バイオレンス童話パロ:アラビアン・ナイト


「ああ?」

 豪華な調度品以外は何一つとして存在していない部屋をのぞき込み、シャハリヤールは舌打ちを一つ。折角、愛しい愛しい恋人の元に来たというのに、部屋として使われている洞窟はもぬけの空だ。あの艶やかな黒髪も、日の光を知らぬような白い肌も、指を這わせれば吸い付くような、滑らかですべすべとした柔らかい身体もない。紫色の瞳は神秘的で、女として魅力的な曲線を持つあの娘のことを、彼はことさらに気に入っていたというのに――。

 ふかふかとした毛足の長い絨毯でも、彼の怒りを受け止めることは出来なさそうだった。

「イイ根性してるな」

 にやり、と獰猛な獣の笑みを浮かべ、シャハリヤールはするりと眼を細める。彼に仕える女官がそれをみたなら、艶やかさに言葉を失ったところだったろうが、生憎ここは彼の寵姫の部屋である。愛しい姫の元に他の女を引き連れてくる男など、演じたくもなかったシャハリヤールは、一人でこの部屋に来たというのに。

 荒々しく開かれたらしい木製の扉は砕けているし、部屋に至るまでの道には何者かの足跡が幾つも残っていた。彼が愛してやまない娘、シェラザードが誰かに連れ去られたのは明白である。そんな命知らずを自らの手で襤褸切れにしてやろうと、シャハリヤールは薬指につけていた指輪を撫でる。ふやりと煙のようなものが漂い、現れたのは指輪の精霊だ。

「主、どうされました」
「見ての通りだ。俺の愛しいお姫様が連れ去られたんだよ」
「――では、その不届き者の元へ?」
「勿論。この手でぼろぼろにしてやりたくてたまらない」
「御意」

 シェラザードが何であるかを知っていてこの洞窟に部屋を作ったというのに、とシャハリヤールはグチグチと精霊にこぼす。「“開けゴマ”なんて呪文は、今時洞窟を守るにしては古いのかもしれませんね」と精霊は肩をすくめた。言外に「開けゴマ、はベタだからやめなさいと言ったでしょ」と告げながら、指輪の精霊は安易な呪文で洞窟の入り口を閉ざしていた主をなじる。うるさいな、とシャハリヤールはぶすくれた。

 「何にせよ産まれてきたことから後悔させてやる」と凶悪な笑みを浮かべた青年は、とても“王子”なんてロマンティックな肩書きを持つようにはみえない。その眼は獲物を狩りにいく猫科の野獣そのものだ。優美さより凶暴さが勝っている。
 愛用の鞭を手に意気揚々と馬を走らせる主を見つめながら、指輪の精霊は感覚を研ぎ澄ませた。
 寵姫シェラザードに何かあれば、主の凶悪な八つ当たりを受けるのは目に見えていたから。


***


 溢れそうになる涙をこらえながら、シェラザードは耐えていた。
 彼女の目の前には四十名ほどの盗賊の男たちが下品な笑みを浮かべているし、その眼差しは彼女に向けられている。
 その盗賊のリーダー格の男に、シェラザードは顎を捕まれていた。舌なめずりをしながらシェラザードの顔を見つめる男には、彼女の恋人にはない凶悪さがある。
 
「ほうら泣け泣け。泣いても美人とはこのことだ!」

 泣け、といわれてここで泣くのは、シェラザードにとって屈辱的だ。泣くのは俺の前だけにして、と艶っぽく囁いた恋人はここにはいないから。
 
(シャハリヤール様――)

 あの凛々しい銀髪に日によく焼けた褐色の肌、苛烈なこの地方の日差しを思わせるような金眼は、見ているこちらが焦がされそうなほど美しいのに。
 今目の前にいるのは、彼とは比べられもしないほど醜い男たちだ。美しい彼女の恋人は彼女を泣かせるのを好んではいたけれど、それと同時に彼女を甘やかすことに幸せを見いだすような青年でもある。
 だから彼の前で泣くのは屈辱的でも何でもなかった。少々変わった趣味を持っているとは思うけれど、それでも彼の愛情表現のひとつではあったのだから。

「なかなかの上玉だと思わないか? 洞窟に閉じこめておくには勿体無い……」

 うっとりと紡ぐ男は彼女の頬に手を滑らせて、その柔らかな肌を楽しんでいる。嫌悪感に瞼を閉じれば、男の手のひらが彼女の纏っていたショールを掴んだ。しゃらり、とシェラザードの身につけていた金のピアスが悲鳴を上げる。するりと取り払われた絹のショールは、床に落ちてのびている。

