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「――ふうん。へえ……」
「何か言いたいことがあるんなら、言ったらどうだ」

 遠慮なく浴びせかけられる好奇の眼差しに、ジェラルドは目を細めて目の前の少女に応える。にやにやと笑った少女は上機嫌で、「おっさんにもようやく春が来たわけね」と真底愉快そうに笑った。
 これだから、とジェラルドは思う。
 自分はこういう付き合いが嫌だったから、わざわざ軍人に転向したというのに。

 貴族間で行われる集まりや茶会。そのほとんどで最近囁かれているのは、ジェラルドとニルチェニアの婚約の話だ。それは七大公爵家の内部だけに収まらず、ほかの貴族の間でも話題となっているらしいのだが――裏でこそこそ話のネタにされるのはあまり気分のいいものではない。

「不機嫌そうな顔しないでくれる? 裏でこそこそ話してる訳じゃないんだし、いいじゃないの」
「引っ張り出されて堂々と話のネタにされんのも嫌なんだけどな」
「まー! 我が儘なおっさんですこと!」
「おっさん言うな。まだ若い」
「見た目だけはね?」

 べっ、と舌を出した少女に「よく言うぜ」とジェラルドも顔をしかめた。見た目だけなら若い、ということなら、この“少女”の右に出る者はいないだろう。ジェラルドが物心ついたときから、この少女はずっとこの若さを保っている。美魔女を通り越して化け物だ。

「で、“黄玉卿”、俺に何の用が?」
「たまには暇でも潰そうかと思って」
「他の公爵家の人間も呼んでか」
「貴族の世界だと楽しい事って殆ど無くてねー」

 その暇つぶしにわざわざ呼ばれたことにジェラルドは盛大にため息をつき、目の前で紅茶のカップにぽんぽんと角砂糖を投げ入れる少女に舌を打った。
 
 女であっても構うことなく家督を継いだこの“少女”は、実年齢にしたら相当なものだろう。ジェラルドと違って純粋な人間ではないからこれほどまでの若さを保っているのだが、中身と言えばそこらにいる人間より俗っぽい。ゴシップを好むしロマンス大好きな“おばちゃん”だ。

「あのねえ、別に“黄玉卿”なんて畏まった呼び方しなくて良いってば。普通にシトリーちゃん、って呼んでいいのよ?」
「……歳を考えろよ」
「何よルベリオス、文句あんの?」

 ジェラルドと同じように、少女に無理矢理つれてこられたもう一人の被害者がぼそりと紡ぐ。筋骨隆々の男が、窮屈そうにかわいらしいテーブルについているこの光景は、悪夢に近いシュールさだった。

 金色の巻き毛をゆらりと揺らしながら、琥珀色の瞳でそれを笑っているのはシトリー・アルテナ。七大公爵家のアルテナ家における“黄玉卿”――つまりは、アルテナ家の当主である。可愛らしい少女のような見た目だが、時折蛇のような狡猾さを見せる老獪な錬金術師だ。彼女の家からは年々、優秀な錬金術師が輩出されている。

 テーブルを挟んでシトリーの真向かいにいるのが、ルベリオス・ヴォルテール。紅玉卿であり、御歳五十才を越えてなお現役の、この国の王の護衛剣士である。王立の騎士団をまとめてもいるから、王の信頼はあつい。
 護衛剣士というだけあって鍛え抜かれたその体は、鋼のような堅さを持っていたし、狼のような獰猛さを感じさせる男だ。血のように赤い瞳は鋭く、その容姿は威圧的だった。赤茶の髪にはところどころ白髪が混じってはいたけれど、老いを感じさせることはない。

「――俺には仕事があるんだがな、シトリー」
「大丈夫よ、王様なら紫玉卿のところの魔術師ちゃん達が護ってくれてるし。元々、今日はお休みだったでしょ」

 だったら尚更休ませてやれとジェラルドは思ったが、それを口にするのはやめておいた。シトリーの興味がこちらに向くのは出来るだけ避けたい。“丁度良いネタ”を持っている今なら尚更のことだ。
 シトリーとて、今回の婚約に絡む裏事情を知らぬ訳でもあるまいに。

「だいたい、なんで当主でもない俺がこんなところに……」
「公爵家の血を引いてたなら、みんな当主みたいなもんでしょ。そうやって栄えてきたんだもん、どこの家も」

 あっけらかんと言い放つシトリーのそれは正しい。この国の公爵家というのは他の貴族と違って、本家の血を引いていれば誰にでもその、当主の座を譲ることが出来た。

 長男だの次男だの、そんなものはあまり関係ない。

 それより重視されるのは、その家にとって有益かどうかだ。優れた物を当主に置かねば、家は緩やかに滅んでいく。昔、この国が出来る前に起こった“災い”を、各方面から退けた七人の英雄の子孫が現在の公爵家と成っているから――より有用な者を当主に、とするのは当然のことでもあった。
 
 貴族である公爵家でありながら、王の護衛や軍隊を率いる者が多いのはそういうことだ。華々しく貴族を気取ってはいるけれど、公爵家の血を引く者には国を、王を護る義務も生じてくる。

「だってあたし、てっきり翠玉卿になるのはあんたかと思ってたし。便利な頭も持ってるしねー」
「ンなわけねェよ。俺より兄上の方が優秀だ。俺は“忘れない”ことしか出来ねェし」
「そーお? その記憶力も当主継ぐには良いと思うんだけどなー。優秀って言えば頭のつくりはそうなのかもしれないけどねえ。エメリスは綺麗すぎるのよね」

