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 ジェラルドがニルチェニアの部屋に行けば、部屋の前で立っていたのはクルスだ。ニルチェニアに追い出されでもしたのかと訝しんだジェラルドに、「ニルチェニアは寝ているそうだ」と素っ気なく声がかけられる。
 そんなこと言ってなかったじゃねェか、とジェラルドは謝るタイミングを逃したのに肩を落としたが、リピチアのちょっとした嫌がらせかとも考えた。その線は濃厚な気がする。

「謝らなきゃ、な」

 ぼそっと紡がれたクルスのそれに、お前もかとジェラルドはクルスをまじまじと見てしまった。

 ジェラルドも人のことは言えないが――確かに、謝ることは多そうな人間だ。けれど、謝るという選択肢をとるようなやつだっただろうか。少し前なら、フンと鼻を鳴らしてお終いにしそうな奴だったのに。

 リピチアから、とクルスは話し始める。部屋の中からはクルスとジェラルドの会話が聞こえることはないだろう。扉は頑丈だし、ニルチェニアは眠っている。それを知っていたから、クルスは話し始めたのかもしれない。

「思い詰めていると聞いた。自分は要らない、と」

 ニルチェニアのことだ。主語がないから、一瞬自分のことかとジェラルドは勘違いしそうになった。勘違いも甚だしいけれども。

 リピチアの話したニルチェニアの様子から察するに、普段の彼女とは違って、余裕も何もないのだろう。自虐的な微笑みを浮かべるニルチェニアなんて、ジェラルドは見たことがなかったから。

「おれはそうは思えなくなった」

 クルスの言葉に、ジェラルドは何も言えずにいる。
 ニルチェニアの下男に命じられた当初とは違って、今のクルスは淡々としている。ニルチェニアがクルスに対して遠慮がちになると声を荒げたりもするが、それを除けば随分大人しい。

 来たばかりの頃は周りとのつき合い方も良くなかったし、メイラー家らしいメイラー家――つまりは傲慢だったりもしたけれど、最近はそれもあまり見られない。とはいいつつも、たまにリピチアがぷりぷりと怒っているのを見かけるから、大人しくしているのはジェラルドの前だけという可能性もあるだろう。初対面できっちり脅した記憶もあるし。

 けれど、なんとなく、クルスのこの変わりぶりは――ニルチェニアが作用しているのかとは思う。ニルチェニアの穏やかさにのまれているような、そんな感じだから。

 あいにくジェラルドは家を空けることが多くて、普段のクルスもニルチェニアもなかなか見られないけれど。

「何でだろうな。――何で、あの時おれはあの子に葡萄酒なんてかけたんだろう」

 ぼんやりと呟くような話し方は、周りに人がいることを意識しているとは思えない。独白と言ってよかった。

「酷い言葉も投げかけた。その子がどんな人間であるかも知らずに」

 正直な話、クルスがそうなるのも無理はないのだとジェラルドは思う。メイラー家は閉鎖的で、しきたりを重んじる。ずっと前から「メイラー家は銀髪青目」と決まっていて、周りもそれを言い続けてきたのなら、彼自身がそれを疑うようなことは出来ない環境だっただろう。疑問を挟む余地なんかなかったはずだ。
 
 クルスのように気付けただけマシなのかもしれない。
 あの家において異質だったのはランテリウスとその妻やその子供たちだけで、ほかはそのしきたりを疑おうともしなかったし、しきたりが第一だと信じているから。

「今でも、たまに怯えた顔をする」
「……ニルチェニアが?」

 ああ、とクルスは頷く。

「必要とされなくなる……いや、“いらない”と言われるのが怖いのだと思う――だから周りに気を配るし、無理して微笑むのだとおれは思っている」
「……だろうな」

 外にでた瞬間にお前はいらないと言葉を突きつけられ、安心して暮らせるかと思いきや殺されかける。愛しか知らなかった少女にとっては、この上ない衝撃だっただろう。

「許して貰おうとは思わない。が、けじめは付けておくべきだと思った」
「けじめか……そうだな」

 ジェラルドもそんな気分だ。
 ニルチェニアに許されようとは思わない。ニルチェニアは簡単に許してくれるだろうが、ジェラルド自身が自分を許せない。
 必要とされていた理由が、誰かの代わり――だなんて、悲しいだろう。

「俺さ、やっぱりニルチェニアを妻に――とか思えなくてな。酷い話だが、最初はあの子に別の人間を重ねてた」
「……知っている。ニルチェニアはそれに気付いていたし、それを気にするそぶりはなかった」
「――マジ、か」
「ああ。でも、“私が代わりになれるなら”と笑っていた。――馬鹿臭いとは思ったが、おれに口を挟む義務はない」
「……ま、まァな……」

 何でこいつにこんなこと話してんだろう、俺。
 そんなことを思いながら、ジェラルドは無言で耳を傾けるクルスを相手に話し始める。

「可愛くても、やっぱり娘か妹――なんだよなァ。歳も離れてるし、こんなおっさんが夫じゃ申し訳ないような気もするし」
「歳はあまり関係ないんじゃないか」
「いや、……何か、な」

 うまく口に出せずに言葉を濁したジェラルドに、背徳感でもあるのかとクルスが口にした。
 身も蓋も無かったその言葉に、ジェラルドはしばし唖然とする。

「十六と三十六か……下手すると親子でもおかしくはない」
「だ、だよなァ」
「……後輩の妹というのも気まずいだろうがな」

 確かにそれもある、とジェラルドは思う。気恥ずかしい。お互いに気心が知れているが故に。

「おれはわりと、似合いだとは思っていた」
「……そうか?」
「どちらも恋愛には発展しなさそうだとは思ったが。おれが見た限り、ニルチェニアがあなたにとる態度は父か兄にするものと大差ない。貴方の方もやはり娘か妹にたいするそれだったからな」

 婚約を破棄しても仲良くやっていけるんじゃないかとクルスは小さく呟いた。

 そうだろうか。
 ジェラルドは考える。
 
 身勝手な話だけれど、出来れば婚約を破棄してもニルチェニアとは何となく繋がりを持ち続けていたい。変わり者が多いウォルター家の中で、ニルチェニアみたいに穏やかなひとは見かけないから。
 リピチアに散々悩まされてきたジェラルドとしては、そんな気持ちも抱いてしまう。

「我が儘だな、俺」

 ジェラルドのその呟きにクルスが何かを返すことはなく――ジェラルドは、そっと瞼を伏せた。


 
 


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