「っ、何を――」
「女の使い道は一つだろ?」

 にやりと下衆な笑みを浮かべた盗賊の男に、シェラザードは羞恥ではなく怒りで顔を赤く染めた。力のない者を力で組み伏せ、あげく自らの欲望の発散に使うとは――救いようのない。

「シャハリヤール様が……シャハリヤール様がいらっしゃったら……貴方達は地獄を目にしますっ」
「シャハリヤールぅ? ――ああ、あの“凶悪王子”か。なんだお嬢さん、お前あの王子の女か?」
「だったら何だというのですか……!」
「あいつには世話になったよ。血気盛んな若造、なおかつ正義に燃えている――とあって、俺達盗賊も痛い目に遭わされてるんだ。だったら尚更、寵姫を手込めにされたときのあの生意気な若造の顔が楽しみで仕方ねえ!」

 げらげらと品のない大笑いをしはじめた男に、周りの盗賊も笑い出す。両腕を下っ端に捕まれたシェラザードは、先ほど取られたショールで腕を後ろ手に縛られる。さて、と男がシェラザードの胸に手を伸ばせば、シェラザードは尻餅をつきながらも一歩後退した。彼女の恐怖の分だけ震えた胸に、周りの盗賊の目の色が変わる。
 逃げても無駄だぜ――とリーダー格の盗賊が声を漏らした途端、彼女から一番遠い位置にいた盗賊が、五人ほどまとめて吹っ飛んだ。

「逃げ場がないのはお前達の方だよ」

 真夏の太陽にも負けないほどの、ぎらつく金の瞳は怒りに燃えている。振り回したらしい鞭を一度納めて、銀髪の青年はにこやかに笑って片手をあげた。

「俺の愛しいシェラザードは無事かい?」
「シャハリ、シャハリヤールさま……っ」
「ああ良かった。お前に何かあったら俺はどうしたらいいのか分からないからね」

 愛しい恋人に紡ぐそれは、砂糖がたっぷりかかった果物より甘い響きを持っていたのだが、続いて盗賊達にかけられた言葉は、一瞬にして凍るかのような冷たい空気を洞窟に漂わせる。

「よお、薄汚い盗賊ども。俺のお姫様に何してんの? お楽しみのようだったけど」

 一つ一つの単語を口にする度に鞭で盗賊をなぎ払い、助詞を口にするごとに手近な男を蹴り飛ばすシャハリヤールは、誰の目から見ても暴君だろう。
 確実に、しかも迅速に味方を減らしていく、傲慢ともいえる強さの王子を目の前にして、盗賊のリーダー格の男は息をのんだ。四十弱もいた手下が、もはや半数も残っていない。
 だんだんとシェラザードの元に近づく度に、シャハリヤールの顔は厳しくなっていく。シェラザードに優しく微笑みかける一方で、シェラザードに触れたままの男には灼熱の鋭い視線を投げていた。

「で、答えがなかったね? ――お前達は俺の可愛いお姫様に何してたの? その可愛らしい唇から涙声を引き出して良いのは俺だけなんだけど」
「くそっ」
「足掻くなよ、見苦しい。俺の可愛いお姫様の目の前でウジ虫がもがくなんてぞっとするね」

 腰にひっかけていた湾曲刀を手にしたリーダー格の男を、塵でも見るような瞳で蔑み、シャハリヤールは鞭を揮う。リーダー格の男が現状を確認する前に鞭に絡め取られた湾曲刀は、シャハリヤールを背後から狙っていた、別の男の頬を掠めた。ひ、と息をのみ、その場にへなへなと崩れ落ちたその男の顔を蹴り飛ばし、シャハリヤールは悠然と、仲間のいなくなったリーダー格の男に近寄る。

「――“逃げても無駄だぜ”? さァて、生きていることに後悔は出来たかな。今度は生まれたことに後悔をして貰わなきゃね」

 盗賊の男がシェラザードをほっぽり出していたのを良いことに、シャハリヤールはシェラザードを抱き上げる。片手に鞭を持ち、もう片方の手でシェラザードを抱き上げながら、シャハリヤールは見せつけるように口でシェラザードの戒めを解いた。ぱさりと落ちたショールを目にして、シャハリヤールはシェラザードを地に立たせる。下がっておいで、と優しく紡いでから、彼は彼女の頭を撫でた。

