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 扉を蹴りやぶる勢いで部屋に入ってきたリピチアに、ジェラルドは思わず目を丸くした。丁度、ヤト家とシステリア家に連絡をし終わったところだったから、変な話、不意をつかれたようなものだった。
 連絡を取り終わったらしばらく一人で考え事をしたかったジェラルドにとって、鬼気迫るリピチアの訪問は少々面倒でもあったのだが、リピチアの第一声をきいてそれは吹っ飛んだ。面倒だとか何だとかを言っている場合じゃなかったからだ。

「ジェド兄様、ニルチェニアさんが婚約を解消したいと」
「……何で」

 何となく思い当たる節はある、が。
 ニルチェニアは知らないはずだと、ジェラルドは早鐘を打つ心臓を押さえつける。
 リピチアの顔は思い詰めている。こんな顔をする従姉妹を、ジェラルドは戦場ですら見たことがない。

 他人の過去をほじくり返したくはないんですけど、とリピチアは前置いた。それが彼女の師そっくりで、それがまたジェラルドの心臓を暴れさせる。察しのいいところも、人の嫌なところをつくのが得意なのも、この師弟はそっくりだったから。

「単刀直入に聞きますね。ジェド兄様――リラさんについて話してもらえませんか」
「っ、何で――」
「ニルチェニアさんは気付いてましたよ。私もなんとなく最近おかしいとは思ってました、けど」

 泣きそうな顔をして、自分そっくりの翠眼がまっすぐに自分を見てくるのがジェラルドにはひどく辛かった。
 リラ。その名前を耳にしたのは何年ぶりだったろう。

「――ごめんな」
「謝らないで下さい」

 鋭い声がジェラルドに刺さる。勝ち気なはずのリピチアの瞳からは、一筋だけ涙が流れていた。

「――謝るのは、私にじゃないでしょう? ジェド兄様。ニルチェニアさんに謝って下さいよ、どうせ謝るならね。私に謝っても意味がないのなんて、貴方が一番よく知ってるんですから」

 全くの正論だ。だからこそ次の言葉が出てこない。

「――リラさんの代わりにするためにニルチェニアさんを受け入れたんですか」

 下手に包んで隠すこともなく、リピチアは真っ直ぐ聞いてくる。射抜くように、突き刺すように。
 それにどう返すべきかとジェラルドは一瞬戸惑った。代わりにしたかった訳じゃない。でも、似た色を持った彼女が側にいてくれたなら、あの辛さが薄らぐかと思ったのは事実だ。実際は身動きがとれなくなって、よっぽど苦しくなってしまったけれど。

 文官時代は頭が回るだの、賢いだのなんだのと言われてきたけれど、今は頭が回るどころか止まってしまっている。
 自分の心境一つも満足に説明できない男のどこが賢いのだろう。ジェラルドは自嘲した。

「そういう顔、しないで下さい。――さっきニルチェニアさんがしてましたから」

 普段よりずっと声のトーンも抑えて、ただ淡々とリピチアが唇を動かす。自分を嘲るように笑うニルチェニアなんて想像できなくて、ジェラルドは開きかけていた唇を閉じてしまった。

 何て疲れる日なんだろう。できることなら、眠りたい。

「話して下さいよ。大切な人だったんでしょう? ニルチェニアさんを見ながら、その中にリラさんを思うほど」
「あァ――大切、だったよ」

 掠れた声はリピチアに伝わっただろうか。
 リピチアは無言のままだ。
 伝わっていなくても良いか、とジェラルドは息を吸った。どちらにしろ、どんな言い訳をしたところでニルチェニアにリラの影を見ていたことに変わりはない。最低な男だと罵って貰いたい気分だ。リピチアはそれをしないだろうが。

「お前は見たことなかったよな。俺の婚約者だった。リンツ家の血筋の伯爵家の人だったんだ――面倒見も良くて、ちょっとヌケてたけど剛胆でな。なんだ、まァ……結婚するならこの人以外に考えられねェな、とは思ってたよ」

 つくづく似てないよな、とジェラルドは思う。ニルチェニアはドレスのまま柵を飛び越そうなんてしないだろうし、暴れ馬を手懐けて庭を駆け回ったりはしないだろう。優しいところはそっくりだけれど、ニルチェニアのそれが女性的であるのなら、リラのそれは男性的だった。

「大好きだったんですね」
「……ああ」

 死んじまったけどな。
 その言葉がジェラルドの肺を満たし、重いため息を吐かせた。リラ、と口にすれば、形もなくその音は空気に溶けていく。
 死ぬときばっかりは儚かった。普段はあれだけ剛胆だったのに。

「馬車にひかれたって。事故にあったんだ。――俺が少佐か中佐ん時だな。大佐になったら結婚しようって話、してたんだ。……昇級間近だった気がするから、やっぱ中佐ん時だな。冬の日だったよ。――寒かったからさ、俺が行軍から帰ってきても綺麗なまんまで横たわってた。顔には傷がなくてな。綺麗なままだった。夏じゃなくて良かったよ。ちゃんと、あいつの顔見て別れ、言えたからさ」

