真夜中の落とし物
 満月だ。深い闇色のヴェルヴェットに、淡いレモンイエローの真珠をころりと転がしたような。まん丸なそれは優しくあたりを照らし出し、眠る街道の樹木を淡く光らせている。

 男が一人、そんな街道を歩いていた。満月のおかげで夜道は明るく照らされていたが、そもそも、人が出歩くような時間ではない。日付を越えてから二時間はたっただろうし、草木ですらかさりとも音を立てなかった。
 男が身に纏った、豪奢でありながらどこか神聖な雰囲気を持つ白いコートが、闇に浮いている。かつかつと整備されている石畳を歩み、彼はその長い銀髪を風に揺らした。緩く結われた銀髪は、髪を結っている上等そうな藤色のリボンとリズミカルに踊る。月夜に歩む男のかんばせは、どこかの貴公子かのように美しい。ここが昼間で、人通りの多い道だったら。彼はあまたの女性に囲まれていたことだろう。

「おー、良い夜だ。月見酒もすすむ、と」

 コートから酒瓶を取り出し、瓶に口を付けて呷る姿は貴公子とはほど遠い。この男、知る人ぞ知る屑である――。

 「吸血鬼退治」を生業としていながら、吸血鬼を手に掛けたことはないという前代未聞の“クルースニク《吸血鬼退治人》”。名をニック・ストラーダ。聖職者のはしくれ。
 ……のはずなのだが、酒は飲む、女と遊ぶ、賭博が大好きで現在禁煙中。ちなみに、禁煙をするのはこれが六回目。禁煙に至った理由は“その時遊んでいた女の子に受けが悪かったから”。
 
 ふんふんと鼻歌を歌いながら、ニックは酒瓶を片手に街道を歩く。人気が全くないその道は、普通の人間なら避けて通る道なのだが――生憎、彼は普通ではなかった。
 不気味なほど静まっていても、彼は陽気に鼻歌を歌う。幽霊が出てきても手をつないで踊りかねない勢いだった。

 そんな彼が陽気に夜の道を歩いていれば、視界の端にきらりときらめくモノが一つ。星でも落ちてきたか。そんなロマンティックなことを呟いて、彼は道に落ちていたそれをつまみ上げる。
 紫色の石がはまった、シンプルなプラチナのリング。自分の指には小さすぎるそれを見る限り、間違いなく女物。

「随分古くさいな」

 金属の色が変わっていないのは、それがプラチナだからだろう。けれど、プラチナだというのに指輪の内側も外側も、小さく傷が付いていた。指輪の内側に至っては、何かしがの刻印が打たれているようなのだが――読めない。
 指輪に占める刻印の長さ。その割合からするに、多分、愛の言葉か名前が彫ってある。随分と古いモノに見えた。シンプルではあるけれど、細工の仕方が前時代的だ。今の加工技術なら、もう少しうまく作れるはずだし、その雰囲気がアンティークでもあった。
 彼自身、“もっと古いモノを見たことがある”ので、指輪の作られた年代を推測するのはわけもない。おおよそ、百年と少し前のものだろう。
 誰かの大切なものかもしれないと、彼はそれをコートの内側ポケットに突っ込んだ。会えるかどうかは微妙だが、指輪を捜している女を見つけたら声をかけてみよう。――まあ、夜中じゃ誰も居やしないけれど。

 ――かつん。

「ん?」

 ハイヒールが石畳を叩く音がして、ニックは立ち止まる。
 こんな時間に出歩く女が居るのだろうか。
 にやり、とニックは笑った。久しぶりに“仕事”をする夜になりそうだ。

 蠱惑的な微笑みを浮かべて、クルースニクの青年は振り返る。白いコートの裾が翻って、宵闇に舞った。月光を受ける白は神々しく、闇を払う力を宿しているような、そんな輝きを持っている。
 吸血鬼だったら、心ゆくまで遊んでからその後の対処を決めよう。あの種族の女の子は美人ぞろいでイイよなあ、などと呟いて、自分の背後に立つ女を見た。

「――は?」

 思わず、口にした。

 女が一人立っていた。
 銀と言うには白すぎるから、多分銀髪ではなく白髪なのだろう。菫のような繊細な紫の瞳は、宵闇でも妖しく輝いている。
 魅力的な曲線を描く上半身は、その胸元の豊かさとは裏腹に、扇情的でない淑やかな白に覆われていて、細くくびれた腰から下はふんわりと広がる長い白の布に覆われている。
 真っ白なドレス、白髪にかかる薄いヴェール。

