16
 

 紫色の瞳。美しい銀の髪。今はもういない、愛しい愛しい姉の姿。
 あの悲劇の日から何年、彼女のことだけを考えてきたというのか。異母姉弟だとか、そんなことは関係なかった。彼女は自分に優しくしてくれて、母親からは適当に扱われていた自分に愛をくれた人だ。
 その人が幸せになるならと、自分はあの男との婚約も渋々ながら認めたというのに。

 何故死んでしまったんだ。
 あなたはこんなにも望まれているのに。

 何故。
 あなたはあの娘とは違う。

 一族からは厄介者扱いされて、あの男の元にいったような娘とは違う。

 あなたの居場所をあの娘が奪ったというなら。

「――奪ってやる」

 あなただけの場所を。あなたのために。愛しい愛しい、姉さんのために。



***


「ニルチェさん?」
「――え? あ、ああ……ごめんなさい」
「別に良いですけど――最近、ちょっと疲れてます?」

 色々ありましたし仕方ないことですけどね。そう言いながら、リピチアは長いすに座っているニルチェニアの隣に気軽に腰掛けた。随分仲良くなったねとエメリスに言われるほど、ニルチェニアとの距離をつめたリピチアは、非番の時はだいたいニルチェニアの元にいる。何だか落ち着くからだ。他に構ってくれるようなひとがいない、ともいうけれど。

 まあ、マッドサイエンティストとしてその方面では有名なソルセリルを師として学び――挙げ句、本人もマッドサイエンティストだと言われるようなリピチアなら仕方はないのかもしれない。彼女の趣味は合成生物をつくることだ。あまり公にはしていないが。

「――最近、あまり眠れていないのです……なんだか、変な夢ばかり見てしまって」
「変な夢、ですか?」
「はい。男の人が、ずっとこちらを向いて手招きしているんですけれど――そちらには行ってはいけない気がして」

 ぼんやりと呟いてから、ニルチェニアははっとした顔でひらひらと手を振った。変なことを言ってしまってごめんなさい、と。

「ストレスとかで変な夢見ちゃうって話も聞きますし――大丈夫ですよ、人に話した方が落ち着くかも」
「ありがとうございます」
「夢といえばリンツ家の人ですし。ちょっと夢見が良くなるようにかけあってみましょうか」

 夢魔の血を引く公爵家の名を出せば、とんでもないとばかりにニルチェニアは首を振った。

「そこまでのことではないと思いますし――リンツ家の方にご迷惑をお掛けしてしまうわ」
「そうですか? あっちも嫌な顔はしないと思いますけど――でも、ニルチェさんが言うならいいか」

 相変わらず、遠慮深いなあとリピチアは思う。ニルチェニアときたら使用人にも腰が低くて、リピチアの侍女なんか戸惑っていたくらいだ。ニルチェニアの侍女はそれにも慣れてきたらしいけれど、最初の方はやはり戸惑ったらしい。

「――取ってきたぞ……何だ、またいるのか」
「ああ。クルスさんじゃないですか。何ですかそのぬいぐるみ」
「……エリシア・メイラーからの頼まれ物だ」

 元は貴族とはいえ、ノックもなしにニルチェニアの部屋にやってきたのはクルスだ。今は使用人としてニルチェニアに仕えさせられているはずだが、主である彼女とは正反対で、クルスは態度が大きかった。そんな彼が、片手に大きな白いウサギのぬいぐるみを持っている。仏頂面の青年にうさぎのぬいぐるみ。シュールな光景だ。

 似合わないなー、と思いながらもリピチアがそれを指摘すれば、クルスは苦虫を噛み潰したような顔でそれをニルチェニアに放った。ウサギのぬいぐるみはニルチェニアの膝の上に収まって、ニルチェニアはそれを抱えなおしている。

「エリシア・メイラーがニルチェニア・メイラーにこれを届けろとな。“寂しくならないおまじない”……だそうだ。全く、わざわざおれを呼び出すとは……」
「クルスさん龍でしょ? 飛べるんだから良いじゃないですか」
「ぬいぐるみを運ぶために龍になれるわけじゃない!」

 ぬいぐるみなんて餓鬼じゃあるまいし、と鼻を鳴らしたクルスに、ごめんなさいとニルチェニアがしょんぼりすれば、それを見てぐっとクルスが息を詰まらせる。いちいち謝るな! とクルスが声を荒げたところで、そういえば、とリピチアが声を上げた。

「エリシア先輩も中佐も行軍中ですもんね……」

 エリシアとルティカルは現在、隣国で生じた災害において、救助活動を行うためにフロリア国をでている。リピチアも本来ならそこに行くはずだったのだが、二次災害を起こさないでくれ――と頼み込まれてとどまることになった。しかも、ストッパーになるメイラー中佐がいないからと非番にされた。どういう意味なのか問いただしたいが、そのおかげでのんびり出来ているから、深く気にしないことにしておく。

 もしかしたら、そのせいで精神的に不安定になっていて、ニルチェニアは変な夢を見ているのではないだろうか。
 何しろ、ニルチェニアの家族とも言えるべきエリシアと、唯一の家族であるルティカルが二人して国内にいないのだ。不安にも成るだろう。

 ふむ、とリピチアは顎に手をおいて考える。

 ――気晴らしに外に連れ出すというのは、ありだろうか?



