ワンダリング・ライフ 1−0
「毎日、つまんないわよねぇ……」
「……毎日、退屈だよな」


 「夏」という季節を溶かし込んだような色の空。
 じりじりと照りつける太陽と騒ぐ蝉時雨を全身に受け止めて歩く男女が一組。


 つまらない、とうんざりした顔で言い放った少女は、その綺麗な顔を暑さにゆがませる。
 すらりとしていて、女性にしては高い身長のせいか、少女は見る者に中性的な印象を持たせていた。
 本人の性格とは違って、控えめな胸も彼女を中性的に見せている。
 風に遊ばれている黒髪が長くなかったら、五人のうち三人は彼女の性別を疑っただろう。


 彼女は物憂げに、ほう、とため息をついた。


 対して、その少女に同意するような言葉を返した少年は、見た目からして男らしい。
 少年というよりは青年に近いのだろうが、暑さに顔をしかめているところに少年の面影を感じさせる。
 きりりとした、涼しげであると同時に怖そうな印象を与える切れ長の目だが、十分に整った顔立ちだった。
 彼はうんざりしたように、目の前にたれる黒髪をかきあげている。


 二人で歩いているところを見ると恋人どうしに見えないこともないが、二人の関係はそんなに甘くもなければ脆くもない。
 生まれた時から今までずっと一緒の生活を送ってきたもう一人の自分ともいうべき存在――つまり、双子である。


 この二人は、双子であることの珍しさに加え、「才色兼備」「文武両道」を地でいくような存在だった為に、周りからは常にちやほやされていた。
 少年向けの小説にありそうな――使い古された設定のような境遇。


 なおかつ、大企業の社長令嬢、社長令息とくれば、羨みを通り越して畏敬の眼差しで見つめられる。「住む世界が違う人間なんだ」、と。
 一般人からしてみれば羨ましい境遇と才能の持ち主である二人だが、二人とも現在の生活に不満を持っていた。


 大企業の社長令嬢・令息というだけでも一線引かれる立場である上、人より頭二つ三つは抜けている才能の持ち主だったから、常に周りにくる人間は二人のことを「凄い」「天才」「素晴らしい」と云う目で見てきて――それ以上、近寄ってきてくれはしない。
 高校の先生までもが二人に遠慮している。


 人より格段上の才を持っているからと妬まれることもあるし、取り入ろうとしてくる奴もいる。
 普通の友人になってくれそうな者たちは皆揃って遠慮する為、二人は高校の中でも奇妙な浮き方をしていた。
 少女に言わせれば「周りを猫と仮定するなら――猫の中にフレンドリーな虎がいた感じ」である。


 そんな状況が生まれてからずっと二人を取り巻いていた為に、二人はたまに「誰も自分達の事を知らない世界に行きたいね」と話すことがあった。
 現実逃避なのは理解している。


 しかし、つまらない。


 バカ話できる友人もいなければ、殴り合いの喧嘩を出来る親友もいない。
 仕方がないからと暇潰しに武道や勉学に打ち込むものの、どこか物足りない。


 世界が広がらない。


 見える世界はいつも二人の視界でしか語られない出来事の一欠片でしかなく、すぐに色あせてしまう。


「あー、学校に来たのに、話す友達もいないし」
「先生は腫れ物でも触る対応だし」
「「つまらない」」


 流石双子、というべきタイミングで言葉を発した二人は、全く同じ動作でため息をついた。
 二人の心とは反対に、天気は晴れやかで暑苦しい。
 これ以上憂鬱な気分にさせないでよと少女が街路樹に止まった蝉を睨んだ時。


 ぴたりと、蝉時雨がやんだ。
 何の音も聞こえなくなる。


 しばらくそれに気づかずに歩いていた二人だが、騒音がなくなった事に異和を感じて足を止めた。
 

 空は青い。
 気のせいなのか、それとも風が無いだけなのか――雲は動いていない。


 まるで、時が止まったようだった。


「なーんか、変な感じ」
「こうも急に鳴き止むのも薄気味悪いよな――何かこう、これから起こりそうでさ」
「起こってもまた蝉の大合唱位じゃない?まあ、異世界への扉がうんたらかんたら〜だったら面白いけど」


 最近流行りの幻想小説の設定を持ってきて、少女が茶化す。
 そうだな、と肩をすくめて、少年が歩きだした。


「そう。そういうのって面白いと思うよネ」


 歩きだした二人の足は、再び止まる。


 くるりと振り向いた二人の目の前には、真っ黒な服に黒いシルクハットを被った男が一人。
  暑そうな格好、と姉が呟くのを耳にした少年は、肩にかけていた竹刀ケースに手をのばす。
 男はどう贔屓目に見ても怪しさ満点だ。


