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 リピチアが“夜会を開こう”と提案したとき、ウォルター家の皆はそれに諸手をあげて賛同した。ジェラルドは「解消されるかもしれない婚約だ」と説明はしたらしいのだけれども、うまく転がれば解消せずに結ばれるものと知って、「それなら少しでも早くこの家に馴染んで貰いたい」と、はりきって婚約発表をする夜会の準備を始めたのだ。
 
 メイラー家に配慮して、規模こそは小さくしたけれど、やってくる少女のために夜会でのドレスも宝石も見繕った。夜会を行う前に、ニルチェニアを年齢の近いリピチアに何度か迎えに行かせ、お茶会などもやってのけた。
 なぜだかわからないが女児があまり産まれないウォルター家にとって、ニルチェニアは歓迎すべき対象だった。男ばかりはむさくるしくてならないと、常々一族の女達はもらしている。

 だから、ニルチェニアが明るい日の元では目を閉ざしていることも、それを抜きにしてもあまり物が見えないことを知っても、ウォルター家は暖かく迎えた。
 兄もいないのに他の家に招かれた少女は、当初はガチガチでどうしようもないほどの緊張を見せていたけれど、それすら可愛らしく映ったのだ。メイラー家出身にしては珍しいほどにニルチェニアの腰が低いせいもあっただろう。手を引いて屋敷を案内したリピチアに、ニルチェニアは丁寧に頭を下げて、お手数をおかけしましたとしっかり口にした。この律儀さはあの中佐の妹さんらしいなとリピチアは小さく口元に弧を描き、こんな子が家に本当に来てくれたら――と思ったものだ。妹が出来たみたいで、きっと嬉しくなる。

「リピチアさん」
「はーい。何ですか?」

 待ちに待った夜会。
 ニルチェニアに用意された控え室の中。

 不安げに己の名を呼んだニルチェニアに、リピチアは笑顔で応える。
 侍女に着付けられた深緑のドレス。ジェラルドとお揃いの色を纏わせたのはリピチアの算段だ。まわりも、それが良いと大絶賛だった。雪のように白い髪は同じ深緑のリボンでまとめられて、儚げだけれど優雅な雰囲気を漂わせている。お世辞抜きに綺麗だと思う。その瞳が開いたなら、もっと綺麗だったかもしれないけれど。そう思って、その考えを頭から追い出す。

 夜会だから胸元が広くあいたドレスしかないけれど、それでもいやらしさはない。白い胸元に飾られたのは、白い花を模した首飾りだった。 腰はきゅっとほそくて、その割に胸が豊かだったのを見て、リピチアは人知れず格差社会というものを感じた。
 
 リピチアはさりげなく自分の胸元をみる。そこに広がるのは平原だった。見通しが大変よろしい。ニルチェニアならこうはいかないだろう。

 まあそれは良い。所在なさげに長椅子に腰掛けているニルチェニアの隣に腰掛けて、リピチアはふふ、と微笑んだ。

 ここにいる、ということを知らせるために、白い長手袋に包まれた片手を握る。きゅっと、握った片手を握りしめられた。かわいい。不安なのかな、と思う。きっと不安だろう。

「どうしました? マリッジ・ブルー?」
「いえ……その、ジェラルドさまは、どんな方なのかと」
「あー……そりゃ不安にもなりますよねえ」

 本当に運の悪いことに、この日を迎えるまでジェラルドはニルチェニアを見ることすら叶わなかった。なおかつ、ニルチェニアもあまりジェラルドについてのことを教えられていない。お茶会で何度か話題には出したが、それでも十分に教えられたとは思えない。一方、ジェラルドの方は軍の会議やら何やらで本当に忙しくしていて――くたびれているというか、ギリギリの状態だった。昨日、ようやっと「婚約発表の前日だから」と休みをもぎ取ったジェラルドは、それから死んだように昏々と眠り続けていたのも知っている。流石に可哀想すぎて誰も起こせなかった。
 だから、出会うのが婚約発表の場――という、とても奇妙な事態が起こっている。
 
