血飛沫ボロネーゼ
 無言で店の並ぶ大通りを歩く。空が怪しくなってきた。分厚い雲こそ広がってはいないが、日は遮られたと言っていい。隣にいるのが当たり前な顔をして歩く男には一瞥もくれない。
 暑かったし、曇るのは丁度良いか――とリピチアは自分を納得させて、視界にちらちらと入る黒コートの存在を遮断した。厳密には、遮断しようとしている。あんまりにもうざったいので、それは失敗に終わりそうではあるけれど――こういう奴は構えば調子に乗ることをリピチアはよく知っている。

 せっかくの非番で休日で、片づけなきゃいけない膨大な書類もないというのに。リピチアはもっと厄介なものに絡まれている。

「《ツォッタ》、腹がすかないか。俺が気に入ってるリストランテがこの近くにあるんだが」

 リピチアは無言だ。どんなにムカついても無言だ。リピチアは《ツォッタ》なんていう名前ではないし、隣を歩く男に昼食に誘われるほど親しくない。

 寧ろピザのようにぺしゃんこにしてからどこかの窯で焼き上げた後に、豚の餌にしてやりたいとすら思っている。平たく的確にいうのなら、この手で息の根を止めてやりたい。そう思っている。つまり親しい、親しくない以前に、両者に関係があることすら疎ましい。仲が良くない、なんて可愛らしいものではない。

 ――それをこの男は理解していない。

 否、理解していてもそんなことは関係ないのかもしれない。「勿論、女に金を出させるような真似はしない」と続け、ごく自然にリピチアの腰を抱こうとしたレグルスの腕を、リピチアは不自然に避けた。自然に避けようものなら、ただの偶然かとこの男は都合よく解釈するだろう。そんなわけがないと知っていて、尚。嫌われていることを知った上でちょっかいをかけてくるこの男が、リピチアは世界で一番嫌いかもしれない。

 不自然に避けることで「行くわけ無い」という無言の主張をしたにも関わらず、相手はかなり厄介である。不自然に避ける=つまり存在を感じ取っている、と正しく認識した黒銀の髪の男は、機嫌の良さそうな声でリピチアに話しかけた。

「いい天気だな、心も冴え冴えとする」

 曇りなのに。頭イかれてるんじゃない?

 口には出さない。どうせ少し嬉しそうに口元を緩めるだけだ。それが最高に気持ち悪い。気持ち悪い事柄に“最高”とつけるのが何だか気にくわないが、字面からするなら間違いでは無いはずだ。間違っているのは隣の男の存在だけで。

 冴え冴えとしているらしい隣の男とは裏腹に、リピチアのいらいらは募るばかりだ。現在の空模様はリピチアの心そのまま。悪い方向に傾けば、雨も降るし雷も鳴る。

「なあ、《ツォッタ》」

 無言を貫き通したリピチアの腕を、レグルスが乱暴に掴む。思わず盛大に舌打ちしたリピチアに、レグルスは嗜虐的な笑みを浮かべた。

「休みの日にまで何ですか、《犬っころ》」

 やっとこちらを向いたな、なんて戯れ言は無視をする。そんな恋人めいた台詞はリピチアにかけるべきものではない。レグルスの顔だけにつられてきゃあきゃあ言うような、頭の軽い女に向ければいい言葉だ。
 顔面に唾でも吐きかけてやりたいとは思うけれど、そんなことをするのすらあほらしい。

 “犬の散歩”になんてつき合っていられないんですよ。

 吐き捨てるようにそう言えば、「リードもないしな」と平然と返された。リピチアは本当にこの男がわからない。

「《ツォッタ》、俺につき合え」
「貴方が私とともに豚箱に来てくれるというなら」
「お前が俺とともに豚箱で生を終えるというなら」
「寝言は寝床でどうぞ。犯罪者の貴方と添い遂げるなんてバカなことは言わないで下さい」
「寝床で俺の寝言を聞くなら、俺は喜んでお前と寝床に向かおうか」
「馬鹿は休み休み言うものでしょ? 良いんですか、“ご家族”の方を放っておいて、こんなところで油売ってて」