「……花嫁?」

 どこか儚そうな雰囲気の漂う、美しい娘が立っている。
 こんな時間に花嫁衣装で出歩く女性など聞いたことがない。ある意味これも“お仕事”だな、とニックは妙に冷静になってから、花嫁衣装の娘に近寄り、ぎょっとした。

 娘は声こそ出してはいないが――その美しい菫の双眸から流れ落ちるのは涙である。頬の柔らかな曲線を伝い、ふくよかな胸元に落ちる雫は、間違いなく女の武器であるそれ。
 何でいきなり泣いてんだ、とニックは珍しく慌てた。美人の泣き顔を見るのはつらい――というか、女の子には笑っていて欲しいという持論の元に行動しているのがニックという男だ。

「どうしたってんだ、お嬢さん? 花嫁衣装が台無しだぞ」

 流れ落ちる涙を拭おうとした親指が、彼女の頬をすり抜けたところで「あ」と現実に戻る。
 ついいつもの癖でやってしまったが、ニックはこの娘には触れられない。ニックの推測が正しいのなら、この娘はただの亡霊だろう。
 結婚前夜に新郎に逃げられた女の亡霊か何かか、と考えもしたが、それにしてはどこかで聞いたようなテンプレートな亡霊だ。そういう亡霊は大抵、男とわかった時点で見境なく襲ってくるけれど、目の前でぽろぽろと涙を流して、子供のように泣きじゃくる彼女はそれには当たらない。ニックを目の前にしても襲いなどしないし、言っては何だが――これならニックが襲ったと勘違いされても不思議じゃない。

「泣くなって――なにが悲しいんだ? 美人は笑ってた方が良いぞ。“女の武器は涙”なんて言うけどな、笑顔に勝る武器はねえから」

 ニックの言葉にようやく顔を上げた娘は、涙に潤んだ瞳で彼をじっと見つめる。体の発育に反比例して、わりあい幼い表情を見せる娘だ。泣いているせいかもしれないが。
 可愛いなあ、といつものように思ってから、小さな女の子にするように頭を撫でる――ふりをした。

「で、どうした? オニーサンに話してみないか」

 美人の力になれるなら悩み事も大歓迎。懺悔は受け付けないけどな。

 聖職者にあるまじき言葉とともにウィンクを一つ。
 
 ごしごしと白手袋に包まれた手の甲で涙を拭った娘は、必死に口をぱくぱくと動かした。

「声が出ねえのか」

 こくりと頷かれて、んー、とニックも頭をかく。亡霊にも色々居て、触れたり触れなかったり、話せたり話せなかったり――千差万別、生者のアプローチも違ってくる。
 こりゃ困ったな、とさして困ってもいなかったニックは、必死に自分の薬指を指さす娘に、ああ、と納得のいく声を上げる。

「薬指――つまりは婚約! 俺にプロポーズを迫っていると見た!」

 ちがう! と言わんばかりに娘は首を振る。
 重々承知の上だったが、気にせずにニックは口説き始めた。月の綺麗なこんな夜に、亡霊の娘と過ごす夜もなかなか素敵かもしれない。

「月の女神のように美しい貴女は、俺の心をアルテミスの如く射抜いた。――どうか俺に、女神の慈悲を」

 ちがう! と娘はもう一度首を振った。
 そりゃそうだろうなとニックは思う。どこの世界にクルースニクに口説かれて頬を染める亡霊がいるというのか。
 まあおそらく、とニックはコートの内側のポケットに手を突っ込む。ひやりとした金属の輪が指に触れた。

 ――こいつだろうな。

 さっき拾った指輪。彼女の瞳の色は留められていた石にそっくりだし、地金のプラチナは彼女の髪の色に合わせて選ばれたものだろう。
 あまりからかうのも可愛そうかとニックは指輪を取り出そうとして――後ろから振り下ろされた槍を、とっさに出した拳銃で受け止めた。

「んだよ、人が別嬪さんと気持ちよく話してるって時に」
「――か」
「あ?」

 銃身で槍を跳ね返す。彼だから出来る芸当だ。白を基調とした礼服のようなものを身につけた男が、低い声でなにごとかを口にした。
 指輪を取り出そうとしてポケットにいれたままの手を出す。対峙した男も銀髪の持ち主で、目は自分と同じように青い。
 こちらも亡霊の類だろうなと冷静に分析する反面、何故二体もこんな亡霊が一つの場所に存在するのかと考える。
 花嫁の亡霊。そして、おそらく騎士の亡霊。
 
