ややこしい二人
 やっぱり一日の疲れを癒すのはお風呂以外にありえないですよねー、などと独り言を呟きながら、リピチア・ウォルター少尉は大浴場を独り占めしている。
 というのも、今日は大規模な軍事演習があり、それもリピチアの所属するフロリア軍と、他国のヴィルドア軍の合同演習という非常に面倒なモノだった。少なくともリピチアには面倒で仕方がなかった。気心の知れた仲間とバンバン撃ち合うのすら面倒なのに、よくわからない他国の軍との合同ともなれば、その面倒くささは気心の知れた仲間とのそれとは比べものにならない。
 それでもリピチアの所属している隊はまだましな方だっただろう――色々諸々の縁あって、リピチアの所属する“ノートリウス隊”と組んだヴィルドアの隊は顔見知りのようなものだった。
 ハイド・ウォーデン大佐、にその部下ゲート。
 リピチアにとっては顔見知り以上戦友以下の存在である。他国軍だから戦友には一生なりえそうにもないけれど。

 まあその面倒な軍事演習も終えて、諸々の小隊ひっくるめても一人しかいなかった女軍人であるリピチアは、こうしてゆうゆうと馬鹿でかいフロリア軍の大浴場を使っているわけだ。

「お金無いわけでもないんだし、お風呂作ればいいのにー」

 湯に浸かりながら、んん、と体を伸ばしたリピチアは、何故女湯が作られないのかをまったくしらない。女湯なんて作った日には――リピチアの造る得体の知れない水生動物で湯浴みなんてできなくなることを、上層部はよくわかっていた。

 体の底から温まって、リピチアはザバリと浴槽から出る。ぽたりとたれ落ちる滴を拭い、髪の毛を適当にヘアクリップで纏め上げた。太股に残るかつての怪我の痕をなんとなく見ながら、リピチアは脱衣所へと繋がる磨り硝子の扉を開けて――

「あっ、ゲートさん」

 ぱちぱちと目を瞬かせた。リピチアの目の前には、シャツと下衣だけの顔見知りの青年がいる。恐らく風呂に入ろうとして脱衣途中だったのだろうが――今の時間は女性専用という名のリピチア占有状態である。立て看板見なかったのかなあ、とリピチアは暢気に考えて、顔を赤くしたまま硬直している顔見知り、ゲートに声をかけた。

「今から私出ますから、どーぞごゆっくり」

 腰にしかタオルを纏わせていない、女とは思えぬ落ち着きぶりだが、リピチアの上半身は悲しいことに起伏に乏しかった。別の言い方をするなら男と大して変わらない胸の無さだった。
 それでもリピチアは妙なサービス精神を発揮して、にんまりと笑って見せたのだ――「何なら一緒に入りましょうか?」なんて。

 しかし返ってきた言葉は――

「キャー!」
「はっ?」

 顔を手で覆い、真っ赤になりながらばたばたと脱衣場を出て行くゲートに、リピチアは理解しがたいとぶすくれる。

「何で熊に遭遇したような声上げられなきゃいけないんですかッ」

 花も恥じらう乙女なのに! 寧ろこっちが叫びたいわ!!

 花も恥じらう乙女は、上半身を見られても堂々とはしていられないはずなのだが――リピチア・ウォルター少佐は悲しいことにそういった常識的なことにはとんと疎かった。



***


「――って言うことがありましてですね中佐! これはウォーデン大佐に直々に苦言を申し入れても良いんですよねえ?」

 取りあえず着るものをきたリピチアは、自らの上司の元へと不服そうな顔をしつつも赴き、脱衣場での一幕を無駄に詳細に説明した挙げ句、管を巻くかのように愚痴り始めた。
 ちなみに素面である。酔ったリピチアは普段の何倍も面倒で恐ろしいとはフロリア軍の常識ともなっている。

 リピチアの上司、ルティカル・メイラー中佐は心の底から大きくため息をつくと、「それは災難だったな」と呟いた。

「わあ珍しい! やっぱり中佐もそう思います? うら若き乙女が一糸纏わぬ裸体を見られたのにも関わらず! 相手の男は熊でもみたかのような! 叫び声をあげるなんて! ひどすぎますよねー」
「いや、君じゃなくてゲート君の方が災難だったと――」
「わあやっぱりいつもの中佐だー」

