秋へ。昼と夜の寒暖差がはげしくなり、体調を崩す者がぐっと増える頃だ。“季節の変わり目”――だなんて文学的な言い方をされているが、この時期は衛生兵にとって気の狂うほど忙しい時期だ。

「どいつもこいつも風邪引きやがって! 軍人は体が資本じゃないんですか脳筋のくせに!」

 バカは風邪引かないって嘘だったんですか! とぷりぷりと怒りながら廊下を走るのはリピチア・ウォルター少尉だ。フロリア軍で衛生少尉の座についている彼女は、この時期になると真面目に働かねばならない。風邪に倒れる者が続出するからだ。風邪ごときでとリピチアは思うが――そのリピチアは生まれてこの方風邪を引いたことがないのだから、彼女には風邪の辛さがわからない。

 彼女が風邪を引かない理由に関しては「風邪菌すら彼女を怖がるから」「風邪菌が彼女だけは避けるから」「そもそも彼女を屈服されられる存在なんてこの世にある訳ない」など諸説あるが――彼女は幸か不幸かそれを耳にしたことはなかった。

 今年の風邪はひどく性質が悪いようで、本来ならば彼女と共に走り回るはずの衛生兵も軒並み床に伏せっている。これはパンデミックで決まりだな――とリピチアは舌打ちをしながら朝っぱらから軍の寮を駆け回っていた。ちなみに、駆け回っているのはフロリア軍の寮ではない。フロリアと同盟を結んでいる軍――ヴィルドア軍の寮だ。

 ヴィルドア軍が謎と言っても良いほどの爆発的な風邪の流行に見舞われ、それを何とかするようにと派遣されたのがリピチアだ。彼女にとっては不幸なことに、“リピチア・ウォルター”と言えばそこそこ名の知れた衛生兵だ。軍医という地位は彼女にはなかったが、持っている知識と技術は軍医とさほど変わらない。

 死人を見たら「救えなかった……」と悔やむのが軍医であれば、「これ研究に使えるかな?」と死体を目の前に舌なめずりするのがリピチアというだけだ。ちなみに彼女の医学の師であるソルセリルも「これは研究に使えるだろうか」と考えるタイプだが、彼は上辺だけ「救えないとは……」と無念そうにしている。無表情で。この師あってこの弟子だ――とフロリア軍では嘆かれる、才能だけなら素晴らしい二人である。

 もう一つ言うと、“白衣の天使”としての彼女には“感染症が裸足で逃げ出す衛生兵”という二つ名が与えられている。白衣の天使としては些か天使らしくない二つ名だけれど、間違っていないのだから仕方がない。

 まあともかく、“大流行してる風邪菌の中に突っ込んでもこいつだけは無事だろ”という軍上層部の非情な判断によってリピチアはヴィルドア軍に派遣された。
 
 それに関してリピチアは「何でそんな面倒くさいところに行かなきゃいけないんですか」とごねにごねたのだが、彼女の上司であるルティカルは「普段人に迷惑をかけている分だけ働いてこい」とつれない態度を見せたし、「君は絶対に風邪を引かないんだから良いだろう」と面倒そうに言い放った。

 「帰ってきたら覚えてて下さいね!」と不穏な一言を残し、リピチアは単身で風邪の蔓延するヴィルドア軍にほっぽりだされてやったのだ。帰ったら新しく研究した合成生物《キマイラ》を軍部に放つ計画を実行してやろうと決心して。

 ふつふつとわき上がる母国の軍への怒りを押しとどめながら、リピチアはとある部屋のドアをとんとんとノックした。リピチアの「この人は風邪を引かないだろう」という脳内リストに入っている一名だ。判断基準は“なんとなく”である。つまりフィーリング。けれど、一応心配なのでドアを叩いた次第だ。

「どーぞー」

 爽やかな朝には似合わない、くぐもった声が部屋の中からする。問題なさそうだなと遠慮なく部屋の扉を開けて、リピチアは部屋の中をずんずんと進んでいった。

「ゲートさーん、白衣の天使のリピチアさんがやってきてあげましたよー!」
「お久しぶりっす……」

 なんとなく赤らんだ顔をしながら、リピチアを出迎えたのはゲートだ。リピチアがヴィルドア軍の中で一番仲良くしている青年である。歳はリピチアより少し下で、けれどリピチアよりも体格は良い。性差があるからあたりまえだけれど。
 彼は何となく鼻をすすりながら、「何しにきたんですか……」とどこか熱に浮かされたような声でリピチアに問いかけた。