 ニルチェニアが不安になるのも無理はないだろうなあ、とリピチアは思いながら、「ジェラルド兄様はですねえ」と話し始めた。発表までにはまだ時間があるし、その時間になったら誰かが呼びに来てくれる手はずになっている。
 それなら、しばらく話していても問題ないだろう。

「ジェラルド兄様……うーん、ニルチェニアさんのお兄様から聞いてらっしゃるとは思うのですが、軍人なんですよねえ。それで、あとは……本が好きですね、あんな雰囲気ですけど。あっ、軍人っていうと堅そうですけど、ジェラルド兄様はすごくゆるっとしてますよ。心配になるくらい」
「ゆるっと……?」
「気さくな方です。あと、面倒見も良いですね。たまーに我が儘を言ったり、とんでもないことをしでかすこと以外は親切な普通のおじさんですよ。あ、本人におじさんって言うのは禁句です。結構気にしてますから」
「はい……!」

 いちいち真面目に返してくれるニルチェニアが可愛くて、愛おしい。こんなに素直で良い子なのに、なぜ望まれなかったのだろう。何度かしたお茶会のときも、穏やかでかわいらしさのある女の子だとおもったのに。

「わたし、とても嬉しいです」

 リピチアさんに会えたのも、この家の人に迎えていただいたのも。この目がなかったら叶わなかったことかもしれませんね。

 ちょっと照れたような、はにかんだような表情を浮かべながら、ニルチェニアはじんわりと噛みしめるようにその言葉を紡ぐ。

「――私も、とても嬉しいですよ。ニルチェニアさんみたいな人に会えて。すこし、ジェラルド兄様が羨ましくなるくらい」

 あの人には勿体ないなあ、とからかうように紡げば、ニルチェニアは少し赤くなりながらも首を振った。褒められるとすぐに赤くなるのは、ニルチェニアの可愛い癖だと思う。多分、この子は嘘をつけないタイプだろう。
 
 からかうように述べたけれど、述べた言葉に偽りはない。ただ、素直に言うには――少し照れくさかったから。

 さて、とリピチアは前おいて、自分の腕につけていた時計を見る。もうそろそろ誰かが呼びにくる頃合いかな、とのんびりしていれば、部屋の扉がとんとんと叩かれた。

「ニルチェニア」

 ニルチェニアの姉のような存在である、エリシアの声だ。エリシアには普段からお世話になっているリピチアは、ぴっと背を伸ばして「メイラー少佐!」と部屋の扉を開けた。

「妹の面倒を見てくれてありがとう。――ふふ、すてきね、ニルチェニア」
「全然! 面倒じゃないですし、ニルチェニアさんも少佐も素敵です」
「本当? うれしいわ」

 ニルチェニアは照れて黙りこくってしまったけれど、エリシアはほんにゃりと笑ってニルチェニアの額にキスをした。家族間で行われるそれは、ニルチェニアの緊張をほぐす意図でされたものだろう。目に見えてニルチェニアの身体から力が抜けたのが分かる。
 美人と美人が並ぶと迫力あるなあ、などと見当違いのことを考えながら、リピチアはそれを微笑ましく見ている。
 
「さて、行きましょう? みなさんお待ちかねだから」
「はっ……はい!」
「あんまり、ガチガチにならなくて良いですよー。そこまで緊張するような会でもないですし」

 貴族間の婚約発表といえば、堅苦しいものになりがちだけれど、ウォルター家はそうはならない。普段は真面目ぶって学者やら文官やらをつとめているけれど、元は変わり者の集団だ。みな常識にはとらわれないようなものばかりだから、多分今夜は派手に騒ぐことになるのではないだろうか。

 緊張で足がうまく動かないのか、ニルチェニアは足がもつれたように長いすから立ち上がる。それをエリシアが支えて、発表が行われる大広間へと向かった。
 


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