旦那様と執事
 どこか浮き世離れした雰囲気の、そろそろと心細そうに歩くその女性をみかけて、おや、と彼は首を傾げた。銀にも見える白の髪、深窓の令嬢をイメージそのままに持ってきたかのような容姿、清楚な服装。
 瞼が閉じられたままの瞳が、見えないものであることを、彼は知っている。
 少し面白いものを見つけた、と、彼はにっこりとほほえんで、“彼女”の方へと近寄っていく。
 彼の記憶に間違いがないのなら、彼女はニルチェニア・メイラーだろう。
 メイラー家でありながら、青でなく菫の瞳を持った、異質の娘。誰の目にも付かないようにとメイラー家に閉じこめられていたのは過去の話だ。
 ――今は、ここ、“ウォルター家”の一員として迎えられている。

 表向きは、ウォルター家の次男であるジェラルド・ウォルターの婚約者、という名目だ。ニルチェニアは確か二十歳を迎えたところ、対するジェラルドは三十六だったか。年齢差はあるかもしれないが、貴族間の婚約にはよくあることだ。何の問題もない――というか、そもそもニルチェニアもジェラルドも結婚する気はないようだから、本当にこのはなしは何の意味も持たない。

 ニルチェニアがウォルター家に迎えられた本当の理由は、ジェラルドが気に入っている後輩のルティカル・メイラーが妹について深く悩んでいたからだ。
 生真面目な顔の眉間に深くしわを刻み込み、執務室でうんうんと唸っていたものだから、ジェラルドは何があったのかとルティカルに訪ねれば、本当に憔悴しきった顔で“妹が家から追い出されそうなんです”と、ため息と共に告げられた。
 ルティカルに妹がいたのも知らなかったジェラルドは、おやと首を傾げてルティカルの青い瞳に「何で?」と聞いていたのを彼は覚えている。彼もその時まで、メイラー家に娘がいたことなど知りもしなかった。それほど厳重に、娘の存在は隠されていたのだ。ルティカルはそれを承知でジェラルドにことの顛末を話した。

 ――メイラー家とは血筋にこだわる貴族の家系であり、彼が仕えるウォルター家とは根本的に家風が違う。ウォルター家は血筋がどうだの、貴族云々にはあまり拘らないような、緩い家風だ。元々が学者の血筋だったそうだから、一風変わった性格のものは多いけれど、その分賢いというか、争い事や血腥いことを好まない穏やかな気質のものが多い。一方のメイラー家は、ウォルター家とはまるで違う。元々が軍人の家系であり、争い事を好む、とまではいかないが厳格で厳しく、何より血に拘る。ウォルター家のものが大体、茶髪に翡翠色の目を持つように、メイラー家は皆が一様に銀髪に青い瞳を持つ。例外なく。寧ろ、メイラー家にいるためには銀髪に青い瞳の持ち主でなければならない。それは、メイラー家に嫁入りする娘であっても当然のことだ。

 ところがくだんの娘、ニルチェニアは青い瞳ではなく、菫のように紫色の瞳を持って産まれてしまったという。それはニルチェニアが常人に比べて人に含まれる色素が遙かに少ない状態で産まれてきてしまったからであり、彼女にもメイラー家の血はしっかりと流れてはいたのだ。銀であるはずの髪はどこか飛び抜けて白く、その肌は透けるようにやっぱり白い。太陽に長いこと当たると赤くなってきてしまうのが何だか、どこか儚い。
 ニルチェニアはそういった理由もあって眼も見えない。厳密には見えるのだが、色素の薄い瞳では、光が入りすぎて眩しいと。だから彼女は瞳をいつも閉じている。見えないのと同義だとルティカルは語っていた。
 ともあれ、そんな理由もあって、ニルチェニアは「メイラー家に産まれながら青の瞳を持たない」ことで、一族間でも爪弾きにされていたらしい。それでもニルチェニアの両親、ルティカルはニルチェニアを愛し、ニルチェニアも兄と両親を愛しながら育ってきた。メイラー家は捨ててこいとうるさかったそうだが、ルティカルがメイラー家の跡取りであること、ルティカルとニルチェニアの父がメイラー家で一番の権力を保持していたことから、しばらくは安寧な日々も続いていたのだ。
 しかしそれも、その父が病死したことで消え去り――再び、ニルチェニアを一族から追い出すことが望まれ始めた。
 莫大な遺産もニルチェニアが追い出されることに一役買っているのだとルティカルは憎々しげに紡いでいた。娘がいなくなれば、そのぶんおこぼれに預かれるだろうと。
 
 どうしたらいいのかまるでわからないと嘆くルティカルに、ジェラルドはあまり考えることもなく「じゃあその子を家に連れてこい」とあっさり言いはなったのだ。
 ルティカルは当然「そんなことまで面倒をみて貰うわけには」と狼狽えたが、ジェラルドは「でもそんなことになってるなら仕方ねェだろ」とあっさりしたものだった。
 