 ふと、部屋の隅に置いてあるゴミ箱に目がいく。くしゃくしゃと丸められたティッシュが溢れんばかりに入れられていた。
 ゴミ箱のそばにおいてあるベッドのそばにも使用済みのティッシュが転がっている。じっと部屋を見ていたリピチアに気付いたのか、ゲートが焦ったように「じろじろみないで下さいよ!?」と上擦った声を上げ――リピチアは発見した。

「……ゲートさん、あの、まあ――殆どいきなり訪ねちゃった私も悪いんですけど」
「は? ……あっ、違いますよ!? これはそんなんじゃないですよ?」
「“そんなん”に使う以外に使い道を思いつかない雑誌ですよね、これ」

 リピチアがゆっくりと指を指した方向には、肌も露わに挑発的なポーズを取る、扇情的な体つきをした豊満な女性が載る雑誌が何冊かおいてある。ゲートはそれを急いでベッドの下に押し込み、「本当にそんなんじゃないっスから!!」とぶんぶんと首を振った。

「赤らんだ顔、溢れるばかりの使用済みティッシュ、そしていかがわしい雑誌――これを見た私によく“そんなんじゃない”なんて言えますねえ?」
「ほんとに勘違いなんですってばマジで! 信じて! 俺を信じてリピチアさん!」

 ずずい、と必死に身を乗り出したゲートに、「鼻息荒くしないで下さい私あんなに豊満な体つきしてませんからご期待には沿えませんよ」とリピチアは一息で言い切った。

「同僚が持ってきたんですってば! 俺はいらないのに押しつけるようにして! 俺のじゃないっス!」
「いかがわしい本を見つけられた大半の男性はそういう言い訳をする、って探偵の友人が言ってましたよ。あの人不倫調査、臓器の密輸に闇取引、なんでもござれの百戦錬磨の探偵さんなので間違いないです」
「多分それ探偵じゃなくてもっと黒い組織の人だと思うんですけど」

 あなたの上司の友人の妹ですよ――とは言えず、リピチアは冷たい視線をただゲートに浴びせ続けた。こっちは風邪を引いてるんじゃないかと心配したのにこれだ。元気にも程がある。

「まあそうムキにならずとも良いです。不幸にも朝ですしね? 男性ならば仕方のないことでしょうし。ただの衛生兵なのに軍医としてこき使われるくらいには医学的にも生物学的にも知識はあります、これでも一般女性より理解はあるつもりですよ」
「違いますって! 風邪ですって! しかも理解あるって言っておいてなんでまだ冷たい目なんですか!」
「この冷え込む時期に朝っぱらから下半身出してれば風邪も引きましょうとも。ええ、ええ。そりゃ風邪も引きますよ。近頃風邪も流行ってますしねえ? それに“理解はある”と言いましたが、“軽蔑しない”と言った覚えはありません。――おっと、お邪魔でしたねわたし。では健康なのが確認されたことですし、他の部屋も確認してきます」
「だから普通に風邪ですって! 話聞いてよ!」
「はいはい。お大事に〜」
 
 やってられるかとばかりに適当な言葉を返したリピチアに、すがりつくかのようにしながら、ゲートはついに大声で叫んだ。

「だーかーらぁ!! 雑誌は俺のじゃねーからぁ! こちとら思春期とっくに過ぎてんだ――――ッ!!」
「あーもう、わかりましたからこっちに倒れてこないで下さいって――って、やだ、ほんとに熱あるじゃないですか」
「だから最初に言ったじゃないスか……」

 熱で潤んだ目に涙を浮かべながら、ゲートは恨めしげにリピチアを見つめた。行きすぎた勘違いとは言え成人男性を泣くまで追いつめた“白衣の天使”は、気まずそうに目をそらす。

「もー、泣かないで下さいってば。私がいじめたみたいじゃないですか」
「間違ってないっスよね……?」

 風邪とあらば仕方がないとリピチアはゲートを抱え、よいしょとベッドに横たわらせる。それにも少なからずゲートはショックを受けたのだけれども――女性に抱えられるなんて思いもしなかった――リピチアを知るものは彼女を女性扱いなんてしないからそんなものは今更だ。

 しくしくと涙を流し始めたゲートに、風邪を引いてるときは心も弱るって聞いたな――とリピチアはぼんやり思いながら、「効果覿面のお粥を作るのでチャラにして下さい」とゲートに布団をかぶせる。