 こういった特殊な存在である亡霊は、排他的というか――自ら以外の存在を、許容しない方向にある。生ける者も死した者も、自らのテリトリーにいることを許さない。
 だから、普通なら花嫁の亡霊がこの場を追われているはずだ。騎士の亡霊はなかなか手強そうで、指輪をなくして泣きじゃくるようなかわいらしい亡霊には手に負えないだろうから。

 仕方ないな、とニックは久しぶりに戦闘態勢をとる。ニックがこんなに真面目に戦闘に向き合うのは何十年ぶりか。下手すると一世紀ぶりかもしれない。ニックがそこまでしなくてはならないほど、この騎士からは禍々しいような、狂おしいほどの怨みや執念が漂っている。
 これだけ強い亡霊が出るのだ、夜中とはいえ街道に人が居ないわけだ。普通、夜中であっても人はいるものである。ごろつきとか、強盗とか、追い剥ぎとか、盗賊とか。

「お前――貴族か」
「見た目はな。中身は自他ともに認める屑だ」

 ぱちん、とウィンクをして放った冗談だが、騎士には受けなかったらしい。真顔のままだ。
 つまんねえの、とため息をついてから、お互いに隙を狙っていた。花嫁の亡霊はといえば、二人をみている。――何だか慌てている様子だけれど、まあこの際良いだろう。

「……妹は、いるか」
「いねえよ。双子の兄がひとり。妹か、欲しかったぜ――って、危ねっ!」

 いない、と口にしたところで騎士は凶悪に笑い、槍を振りかぶる。それを交わしながら、ニックは花嫁に近づいた。近づけば近づくほど、騎士の攻撃は苛烈を増す。

「とんでもねえな……っと、お嬢さん」

 これだろ、とあっさりと花嫁の亡霊の手のひらに指輪を転がし、ニックは彼女から離れようとした。
 ニックの腕すれすれに振るわれた槍が、その途端に止まる。

「……ん?」

 ついさっきまで鬼神の形相でニックを追っていた男が、ニックの前に片膝をついて頭を垂れている。

「……おっ?」
「あ――ありがとうございます!」

 柔らかくて心を擽るような、不思議な声がニックの背後でした。そのとたん、柔らかなものがニックの背中に当たる。ん、と振り返れば、そこには亡霊の花嫁の姿。
 ニックの背中に感極まって抱きつく彼女の薬指には、例の指輪。

 あ、そういうことでしたか、とニックは気の抜けたため息をもらした。
 簡単に言うと、指輪がこの花嫁の亡霊の核なのだろう。
 核とは文字の如く核となるものだから、それがなくては実体化も出来ないし、声を上げるのも無理だったと。

「ありがとうございます――よかった、見つかって」

 ほっとしたように微笑む彼女は、月に祝福を受けたかのように美しい。やっぱ泣いてるよりそっちのがいいな、と笑えば、林檎のように赤くなった。
 騎士の方はといえば、良かったな、と彼女に声をかけていた。先ほどまでの形相はどこへやら、でれっでれのしまりのない顔だ。これでお前を抱きしめられる――などと言い始めるものだから、なんだこいつら恋人かとニックはげっそりした。
 せっかく、口説こうと思っていたのに。

「あ――いえ、恋人ではなく、兄妹です。こちらは私の兄」
「指輪をありがとう。感謝している。――てっきり、君が妹を襲っているのかと。すまなかった」
「襲わねえよ。オトすときは心までオトすのが俺のポリシーだからな」

 じゃあ存分に口説ける、とにんまり笑えば、「既婚者でしたから……」と返された。

「ですよねー」

 花嫁衣装を着ているから、配偶者はいたのだろう。それなら俺の出る幕じゃない、とニックはその場を立ち去ろうとした。

「あ、あのっ、お礼を――」
「あ、じゃあお嬢さんのキスが……」
「俺が許可しない」
「だろうな」

 恋人かと勘ぐるほどシスコン全開だった兄が、そんなことを許すとは思っていない。

「ごめんなさい。それにわたし、接吻で相手の記憶をすべてぬきとってしまうから……」

 嫌な誓いの口付けだと思った。

「――じゃあ、お嬢さんの名前」
「ニルチェニア、です」
「綺麗な名前だ」

 うん、と笑ってから、ニルチェニアの手の甲へキスを落とす。口付けして貰えないならすればいい。手の甲へのキスくらいなら、挨拶の範疇だし問題はないだろう。

「それじゃあな、ニルチェちゃん。それからその兄。――今度会うときは二人きりで!」

 ハートマークを飛ばす勢いでそう言えば、兄からまた鬼神の形相で睨まれる。また槍を振り回されないうちにと、ニックはその場からずらかった。


 月の綺麗な夜である。
  

 


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