19
 
「ごめんね、怖い思いをさせてしまったわ」

 クルスが気を失ったからだろう、すっと引くように消えた不可視の壁の中で座り込んでいたニルチェニアに近寄って、エリシアはその身体を抱きしめる。ニルチェニアはわなわなと唇を震わせてはいたけれど、涙を流すことはしなかった。

「エリシアお姉さま、リピチアさんが」
「リピチアなら大丈夫。しっかり対処してくれたわ」

 エリシアが駆けつけたときには、リピチアは倒れた襲撃者を手早く縄で拘束していて、壊れた馬車に詰め込んでいた。それには驚かなかったけれど、リピチアがいつもの軍服ではなくて仕立てのいい燕尾服などを着ていたものだから、そちらの方に驚いた。
 聞けば、ニルチェニアとクルスをこの場から立ち去らせたというから、エリシアは別の追っ手のことを考えて二人の後を追ったのだ。

「良かったわ、間に合って。――帰りましょう」

 ぴっと短く口笛を吹いたエリシアに、三体の食虫植物がすりよる。いい子、とにっこり笑ってから、エリシアはニルチェニアを立たせた。クルスも引きずるようにして持ち上げて、食虫植物に向かい合う。お願いね? とエリシアが微笑めば、食虫植物は任せて下さいと言わんばかりに口を開いた。

「ちょっと変な感じがするかもしれないけど、あまり気にしちゃだめよ」
「……お姉さま?」
「大丈夫よニルチェニア、食べられたりはしないから。ちょっと口の中で大人しくするだけ」

 えっ、とニルチェニアは声を漏らしてしまう。周りが見えない分不安だし、見えなくてもエリシアが何をしようとしているのかは想像が付いた。
 エリシアの武器は植物だと聞いたことがある。それも、虫やら何やらを食べてしまうような食虫植物。つまり。

「あの……」

 今から自分は、その食虫植物に食べられるのではないだろうか。

 ニルチェニアのそんな懸念を露ほども気にせず、エリシアはよろしくね、と植物に声をかけている。
 植物はきゅうん、と可愛らしい声を上げて、三人を飲み込んだ。




***


「いやいやいや、ちょっと待てよ」
「ウォルター少将。お邪魔しております。突然の訪問をお許し下さいませ」
「いや、挨拶を求めたわけじゃない」

 何でそんな所から出てくるんだよ、とジェラルドは目を見開いている。庭には巨大なモグラが掘ったような穴がぽっこりと開いていて、そこから顔――この場合は花か――を覗かせているのは大きな食虫植物だ。毒々しいその赤を、ジェラルドは何度も目にしたことがある。主に戦場で。

 だから、エリシアがこの屋敷に、ウォルター家にきているというのは分かっていたのだが、問題はそこじゃない。
 問題は、その食虫植物の口から人が三人出てきたところだろう。
 ぴんぴんしているエリシアに、気を失ったクルス。エリシアに支えられながら立っているのは驚いて腰が抜けたらしいニルチェニアだ。

「緊急事態だったので、一番安全な方法で参りました次第です」
「お、おう……」

 そういえば、とジェラルドは思う。エリシアの操る花は地中を掘り進むことも可能で、戦場での不意打ちによく使われていた。

 だからといって――移動手段に使うとは。

「あっ! エリシア先輩! ニルチェさんもいた! 良かった、やっぱり無事だったんですね!」
「ええ。クルスさんが少し疲れちゃったみたいだけど、気を失ってるだけだから平気よ」
「私が外に連れ出したばかりに……ごめんなさい」

 呆然としているジェラルドを置いてきぼりに、遠くから走ってきたリピチアとエリシアの会話は続く。リピチアの謝罪にそんなことはないとエリシアとニルチェニアが揃って応え、リピチアはそれに首を振っている。

「まて、何の話だ……?」

 首を傾げたジェラルドに、「リピチア、後をお願い」とエリシアが目配せした。私はこの人達をしかるべき場所に連れて行くわ、と指差したエリシアの向こうでは、食虫植物の舌にくるぐると巻かれている三人の男女。その三人が見事な銀髪の持ち主であることに気が付いて、ジェラルドは嫌な顔をした。

「おい、リピチア」
「――ジェド兄様の予想は当たりですよ。皆さんメイラー家の方です」

 二人が見守る中、エリシアは華麗に食虫植物の口内に飛び込むと、指示を与えて食虫植物をまた地中へと潜らせる。地響きに近い低い音を立てながら、食虫植物はまたどこかに向かったようだった。
 ニルチェニアがぺたりと地面に座り込む。

「……ああ、驚いたわ……」

 しみじみとしたその言葉に無理もないよな、とジェラルドは苦笑いを浮かべながら、ニルチェニアを横抱きにする。いわゆるお姫様だっこというやつだけれど、ニルチェニアは慣れていないのか顔を赤くした。

「ジェラルドさま、服が。私のドレス、きっと汚れていますから」
「服は後でどうにでもなるし、それほど汚れてないから平気だ。それより少し落ち着いた方がいいだろ」

 ニルチェニアを抱えながら屋敷に向かえば、ジェラルドの後ろにはクルスをおぶったリピチアが続く。軍人とはいえ、大の男を担げてしまうこの従姉妹の力に驚いた。本人は飄々としているが。

「クルスは――どこかに寝かせておくとして。リピチア、お前も風呂にでも入ってこい」
「はーい。いきますよー、ニルチェさん」

 屋敷に入ったところでジェラルドはニルチェニアをいったん降ろし、代わりにクルスをおぶる。リピチアはジェラルドの言葉に元気良く返すと、先程までジェラルドがしていたようにニルチェニアを抱いて浴場へと向かった。





prev next



bkm


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -