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 ふ、とソルセリルは小さく息をついた。
 我ながら随分と無謀なことをしていると思ったが、自らの愚かな無謀さより姉との約束を守れない方が嫌だったのだから仕方がない。

 ソルセリルは今、“星に限りなく近い場所”に来ている。ここがどこかは知らない。名前もないような場所だし――おそらく、生きた人間がここに来るのは初めてのことだろうから、誰もその場所があることを知らない。

「全く、腹の立つ」

 久しぶりに人を殴ったせいでじんじんと軋むように痛む拳を忌々しげに見つめて、ソルセリルは歩き始めた。
 拳が痛むのはスペルゴを殴ったからだ。魔術師のくせに自分がしでかしたことを理解していなかったスペルゴだが、リラに引き合わせたら態度が一変した。自らが何をして、それと引き替えに何を失ったのかを理解したらしい。罪の深さをようやく理解したスペルゴは、断罪を自らソルセリルに申し出た。

 尊大だった頭を下げ、子供っぽかった言動を直し、必死に裁いてくれと願ったスペルゴに、ソルセリルが下したのは“処罰の処置をしない”という選択。本当だったら八つ裂きにしても足りないくらいには腹立たしいけれど、あの甘い娘がそれを望まないのは理解していた。

 “許し続けることで苦痛を与え続ける”。

 ――あの娘が口にした言葉。今回はそれが一番のスペルゴにとっての罰になるだろうとソルセリルは判断した。何より、幼いときに必要以上に教育されたスペルゴは子供っぽく歪んでしまっている。それなら、あのニルチェニアの大人びた“罰”を与えることで少しでもまともになるのではないか――そう思う。

 だが、それでもむかついたから殴った。公爵家間の罪を裁く白玉卿としてではなくて、ニルチェニア・メイラーと血の繋がった存在のソルセリル・システリアとしてスペルゴを殴った。

 力一杯人を殴ったのは半世紀ぶりだったが故に――普段はメスで切り刻むか弓矢で射抜くかだ――今現在ソルセリルの拳は痛みを訴えている。こうなることも分かりきっていたけれど、それでも殴らずにはいられなかった。

「僕もまだまだということですね……」

 この糞餓鬼、と怒鳴らなかっただけまだましだったのかもしれない。姉の苛烈さは自分にも少しはあるようだとあきれながら、ソルセリルはゆっくりと歩き続ける。

 雲の上を歩くように足下も覚束ないし、景色は夜空と変わらない。延々と白い床の上を歩き続けているだけだから、いつ目的地につくともわからない。だが、それでもソルセリルは歩き続けた。仕事をほっぽりだしてきてしまったのはこの際おいておく。どうせ自分は医者なのだ、人の命を救うことより重要な仕事なんてありはしないのだから。




 何日歩いたのか。それとも何ヶ月か。はたまた何年か――数えていないから分からないが、かなり長くあるいたな、とソルセリルは漠然と思った。ようやっと変わった景色。空気までもが変わった気がして、ソルセリルは気を引き締めた。

 彼が目指していたのは“神のいる場所”。それが“星に限りなく近い場所”にあることは知っていたが、そのほかのことは全く知らなかったから、当てずっぽうで歩くような状況に陥った。

 明るかった夜空から星は消え去り、そこに残るのは雲のように白い床と、真っ暗な夜空だ。黒に染め抜かれたその場で、白衣を纏ったソルセリルはぽっかりと浮かぶ月のように浮いていた。

 そんな景色を興味もなく見つめ、また歩き出そうとして――

「あらやだ、お客さん?」

 少し低めの女の声だ。声がした方向に顔を向ければ、短い黒髪の女が立っていた。
 背は高いが女だろう。しなやかそうな足は細く、体につくささやかな筋肉が黒い着物のような服の上からも感じ取れるが、決して貧相なわけではない。必要最低限の無駄の無いそれは、この女が戦ってきた者という確かな証だ。

