*バカに付ける薬
頬に口づけが降ってきた。
紫水晶みたいな瞳が、ゆっくりと遠のいていった。
白い指が、丁寧に自分の頬をなぞっていく。それをぼんやりと見つめながら、ルティカル・メイラーは病室に佇んでいた。体は動かせない。なぜだかわからないが、包帯でぐるぐる巻きにされている。
「――ばかでしょう」
聞き慣れた声がふってきて、ルティカルはやっと、自分の横たわる寝台のそばにいる人間が、誰なのだかを理解した。目に入れても痛くないほど愛している妹だ。
「ばか、でしょう――ルティカルお兄様」
「――ニルチェニア?」
その声がほんの少し、震えている。
ぼんやりした頭で抱き締めようと思って、ルティカルはニルチェニアに手を伸ばそうとしたけれど、やはり体は包帯に巻かれていて、動かせなかった。
何故包帯が巻かれているのか、と働かない頭で考えて、ルティカルは思い至る。
――怪我をしたのだったか。
先日の戦場で、ルティカルは“大怪我”を負っている。龍の血を引き、一般的な人間より体が丈夫だったから“大怪我”ですんでいるが、一般的な人間であったら――生死の境をさまよっていても不思議ではない、とニルチェニアは聞かされている。ルティカルの部下であり、ルティカルの隊の回復担当のリピチアがそう言っていた。
なぜそれほどの大怪我をしたのかと聞けば、ルティカルは部下を庇ってそうなったという。
混戦を極めた戦場で、ルティカルの存在はよく目立つ。
囲まれた部下から敵を引きつけるために、わざわざ派手に躍り出て、背中に銃弾を三つ、腹部に剣での攻撃を受けた。
けれど、人並みはずれた筋肉のせいで、銃弾も貫通はしなかったし、剣もごく浅いところを削ったにすぎなかったらしい。それでも血液をかなり失ったそうだから、こうしてルティカルは厳重に巻かれて寝台に寝かされている。
動けば傷が開くから、とリピチアが過剰に巻き付けたらしい。
「ばか」
「……すまない」
「お兄様のばかっ」
家族家族というわりに、いつだって私に何もいわずに行くんですよね。
無事に帰ってきたからまだ良いですけど、とニルチェニアは不服そうな顔を隠すこともなくルティカルの頬に再び手を滑らせた。
「――貴方がいなくなったら。私は本当に」
「君を一人にはしない!」
がばりと起き上がり、ルティカルはニルチェニアを抱きしめる。ぶちりと音がして、包帯の一部がちぎれ落ちた。
ぎゅうぎゅうというよりぎりぎりと抱きついてくる兄にニルチェニアは悲鳴を上げて、ルティカルはそれに気づいてニルチェニアを手放す。お兄様、と苦しげな声を上げて、宥めるように額に唇を触れさせた。
「――その言葉、違えないでね」
「必ず。もう君を一人には――」
しない、と言い掛けて、眼前の妹の顔が凍り付いたのを感じる。何事かと妹の視線を追いかけて、行き着いたのは自分の腹だ。
包帯が、恐ろしく赤く染まっていた。
「馬鹿! 本当に馬鹿だわお兄様!」
押し倒されるようにニルチェニアに寝台に寝かされ、ニルチェニアはリピチアの名を叫ぶ。
「妹に心配されたくらいで相好崩さないでくださいよー。もう、妹馬鹿につける薬ってないんですかねえ」
あれだけ安静にしろっていったじゃないですか、とリピチアからのあきれた視線を受けながらも、ルティカルは緩む頬を隠しはしなかった。