「……俺、こないだまで極寒の地で死体処理してたんです」
「ああ、なるほど……」

 そりゃ風邪も引くだろうなとリピチアは納得した。ヴィルドア軍が進軍したのが極寒の地なら、風邪を引く者も増えるだろう。季節の変わり目だけの話ではなかったのか――とリピチアは罪悪感を覚えて、ほんの少しだけ「ごめんなさい」と口にした。

「寒いところでの作業なら風邪も引きますよね」
「そうなんですよお……鼻水もひどくてティッシュなくなるし」
「あとでティッシュ持ってきますから」
「リピチアさんは疑うし……」
「すみませんでしたって」
「熱でぼうっとしちゃって辛いし」

 めそめそとするのも風邪のせいかなとリピチアは息をつきながら、持参した清潔なタオルを台所に持って行ってぬらす。げほげほとむせるゲートの額にそれをおいて、「じゃあ罪滅ぼしにお粥作ってきます」とその場を立った。

***

「リピチアさん……あの」
「何ですか? リピチアさん特製のお粥ですよ? 食べないんですか? 風邪も吹き飛ぶこと請け合いです」

 台所に引っ込んでからしばらくして、ベッドで寝込んでいたゲートの元に運ばれたのは――器に並々と盛られ、ほんわりと蒸気が立っている「お粥」だ。

 見たところ、体に非常に良くなさそうである。
 何だか緑色で、匙でかき回すとたまにぶよっとした何かが匙にまとわりつく。引き上げてみればそれはサツマイモの皮のような紫色をしていながら、それでいて食べ物にはあるまじき粘着性を持っているようだった。――不穏だ。

 この食べ物に名前を付ける機会があるとするなら、確実に不穏と名付けてやる。
 不気味にべたつく謎の物体を見つめながら、ゲートは恐る恐るリピチアに問う。

「あの、風邪が吹き飛ぶ前に俺の命の灯火が吹き飛んだりしないっスかね……?」
「昔自分で食べたことがあるので大丈夫ですよ。そのあたりは間違ってないです。絶望的に不味いですけど。食べ物にあるまじき不味さですけど。一瞬気を失うかのごとき不味さですけど」

 たとえるなら口の中で地獄の悪魔がパレードするかのような不味さだとリピチアは笑顔で言う。

「……食べ物ですよね?」
「こんな見た目でも食べ物ですよ。合成生物《キマイラ》の生き肝、なんてオチはありませんから安心して食べて下さい」

 もとはフロリアに伝わる「秘薬」を改良したものなのだとリピチアは言う。

「昔、フロリアにいた魔女が作った《秘薬》があるんですが、それって健康な人が口に含むとみるみるうちに肉が腐り落ちるって言う――早い話が《新陳代謝が異常に良くなる》ものなんです。それは危ないからと私の師匠が安全性と汎用性を追求した結果がこれです」
「フロリアの英知を結集した劇薬ってことっスか……」
「そうおっしゃらず。本当に不味いですけど、効果は最高なんですよ」

 半分でも食べたら今日の午後には風邪なんてどこかに行きます、と彼女が自信満々にいうものだから、ゲートは覚悟を決めて不穏な物体がぶるんと揺れる匙を口の中に入れる。

「エ゛ッ」

 脳天に雷が落ちたような衝撃すら感じる。これまで食べてきた何よりも不味い。薬であることを考慮に入れても不味い。悪魔のパレードとリピチアは表現していたが、パレードなんて生易しいものではないだろう。カーニバルだ。悪魔のカーニバルだ。

「味を感じないコツは、流し込むことです」

 すっとリピチアが差し出した水の注がれたグラスを片手に、ゲートは胃の中にそれを流し込む。だめ押しとばかりにグラスを傾け、しばらく無言でいた。舌が痺れている。

「不味いですよねそれ。私、最初食べたときに意識飛びましたもん」

 笑顔で語ることじゃない――。そう言いたかったが、口を開いたらせっかく流し込んだそれが逆流しそうでゲートは口を開けなかった。

「じゃあ、今度こそお休みなさい。次に目覚めた頃には体調も良くなってますよ」

 あまりの不味さに遠のく意識。徐々に暗くなっていく視界には、笑顔のリピチアがいる。

「どうも……」
「お大事に」

 やっとのことでそう口にしたゲートを再びベッドに押し込むと、少し考えてからリピチアはベッドの下に突っ込まれたいかがわしい本を引きずり出す。

「仕方ないから処分しときますかね……」

 帰ったら中佐のデスクの中にでもつっこんでやろう。
 そう思いながらリピチアは劇薬に等しいお粥が入っていた器を片づけ、ゲートの部屋を出ていった。




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