17
 

 オペラハウスへと向かう途中で、がたんと音を立てて馬車が止まった。何事かと目を丸くしたリピチアと、訝しむような顔をしたクルスは同じタイミングで目を見合わせて、うなずく。

 リピチアは眠っていたニルチェニアに優しく声をかけて起こすと、クルスにその手のひらを預けた。寝起きでぼうっとしているらしいニルチェニアは、クルスの手のひらを緩く握っている。

「騎士の人なら護衛、慣れてますよね?」
「ああ」
「どのみち契約で縛られちゃってますもんね。――ニルチェニアさんをお願いします。ちゃちゃっと片づけますけど」

 リピチアの言わんとすることくらいクルスにもわかる。要は、護衛にお前をつけても逃げ出さないだろう? という確認だ。
 ソルセリルと交わした「契約」において、クルスはニルチェニアに隷属するということを認めた。それはつまり、ニルチェニアを主として自らより上に置くと言うこと。自らより上の存在を放ったまま逃げることはできない――ということだ。

 つまり、それは。

「あー、まあ戦場よりましですね。あとで追いつくと思うんで、空中散歩でも楽しんでて下さい」
「おい……!」

 ――襲撃者がいるということ。それから、ニルチェニアを護れということ。

 馬車の窓から襲撃者をちらりとみたリピチアは、ふふんと鼻を鳴らす。

「龍化でも何でもして、馬車ぶっ壊してでもいいんで。とりあえず、ニルチェさんを逃がして下さいね?」
「チッ」

 手を緩くつかんでいるニルチェニアの腰を引き寄せ、横抱きにして抱える。普段の彼女なら顔を赤らめるような体勢だが、生憎と未だ眠気が引いていないのか、ぼんやりとしている。好都合だ。そのまま龍の姿へと変化すれば、龍の大きさに耐えきれなかった馬車が内側から壊れた。
 幸か不幸か、あたりに人がいないのが幸いだ。

 馬車が壊れたのを皮切りに、リピチアが馬車から飛び出していく。馬を操っていた御者から何故か乗馬用の鞭を借り受けて、リピチアはにんまりと笑った。
 ヒュイ、と口笛を吹けば、馬車に繋がれていたはずの馬が暴れ出した。御者はすでに避難済みだ。慣れてるな、とクルスは思う。

「さァて、私の《本領》発揮――」

 暴れ出した馬二頭に、リピチアがそっと触れる。リピチアが触れれば馬は大人しくなり――それから、ぎょっとするほど大きくなった。その頃にはクルスはニルチェニアを抱えたまま空に舞い上がっていたけれど、リピチアのそれからは目を離せなかった。
 
 馬は、巨大化するどころか姿形まで変えている。馬の頭があった部分が獅子の頭に、尾は蛇へと変化しているし、足には鋭い鉤爪が生えてきている。鷲のような脚だ。

「対象に《獅子》《蛇》《鷲》を【補填】」

 淡々としたその言葉が、何を成したのかクルスは知っている。

「これがあの女の《本領》――?」

 世の中には魔法と似たような能力で、《本領》というものを持つ者がいる。軍や騎士団、国を護る団体に所属している者は必ず身につけている能力だが、それは個人によって能力の内容が違った。

 例えば、あのソルセリルの《本領》は【実行】で、彼が口にした事柄は彼の力の及ぶ範囲で【実行】できる、という能力だ。彼はその《本領》を応用して、自らが射る矢に強力な毒を付加させていた。その場に毒がないのにも関わらず。つまり、毒を作ることさえできれば、毒がなくとも矢に毒を付けることが【実行】出来るということだ。
 ルティカルの場合は【増幅】といって、本人が任意のモノの力を【増幅】することができる。ルティカルは肉体の力を【増幅】することによって、人並み外れな馬鹿力や鋼のような防御力を手にしている。

「見世物じゃないですよー? さっさと行って下さーい」

 のんびりした声とは裏腹に、リピチアは作り出した馬――馬だった合成生物を鞭で操り始める。

 クルスは聞いたことがある。
 フロリア軍に所属する、ある衛生兵が凶悪な生物兵器を操るという話を。
 その生物兵器はその見た目から「合成生物《キマイラ》」と呼ばれ、主たるその衛生兵には非常に従順なのだと。
 その衛生兵につけられた二つ名が――

