18
 
「何故その《出来損ない》を庇う!」

 女が吼えた。男二人の剣撃を交わしながら、何故だろうなとクルスは口にした。馬鹿にされているとでも思ったか、女がニルチェニアに向けて矢を放つ。
 クルスは焦ることもなくそれを放っておいた。案の定、矢はニルチェニアに届くよりも前に不可視の壁に阻まれて、あっさりと折れて落ちた。

「おれの誇りを守るためかもしれないな」

 騎士であったというのに忘れていたそれ。か弱き者は挫くのではない。護らねばならない。

 目の色が違っただけで人扱いをされなかった少女は、それでも凛と生きていた。そこに惹かれたのかもしれない。そこに流れるあの男の血に――ランテリウスの血に、惹かれたのかもしれない。

 思えばあの男は命を大切にする男だった。
 両親を亡くし、引き取り手もなかったメイラー家の分家の娘を引き取り、大切に育てたという。当主たるもの、一族の命には責任があるからと。

 それを聞いたときにクルスはランテリウスに憧れた。ランテリウスの生き方には誇りがあって、それはひどく輝いて見えたから。

 ――そうか。

 クルスは漠然と理解して、それから楽しげに笑った。
 そこの小娘に惹かれたのは当たり前だったのかもしれない。ニルチェニアもまた、ランテリウスと同じように命を重く扱っている。だから、クルスに「舌を噛みきって死ね」などと言い放ったのだ。プライドの高いメイラー家の男が、一介の小娘に言われたことをするはずがないと見越して。クルスの命を守ろうとして。

 さっきもそうだ。
 ニルチェニアが自分を降ろせ、と言ったのはクルスを守るただ。ニルチェニアは自分が標的であることくらい理解していただろう。だからこそ、自分を犠牲にクルスを逃がそうとした。襲撃者にかちあってしまえば、“契約上”クルスがその場から離れられなくなるのは明白だったから。

「その《出来損ない》を誇りというのか!」

 降りかかる銀の刃をかわし、剣を持つ腕を躊躇なく薙払う。赤い雫が飛んでいく様は刺激的で、ニルチェニアの瞳が見えなくて良かったとクルスは思ってしまった。
 失った腕の痛みに耐えかね地に這い蹲る男は、脂汗とともに呻き声を発している。

「あの少女はおれより余程誇り高いさ」

 ふ、と口元に笑みを浮かべる。矢をつがえていた女の元へ一息に走り込んで、弓を破壊した。驚きに見開かれたその青い瞳をのぞき込んで、クルスは自虐的な笑みを浮かべる。

「ランテリウスの娘だからな」

 きっと睨み付ける女の胴を蹴り上げて、その反動で女から距離を取った。衝撃に噎せる女からはもはや敵意を感じない。
 その勢いで三人目の男も始末してしまおうと、クルスは男に向き直る。瞳の力を強めた男は、臆することなくクルスに向き合った。

「今ならまだ遅くないぞ。こっちに戻ってこい。そんな小娘をお前が気にかけることはない」
「生憎だが、外道医師と契約を交わした。おれはそこの“小娘”に仕えている」
「システリアの当主と……!? お前、なんて馬鹿な」
「自分がしたことへの罰さ。思えば、瞳の色程度でがたがた言う方がおかしかったんだ」

 くっと喉を鳴らして笑うクルスを、狂人でも見るような目で男は見ている。自分もそちら側の人間だったことを思いだし、クルスはそっと微笑んだ。

 ――さぞおかしい人間だと思われているだろうな。

 それでも構わない気がした。どうせ、自分がどれほど「まとも」だと主張しても簡単には覆らないだろうし、クルスは自分のことをおかしいとは思わない。それだけでいい。

 構えた剣が鈍色に煌めき、クルスはその青い瞳を鋭く細めた。ランテリウスの誇りに憧れた身だ。彼の信念通り、命を奪おうとは思わない。が、反撃する意思は奪っておきたい。
 お互いに地を蹴り、距離を詰める。きんきんと金属同士がぶつかる高い音が鳴り響き、踏み込んだブーツには土が飛んだ。切り裂かれた脇腹は痛いし、熱を持っている。血もまだ止まってはいないけれど、負けるわけにはいかない。

「瞳の色は我らの誇り。忘れたか」
「忘れてはいない。が、それが正しいとは思えなくなった」
「精神までその小娘に飼われたか。哀れな」
「案外充実した生活を送っている。哀れとはほど遠いさ」