 どいつもこいつも人の体なんだと思ってるんですか、とリピチアがむくれれば、「君の体を見てもなあ」とルティカルが本当に悲しそうな顔をする。

「私一生忘れませんからね、中佐に“貧相……”って哀れまれたの」
「私も一生忘れないよ、君の蹴りの鋭さを。生身の人間が私の肋骨を粉砕したのは多分君が初めてだ」
「わあ嬉しい。中佐の初めて奪っちゃいました」
「……私も君が風呂場にいたら裸足で逃げ出したくもなるが」

 リピチアは以前、ルティカルにも同じようなことをされているが、ルティカルは謝るでもなくリピチアをまじまじと見つめたあとに、残念なものをみる目つきで「貧相……」とだけ呟いたから、リピチアはルティカルを女の敵と判断して、お得意の蹴撃を食らわせた。それは見事にルティカルの肋骨を粉砕し、流石にまずいかとリピチアはその場でルティカルを回復させると、風呂場に放置したことがある。

「君より熊の方がよほど良いよ」
「止めて下さいよ人を熊より面倒みたいに言うの」
「間違ってないだろうに」

 とにかくゲート君に謝ってきたらどうだ、今ならまだ間に合うぞ、と出頭を勧めるような口調だった上司に「今回はまだ蹴ってません」と素直に自己申告すれば、「外交問題にならないようで何よりだな」と心底安心したように返された。

 ――バカ中佐!

 リピチアはそう毒づいたが、この話を別のものが聞いていたとしたら、その人間もルティカルと同じような対応をしただろう。
 リピチア・ウォルター少佐とは、つまりそういう存在なのだ。


***


 翌朝のことだ。
 長きにわたる軍事演習も今日で終わりとのことで、ヴィルドア軍はそうそうに出立の準備をしていたのだが、リピチアはそこでゲートとはち合わせた。
 リピチアはいたっていつもどおりに「あっこんにちはー」と声をかけたあとに、赤くなったゲートを見て昨夜の失礼な行いを思い出す。今の今までさっぱり忘れていたのはこの際気にしない。

「ゲートさんってば昨日何で逃げたんですかっ」

 ひっ、とゲート青年が息をのんだのは見なかったことにした。

「あっ……えっと、あの……その、久しぶりに女性の体……見て……ご、ごめんなさい……あの時は……」

 こいつ茹で蛸なんじゃないかとリピチアが疑惑を抱くほどに赤くなったゲートに、リピチアは「あー……」と曖昧に声を漏らす。恐らくはこれ、純情な青年には刺激の強すぎたというアレではないのだろうか。よくわからないけれど。

「そうですよね、私は異性のなんて見慣れてますけど――軍には女性って少ないですもんね……」

 ゲートとリピチアは偶然にも同じ衛生兵だ。衛生兵なら治療のために異性の体なんてよく目にするものだが、軍人にはそもそも女が少ない。ゲートが見慣れていないと言うのもうなずけた。

「えっ?」

 うんうん、と一人で頷いていたリピチアに、ゲートが素っ頓狂な声を上げる。えっ?とリピチアも素っ頓狂な声を上げて、二人で見つめ合ってしまう。しばし間をおいてから、何かを決心するかのように「で、ですよね……」とゲートが引きつった笑みを浮かべた。

「ほんとに女性の体とか見なくて……その、すみません。俺なんて処理ばっかりですから……」

 どこかしょんぼりしたゲートに、えっ……とリピチアはドン引いた。何の処理だよと突っ込みたかったが、突っ込みをいれて生々しい答えが返ってきてもリピチアにはどうにもできない。男の体の構造は一通り理解はしているものの、風呂場でみたものに影響されてすぐ――なんて生々しくてイヤだ。

「ゲートさんってそういう人だったんですね……」
「えっ?」

 いくら自分が女扱いされない人種とはいえ、男の下ネタについていけるほどのポテンシャルはない。

「いや、だって紛争とか多いですし――回数も増えるでしょ?」
「いや、そこまでは……というか興味ないです」
「えっ?」

 心底変な者を見たような顔で、ゲートがリピチアを見つめる。

「リピチアさんて、わりと冷たかったんすね。――やっぱり、経験豊富だとそうなったりするんすか?」
「経験豊富って――まあ、一般的に見ればそういう道に踏み込むのは早かったですけど――何で今その話に? こういう話をふられて、貴方の望むような対応をする人の方が珍しいと思いますけど」