 リピチアは黙ってそれを聞いている。は、とジェラルドは前髪をくしゃりと掴んだ。

「女々しいよなァ――十年以上前だぜ。まだ忘れられねェの」
「それだけ大事だったってことでしょう」

 俺さ、ちょっと夢見てたのかもしれない。

 唐突にそんなことを言い始めても、リピチアは黙ってジェラルドの話を聞いていた。
 遮ることなく聞いてくれるのはありがたい。

「なんつーの……運命って奴を感じちまったんだよなァ……ニルチェニアに。ルティカルに話聞かせて貰って驚いたんだけど」

 リラが死んだ翌月にニルチェニアは生まれてたんだ。

「生まれ変わりって言ったら変だけどな。髪色も似てるし目の色も――まだ見たことねェけど、あいつと同じ菫色って知って。そんなことないって分かり切ってたけど、さ。もしかしたらって思った」

 生まれ変わりなんてまず無い。そんなことくらい知っていた。

「ニルチェニアがきて、俺が救いようのない馬鹿だって思い知ったよ。あの子の笑顔を見る度に何か辛かったんだ。ありがとうと言われる度に苦しかった。俺はリラを重ねちまうのに、あの子は俺を俺として見てくれていたから」
「……本当、馬鹿ですよね。ジェラルド兄さんは」

 何で忘れられないんだろうな、とジェラルドは自嘲している。
 彼の頭は、便利でありながら不便だった。「決して忘れない」という驚異の記憶力を持った彼は、文官時代に活躍したし、そうでなくても色々なところでその力を遺憾なく発揮していた。

 けれど、いいところばかりじゃない。
 “忘れない”、というのは“忘れられない”ということだ。

 今でも思い出そうと思えば、生気のない彼女の顔が思い出せるし、冷たい皮膚の感触も思い出せる。その場でされた死亡原因についての報告も、一字一句間違えることなく思い出せるだろう。

「あと、やっぱりさ」

 妻には出来ねェわ。

 ぽろりと飛び出たその言葉に、そうでしょうねとリピチアは呆れたように口に出した。ジェラルドはニルチェニアを可愛がっていたけれど、やはりそれは父親が娘にするような、兄が妹にするような――そういう、家族愛に近いものでしかない。ジェラルドとニルチェニアのふれあいには男女の仲を思わせるような甘いものがなかった。
 穏やかで、見ていて微笑ましくなるような。そんな、幸せそうな「家族」としてのふれあいしか無かったように思う。

「ニルチェニアはいい子だよ。兄と同じくな。若いし、機転も利いてる。可愛いと思うことも何度もあったけど――何だろうな、恋人には出来ねェし、妻にも出来ねェ。妹か娘って感じなんだよ。……子供もいねェのにな、俺」
「でしょうね。普段は馬鹿みたいにさらさらと女の人口説いちゃうジェド兄様が口説き文句一つ言わないのがおかしかったですもん。大体予測はついてましたよ。……私は、兄様とニルチェさんがちゃんと結ばれたら――ニルチェさんと家族になれるなって、妹が出来るみたいで……ちょっと期待してましたけど」
「……悪ィな」

 良いですよ、とリピチアはむくれる。

 話していて落ち着いたのか、ジェラルドの顔は普段通りというか、少しさっぱりとしていた。変な話、すっきりしたのだと思う。
 この件は口振りから察するにジェラルドとしても悩んでいたのだろうし、人に話せて気分が少しでも軽くなったのだろう。

「ニルチェさんは昔の女ズルズル引っ張ってるような男には勿体ないですからね」
「おま、……お前なァ……」

 相変わらず遠慮のない奴だなとジェラルドはため息をつく。そう言われればその通りなのだが、今のタイミングで言うか? リピチアなりの冗談だとは理解しているけれど。

「今起こってるゴタゴタが片づいて、ニルチェニアの周りも落ち着いて、あの子が穏やかな気持ちで過ごせるようになって、俺もルティカルも平気そうだと思ったら婚約は解消する。元々そう言う話だったからな。――でも、今は解消しねェ。今解消しちまったら行くとこねェだろ、ニルチェニアは」
「そう言ってくれると思ってました。そう言ってくれなきゃ蹴り飛ばしてました」

 いけしゃあしゃあとそう言ったリピチアに優しく笑って、サンキュ、とジェラルドはリピチアの頭を撫でる。

「話したら楽になった。ニルチェニアに謝ろうと思う」
「そうして下さい。ついでに、今は婚約破棄しないって伝えて下さい」
「もちろん」

 にっ、と笑ったジェラルドはいつものジェラルドだ。
 少しだけ元気になったような顔でニルチェニアの部屋に向かう従兄弟に、リピチアは盛大にため息をついた。

 ――全く、世話の焼ける。



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bkm


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