「“傍若無人のトリックスター”……?」

 合成生物は主以外のものに気を配らない。敵も味方も巻き込んで戦うその様は、悪魔のようだとも、狂っているようだとも聞いている。
 《外道医師》とも名高いマッドサイエンティストのソルセリルの弟子らしいと思った。
 師弟揃って災害級と言うことか。

「そういうことです。巻き込まれたくなかったらさっさと行く!」

 リピチアの目の前にはずるずるしたローブを纏った者が数名。全員、深くフードを被っていたが、そこからちらりと見えた銀髪にクルスは息をのんだ。

 ――あれは、メイラー家の者なのではないだろうか。

 肝が冷えるような、腹の底から熱くなるような奇妙な感覚を覚えながらも、クルスはリピチアと馬車からどんどんと遠ざかる。
 目が冴えたのだろう、腕に抱えたニルチェニアが心配そうに「クルスさん」と唇を動かした。

「黙ってろ。舌を噛むぞ」
「でも」
「うるさい」

 どいつもこいつも甘いとクルスは思う。
 
 リピチアはきっと、襲撃者がメイラー家だと気づいたからニルチェニアごとクルスを逃がしたのだ。それは、同じメイラー家同士で戦わせるのを嫌ったのかもしれないし、今は使用人としてニルチェニアに仕えさせられているクルスを、メイラー家の目に触れさせないようにしたのかもしれない。

 メイラー家はニルチェニアを良く思っていないから、そんなニルチェニアに仕えているクルスを見れば、きっと穢らわしいと吐き捨てるだろう。

 腕に抱えたニルチェニアは震えていて、クルスは「寒いか」と口にした。龍として飛んでいるクルスは寒くない。鱗に覆われているから。けれど、高度があまり高くないとはいえ、風を切って飛んでいるのだ。人であるニルチェニアには辛いはずだろう。

「大丈夫です」

 震えたからだとは裏腹に、ニルチェニアの声はしっかりとしている。ここで甘えようものなら今すぐ地上に落としてやろうかと思うところだが、ニルチェニアは甘えようとはしなかった。
 せめて、とクルスはニルチェニアの身体を、風が当たりにくいように抱え直す。

「ありがとうございます」
「……風邪を引かれても面倒だからな」

 ニルチェニアのほっとしたような声に、クルスは意味もなく舌打ちをしたくなった。

 自分より遙かに弱い存在だと知っている。だから、やろうと思えば――契約の件さえなければ、クルスはここでニルチェニアをどうにでもできる。散々痛めつけて、喉が嗄れるまで泣き叫ばせることだって出来るだろう。

 けれど、そんなことをする気にはなれなかった。契約がなかったとしてもそんなことはしないだろう。

 震えながらも声を張った少女を、威張ればいいのに腰が低い少女を、いたぶることは出来なかった。そんなことをすれば、きっと惨めな気分になるのは目に見えている。

 自分より遙かに弱い存在だと知っている。だからこそ、護るのが“誇り高い”ということなのではないだろうか。

「クルスさん、きっとあの人たち、わたしを」
「知っている」
「それなら、ここで降ろして――わたしが、わたしが、いなければ」

 馬鹿な娘だと思う。
 同時に、哀れだとも。

 ふるえる唇からは自らを犠牲にする言葉しか出てこない。それが何故なのかはわからない。自己否定が根底にあるのは――

 おれ達のせいだ。

 目の色が違うだけで存在全てを否定したのは、他ならない自分だ。
 凛と正面から強い言葉を叩き出した彼女を知ることもなく。傲ることなく穏やかに微笑む彼女を知ることもなく。両親を失って、“家族”から否定された彼女の気分はどんなものだったのだろう。

 生身で冷たい風を受けるより、きっと辛かったはずだ。

「お前はおれに護られなければいけない。そういう契約をあの外道医師と交わしている」

 今はまだ建前でしか言葉をかけられない。彼女に向き合うのは、自分の汚いところを直視するのと同義だ。
 か弱くも自分なりの「誇り」を胸に抱く少女と向き合うには、まだ自分は至らない。

「適当なところで降りる。この姿をあまり人目にさらしたくないしな」

 黙り込んでしまったニルチェニアにかける言葉を、クルスは持たない。かわりに、強く抱き直した。冷たい風が当たらないように、震えが少しでも弱くなるように。

 ――この弱い存在をいたぶるのは、誇り高い“龍”のする事だろうか。
 
 おそらく、あの者達はニルチェニアを標的にしているのだろう。メイラー家の一部には、ニルチェニアを消すことも厭わない、と宣言した者がいるとも聞いていた。メイラー家にいたころはクルスはそれを何とも思わなかったけれど、今はそうは思わない。

