たとえばの話
 いない。どこにもいない。
 目を離した隙にふらりといなくなってしまった妹を思って、銀髪の青年は珍しく慌て始める。
 この人混みの中、妹を連れてきたのは確実に間違いだった。彼よりずっと背の低い彼の妹は、人混みに簡単にさらわれてしまうような小柄で華奢な体躯の持ち主であったし、何より――目でものを見ることが出来なかった。
 だからこそ、人一倍か弱い妹の白い手のひらをとって、ルティカルは歩いていたというのに。

「くそ……」

 ルティカルの手のひらに、さらりとした生地で出来ている白い手袋が片方握られている。これは妹のニルチェニアが身につけていたもので、人混みに押された拍子に手のひらからすり抜けたものだ。そして、手袋が脱げたから、ニルチェニアは人混みに紛れ込んでしまった。
 ニルチェニアの手のひらと同じくらい小さな手袋は、すっぽりとルティカルの手のひらに収まってしまっている。
 人をかき分けるようにしてルティカルは走り、その長身を生かして辺りを見回す。何しろ、二メートル近くある恵まれた身長だ。こういうときに使わずしていつ使うのか。

 きょろきょろと白髪の妹を探し、早くその手を取ってやりたいと思う。妹は外にでるのが好きで、二人はこうして何度か街の方に遊びに出かけることもあったのだが、今回のようにはぐれることは今までになかった。

「おい」

 必死になって探していたルティカルの背の方から、馴染みのある声が聞こえる。
 ルティカルの記憶が確かなら、懇意にして貰っている、ルティカルの先輩である、ジェラルド・ウォルター少将だろう。三十六歳という若さながら少将という地位にまで上り詰めたその人は、軍には似つかわしくない陽気さと、飄々とした雰囲気を漂わせている。好きなものは女と煙草と酒と賭博、と公言するようなちゃらんぽらんな性格でありながら、その面倒見の良さで部下からは慕われていた。ルティカルもその一人だ。
 ルティカルが振り向けば、珍しく煙草をくわえていないジェラルドが目にはいる。軍指定の深い紺のコートを身に纏っているジェラルドは、どうやら仕事中らしい。この人ごみの酷さは“花祭り”によるものだから、ジェラルドはその警備か何かだろうか、とルティカルは推測する。

「ウォルター少将」
「独りでお出かけか? 寂しい奴だな。女は連れ歩かねェのか? 浮いた噂も聞かねェけど」
「失礼ですが、浮いた噂ばかりの少将よりは」
「はは、まァそりゃそうだ。そのまま真面目なルティカル君でいてくれよ、と」

 落ち着かない様子のルティカルに、ジェラルドはにやにやと笑う。さては人を捜しているんだろうと。ルティカルが素直に妹がいないと告げれば、ジェラルドはにこりと笑って「そう言えばさっき別嬪のご令嬢と知り合ってな」と、後ろに回していた腕を前に持ってきた。ジェラルドに腰を抱かれるようにして引き寄せられ、ルティカルの目の前に引き寄せられたのは、白い髪の娘だ。

「ニルチェニア……!」
「手はしっかりつないどけ。この人混みだ、はぐれちまったら大事だぞ」

 エスコートくらいは身につけておけよ、とジェラルドは綺麗にウィンクをとばし、ニルチェニアの腰をさらに引き寄せた。ぴったりとくっついた体にニルチェニアは困ったような照れたような顔をして、ジェラルドはそんなニルチェニアの頬に口づけを送る。
 少将ッ! とルティカルが怒鳴れば、「エスコートってのはこういうモンなの」と愉しげにジェラルドは笑った。
 ニルチェニアが怖がらないように、ジェラルドは片方だけ手袋の取れた手をそっと取って、ルティカルの手のひらに重ねる。

「ルティ、ジョークはおいておいて、マジで今くらいの距離じゃないとまた見失うぞ」
「……分かっています!」
「おー、それなら上出来だ。妹さんと楽しい休日を」

 じゃあな、と手のひらをふったジェラルドは、「連れてきて下さってありがとうございます」と頭を下げたニルチェニアを撫でる。「お兄ちゃんのいうことはしっかり聞けよ」と優しく笑ってから、ルティカルの耳元でそっと囁いた。

「ニルチェちゃん、俺にくれない?」
「少将ッ!」

 貴方には絶対イヤです! とからかわれたルティカルは怒り、ジェラルドは笑いながら人混みに消えていく。どうかしたんですか、と首をかしげたニルチェニアに、ルティカルは「なんでもない……」とぶっきらぼうに答えるしかなかった。



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