 ニルチェニアの雰囲気は「愛されて育った令嬢」そのもので、腹立ちはしたけれど、そこに漂う穏やかさは嫌いじゃなかった。
 使用人として仕えているにも関わらず、元の生活と大差ない生活を送れるようにとクルスに配慮しているのも知っている。甘い娘だと思った。
 ふとしたときに見せる幼さと、普段の大人びた姿を、好意を持って受け止め始めてしまったのも認めねばならないだろう。

 クルスさん、と小さな声がかけられる。そう呼ばれる度にどこかこそばゆくて、それが気持ち悪かったりしたけれど。今は何となく、落ち着く。

「血の匂いがします」
「鼻が良いな」
「クルスさん」
「気が散る。俺を殺す気か」

 ニルチェニアには見えなくても、この状況が理解できているのだろう。心配そうに声をかけてくる“甘ったれた”娘を黙らせて、クルスは男と切り結んだ。
 命を奪わないようにとしているクルスとは反対に、男のほうは殺すつもりでかかってきている。
 手負いの上に手加減をする、という二つの要因が重なって、クルスはとうとう男の凶刃をその身に受ける羽目になった。

 利き腕を刺されてしまえば、手から剣が転げ落ちる。

「ッ、くそ……」

 ひざを付いたクルスに、にやにやと男が笑う。
 ざまあみろとでも言いたげなその顔は、誇りとは似て非なるもの――“傲慢”が浮かんでいる。

「安心しろ、クルス。お前を手にかけたらそっちの《出来損ない》も一緒に――」

 得意げに話す男の姿が、一瞬でかき消えた。

 何が起こったのか分からず、目を見開くクルスの前に、かぱりと大きな口を開けるものがあった。
 巨大化した食虫植物のようなもの。に見える。赤く開いた花弁は毒々しくて美しく、中心部はかぱりと口を広げて、先ほどまで話していたはずの男を美味しそうに飲み込んでいる。

 ――なんだ、こいつは。

 背筋がぞっとした。こんな植物など見たこともないし、聞いたこともない。
 愕然としたクルスの目の前に、銀色の髪を持った女が降りたった。青い軍服に身を包み、髪を一つに後ろで縛ったその女は、膝を付いているクルスに手をさしのべる。

「妹をありがとう」

 にっこりと微笑んだその女に、ニルチェニアがほっとしたような安堵の声を出す。おそらく、女の声を聞き取ったのだろう。エリシアお姉さま、と紡がれたそれに、クルスはこいつがそうなのか、と目を丸くした。戦果を数多くあげている勇猛な軍人だと聞いていたが、見た限りは優美で、そんな雰囲気は感じさせない。

 ニルチェニアには姉代わりの存在がいるとクルスは聞かされていた。例の、ランテリウスに育てられた娘だ。彼女はそれに応えるように立派な軍人となり、少佐を務めていると。

「何でここに……?」

 リピチアや周りの人間から聞き及ぶに、ルティカルとエリシアは他国に行っているはずなのだ。災害の復興支援として。そのエリシアが、何故ここに?

「復興支援に行ったのはルティだけなのよ。私はルティに頼まれてこちらに残っていたの。――こんなことがあるかもしれなかったから。ふふ、あなたに知られるわけにもいかなかったから、わざわざ《おまじない》を取りに来て貰ったけれど」

 食虫植物にくわえられたままの男を、エリシアは目を細めてみている。
 エリシアがひゅっと口笛を吹けば、地中からもう二体の植物が生えてきた。戦意を喪失している女を丸呑みにし、片腕がとれた男も飲み込む。
 どうやらこの植物はエリシアの支配下にあるらしい。おおかた、《本領》だろう。

「馬車に置いたままだったでしょう、だから少し探すのに手間取ってしまったわ」

 何の話だと視線で問うクルスに、エリシアは笑顔で答える。

「あのぬいぐるみ、発信器と盗聴器を仕掛けていたの」

 ニルチェニアに何が起こっても対処できるように。
 
 ――どうやら、ただの《おまじない》ではなかったらしい。

 ほっとした勢いと血を失ったことで、クルスの視界はゆっくりと白く染まっていく。眠るように気を失えば、穏やかでゆっくりとしたエリシアの声が聞こえた。

「……妹を守ってくれて、本当にありがとう」
「役目を果たしただけだ……」

 素直じゃないなと我ながら思ったが、それ以上声を出す気にもなれなかった。






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bkm


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