 裏社会でその名を轟かせる、“巨大な狼《ルポーネファミリー》”。そのボスとして存在する《レグルス・イリチオーネ》。黒銀の髪に鮮やかな青の瞳。甘さと色気、残忍さを孕ませた美貌は、それでもリピチアには何の意味もない。ぶん殴りたいと思ったことは何度か。蹴り飛ばしたことは両手にぎりぎり収まるくらい。もしかしたら収まらないかもしれないが、いちいち覚えるのも腹立たしい。

 ルポーネファミリーの《頭》、ドン・ルポーネとしてマフィア界隈で恐れられているレグルスは、“イル・ルポーネ《大食らい》”なんて二つ名もついているくらいだ。

 ちなみにその由来は「狙った獲物は容赦なく食い尽くす」から。たくさんのマフィアがレグルス率いるルポーネファミリーに壊滅させられて、その傘下に加わったのをリピチアは知っている。
 
「普段から“家族サービス”はしているからな。たまの休みは必要だろう?」
「好き勝手生きておいて何が“休み”なんですか? いつでも休日でしょう? 私たちを仕事に駆り出させることしかしないくせに」

 ルポーネファミリーのムカつくところ。それは、同業者――つまりはマフィア――と、敵対組織――この場合は軍――しか相手にしないことだ。一般人には極めて無害、むしろ有益になることすらある。
 一般には公表されていない事実だが、ルポーネファミリーが“シマ”を取り仕切っているからこそ、この街はヘンな犯罪が少ない。毒には毒を、といえば一番わかりやすいだろうか。

 だから、ルポーネファミリーはしょっちゅう他のマフィアと抗争を繰り広げている。夜中の銃撃戦は大抵ルポーネファミリーが絡んでいるし、軍が介入しなくてはいけないような大規模戦闘に発展するとなると、そこには必ずルポーネファミリーがいた。

 夜中に駆り出される身にもなってほしい。昼間は書類の決裁やその他の雑務に追われ、夜中はマフィアとの戦闘なんてしゃれにならない。睡眠時間も研究時間も満足にとれていない。

「それなら“隊長殿”に休みを下さいと頼めばいいだろう? あの筋肉馬鹿のことだ、部下の為ならすぐ頷くさ」

 レグルスのムカつくところ。それは、ルティカル・メイラー中佐――リピチアの上司を、殊更に嫌っているところだ。いや、ルティカルを嫌っているのはこの際どうでもいい。

 素直な話をするなら、リピチアはルティカルのことを人として尊敬してはいるが、それでも頭の堅い上司に変わりはない。リピチアの趣味である合生成物の生成――それをことあるごとに阻止しようとする上司は、リピチアにとってはなかなかにからかい甲斐のある上司だけれど、あの頭の堅さはいただけない。

 レグルスがルティカルを嫌うのはどうでもいい。だが――だからといって、ルティカルに敢えて戦闘を仕掛けにいくこの男が、リピチアは反吐がでるほど嫌いだった。自分の仕事が増えるから。

 リピチアの所属する小隊は、ルティカルが隊長を務める《ノートリウス隊》だ。ここはいわゆる汚れ仕事を受ける隊だけれど、それは《ノートリウス隊》以外に引き受けられる者たちがいないからだ。

 それはノートリウス隊には独り身しかいないとか、まあ周りから見たらイかれてる人間が多いから捨て駒にはぴったりだとか、そういった理由もあるのかもしれない。

 《ノートリウス隊》に回される“汚れ仕事”の第一位がルポーネファミリーにまつわるあれそれである。

 ルポーネファミリーと別マフィアとの戦闘を鎮めてこいだの、ルポーネファミリーを解体させろだの。ルポーネファミリーが秘密裏に輸入している取扱禁止指定武器のルートを調べてこい、という仕事は、今でもリピチアの中で一番“くそったれ”な仕事にランクインしている。

