黒い革と白い糸


「……お前ら、何やってんの……?」

 翡翠のような瞳に困惑をたっぷりと湛えて、ユーレは恐る恐る目の前の男女に声をかけた。ユーレの声に男の方がくるりと顔を向ける。
 その顔はいつも通りの無表情だったが、どことなく困っているような雰囲気は伝わっていた。

 一組の男女。
 片方は白い髪の女で、もう片方は黒髪の男。光に当たると黒銀に見えるそれは、ユーレにとって馴染み深いものだ。彼と仕事をしたのは一度だけだが、今は仕事以外の方面で彼と会うことが多い。女の方の白髪はユーレにとっては愛しい色だったし、父親として彼女の髪を結ったことも何度か。

 だからこそ、何故その二人が抱き合っているのかわからない。ユーレの養女であるニルチェニアは、ユーレの悪友のような存在であるレグルスの胸に顔を埋めている。
 レグルスはニルチェニアが幼かったときに彼女の面倒を見たこともあるから、ニルチェニアを抱いたことがあるのは確かなのだが、彼女が成長してからというもの、一度としてニルチェニアをその腕の中に招いたことはない。

「ユーレさん、レグルスさんが……」
「おい、そんな顔をするのはやめろ、俺が疑われる」

 じわっと目尻に涙を浮かべ――今にも大泣きしてしまいそうだ――ニルチェニアはレグルスの胸を叩く。
 レグルスの片手はニルチェニアの腰に添えられていて、もう片方の手はニルチェニアの頭を撫でるように白い髪に乗せられている。
 状況だけ見たなら、まるで無理矢理レグルスがニルチェニアを抱きしめ、髪を撫でているような不穏なものだ。

「レグルス、何してんだお前」
「――信用無いな。安心しろ、こんな性悪女に手を出すほど困っていない」

 二人に近づいたユーレの言葉に、心底面倒臭そうにレグルスが紡げば、ニルチェニアではなくユーレがその頭を殴る。血は繋がっていなくともかわいい娘だ。性悪扱いされれば腹も立つ。

「性悪女ァ? お前よりいい子だろ、俺の娘だし」
「お前の娘だけあって食えないやつだよ。――ニルチェニア、その完成度が無駄に高い嘘泣きをやめろ」

 お前は女の武器を余さず使ってくるよな、と珍しくげっそりしたレグルスに、ニルチェニアが涙を引っ込める。使えるものは使え、と幼い私に教えたのは誰だったかしら、とレグルスに冷たく微笑んでから、ニルチェニアはユーレに「髪が絡まってしまって」とうんざりした声を出す。

「あー……本当だ、何でこんなとこに髪が絡むんだか……」
「お前の娘の髪が長すぎるんだろう」
「レグルスさんがちょっかいをかけてくるからではなくて?」

 ユーレが見た限り、レグルスの黒いコートの留め金にニルチェニアの髪が絡まってしまっている。レグルスがニルチェニアの頭を撫でるようにして髪に触れていたのは、これを解くためだったらしい。ニルチェニアが大人しくレグルスの胸に顔を埋めていたのは、それを助けるためだろう。

「ちょっかいと言うほどじゃないさ、性悪とはいえ女性が歩いていたらエスコートするのが紳士の嗜みだよ」
「見ず知らずの女性にもそれをやるの? 変質者も良いところだわ」

 だいいちここは私の自宅なのに、エスコートする必要がどこにあるの――。

 ニルチェニアのあきれた言葉にもっともだとユーレも頷く。レグルスはニルチェニアがべたべたされるのを嫌うことを知っていてわざとちょっかいをかけているのだろう。ガキなのか大人なのかわからない。

「お前な、そんなことしてるとリピチアに嫌われるぞ」
「もう手遅れでしょう」

 ユーレの言葉に冷淡に言葉を重ねるニルチェニアの髪は、未だに留め金にひっかかったままだ。ユーレが身を屈めてそれを取ろうと躍起になっても、なかなかにしぶとく留め金は髪を絡めている。
 持ち主みたいなしつこさだな、とユーレは言葉に出さずに思った。
 
「嫌われていても俺が追えばいい。追うのはなかなかに楽しいからな」
「気持ち悪い人ね」

 どこまでもニルチェニアは冷淡だ。
 
 正論ではあるが遠慮のない娘の言葉にユーレは一瞬苦く笑って、なだめるようにニルチェニアの頭を撫でる。
 ニルチェニアがこの状況に苛ついているのは目に見えていた。
 
 普通の女なら喜ぶのかもしれないが、ニルチェニアはニルチェニアで普通ではなかったし、何よりレグルスのことをよく知っている。変人で時折ネジの抜けているこの男の腕の中にいるのは苦痛なのだろう。
 ユーレが頭を撫でればニルチェニアは大人しくなり、素直にレグルスの胸に頭を預けた。たばこ臭いわ、と聞こえたのは気のせいじゃないだろう。

「何だ、お前ユーレの前では素直だな」

 やめておけばよいものを、レグルスはそうやってニルチェニアをからかう。ユーレがしたようにニルチェニアの頭を撫でたレグルスは、ニルチェニアの無言の抵抗にうめき声を上げた。
 ニルチェニアがヒールの細く尖ったところでレグルスの足を踏んでいるのがみえる。

「――どこかに鋏は?」
「切るつもりかよ……」

 相変わらず大胆な選択だ。確かにこのまま抱き合うよりはましなのかもしれないが。

 仕方ねェな、とユーレが手渡した鋏を、ニルチェニアは慎重に自分の髪のところへ持って行ったのだが――

「髪は女の命だろう」

 鋏がニルチェニアの髪を裁つ前に、レグルスの手に渡った。きょとんとしているニルチェニアが我に返る前に、レグルスはあっさりとコートの方を切り取ってしまう。留め金と留め金についた黒い革の切れ端がニルチェニアの髪にぶらさがった。

「俺のこれは買い直せる、が――お前の髪は買えないからな」

 滅多な選択はするもんじゃないとレグルスはため息をついて、ニルチェニアの髪にぶら下がった留め金と切れ端を手早く回収する。ぴったりと体に密着されることがなかったからか、今まで時間をとっていたのが馬鹿みたいにあっさり離れた。

「お前の髪は嫌いじゃないぞ、ニルチェニア」
「――口説くなら別の方にした方がいいと思いますよ」

 それでも礼を述べたニルチェニアの頭をぽんと撫でて、レグルスはユーレに「一つ貸し、だ」とにやりと笑う。

「今更好感度あげても無駄だぞ」
「ちりも積もれば山となる、さ。――お前が俺とまた仕事をしてくれるのを期待している」

 じゃあな、と出て行ったレグルスに、「残念な奴だよなあ」とユーレは頭を振った。ニルチェニアも同意しながら自分の髪を見つめている。

「口説く相手を本当に間違えていますよね、あの人……」
「だからこそのレグルスなんだろうけどな……。ニルチェニア、でもいい加減髪切ったらどうだ?」

 はあ、とニルチェニアは気のない返事をする。

「別に良いですけど――私の髪、切ってもすぐに伸びてきますよ」

 コートを切るなんて馬鹿ですよね、とニルチェニアはあっさり口にしながら、気に入りのソファに腰掛ける。それを見ながら、やっぱり残念な奴だなあ、とユーレはレグルスに苦笑した。


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