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 ごめんなさいと頭を下げ続ける女性に、ルティカルは何と言葉をかければいいのかわからない。ルティカルの隣に佇むソルセリルに視線を送っても、彼は何も言わなかった。

「……貴女に謝られても意味はありません」

 やっとのことで口にしたそれは、女性の――リラの体を震わせるだけに留まった。言葉がキツかったかとルティカルは自分の無愛想さを責めそうになったが、嘘も偽りもない本当の気持ちだ。

「貴女に罪はない。謝罪を述べるのは貴女の弟であるべきだ」
「そうですね……ですが、」
「――蒼玉卿とお話のところ申し訳ありませんが、僕は貴女の顔をこれ以上見たくありません」

 リラが言葉を紡ぐ途中で、ソルセリルがそれを遮る。普段通りの無表情が言葉の冷たさに拍車をかけていた。

「貴女の顔はニルチェニア嬢を思い出します――紫の瞳も、その銀髪も。……大変に申し訳ありませんが、今は。……今は――私たちをそっとしておいてくれませんか」

 無表情だった顔に悲しみの色を乗せて、ソルセリルはリラを追いやった。リラがルティカルの執務室を出る際には「今のジェラルドを慰められるのは貴女だけです」と言葉をかけて、リラが完全に部屋を出ていった頃にはいつも通りの無表情だった。

「白玉卿」
「何です」

 煩わしい、といった顔だが、ソルセリルが自分のためにリラを帰したことくらいルティカルにはわかっている。

「ありがとうございます」
「礼を言われる覚えはありませんよ」

 いつも通りの無表情と愛想の無さだが、これで結構自分のことを気遣ってくれていることくらいルティカルは知っていた。
 礼を述べたまま何も口にしなかったルティカルに、ソルセリルは「これも約束の内ですからね」と珍しい言葉を紡ぐ。

 ソルセリルが他者と何らかの決まり事をするときは、約束とは言わずに「契約」という言葉を口にする。「約束」という言葉よりずっと堅苦しいそれは、人を縛り付けるのに丁度良いからだ。

「約束――ですか」
「ええ。君の母とかわした約束ですよ。……君の母、サーリャは僕にとって実に横暴な姉でした。何にしても強引で。よく頭を悩まされたものです」

 普段聞く言葉より少し親しげに呼ばれた母の名は、どこか呼び慣れた響きを持って息子の耳へと届く。 
 ソルセリルが自分の姉であったとしても、仲良くするような人間だと思えないが――親しかったのだろう。サーリャとソルセリルなりに、きっと親しかったのだ。だから、この外道な医師は少しだけ懐かしそうな顔で「約束」なんて言葉を口にした。

「僕に勝ったのは君の母が初めてなんですよ」
「……と、言うと?」
「自慢じゃありませんが、僕はこの国でも一番の弓の名手だといわれています」

 その通りだ。弓の腕においてソルセリルにかなうものはいない。だからこそ、王に使える医師でありながら王の護衛もこなしてみせる。彼が的を外したところをルティカルは見たことがない。

「君の母君も弓の名手だったというのは知っていますね?」
「ええ」

 ルティカルの母であるサーリャもまた、弓の名手であったし、武芸や乗馬も得意としていた。ルティカルはそんな母から武器の扱いや馬の乗り方を教えて貰っている。貴族らしからぬその行動だが、ルティカルの父のランテリウスはそんなサーリャが好きだったという。
 サーリャは「貴族の令嬢」としてメイラー家に嫁いだが、それがランテリウスの嘘であったことをルティカルとソルセリルは知っていた。本人の口から聞かされたから間違いはない。

「僕は一度、サーリャに弓の勝負で負けています」

 一度きりの勝負だとサーリャはソルセリルに持ちかけたのだという。その頃サーリャはまだ子供を身ごもってはいなかったから、ルティカルが知るよりずっと『お転婆』だったとソルセリルは語った。
 遠くにある的に矢を突き立てるだけの簡単なルールで、負けた方は勝った方の言うことを一つ聞く。ソルセリルも一度姉とは勝負してみたかったからとそれをのんだらしい。
 結果、ソルセリルは負けたという。ソルセリルが最初に弓を射ると、それは見事に的の中心を貫いたという。これは引き分けだろうかと思案していれば、サーリャの矢はソルセリルの矢を引き裂くようにして的に突き立った。

「正直驚きましたね。非常識だ。でも、これは負けたのだなと思いましたよ――僕の矢は縦に二つに絶たれてしまいましたから、真っ二つのまま地に落ちていた。サーリャが提示した条件は『的に矢を突き立てる』こと。最終的に突き立てられたのはサーリャの矢だけでした」

 ふ、と小さく笑みを浮かべて、こんな負け方をしたのは初めてです、と勝負に負けた男は笑う。

「サーリャが僕にした『お願い』というのが、“自分の子供を護ってくれ”というものでしてね。――だから、今回のことは僕としても不服です。よりによってあの女との約束を果たせないのは気に障ります」

 姉を“あの女”呼ばわりするあたりが何とも言えないが――ソルセリルは悔しそうだった。
 スペルゴの首を締め上げる寸前の冷たい声を思い出し、ルティカルはそっと息をつく。

「サーリャそっくりの馬鹿な子でしたね、君の妹君は――僕の姪は」

 ニルチェニアの面立ちはサーリャにそっくりだったが、ソルセリルがそれをさしているわけではないとルティカルは知っている。もっと内面的なもの――例えば、大胆な決断をしてしまうところだとか、自分の身を省みずに他者に尽くしてしまうところだとか。そんなところなのだろう。
 ルティカルの知らない「サーリャ」の顔を、弟であるソルセリルは知っている。

「ルティカル」
「……何ですか、叔父上」

 初めて呼ばれた己の名に、長身のメイラー家当主は驚いた。いつもなら「蒼玉卿」としか呼ばない男が、ルティカルの名をしっかりと口にした。
 だから、ルティカルも普段は呼ばない「叔父上」という呼称で彼を呼ぶ。下手をすれば自身よりも若く見えるソルセリルに「叔父上」というのは妙な心地もしたけれど。

「立派な当主になるんですよ」

 にこり。
 初めて笑いかけられたことにルティカルは酷く動揺した。
 ソルセリルは動揺しているルティカルを放って、さっさと部屋から出て行ってしまう。

 ――明日は矢でも降るのか。

 そう真面目に危惧したルティカルだが、それは杞憂に終わる。
 ただ、それからしばらく「ソルセリル・システリア」が姿を見せることはなくなった。

 ある日、ふと消えてしまったのだ。




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bkm


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