 思えばあれでリピチアはレグルスに絡まれるようになったのだ。レグルスは前々からリピチアのことを付け狙っていたらしいが、リピチアはそんなことなど知りたくもない。“拷問室”で腕やら足やらを折られ、なおかつ蹴り飛ばされた怨みを忘れてはいないし、そもそもそれだけ暴力的なことをされておいて、そんな男に笑顔でついて行く女がいるだろうか。
 いたとしたら被虐趣味者だ。生憎リピチアはマゾじゃない。

「だからこうして休みを貰ったのにも関わらず、それを台無しにしてるのは貴方ですよねってストレートに言った方が良いですかー?」
「台無しにしていたか? なら、それを帳消しにしよう。ランチだけなんてつまらないことは言わないさ、ディナーもどうだ」
「貴方と食べるランチもディナーも、一流の豚の餌になりさがるでしょうね」

 さっさと放して下さいよ。腕を掴んだままのレグルスの手に容赦なく爪を食い込ませて、リピチアは手を振り払った。
 相変わらずつれないな、とレグルスは楽しそうに微笑んだが、リピチアはちっとも楽しくない。

「休日にまで変なのと関わりたくないので」

 失せろ。

 普段のリピチアらしくなく、ふざけたように崩された敬語もない。翠玉といっても構わないような、澄んだ緑の瞳は研ぎ澄まされてレグルスの青眼を睨みつける。
 
「お前のそういうところが好きだよ、《ツォッタ》。襤褸雑巾のように痛めつけて、地面に額をすり付けさせてやりたくなる。屈服させてやりたくなる」

 うっとりと熱に浮かされたような口振りに、リピチアは思い切り顔をしかめた。前々から変だとは思っていたが、変態だとは思わなかった。嗜虐趣味なら他を当たればいいのだ、彼から与えられる苦痛に喜びを見いだすような、どうしようもない被虐趣味者を。

「私、そういう趣味はありませんから」
「そうか」

 俺はお前にしかそういう欲求は抱かないよ。
 
 どこか睦言めいた響きだが、中身はとんだ変態の性癖暴露だ。顔はいいのに残念だなと他人事を思い、リピチアは気怠そうに口を開く。

「ランチだけなら一緒にいってやっても良いですよ」
「そうか」
「これ以上つきまとわれるのも面倒ですし――ああ、パスタか何か……熱いソースがかけられている食べ物が良いです。服に付いたら染みが消えないような奴が」
「俺とのランチもお前の記憶から消えないようにしてやろうか」
「かってにどうぞ。多分その逆になりますけど」

 きっちり三メートルの距離をたもったまま向かったレグルスおすすめの店。
 リピチアがリクエストしたとおり、そこの看板メニューは熱いソースのかかったボロネーゼ。
 二人してそれを頼み、リピチアは運ばれたボロネーゼを笑顔でレグルスにぶちまけてその場を後にした。

 真っ赤なソースはまるで血飛沫みたいで、そんなソースを頭から被ったレグルスにリピチアはいい気味だと思う。

 ――いつか、ソースじゃなくて本物を。

 憎くて憎くて――つまるところ、殺してやりたいくらいの相手だけれど、休日の真っ昼間から民間人を巻き込んでの戦闘は許されないだろう。だから、リピチアはボロネーゼをレグルスの顔にぶちまけるだけにとどめておいた。
 もしまた夜中に会うことがあったなら――その時は全力で狩りに行くつもりだ。

 泣く子も黙る《イル・ルポーネ》にボロネーゼをぶちまけた女はお前が初めてだと、更にまとわりつかれるようになることを、このときのリピチアが知る由もない。


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