 シルクハットの鍔に目元が隠されていたが、口元が弧を描いているところを見ると、この男、笑っている。


「つまらなさそうな顔してるネー」


 二人は口を開かない。


 少女は竹刀ケースに手をかけた弟をちらりと視界に入れ、ポケットに手をのばす。
 目の前で笑っている男は、どう見てもおかしかった。


 夏なのに黒ずくめなのは良い。服装は人の好みだ。
 丈の長いコートを着ているのに汗一つかいていないのも、今は良い。


 ――問題なのは、男が地に足をつけていないこと。


 要するに、「宙に浮いていたこと」だ。


「そんなキミ達にボクからプレゼント。欲しいよネー?」


 双子は言葉を返さない。


「あれ、無反応?ま、良いや」


 男は気の抜けた笑みを浮かべ、シルクハットを少し持ち上げて、双子に顔がよく見えるようにとしてから、にっこりと笑った。
 紫色の奇妙なアイメイクが露わになる。道化師のような笑みに、道化師のようなメイク。
 さらに警戒した双子を知ってか知らずか、男はこう続けた。


「ボクの暇潰しにつきあってくれたら、異世界に招待するよー?」


 蝉時雨はまだ、戻らない。


 凍り付いたような時間の中、太陽の熱と男の異質さだけがいやにくっきりとしている。
 最初に口を開いたのは少女の方だった。


「行きましょう」


 制服のワイシャツを引っ張って、少女はこの場から離れることを表明した。
 少年の方もそれには賛成らしく、少女の提案通りに男に背を向けようとする。


 しかし。


「高月凛音、高月悠斗。キミ達は人並み外れた才能を持ちながら、それを持て余し、その才能が原因で退屈な生活を送ってきた。ボクはキミ達に世界を見せたいと思う。楽しい楽しい、世界をネ」
「何で、名前――」
「本格的に危ない人に遭っちゃったみたいね?」


 急に告げられた自分の名前に、少女も少年も動けなくなる。
 少年と違って、少女は余裕ぶった素振りを見せてはいたけれど、その実、余裕なんてどこにも無い。
 本能が警戒音を発していた。太陽の熱なんて、今やもう感じられはしない。
 男の笑顔が驚くべき早さで二人の心臓を締め付ける。


「ま、あがいても結局は、“拒否されても連れていく”、ってことなんだけどー」


 ぱちん、と男の指が鳴る。


 その音に弾かれたように、二人は走り出した。ここにいてはいけない。あの男に捕まってはいけない。頭には逃げることしか浮かばない。
 走り出した二人の足元のアスファルトが、砂糖菓子のように崩れていく。
 崩れたところからは、男の服のような黒が覗いていた。
 ぼろぼろと崩れだすアスファルト。広がる黒、黒、黒。


 黒のその先には、一体何が広がっているのだろう――
 

「イかれた帽子屋<マッドハッター>はアリスで十分!」
「そんなこと言ってる場合か!」


 走る二人を笑顔で見つめ、徐々に崩れるアスファルトの消滅後に広がっていく、黒の何かの中心に、男はふんわりと浮いている。


「でもね、悠斗、多分これ、逃げらんないわよ」
「だな」


 黒はじわじわと二人を追い詰めていく。強固なはずのアスファルトは、面白いほど儚く崩れていく。
 

 ほろほろと、はらはらと。
 現実を突き崩していく“非現実”。


 足元に迫る黒に一瞬身を竦めた二人は意を決したように後ろを振り向くと、辛うじて残っていた地面を強く踏みつけた。


「落とされるより落ちた方がマシ――ってか、凛音」
「よくお分かりで」
「ほんと、生まれてくる性別間違えたんじゃないか?男らしくてびっくりだよ」
「余計なお世話!」


 二人揃って飛び上がると、綺麗な弧を描いて身を投げる。
 足から順に何か別の場所に引き込まれていく感覚――ゆっくりと体を引き伸ばされるような感覚に二人は目を少し見開いた。


 引き伸ばされる感覚が、不意に止んでしまう。
 そうすれば、そこには何の感覚もない。


 黒に沈み込む体を引き寄せあって、二人はぎゅっと目を瞑った。


「…あの子以来だネ、こんなに面白そうな人間は」
 

 黒に二人が完全に沈んだところで、男は再び指を鳴らす。


 黒は瞬時にかき消えて、蝉が再び騒ぎ始めた。
 日当たりの良い大通りには元通り時間が流れ始め、男の姿もそこにない。
 アスファルトは元通り熱にさらされて揺らめいているし、空は青いままだった。