「表向きは婚約者ってことにしてくれれば、俺も無駄に見合いさせられなくてすむし、次男とはいえウォルター家に嫁ぐなら――貴族間の婚約だ、無碍には出来ねェだろ?」

 にっこりと笑うジェラルドは、間違いなくウォルター家の者だった。笑顔で相手を追いつめるのを得意とするのがウォルター家の者だ。ルティカルはそれを承諾することにした。

 ――というわけで、ウォルター家にはメイラー家のニルチェニアが住んでいる。ウォルター家にはたくさんの人間がいるけれども、誰一人としてニルチェニアを疎む者はいなかった。寧ろ、どこか儚いこの娘を構いたがる者ばかりだ。
 その筆頭がジェラルドの従姉妹であるリピチア・ウォルターであり、彼女はルティカルとジェラルドと同じように軍属しているにも関わらず、しょっちゅうウォルター家の本邸に現れてはニルチェニアの面倒をみている。
 ちなみに縁とは不思議なものであり、リピチアの所属する隊はルティカルの隊であり、ルティカルの隊を含め様々な場所を統括するのがジェラルドだ。
 リピチアは少尉として中佐であるルティカルの部下につき、ジェラルドは少将としてその二人の上に立っている。

 リピチアもジェラルドも、軍属している時点でウォルター家の中ではダントツの変わり者ではあったが、社会貢献だからと一族間でも一目おかれている。
 
 そんな二人に構われることの多いニルチェニアだが、今日は珍しく一人だったようだ。
 危ないからあまり一人では出歩かないように、と女中やリピチア、ジェラルドから言いつけられているはずだけれど、と“彼”は笑いながら、ニルチェニアに近づくとその手のひらを取った。
 すべすべとした白い手のひらだ。陶器の人形を思い出す。

 はっとした表情で振り向いたニルチェニアは、やはり瞼がおりたままだ。どんな瞳の色なのだろうと思いながらも、彼は見えない彼女に微笑みかけた。

「どうされたのかな、お嬢さん」
「あ、の、ええと――」
「部屋にいるようにとは言われなかった?」
「あの、少し肌寒くて」

 ふうん、と答えてから、彼はニルチェニアの体をなぞるように見る。ここにジェラルドやリピチアがいたなら、間違いなくぶん殴られているところだけれど、幸い二人ともいない。
 春とは言え、今日は花冷えだ。春用の少し薄目の生地で出来た白いワンピースに紫のストールでは、少し寒いのかもしれない。

「女中に頼めば良かったのに――俺が伝えておきましょう。部屋にどうぞ」

 たまたまタイミング良く近くを通ったメイドを呼び止め、ニルチェニアに羽織らせるものを持ってこさせた彼は、手際よくニルチェニアに厚めのセーターを着させた。
 それから、その手のひらをとってニルチェニアに与えられたはずの部屋へと連行していく。
 これは、彼にとっては仕事のようなものだ。

 ついた場所はジェラルドの執務室で、扉をノックすればやる気のない「勝手に入れー」が聞こえてくる。
 適当に扉を開け、ニルチェニアを先に通し、適当に扉を閉めた彼に、部屋の主が目を丸くした。

「おま、何でここに」
「屋敷内でさまよっていたからね。“婚約者殿”のもとに連れてきたまでだよ、“旦那様”?」
「――あー、全く……」

 お前なあ、と頭をがしがしとかいたジェラルドに、彼はにんまりと笑う。本当なら彼女はこの部屋に入ってはならないはずだから。ここはジェラルドの執務室であり――同時に、“彼”に秘密裏に依頼を回す部屋でもある。

「ジェラルドさん?」
「あー、何でもない。ニルチェニア、部屋に戻ろうか」

 こてりと首を傾げたニルチェニアに、ジェラルドはほんの少し微笑んで、座っていた椅子から立ち上がる。思いの外優しげだったその顔に、おや、と“彼”は目を丸くした。
 彼の知っているジェラルドは、こんな顔などしないのに。

 ニルチェニアの手のひらを、壊れ物でも扱うかのようにそっととり、ジェラルドは部屋を出ていく。“彼”とすれ違ったときに、ジェラルドは彼にしか聞こえないような低い声でそっと囁いた。

「今度つれてきてみろ、お前の手足をバラバラにして沈めてやるからな、“バトラー”」
「――仰せのままに、“旦那様”?」

 鋭く細められた翡翠の瞳は刺さるほどにとげとげしく、それが“彼”――バトラーの知っているジェラルドだ。
 どうやらあの娘に自分のしていることを知られたくないらしい、とバトラーは微笑んで、執事よろしく頭を下げて部屋を辞した二人を見送る。

「――これはいい玩具だね」

 その顔に、歪で整った笑みを乗せながら。
 


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