*雛鳥に給餌
あまり好きな味ではない。そうは思いながらも、ルティカル・メイラーは甘味を口に運ぶ。甘い。
砂糖の入っていない珈琲に口を付けたけれど、舌先にはやはり甘さが残っている。不愉快でないのが唯一の救いだった。
ルティカルの足の間には黙ったままの妹が居て、妹は無言で本を読んでいた。床に茶菓子を置くことも、飲み物を置くことも本来はあまり褒められたものではないけれど、今だけはいいだろう。
妹の細い指がぺらりと頁をめくり、ルティカルは得手ではない茶菓子を口に放り込む。小麦粉とバター、砂糖、それから卵。それらを混ぜ合わせて作ったそれは、ルティカルには甘すぎる。
妹が食べろといったから食べているが――出来ることなら、塩気のあるものが食べたい気もする。
「何を読んでいるんだ?」
「――紳士録」
国内の名士達が載るだけの本がどう楽しいのか分からないが、妹はひどく愉快そうだ。お兄さま、と声をかけられて、ルティカルは小さく返事をする。
「クッキー。下さい」
皿からつまみ上げたそれを妹の口元に持って行けば、妹はそれを器用にくわえた。さくり、と小さな音が部屋に落ちる。
もたれ掛かるようにして胸にかかる妹の体重。あまり重くないそれに何となくどきりとしてから、クッキーの欠片を払った指で髪を撫でた。
「クッキーまみれにしないで下さいね」
「払った」
「……それなら」
拒否されなかったことに驚きながら、ルティカルは妹の髪を撫でる。
ぺらり。また頁がめくられた。
*任せる相手
ぽたりと雫が床に落ちたのを聞いて、少年は何度目かになるため息をつく。彼の姉はいつもこうで、そのたび自分が動いてやらなきゃならなくなる。苦痛ではないけれど、何というか。
「髪の毛乾かせっていつも言ってるだろ、凛音」
「ほっとけば乾くわよ」
「風邪引くって言ってんだよ」
「引かないわよこれくらいで」
風呂上がりの姉は猫のように伸びをしながら、ごろりとその場に転がった。ああもうといつものことのようにため息をついて、悠斗はタオルを手に立ち上がる。つかつかと姉の方まで歩み寄ってから、その黒髪をわしゃわしゃとタオルで拭き始めた。
「なーにすんのよ、もー」
「髪拭いてんだよ」
凛音は眠いのか、もにゃもにゃと呟くばかりだ。悠斗が拭きやすいようにと両膝をたてて座り、おとなしくされるがままになっている。猫みたいな奴だなと悠斗は思った。
んん、とたまに年寄り臭い声を出しながら凛音はうつらうつらと船をこぐ。ここで寝るなよと何度も声をかけたけれど、それは無駄に終わりそうだ。悠斗は何度凛音を背負って寝床まではこんだことか。凛音はそれを知らないのかもしれない。
「背負うのもこたえるんだぞ。重いんだぞ?」
「女の子ひとりも背負えないの……」
「凛音は女の子にカテゴライズされるのか」
「胸はなくても……市民権はあります……」
眠いせいかまともに噛み合わない会話は、時折髪を拭くタオルの音でかき消されたりもするけれど、悠斗はこの空気が嫌いではない。
ドライヤーは加減が分からないし、何より凛音が暑がるから使わないけれど、タオルはおとなしく受け入れる凛音が何だか子供っぽくておかしい。
「凛音さ、俺が彼女作って、こうやって髪の毛乾かさなくなったらどうすんの」
「彼女? んー、もっと髪切るかなあ……坊主って楽よねぇ……」
「坊主はやめとけって」
「彼女かー。彼女が出来たら見せてね。……私が口説き落とすから」
「やめろよ」
やりかねないのがおそろしい。しかも、案外しゃれにならなさそうなのもおそろしい。
そのあともぼそぼそと呟いていた凛音は、悠斗の予想通りに寝てしまう。仕方ないなとおぶった凛音は、いつもより何だか温かかった。
*掲げる杯
「よう!」
真夜中、フクロウも寝静まるような頃に訪ねてきた男は、にこにこと陽気な笑みを携えてラークスの山小屋に滑り込んだ。
閉め出そうとしたラークスの気配を敏感に感じ取ったのだと思う。腹立たしいといつにも増して眉間にしわを寄せた彼に、男――ニックは得意げに持っていた瓶をかかげた。
ぶどう酒か、とラークスは応じる。
年代物だぜ、とニックは返した。
「すげー良いやつが手に入ってさ。一人で飲むのもつまんねえから。オニーサマのとこにでも持って行こうかと」
「……仕方ないな」
今回は許してやる。仏頂面でそういう吸血鬼に、吸血鬼ハンターの男は人懐っこい笑みを浮かべた。
昔と変わらないな、とラークスは思う。
まあ、昔より可愛くなくなったけれど。昔より真面目ではなくなったけれど。昔より“バカ”にはなったけれど。
昔よりずっと優しくなったのではないだろうか。この愚弟は。
自らの兄が背負うモノを知っているから、ニックは不真面目に振る舞うし、自らの欲求に忠実になってみたりもする。
そんな弟はバカだと思うけれど、同時に、ほんの少しありがたい。
お互いに永久ともいえる命を与えられた身でありながら、双子同士で殺し合うなんて御免だね、と吐き捨てたかつての弟を思う。あの頃はお互いに若かったから、少しの切っ掛けで運命通りに動く未来もあったのかもしれないけれど。
二人して“運命”とやらに唾を吐いたのは正解だったのだと思う。
手慣れた仕草でコルクを飛ばした弟を横目で見つつ、ラークスはワイングラスを取ってきた。
たまにこの山小屋には客が来るけれど、このワイングラスをつかうのは弟だけだ。勝手に弟が置いていったワイングラスを、ラークスは律儀に使っている。
屑でも弟に変わりない。むしろ、弟であって良かったとも思っている。本人に言わないのは調子に乗るからだ。
これ以上馬鹿になられても困るし。
「じゃ、オニーサマの仏頂面に乾杯!」
「愚弟の軽い頭に乾杯」
二人して別々の音頭をとりながら、双子の兄弟は杯をかろん、とあわせた。
――特別でない日常に乾杯。
老けていく夜、山小屋の外。
ほう、とフクロウが小さく鳴いた。