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「――あの人も訳の分かんねェことしやがって……」

 手のひらの紙切れをぐしゃりと握りつぶしたジェラルドに、「元々そういうひとだったでしょ」とリピチアが諦めたように紡ぐ。納得行くわけねェだろうが、と吐き捨てたジェラルドを、銀髪の女性――リラが気遣わしげに見ていた。

「――先生はジェド兄様に幸せになって貰いたかったんじゃないですか。この文面だと」
「……それがおかしいんだよ。ニルチェニアを殺したも同然なのは俺だろ――だって俺は」
「はいストップ。それ以上は私が言わせません」

 どの方向に話が変わっても“昔の女をずるずる引きずる”のは、優しいからなんだろうかとリピチアは思う。ニルチェニアがいたときはリラを考えて、リラがいるときはニルチェニアのことを考える従兄弟に、リピチアはため息をついた。そう簡単に割り切れることでもないから尚更性質が悪い。

 ニルチェニアは確かに、愛されない自分より愛されているリラを生かしてほしいと――そのような内容を口にしたという。それをジェラルドからもルティカルからも聞いたソルセリルは、ニルチェニアの願い通りに、ジェラルドとリラの婚約を結ぶようにと翠玉卿であるエメリスに進言した。ジェラルドが握りつぶしたのはそれが綴られている書面だ。物の見事にぐちゃぐちゃになってしまっている。
 エメリスはそれをリラとジェラルドに任せることにして、それからおよそ二ヶ月が経っていた。
 その間にソルセリルは身をくらませて――行方が知れない。
 
 ソルセリルがしていたことはソルセリルの弟子であるリピチアや、システリア家のものが代わってやっているから、あまり大きな影響が出ていないのは幸いだった。

「幸せの続きを願ったのはニルチェニアさん自身でしょ。しかも元々結婚する気なんて二人にはなかったじゃないですか」
「そりゃそうだが……」
「だったらさっさと結婚して下さいよ。ただでさえリラさんは身元をどこが保証するべきかあやふやなんですし」

 死んでいたリラが戻ってきたとなると、彼女の身元をどこにおくべきか、という問題が出てきた。一度死んだ身だから滅多なところにはおけない。だからさっさと結婚してしまってウォルター家が身元の保証をするべきだとリピチアは言外に告げている。

「……ニルチェニアさんに義理立てするのも結構だと思いますけど、それって誰のためにもなりませんよ。ニルチェニアさんはジェド兄様のことを恋人やら夫だとはみてませんでしたしね」

 リラがいることを知っていて敢えて口にするのは、そうでもしないとこの従兄弟が動かないことを知っているからだ。
 誰かが背を押してやらなくちゃ、この従兄弟が自分の幸せのために踏み出そうとしないのはリピチアがよく知っている。

「中佐なんて切り替え早かったですよ。クルスさんの有能さを見込んで補佐官にしたくらいですし」
「あー……騎士団から軍人に鞍替えするとは思わなかったが……」

 ニルチェニアがいなくなった後、ソルセリルはクルスに契約の破棄を言い渡し、行き場の失ったクルスをルティカルが補佐官として拾うという決着を見せた。元々ニルチェニアの件さえなければ相性は悪くなかったのか、そこそこの信頼を築けているようだ。

「ジェラルド、私のことは考えなくていい」
「リラ……」
「本当だったら私、蒼玉卿やソルセリル様に殺されていても文句は言えない立場だわ。あのお二人はニルチェニア様を愛していたのだから。生かして貰っているだけでありがたいのに――私だけ幸せになろうとは思えない。ニルチェニア様を殺したのは私も同然だから」

 二人そろって似たようなことをいう、とリピチアはため息をついた。その結果を一番望まないのはニルチェニアその人自身だといつになったら気づくのか――あるいは、気づいていても気が引けるのだろう。

「私は大丈夫。貴族には産まれたけれど、根性もあるし器用さもあるつもりよ。どこかの家に使用人として雇って貰えないかどうか――」
「はーい、リラさんもストップ。何回も言いますけど、それはニルチェニアさんが望まないんですってば」

 そもそも、貴族の娘が根性だのなんだのというあたりがおかしい。さすがこの従兄弟の婚約者だった人だなあ、と妙に感慨深くなってから、リピチアはとどめの一言を落とす。

「ニルチェニアさんを無駄死にさせる気ですか、お二人とも?」

 そういえば、二人ともそろって同じタイミングで黙りこくる。そもそも、ニルチェニアが死んだのだってリラとジェラルドの幸せの続きを願ったからだ。その二人が自らで幸せを遠ざけようと言うのなら――ニルチェニアの死は完全に無駄だろう。ソルセリルもそれを知っていたし、ルティカルだって理解している。

 この二人だって納得はできていないだろうが――ある程度の理解はしているはずだ。
 それでも不服そうな二人に、リピチアはため息をついた。

「じゃあ、二、三年して、少し落ち着いてから結婚すればいいじゃないですか。今はまともな判断も出来そうにないですし――もう……面倒臭いなあ」
「面倒臭いなあ、ってお前」
「事実じゃないですか。何回も言ってますけど。あの人はそれを望まないんですよ。二人が幸せになる代わりに死んだんです! 分かってますよね? じゃあもう幸せになるしかないんですよお二人は。幸せになるのが義務だと言えば分かりますか?」

 一気に言い連ねてしまえば、二人とも不承不承頷いた。さっさと決着してくれればいいものを。

「ニルチェニアさんのことを抜きにしてもお二人の幸せを願う人は多いんですから。そんな陰気臭い顔しないで下さいよ」

 全く、とリピチアはまた大きくため息をついて、ジェラルドの手にぐちゃぐちゃにされた書面を広げなおした。
 しわくちゃになったそれにはソルセリルとエメリスのサインがしてある。

「ここにお二人の名前を。婚約発表についてはお二人のタイミングに合わせて貰って――はい、二人ともかけましたね? これで一応婚約者です」

 私はこれをシステリア家に持って行きますから、とリピチアはそれを懐に仕舞い、ジェラルドとリラの顔をじっと見つめる。ジェラルドが口を開く前に、リピチアはジェラルドの襟首をガッと鷲掴みにした。

「幸せにならなかったら――分かってますよね」

 無言で頷いたジェラルドに、「それなら良いんです」とリピチアはほほえんで、リラに向かって頭を下げる。

「どうしようもないヘタレの従兄弟ですけど、よろしくお願いします」
「――こちらこそ、宜しくお願いいたします」

 リラは、深々と頭を下げた。





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