 リピチアが戦場にたったのは15の頃だっただろうか。しかしそれとゲートの下世話な話と、何の関係があるのか。男の生々しい話を聞かされて喜ぶ女はいないだろう。

「――もう良いです。すみません」

 一方的に話を打ち切って、リピチアはその場を辞した。
 あの生真面目そうなハイド・ウォーデン大佐の部下が、こんなにもあけすけな物言いをする人間だとは思わなかった。リピチアは自分が女であることに特に何かを思ったことはないが、軍人とは言っても男にはそんなことは関係ないのだろうか。
 これは誰かに相談できることでもないなとリピチアはため息をつく。

 ――ほんっと、軍って女性には向かない職場ですよねえ。


***

「ウォルター少佐、見送りは? ゲート君には謝ってきたか」
「中佐……まあ、その、うーん……」

 一瞬話そうかとも考えたが、くだんのゲートの上司はルティカルの友人のハイドだ。あまり耳には入れたくないな、とリピチアは思いとどまった。

「なんだ、煮え切らないな。ゲート君は君と同じ衛生兵だろう? 仲良くしておけ。もっとも、彼は死体処理が多いらしいが」
「そーですね。衛生兵ですね。――ん?」

 処理、ときいてリピチアの頭に閃きが走る。

「あ、そういうことか」

 そこから導き出された結論に、リピチアはため息をついた。

「中佐ー、私の脳内、いつの間にか汚れてました……」
「……今更じゃないのか」

 変な合成生物ばかり造っているから、という上司の小言を聞き流し、リピチアは脳内でゲートとの会話を再生する。
 それから、これはもしかして……と眉間にしわを寄せた。

 ――お互いに勘違いしてないか、これ。

 それもどちらかというと望ましくない方向に。



 リピチアは急いでヴィルドア軍の元へとむかい、ゲートを掴まえて「ちょっと面貸して下さい」とだけ言い放ち、ぎょっとしたハイドをそのままにゲートを連れ去った。
 びくびくとしたゲートにはにっこりとわらい、「とって食わないですから」と逆に不安感を煽る台詞を吐く。

「ゲートさん、多分貴方ものすごく勘違いしてます。それを解きにきました」
「は? ――いやでもリピチアさん」
「多分貴方の頭の中では私が相当爛れた男性関係を持つような人に成っちゃってると思うんですけど! 私の“見慣れてる”は“衛生兵として治療中に異性の体を見ることが多々ある”ってことです!」

 ああ!とゲートが納得した声を上げた。

「な、何だ……リピチアさん凄く奔放な人だと思ってました――ん?」

 どうやらゲートも同じ勘違いに気づいたらしい。

「んなっ! もしかしてリピチアさんも勘違いしてました……よね!? わざわざ戻ってきて誤解を解きにきたってことはそういうことですよね!? 俺の“処理が多い”って死体のことっすよ! 紛争があるから多いからってのは、死体が増えるってことで気が高ぶってとかそういう――」
「ストップ、ゲートさん」

 いやだな私はそんな汚れた発想なんてしませんよ、うら若き乙女なのにとリピチアが空々しく笑えば、「でもあの時の目がもんのすごく酷かったっすよ!?」とゲートが冷たい視線をリピチアに送る。

「あーあーあー、聞こえない聞こえない。ゲートさんは私より年下なので年上の私の言うことはおとなしく聞いておいて下さい終わり!」

 一気に言い終え、「もう未練はないのでどうぞお帰り下さい」とにっこり笑ったリピチアに、「ひでえ!」とゲートが泣き言を言ったが――そもそも、風呂場を間違えたゲートが悪い。
 リピチアはそう納得して、涙目のゲートをヴィルドア軍に送り届けた。

「何があったんだ……」

 そう呟いたウォーデン大佐には、「痴情のもつれです」と適当に返しておく。あながち間違ってないっすけど……とゲートががっくりとうなだれた。



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