 ウォルター家で愛され、穏やかに笑っている少女をみた後では、とてもそうは思えなかった。

 拓けているが人気のない場所を見つけ、クルスはそこを目指して高度を下げていく。出来るだけしっかり捕まっていろ、と告げれば、ニルチェニアは自分の腹においてあるクルスの手のひらを掴む。いい子だ、と小さく呟いて、クルスは地に降りたった。

 柔らかな地面に足を着け、体勢を立て直したところでニルチェニアをゆっくりと降ろす。手を引いて進もうとしたところで、クルスの身体がぐい、と何かに引っ張られた。見えない力で引っ張られた身体は、左手でニルチェニアを突き飛ばす。驚いた顔をして地に伏したニルチェニアは、絹を引き裂くような声で「クルスさん!」と叫んだ。

「いちいち叫ぶな。これくらい慣れている」

 クルスは、自分のわき腹を掠った物が何であるか知っていた。しゅっと軽い音を立てて脇腹に鋭い痛みと熱さをもたらしたのは、一本の矢だ。クルスがニルチェニアを突き飛ばさなかったら、それはニルチェニアの身体に深々と刺さっていたことだろう。

 ――“クルス・メイラーはニルチェニア・メイラーの身代わりを一度引き受けること”。

 契約内容の一部だ。それにともなって自分の身体は操られたらしい。外道医師めとクルスは悪態をついたが、ニルチェニアが無事なのを見て少し安心してしまった。女一人も護れないようでは、誇り高き龍とは言えないだろう。ドレスは汚れてしまったが、買えばいい。

「誰だ。姿くらい見せろ」
「――裏切り者め」

 脇腹に矢が掠る、なんてことは騎士を務めていた身からすればたまにあることだった。
 久しぶりの感覚に心が躍るような気すらする。

 クルスとニルチェニアの目の前に姿を現したのは三人のメイラー家の者だった。女が一人、男が二人。クルスは三人の顔を知っていたが、ニルチェニアはその声も聞いたことはないだろう。

 ローブのフードを取っている姿は、開き直っていると言ってもいい。まだ隠してくれていればよいものを、とクルスは舌打ちしそうになったが、女がまた弓に矢をつがえたところで顔色を変えた。

「《本領》発揮――といくか」

 状況が分からずに地面に座り込んだままのニルチェニアの頭を、クルスはぽんと叩く。とたん、ニルチェニアを中心に薄いガラスのような膜が張られた。こんこんとそれを叩いて強度を確認してから、クルスは腰に下げた鞘から剣を抜き取る。

 クルスが軍人ではなく騎士を選んだのは、この《本領》のせいだ。クルスの《本領》は【守護】で、護りたいモノに触れることでその周りに守護の結界のようなモノを張ることが出来た。普段は自分に触れることで防御力を底上げしている。

 軍人は護ることより攻めることに長けているのではないか、とクルスは思う。攻撃を最大の防御とするような連中だと理解している。
 騎士は、攻めることより護ることに長けているのではないだろうか。防御を最高の攻撃とし、守り抜くことで勝利する。

 実際問題、軍人としてやっていくにはクルスの能力は微妙すぎた。戦場で自分一人の命を守っても、何の意味にもならないときがある。一方で、町の治安を守る役目を与えられている騎士であるのならば――この能力も存分に生かせるのではないかとクルスは考えた。たとえば、どこかの殺人鬼に襲われている一般人を助け出すときとか。生憎、騎士をやっていたときにそんな輩に出会うことはなかったが――騎士でなくなったときにそんなシチュエーションに出会うとも思わなかった。

 皮肉なもんだ、とクルスは口元に歪な笑みを浮かべる。同族に剣を向けることがくるなんて、思いもしなかったから。

「来いよ。相手してやる」

 少し躊躇うような素振りを見せた相手に、クルスはそれでも余裕の笑みを見せた。少し前なら迷っていたかもしれない。ここにニルチェニアをおいてさっさと逃げていたかもしれない。けれど、今は違う。

 誇り高い龍は、少女を裏切らない。






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