「ちょっと、起きなさいよ。多分貴方の客よ」

 ソルセリルに愛想良く笑った女は、一転して声を低く落とすと、女の足下に転がっている何かを踏みつけた。夜空と同じ真っ黒なコートに身を包んでいたから、周りの光景と同化してしまって気づかなかったが、それは男のようだ。
 げしげしと踏まれて男の頭から黒いシルクハットが転がった。ばさりと落ちる髪も黒く、男は蹴られながらももぞもぞと芋虫のようにもがいている。

「相変わらず乱暴だよネー」
「蹴られて喜んでるくせによく言うわよねぇ。――ほら、お客さんよ」
「ボクのお客じゃなくてリンネのって可能性はー?」
「無いわよ。こんなところまで来る知り合いはいないわ」

 忌々しげに舌打ちをした女にへらへらと笑って、地面に寝そべっていた男が体を起こす。ひょろりとした体はいっそ貧相だったが、漂う雰囲気は貧相さはなく、奇妙そのものだ。シルクハットを被り直した男はソルセリルに向かって道化のように笑って、ポーズを取るように礼をする。
 奇妙な紫のアイメイクが目を引いた。

「どーも、コンニチハ」

 ソルセリルは無言で返す。これが神だというのか。

 ソルセリルの世界に伝わる神は「黒」だの「闇」だの「漆黒」だのと呼ばれている。神は常に黒を纏い、その瞳の周りには紫の文様が描かれていると伝わっていた。

「貴方が“神”ですか」
「そーだよ。ボクが“神様”。何、君はボクに会いに来たの」
「いいえ」

 会いに来た訳じゃない。取引をしにきた。

 そう言えば、神と名乗る黒ずくめの男は愉しそうに笑ってソルセリルの周りをくるくると回り始める。

「“取引”! 今までにない展開! イイね、そういうの大好きだよ!」

 何を望むのかと男は口にし、ソルセリルは間髪入れずに「ある娘を蘇らせてほしい」と口にする。途端、“ダメ”と答えが返ってきた。

「死人の復活なんて面倒。ボクはそういうのはつまらないからやらないよ」
「何言ってんのよ、やろうと思えばやるでしょ」

 うんざりとした顔で横やりを入れたのは黒髪の女だ。この男との関係性はよく分からない。ただ、その顔をどこかで見た気はする。

「んー、まあその通りだネー。でも、今はやる気がない」
「やんなさいよ、さっきまで“そういうの大好きだよ!”とか言ってたんだから」
「そもそも誰が死んだのかボクにはわからないし」
「ニルチェニア・メイラーという娘です。白髪に紫の瞳の少女です」

 ニルチェニアと聞いて、神と名乗った黒い男は首を二、三度傾けた。心当たりがあるようだ。
 ニルチェニア、か。小さく男が呟く。

「もしかして、その子――星詠の子?」
「はい」
「んー……星詠か……出来たら蘇らせたくないけど――ああ、メイラーってことはもしかして本来の瞳の色は青?」
「――ええ」

 それを聞いて何になるのかと訝しんだソルセリルに、じゃあ蘇らせてあげるよと男は気安く返した。

「生きてる君に言うのもどうかとは思うんだけどネー。この世界には幾つかルールがある。そのルールに乗っ取らないとボクみたいないわゆる“神様”も自由に動けないんだよネ」
「ルール、ですか」
「そ。一つは“観測者”を一人以上おくこと――この場合の“観測者”っていうのは……そうだね、君みたいに不老不死に近い存在ってことかな。世界を記録し続ける人間をこの世界は求めてるんだよ。どこかの国の建国者みたいな魔女の女の子とか……ああ、君もそうだネ――“月詠”くん? ……あ、意外と驚いてない感じ?」
「貴方が神なら僕の素性は知っていてしかるべきですからね」
「成程ネ」