「シェラザード、俺にキス」

 言われるがままに短く口づけをしたシェラザードに、シャハリヤールはとろけそうな微笑みを浮かべる。顔を赤くしたシェラザードにお返しと言わんばかりにキスをしてから、呆然としている男に向き直った。

「お前ごときがシェラザードに触れたのかと思うと気が狂いそうだよ。覚悟は出来たね?」

 出来てなくてもやるけど。
 これ以上ないほど妖艶に、これ以上ないほど残酷に微笑んだシャハリヤールは、腰を抜かしてしまったらしい男の前に悠然と仁王立ちをする。

「お前は地面とキスしてろ」

 ガツッ、と鈍い音とともに顎に入った一蹴りは、男の意識を奪うには十分すぎた。地面に勢いよくぶつかった男の頭をさらに踏みつけ、シャハリヤールはシェラザードの手を取る。

「遅くなってすまなかった」
「……いえ、そんな、ことは」

 彼女の温かさを確かめるように腕に抱き、シャハリヤールはぎゅっとシェラザードの腰に手を回す。胸に埋まった黒髪の娘からは、しばらくして嗚咽が漏れ出した。


***

「あ、あの、シャハリヤール、さま……」
「なあに」

 自分の前にシェラザードを乗せ、ご機嫌で馬を走らせるシャハリヤールに、おずおずとシェラザードが口を開く。彼女の美しくくびれた腰には彼のたくましい腕が巻き付いていて、彼女が決して馬から放り出されないようにと配慮されていたのだが、彼女の黒髪をかき分けるようにして肩におかれたシャハリヤールの顔には何の意味があるのか。どうかしたのかい、と腰に響くような美低音を使って耳元で囁くシャハリヤールは、間違いなく確信犯だろう。
 それでもシェラザードはそれに負けずに言葉の先を紡ぐ。“精霊”として、彼女にも譲れないものはあるのだ。

「助けて下さってありがとうございます……あの、お礼にお願いを叶えたくて……」
「なんだ、そんなこと? 別にいいよ」

 君が戻ってくれば俺はそれで。
 ごろごろと猫がなつくようにシェラザードの首筋にシャハリヤールが鼻先を埋めるものだから、シェラザードは思わず小さく悲鳴を上げてしまう。
 よく飼い慣らされた彼の馬は「またいつものが始まった……」と言わんばかりに、慌てる彼女が落ちないようにと走る速度を緩めている。

「で、でもっ……私、これでも“ランプの精霊”なんですからっ……!」
「いいよ。――あ、ほら。さっきのキスじゃだめなの? そう思って頭撫でたんだけどな」

 ランプの精霊にしろ、指輪の精霊にしろ、精霊に願いを叶えて貰うときは“擦る”のが基本だ。
 ランプの精霊であるシェラザードもその例外ではなく、律儀な彼女の性格を把握していたシャハリヤールは先手を打って「お礼」として彼女にキスさせたつもりだったのだが。

「それでは釣り合いません……」
「君に願いを叶えて貰うために俺は君を助けたんじゃないんだよ。シェラザード、君を愛しているから助けたんだけどな」

 それじゃダメかい?
 優しく囁くシャハリヤールに、シェラザードの耳が赤く染まる。

「――まあ、どうしてもお願いをするっていうなら、もう一回キスをお願いしようかな」

 にまっと笑ったシャハリヤールに、真っ赤になったシェラザードが勢いよく後ろを振り向き、触れるだけの口づけをする。
 なんだ、わりとつれないなあ、と笑ったシャハリヤールに、シェラザードがぼそぼそと紡ぐ。

「こ、これはお願いの範疇ではなくて……その、私個人の“お礼”ですからっ……ええと、だから、シャハリヤール様の“お願い”は、その……お部屋に、帰ってから……」
「そうだね。君と久しぶりにゆっくりしたいし」

 ふふ、と幸せそうに笑っているシャハリヤールの顔は、真っ赤になりながら前を向いてしまったシェラザードには見えない。
 凶暴で知られるシャハリヤール王子の幸せそうな顔を知っているのは、さんさんと煌めく太陽だけだ。シェラザードの艶やかな黒髪が、風に吹かれて舞っていた。

 
 


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