眠り姫に口づけ



 かみ殺し損ねた欠伸が、間抜けな声になって消えていく。エリシアは壁に掛けた時計を見てから、手の甲で目元を擦る。約束の時間まではまだもう少し余裕があるし、寝ても大丈夫だろうか。
 睡眠不足でぼうっとした顔を見せるよりましかしら、と一人で納得して、エリシアはソファに腰掛けて目を閉じた。
 彼が来る日はいつもこうだ――何だか緊張してしまって、前日の夜は寝るに寝られない。だから、どうしても睡眠が不足してしまう。

 ――30分だけ。

 ゆっくりと夢の中に足を踏み入れ、エリシアは穏やかな寝息を立て始めた。窓から差し込む陽光が、外が良い天気であることを知らせている。
 もらった青いリボンで纏めていた銀の髪が、エリシアの胸に垂れる。微かに胸が上下しているのは、エリシアが深く眠りについているからだ。

 もしここに港町の探偵がいたとしたら――「寝たら起きられないと思うわ」と忠告したことだろうが――ここにその探偵はいない。






 呼び鈴を鳴らしても出てこない恋人に、ハイドは首を傾げる。いつもならすぐに出てくるし、たまに家の裏手の菜園で、育てている植物を見ながら自分を待っていることもあるエリシアだ。呼び鈴を鳴らしても出てこないなど、無いはずなのだが。

 おかしいな、と思いながら先ほど菜園の方も覗いてきたのだけれど、そこには彼女の姿はなかった。
 ただ、心地良さそうに風に身を揺らす草花があっただけで。

 エリシアの家は下手をすると植物園にも見えるほど、植物に溢れていた。それは彼女が草花を愛しているからではなく、彼女が草花によって身を守っているせいだ。

 詳しくは聞かなかったけれど、エリシアには色々なモノを操作する力があり――彼女にとって一番操作しやすいのが植物なのだそうだ。
 彼女はこうして家の周りに植物を溢れさせることで、自分の身を守っている。
 もし、彼女に害を為す者が現れたのなら、美しく咲いているこの赤い花も、血で花弁を赤く濡らすのだろうか。
 
 初めてエリシアの家に来たときの、植物の緊張状態を思い出す。

 植物は動きもしなかったけれど、確かにハイドを警戒していた。それは、ハイドが軍人だったから察することの出来た気配だ。事前に友人のルティカルに「初めて家に訪れる際には気をつけるように」と忠告されていなかったら、ハイドの方もぴりぴりした空気を作っていたかもしれない。

 それほど、植物たちはハイドを敵視していた。まるで、自分たちの主であるエリシアに、ハイドを会わせまいとするかのように。
 たとえば、訪れるのが郵便物を届けにきた青年であったり、花につられてやってくるような少女ならそんなことはなかったのだろう。けれど、ハイドは軍人だ。一般人に比べれば遙かに“鉄臭い”だろう。
 草花はそれを敏感に感じ取ったのだと思う。

 それから考えると、今の自分は植物たちに心を許してもらっているらしい、とハイドは微笑む。
 玄関に続くアーチに絡みつく薔薇は、ハイドが触れても棘を鋭くはしないし、アーチや柵、壁にまで這う蔦も、ハイドを絡め取ろうとはしてこない。たまにちょっかいを出すようにつついてくることはあるけれど、それはそれでなんだか面白い。

 以前、それを見たエリシアが、懐かれちゃいましたね、と笑っていたのを思い出す。
 植物に懐かれるとはどういうことなのかとも思ったが、エリシアを見ていれば何となく分かる。エリシアが触れれば草花は活き活きとし始めるし、何だか嬉しそうにも見えてくるのだ、不思議なことに。

 この家は、この植物たちは、エリシアと共に生きているのだろう。

 遊べよ、と言いたげにつついてくる蔦に苦笑いをこぼしながら、ハイドはもう一度呼び鈴を鳴らす。
 
「……留守か?」

 約束を忘れるようなひとでないことなど知っているから、留守という選択肢はないだろう。
 ふむ、と首を傾げたハイドは、一度ドアノブに手をかけた。当然のことながらそこには鍵がかかっている。
 どうしたものかと悩んだハイドの手のひらに、蔦が絡みついた。

「……っ、おい」

 千切るわけにもいかないからと、指でそれを摘んでほどき始めれば、その細い蔦はドアノブへと延びていく。何だ、と蔦を見つめていれば、蔦はドアノブのすぐ下にある鍵穴へと入り込んでしまった。

 しばらくは何が始まるのかとみていたハイドだが、ふいにかちゃん、と軽い音がしたことに目を丸くした。
 鍵穴から這い出てきた蔦はどこか得意げで、ハイドはまさかと思いながらも「鍵を開けたのか」と声に出してしまう。
 まるで頷くかのように、蔦の先についていた葉が揺れた。

「……お前達、それでいいのか」

 主のかけた鍵を外してしまうようなことで良いのかと、ハイドは植物達にこぼしてしまったが、こういうときだけは「普通の植物」らしく、植物達は動きも伸びもしない。
 早く入れよ、と言わんげに押してくる薔薇の棘が若干鋭くて、ハイドは諦めたようにドアノブを回し、エリシアの家に上がり込む。

 家の中は眠りについているかのように静かだ。騒ぎこそしないが賑やかな菜園とは違って、何も動いてはいない。
 エリシアがどこにいるのかと、ハイドは客間や台所を覗く。
 けれど、二階にあるエリシアの部屋に踏み込むようなことはしない。調べるのは、あくまで鍵のついていない部屋までだ。

 どこを覗いてもいなかったエリシアに、ハイドはため息をつきながらまたも首を傾げ、とりあえずは、と客間に移動する。入り口に背を向けるようにして置いてあるソファに近付いたところで、ハイドは少しだけ目を見開いた。

「覗いただけでは見つからないわけだ」

 ソファに横たわるようにして寝ているのは、ハイドの探し求めていた人物だ。寝ていたせいでソファの背に隠れてしまったのだろう。
 気持ちよさそうに眠っている彼女の、細く開いた唇から、すうすうと小さな寝息が聞こえる。
 微かに上下している胸に垂れた銀の髪の先に、自分が贈った青いリボンが結ばれているのを見て取って、ハイドは口元に手を当てた。
 エリシアが起きていたなら、ハイドの顔がうっすらと赤くなったのをみることができただろう。

 幼子のようにいとけない微笑みを浮かべながら、この家の主は微睡んでいる。
 無防備だなと思ってしまったが、彼女は植物を家の外に溢れさせていたし、鍵もしっかりかけていた。
 ハイドがこうして、警戒心もなく寝ているエリシアを眺める状況におかれたのは、彼女が張り巡らせた植物のせいだ。
 エリシアはこうなるなんて思ってもいなかっただろう。

 ハイドが来るだなんて思っていなかった証拠に、エリシアがいつも身につけている白手袋が、ローテーブルの上に置かれていた。
 赤ん坊のように緩く握られた手のひらは、たしかに肉刺や火傷ばかりで、“美しい”わけではない。けれど、小さな手のひらで一所懸命に働いている証を、ハイドは醜いとは思えない。
 自分のそれに比べれば小さな手のひらを手にとって、ハイドはゆっくりとエリシアの指先に口づけた。

「お休み、エリシア」

 二度、三度とエリシアの銀髪を手で梳けば、エリシアがもぞもぞと身じろぐ。
 着ていたコートをエリシアにかけて、ハイドは頬にもう一つ唇を落とした。
 唇に落としてしまっても良かったけれど――それではきっと、眠り姫を起こしてしまうだろうから。
 


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