***

「何でおれまで付き合わされるんだ」
「護衛兼下男だからですよ。せめてもの哀れみで同じ馬車に乗れることをありがたく思って下さーい」
「……チッ」
「はーい、うるさくしなーい。ニルチェさんが起きちゃいますから!」

 ゆったりした馬車の揺れが気持ちいいのか、ニルチェニアは行儀よく腰掛けたまま、すやすやと寝息をたてている。腕に抱え込んでいるのは《おまじない》のうさぎのぬいぐるみで、それも相まって何だか幼く見えた。普段は下手するとリピチアより落ち着いていて、何だか大人っぽく見えるから、幼く見えるニルチェニアにリピチアはつい笑みをこぼしてしまった。安らかなその寝顔の様子だと、例の夢は見ていないようだ。何よりだと思う。

 リピチアが外出を願い出れば、日焼け対策と身辺の安全を徹底する、という条件の下にニルチェニアの外出が許された。
 楽しませてあげてきてくれ、とエメリスは笑っていたが、その顔に色濃い隈があったことをリピチアは見逃さなかった。先日の《狼と蛇がアルテナ家で取っ組み合ってたよ事件》は相当彼に負担をかけたらしい。
 私のぶんまで楽しんできてくれ、というエメリスの言葉に無言で頷いて、リピチアはせっせとニルチェニアに日焼け対策を施すことになったのである。

 他の人より肌に含まれる色素が格段に少ないニルチェニアは、日焼けをしても肌が焼けることなく、赤く水膨れのような状態になってしまう。それを防ぐために日焼け止めの軟膏をニルチェニアの白い肌に塗り込んで、その上に露出の少ないドレスを着せた。胸元まできっちり覆ったドレスは、ボタンの量がやたら多い。侍女が着付けるのに苦労していた。
 今が夏じゃなくてよかったとリピチアは思う。夏だったらきっと暑い格好だ。間違いない。
 日除けの傘までばっちりと用意してから、ドレスにあう帽子を侍女に選ばせて、出かける準備は完了だ。

 身辺の安全を、ということだったので、護衛兼下男のクルスを連れて行くことにした。こうなる前まではクルスは騎士団に所属していたと言うし、リピチアも軍人だから腕に覚えはあるけれど、念には念を、というやつだ。二人いればまず大丈夫だろう。備えあれば憂いなし。準備にしすぎということはない。

 渋い紫のドレスを身にまとったニルチェニアはやっぱり綺麗で、どこか儚かった。あまり目立ちたくない、というニルチェニアの希望で明るい色を選ぶことはしなかったのだけれども、これだけ綺麗な子が歩いていたら目立つなという方が無理なのではないか。

 令嬢が軍服を着た人間を引き連れているというのもおかしな話だから、リピチアも着替える。ただし、ドレスではなくて動きやすい男物の服だ。いくらリピチアでも、貴婦人用のドレスを着たまま戦えるとは思っていない。
 幸か不幸か胸は絶壁だし、背も女性の平均よりは高いものだから、男と言われても違和はない、というレベルにまでは化けることができた。

 これなら、リピチアがニルチェニアをエスコートしていても不思議はないだろう。近くに下男のクルスがいたところで問題もあるまい。我ながら完璧、とにまにましながらリピチアは馬車に揺られていた。

「これからどこに行くんだ?」
「決めてなかったんですよねー、それ。……観光名所には連れて行っても、意味はないでしょうし……」

 ニルチェニアの瞳は堅く閉ざされているから、目で見て楽しむところには連れて行っても意味はない。
 何かおいしいものでも、と思ったが、ニルチェニアは小食である。むむ、と唸り始めたリピチアを見かねたのか、「音楽は」とクルスが口を開いた。

「音楽! いいですねそれ!」
「あまりうるさくすると起こすんじゃなかったのか」
「おっと」

 思わず叫んでしまったリピチアに、仕返しとばかりにクルスが嫌みったらしい笑みを浮かべた。ムカつきはしたが、良い案を出したので不問にしておこうとリピチアはそれをみなかったことにした。

 ――わー、私ってば寛大。

 馬車を操るウォルター家の使用人に声をかけて、リピチアは行き先をオペラハウスに指定した。


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bkm


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