 先程までと違うのは、人が二人消えたことだけ。





 真っ黒な空間の中でも、妙に二人は冷静だった。
 ただの兄弟や一人っ子には分からない感覚かもしれないが、二人でいるだけで随分と落ち着くものだ。
 怖いことも不安なことも二人でなら乗り越えられる、そんな気分になれる。
 だから、


「暇潰しで異世界に招待、なんて、止めて欲しいわよねぇ」
「ぶっとんだ格好してるだけあったよな」
「大体真夏に黒ずくめって、神経疑うわぁ。暑いじゃないの」
「暑さに頭沸いてる奴かと思ったけど、沸いてたのは元からだろうな」


 こんな状況でも軽口をぽんぽん叩けた。
 

 普通ならば戸惑うか喜ぶか、或いは絶望するか。
 少なくとも、一般的な反応とは大きくかけ離れている。


 もし双子がそれを聞いたなら、「こんな体験をさせておいて“一般的”も何もない」と口を揃えて言っただろう。


 しかし何もない暗闇だなと少年が呆れたように呟けば、少女の方も同意する。


「気が利かないわよねぇ。招待、っていうより拉致に近いし」


 もう少し面白い空間に放り出されたかったんだけど、と言った少女に反応するように、周りの空間が変わり始めた。


『注文が多いネー』


 男の声が響いて、暗闇の空間は、“ただの暗闇”からどこかの家のような空間に変わり、薄暗い部屋の様相になる。
 少し汚い部屋の中置かれている、モヒカン頭にピエロ服の引きつった笑みを浮かべたマネキンが不気味な滑稽さを醸し出していた。


『ボクのこともボロクソだし』


 男の姿は今まではどこにもなく、ふざけたような声だけが響いていたが、いつの間にやら、男はそのマネキンの隣にひょっこりと姿を現した。
 双子揃って渋い顔を男に向ける。


「異世界とか言ってたけど、ただの汚い部屋じゃない」
「あのマネキンは趣味を疑うよな」
「違うよー?面白い空間が良いって言うからちょっと衣替え?しただけ」
「つまり貴方が面白いと思う空間がこの部屋、ってこと?更に趣味を疑うわねぇ」


 少女の目付きはもはや、変質者を見るそれである。
 少年の方はまだ優しい目付きだった。小指の先程度だが。


「……ボク、こんなに否定されたの初めてなんだけど……」
「あぁら奇遇。私だって変人に拉致されたのって初めてだわ」


 少女の視線は冷えきっている。
 男の方はというと、言葉の割にはどこか嬉しそうだ。


 もしかしたら全ての苦痛を快楽に変換してしまう人種なのかもしれない、と少年は思った。いわゆる被虐趣味、というやつだ。


 このまま話を続けても、特に話は進みそうにない、と判断したらしい少年は、仕切り直すように声をあげる。


「で、あんたは何しに現れたんだ?」


 少女にちくちく暴言を言われながらも楽しそう――もとい、嬉しそうな男は、今気づいた、と言った風に話し始めた。


「いきなり飛ばすんじゃ、流石にかわいそうかと思って。オマケしに来たんだよネー」
「おまけ?」
「そ。オマケ内容は言わないけど」


 首を傾げた少年に、男はぱちんとウィンクをきめた。
 間を入れることなく、少女が「気持ち悪いわねぇ」と引いた顔をする。
 今度こそ男がしょぼくれた。
 女子高生はかくも残酷で正直な生き物なのだ。


「中身を教えないなら来る意味無いんじゃない?」


 姉の言葉は尤もだと少年も頷く。
 対して、男の方は悪戯っぽい笑みを浮かべ、立てた人差し指を左右に振って見せた。


「オマケしたよ、って言わなきゃキミ達、感謝しなさそうだからネー」
「それを聞いたら、感謝する気は起きなくなったよな」
「感謝って求めるものじゃないしねぇ……」


 そもそも拉致してきたところからして感謝も何もない、と双子は口を揃える。
 男は「可愛くないネー」と笑うとぱちんと指を鳴らす。


「もーちょっと話したかったけど、それじゃ連れてきた意味ないしネ。じゃ、行っておいで」


 男のその言葉に、二人が突っかかるために言葉を発するよりも早く、視界が再び黒に覆われる。


 二回目の暗闇に二人はもう一度目を瞑る。期待と興味こそあれど、不思議なほどに恐怖や不安がない。
 隣にいるもう一人の自分とも言うべき存在を感じながら、二人は穏やかに意識を失った。


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