 にたりと笑った男にもソルセリルは興味はない。が、男の近くにいた女はソルセリルに興味を持ったようだった。

「月詠ってあれでしょう? あの、どこかの騎馬民族に伝わっていた星詠と同等の存在――でも星には願えないのよね。月詠が出来るのは月に誓うこと――だっけ」
「ええ」

 満ち欠けを繰り返し、出たり消えたりを繰り返す月に誓うなんて、不確かなことをソルセリルはしたことがない。だから、代わりに自分自身に誓っている。月詠の力は誓いを守り続けることで発揮できるものだ。だから、ソルセリルは約束を破れない。嘘もつかない。月の力を有しているからこそ、ソルセリルは数多の才能に恵まれたのだから。

「んで、もう一つは“不幸な最後を遂げるのは銀髪に青目の娘であること”なんだよネー。……よかったね、君の蘇らせたい女の子が青い目じゃなくて」

 青い目の女の子なら僕も蘇らせたり出来なかったと笑った男は、どこか昔を懐かしむような顔をして、“よく似てたよ”と微笑んだ。

「ボクの好きだった子も最後は自分の意志で死ぬことを選んだ――変なところで頑固な女の子だったよ。見た目も少し君の蘇らせたい女の子と似てた」
「そうですか。どうでもいいですけど」
「冷たいなあ。でもそのとーりだもんネー。じゃあ、ささっと蘇らせてしまおう」

 男が口笛を吹けば、どこから銀色の星が飛んでくる。それは解けるように光を振りまくと、光はだんだんと人の形にぼんやりとした輪郭を形成していった。
 
「はい、この子だ」

 いつの間にか、男の腕の中には見慣れた娘が収まっている。白髪の娘に手を伸ばそうとすれば、男はにたりと笑ってそれを阻止した。

「この子を構成する要素から二つ、大きな要素をとり抜きましたー」
「……どういう意味ですか」
「“星詠”の要素と“視力障害”の要素を抜いたってこと。蘇らせると言ってもネ、完全には蘇らせることは出来ないんだよ。結局は一度死んでるから。だから完全に“前のニルチェニア・メイラー”としては蘇らせないけど、まあ“新しいニルチェニア・メイラー”としてもう一回生きられるよ、ってトコかなー。でもまあ、別にいいでしょ?」

 その二つなら無い方が良いかも知れないとソルセリルも納得し、同意を返す。

「で、あともう一個。この子は今人形のようなものです。寝っぱなしのネ。で、この子を起こしたいなら、この子を愛しているヒトに名前を呼ばせるんだよ。この子を愛していないヒトに名を呼ばせたら完全に死ぬから気をつけてネー」
「――随分と意地の悪いことをするんですね。残酷だ」

 期待させて落とす。それが神のすることかとなじったソルセリルに、男は得体の知れない微笑みを浮かべた。

「神が残酷で気紛れなのは、どこの世界でも一緒だよ」

 そう告げて、男はソルセリルにニルチェニアを渡す。

「帰りは近道をこの子に案内させるから――よろしくね、リンネ」
「はいはい。そのつもりだったから別に良いわよ」

 私も下に用があるし、とソルセリルを手招きして歩き出す女の顔に、ああ、とソルセリルは納得する。

「――君は、和の国の」
「そ。和の国で祭り上げられてる双子の使者の片割れ。和の国はほら、八百万の神がおわしますところですから。神様には定期的に会いに行くのが私たちの役目なのよねぇ」

 悪戯っぽく笑う女は「あんな神でも大事にしなきゃいけないのがつらいところよ」とぼやく。聞けば、彼女はあの男のせいで人生を大方壊されたというから――さぞかし大変な目に遭わされたのだろう。もっとも、ソルセリルにはどうでもいいことだ。

「はい、貴方は“花の国”の人でしょ? 何だっけ、極悪非道の外道医師のソルセリル・システリア?」
「よく御存じで」
「色々なところを見て回るのが仕事ですから。――きっとその子は起きるわよ。早く目覚めることを祈ってるわ」

 来た道に比べて驚くほどに短かった帰り道は、ソルセリルの屋敷に何故か繋がっている。この女が繋げたのだろう。手を振って別れを告げる女にソルセリルは頭を下げて、長いこと帰らなかった屋敷へと足を踏み出した。


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