11
 


 あ? と柄の悪い答えを返してしまってから、ジェラルドは「申し訳ないが、もう一度お願いします、兄上」と丁寧に再度話の内容を聞かせてくれるようにと頼んだ。
 そんな弟の様子に、エメリスは戸惑ったような顔をしてから、「白玉卿からの指示なんだけれどね」と前置きをしてもう一度、話の内容をなぞった。

「お前とニルチェニア嬢が婚約を結ぶ前に、メイラー家の青年がニルチェニア嬢に葡萄酒をかけたという話は聞いているかい?」
「ルティカルが愚痴ってたな、そういや」
「うん。それで、その青年を蒼玉卿に依頼された白玉卿が裁いたらしいのだけど、その内容がニルチェニア嬢の下男にくだんの青年をおく、っていう」
「……それは本当か、兄上? あの外道も裸足で逃げ出す白玉卿が下した指示にしては随分優しい処分だと思うんだが」
「そうだなあ……私もてっきり解体した挙げ句にシステリア家の番犬に食べさせる――くらいのことをするかと思っていたんだが」
「いや、犬に食わせるくらいなら実験材料にしますよあの人」

 大真面目に口にした弟の発言を笑い飛ばすことも出来なくて、エメリスは深刻に「……そうだね」と頷くことしかできなかった。
 そんな兄の顔を見ながら、ジェラルドは口元に手をおいて考える。あの外道の考えることはよくわからないが、下手な方向に転がったことは少ない。
 個人的に彼が懇意にしているメイラー家とのやりとりとあらば、ますます場をひっかき回すためだけに下した判断でもないだろう――いや、無いと思いたい。

「狙いは何だ――ニルチェニアを監視しておきたい? とか」
「まさか。白玉卿がニルチェニア嬢を監視する意味がないだろう」
「“例えば”ですよ、兄上? ――ニルチェニアを、白玉卿が“メイラー家の娘”ではなく、“色素の薄いヒト個体”として認識していたらどうだろう。……考えたかねェが、材料として見てるって事も。そうなると、ニルチェニアの動向は見ておきたいと思うものなんじゃないか?」
「……うーん。……きっぱり否定できないのが痛いな……。でも、それなら蒼玉卿が許さないだろう」
「確かに……」

 二人して考え込んでいるウォルター家の次男と長男に、その場にいたリピチアが呆れたように声をかける。この手の話は、深く考えるだけ無駄だと彼女は知っている。だってあの外道が相手だ。

「エメリス様も、ジェラルド兄様もうんうん唸ってますけど――ソルセリル様が決めてしまったなら、受け入れるしかないでしょ」
「まあな……そうなんだけどな……」
「問題は、ニルチェニア嬢がそれを納得するかどうかだよ……いや、この際納得したとしても、心穏やかに暮らせるかどうかだ」
「あー……確かに……」

 それは確かに問題ですね、とリピチアも頷いて、今頃は自室でゆったりとしているであろうジェラルドの婚約者に思いを馳せる。

 ニルチェニアのことだから、反対はしないだろうが、その青年には怯えることになるだろう。せっかく楽しい毎日を送ってもらえたら、と思っていたウォルター家にとって、今回の判断は好ましくない。どうみても繊細そうなニルチェニアだ。いくら下男としてやってきても、心的ストレスは免れないだろう。

 どうしてそんなの認めちゃったんですか中佐――と思いつつも、ソルセリルにルティカルが反対できるとも思えない。見た目こそ二十代前半の青年ではあるが、ソルセリルはああ見えて五十を越えている。ここの公爵家って年齢詐欺が多いったらないんだから、とリピチアはむくれた。

 いくらルティカルが妹や軍のことに関しては頭が回ったとしても、老獪なソルセリルにはかなわないだろう。リピチア自身、彼に学んで相当に痛い目を見ている。見た目とはかけ離れた腹黒さを持っているというか――さっくり言って、下衆なのだ。見た目の良さを持ってしても相殺できないくらい。

 リピチア自身、散々下衆だの非人道的だのと謗られることがあったりなかったりするが、その時は師を引き合いに出して納得してもらうようにしている。ソルセリルが師だと言えば、大抵の人間は「……それならどうしようもない」と諦めてくれるからだ。それほど、あのソルセリルは性格に難があった。

「とにかく、今日の午後には白玉卿自らその青年を連れてきて下さるそうだから、……ニルチェニア嬢にそう伝えておくよ。連れてきた後にニルチェニア嬢が辛そうだったら、教えてくれるかい、二人とも。あんまり酷かったら、私の方から白玉卿に掛け合ってみる」
「……はーい」
「わかった。――あんまり連れてきて欲しくねェけど……」

 ジェラルドのそれにこっくりと頷いたリピチアに、エメリスも苦笑いをこぼす。実の弟子にまで信用されていないらしい、とソルセリルを一瞬だけ可哀想に思ったが、あの男のやってきたことを考えると、そういう反応になるのも仕方なかった。
 
 あまり気が進まない、とこぼしながらも、エメリスはニルチェニアの侍女を呼び出して、事の経緯を伝える。そうですか、と侍女は深刻そうな声を出してから、ニルチェニアにそれを伝えに行った。