 憮然としたジェラルドに、シトリーは怪しく笑みを浮かべる。呆れたように見ているルベリオスにジェラルドは助けの視線を送ったが、ものの見事に無視された。
 屈強な護衛剣士とはいえ、老獪な錬金術師の毒牙の餌食にはなりたくないとみえる。シトリーは冗談抜きに蛇なのだから尚更だ。

「ウォルター家はあたしたちとは違って、唯一、純粋な人の家柄だわ。だけど、だからといって他の家に劣っているわけじゃない――人にとっての一番の武器は知恵と器用さ。あんたはその二つを兼ね備えていたから」
「“知恵の暴力者”か。懐かしいな――悪魔も泣いて逃げ出す非道な“知恵”に、暴力者にはない“器用”さで人を動かす」
「紅玉卿、それこっぱずかしいんでやめて下さい」
「良いじゃないか。誉め言葉だろう」
「本当に記憶力がおかしかっただけですから」

 文官時代の二つ名を出されて、ジェラルドは憮然とした表情を隠すように出されていた紅茶に口を付ける。ずいぶんとぬるくなっていた。

 ジェラルドは少々面白い体質をしている。それが“忘れない”という体質だ。五感で感じ取ったものを忘れない彼は、驚異の記憶力を持った文官として文官時代に名を馳せていた。非道な“知恵”とルベリオスは言うが、実際には他の人間にとって“少々不都合”な情報を忘れることなく有していたジェラルドが、情報の断片を繋ぎ合わせて数多の汚職を晒してきただけだ。そのためにちょっと関係者を脅したり、証拠をちらつかせて怯えさせたりしただけで。

 おかげで上の人間には敵を作ったこともあったが、それもあってわりとスムーズに軍人に転向できている。厄介払いには丁度良かったのだろう。

 シトリーがけらけらと笑いながら、エメリスにはそれがたりないのよねえ、と優雅に茶菓子を口に入れた。

「なんて言うの? 下衆さ? エメリスってば心根が優しいもんだから。弟君と違ってぇ」
「手段を選ばない冷徹さ――がエメリスにはないかもしれないが。それでも、先代の翠玉卿がエメリスを次代に、としたのなら、それが正しい選択だろう」

 下衆、を“手段を選ばない冷徹さ”という、まだ聞こえが良い言葉に置き換えてくれたルベリオスのささやかな優しさが身にしみた。

「まあ別に良いんだけどー。はあ、あたしも早いとこ後継見つけないと。誰が良いのかしらねえ……」
「シトリーのところは後継も癖がありそうだからな」
「そうなのよー。みんなして面倒くさがっちゃって当主なんてやらないってさ。当主やってる暇があるなら錬金術の研究させろって言われちゃあね……」

 随分な言いぐさだとも思うが、アルテナ家の者なら言いかねない。優秀な人材はたくさんいても、役目を引き受けたがらないのがアルテナ家だ。仕方ないからとシトリーが随分と長い間、当主の座に収まっている。

「あたしが死んだらどうするのかしらね。そこんとこ、ちゃんと考えといてほしいけど」
「お前はそうそう死なないだろう、シトリー。メドゥーサの力を使ったとはいえ、俺に生まれて初めて一太刀浴びせた女だ」
「それもそうねー。石化してなお動こうとしたあんたの方が死にそうにないけど。ねえ、ワンちゃん?」

 ふ、と笑うルベリオスの顔が、段々と凶悪なものに変わっていく。だからこの面子で茶会なんて嫌だったんだ、と思いながら、ジェラルドは無言で席を立った。誰も止めない。
 
「じゃーね、ジェラルド。またゆっくりお茶しましょー」
「丁重にお断り申し上げておくぜ、黄玉卿」

 金色の巻き毛を蛇へと変化させているシトリーの目の前には、巨大な二足歩行の赤目の狼がいる。これはシトリーとルベリオスが顔をつきあわせると必ず行われることだけれど、いい加減普通の人間である自分や、ウォルター家の面々がいるところで繰り広げるのはやめてほしいと思う。

 公爵家の人間は――ウォルター家をのぞき、皆一様に人間以外の血を引いている。

 メイラー家は龍、アルテナ家はメドゥーサ。ヴォルテール家はワーウルフ。他の公爵家も、紫玉卿と呼ばれるリンツ家は元を正せば夢魔の家系だし、白玉卿のシステリア家はヴァルキリーの血を引いている。女系の家柄だからか、“女を食い物にする”ヴァンパイアの血を引いた黒玉卿のヤト家とはとても仲が悪かった。

 そんなモンスターの血を引いた者ばかりが公爵家に収まっているなど、市井のものは知らない。知っているのは同じ公爵家と、王族だけだ。
 唯一の人間であるウォルター家は、その秘密を知る権利の代わりに、彼らの本性を隠すことを仕事としてきた。だから、“たまたま”戦場に“青い瞳の龍”が出たときも、“赤い瞳の人狼”が出たときも、都合良く事実を改変できるような立場につくのが当たり前だ。たとえば――あったことを全て書類上でねじ曲げてしまえるような高位の文官とか。

「――そういや、あの子は龍になんのか……?」

 ふと思い出したメイラー家の紫の瞳の娘を思う。エリシアやルティカルが“たまに”龍の姿をとることは知っていたが、あのニルチェニアだけは、その様子が想像できない。
 ルティカルやエリシアと違って、ひどくか弱そうだからだろう。今度聞いてみるのも悪くはないかもしれないと思いながら、ジェラルドはアルテナ家を後にした。

 先ほどまで茶会をしていた広大な庭の一カ所に、やたら大きな土煙が上がっているけれど――誰も気にしない。ここは、そういう場所だから。


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bkm


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