 昼前にニルチェニアとリピチアが話した分には、ニルチェニアはあまりそれを気にしていないらしい、とのことだった。が、心配をかけさせまいと心境を隠している可能性が多分にあるので、様子見が必要だと言う話に落ち着いた。リピチアとジェラルドの中でだが。

「何考えてるのかなー、先生ってば」
「教え子のお前にもわかんねェなら俺にはもっとわからねェよ」

 珍しく非番だった――というか、非番にして貰ったジェラルドとリピチアは、久しぶりに顔をつきあわせて昼食をとっている。ニルチェニアはニルチェニアでルティカルがウォルター家に訪ねてきたので、久しぶりに兄妹水入らずで昼食をとっているはずだ。ルティカルが来ると伝えたときのニルチェニアの嬉しそうな顔ったらなかった。
 ぱああっと顔を明るくして、兄が来るまでそわそわしていたのだから、それを見ていたリピチアとジェラルドは、思わず口元を綻ばせてしまった。何というか、かわいい。

 リピチアの場合は歳の離れた妹、といったような感じだが、ジェラルドの場合は歳が歳だけに娘のような、妹のような、微妙なところにニルチェニアをおいているだろう。恋愛感情を抱くに至っていないのは、リピチアの目からは明らかだった。それが少し残念ではあるけれど、この前聞いてしまった話を鑑みるに、仕方のないことなのかもしれない。

 ――恋人がいたんですよ、ジェラルド様には。

 リピチアと親しくしている、年をとった侍女はそう言っていた。「でも、ニルチェニア様がいらっしゃったからきっと乗り越えられたのね」という一文を続けられたところで、リピチアはストップを出した。どういう意味なのかわからなかったから。

 聞けば、ジェラルドには将来を誓い合った伯爵家の女性がいたそうだ。貴族にしては珍しく、恋愛結婚かと思われたそうである。けれど、婚約も交わし、結婚間近と言うところでその女性はこの世を去った。外出中に馬車にはねられたのだと。

 ジェラルドはそれから婚約だの結婚だのと言う話からは遠のいていたらしく、また、原因が原因なだけに周りもそう言った話をすることは避けていたのだと。
 だから、今回、ニルチェニアと婚約をすると本人が宣言したことで安堵したものは使用人にも多かったようだ。例え、解消されることが前提にあったとしても、本人たちが望めば維持できる関係だ。
 慕う主に幸せが来ることを厭う使用人など、いないのである。

 だから、リピチアは気になってはいても、それを口に出すことはしない。今は妹や娘感覚であっても、いつか本当に配偶者として愛せる日が来るかもしれないから。

「何だよリピチア、人の顔を穴があくほど見やがって」
「相変わらず美青年だなあと思いまして」
「……もう少し感情込めて言えよ、バレバレだぞ」

 棒読みでそう言ったリピチアに呆れながら、ジェラルドは上品に皿にのった肉をナイフで切り分けて口に運んでいる。よく食べるよなあ、と思うリピチアの記憶では、彼は人の三倍分の量を用意されていたはずである。それがほとんど消費されようとしている今、リピチアは珍獣でも見るような目で従兄弟を見つめねばならなかった。

「相変わらずよく食べますよねー。見てるだけでお腹一杯」
「あ? 働いてっからな。腹も減るっての」

 所作は上品なのに、口調は乱雑にもほどがある。ニルチェニアやエメリスの前ではそれも少しなりをひそめるが、軍関係者が近くにいるとすぐにこうなってしまうのだから仕方ない。それだけ、仕事をしているという事がある意味彼に平穏をもたらしているという事なのだろうか。砕けた口調の裏には、何があるのだろう。

 ――恋人さんが亡くなる前は真面目だったと言うし。

 リピチアの記憶にはそのころのジェラルドがいないから何とも言えないが、“彼女”が亡くなってから、彼は今のような性格になったのだという。
 昔はメイラー家の現当主様のような方でしたよ、と聞かされて、リピチアは閉口した。変わりすぎだろうと。それほど、彼にとってショックな出来事には間違いなかったのだろうけれども。

「お……っと、もうそろそろ時間だぜ。見に行ってみるか」
「そうですね。中佐は立ち会うんですか?」
「おう。責任とって立ち会うってルティカルは言ってたぞ」

 もう少しすれば、ニルチェニアの元にソルセリルが例の青年を連れてくる頃合いだ。嫌な方向へ転がらなきゃ良いんだが、と口にしたジェラルドに、リピチアがこくりと頷いた。
 何かあったときの保険のために、リピチアもジェラルドもルティカルも、仕事を非番にして貰ったのである。忙しい時期じゃなくて良かったと息をついていたのはエリシアだ。
 流石にエリシアまで抜けるわけには行かないので、エリシアは軍部で仕事中だ。一つの部隊から役職持ちがごっそり抜けるなんて事態はない方がいいだろう。

「まあ……白玉卿は白玉卿でニルチェニアを気遣ってくれているとは思いたいけど」
「希望的観測ですよ。まずそんなことないと思います」

 ジェラルドが口にした希望を、リピチアはばっさりと切り捨てた。分かり切っていたことだけにジェラルドはため息をついてしまうが、そのために自分たちがいる。その上、ルティカルまで立ち会うというのだから――大事には至らないだろう。



prev next



bkm


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -