白昼夢の妹
 自分の顔を凝視したまま、無言で立ち尽くした小柄な娘に、彼は首を傾げた。知り合いにでも似ているのだろうか、とその娘の顔を見直して、彼も娘を凝視してしまった。
 知り合いどころか──“家族”にそっくりだ。“家族”となるには青くなくてはいけない双眸は、神秘的なスミレ色に染まっていたし、娘のさらりとした長い髪は、銀を通り越して白い。
 けれど、それさえ抜きにしてしまえば──娘は驚くほど“彼”の“妹”の“イルツェニカ”に似ていた。

「──驚いたな」

 口を開いた彼に、イルツェニカそっくりの娘が体をふるわせた。小柄な娘には自分のこの身長は威圧的だろうか──そう考えて、彼は体を屈める。スミレ色の双眸と同じ程度の位置まで身を屈めれば、娘は何故だか不機嫌そうになった。

「……貴方」
「すまない、妹にそっくりな顔をしていたから。驚かせたね」
「……え?」
「君にそっくりの妹が私にはいてね。イルツェニカというんだが──」

 おや、と彼は娘の反応を見る。
 娘は混乱しているようだった。スミレ色の瞳を細めて、何かを思案している。賢そうな娘だと思った。
 娘が落ち着くまで彼は黙り、イルツェニカそっくりの彼女が口を開くのを待つ。白い髪はさらりと揺れて、一般的な肌よりも透けるように白い肌に影を落とす。
 娘の、桜色の唇がゆっくりと動いた。

「……もしかして貴方は、“ルティカル・メイラー”様では?」
「おや。貴女のようなお嬢さんにも、私の名は知られていたのか」
「“私の知り合い”に、貴方にそっくりなひとがいて」

 にこり、とスミレ色の娘は笑みを浮かべる。ますます似ているなあ、と“ルティカル”は思った。彼の妹は、もっと子供っぽい笑みを浮かべるけれど。
 どこか儚いような、不思議な雰囲気の娘だと思う。白昼夢を見ているような、そんな不安と静かな興奮が揺り動かされるような娘。

「──わたくし、ニルチェニア・ノーネイムと申します」

 ぞわりと背中の毛が逆立った気がした。
 
 ──俺はその名前を聞きたくない。

 “ルティカル”は柔和と評判の、人受けの良い笑みを浮かべた。目の前の、妹そっくりな“ニルチェニア”は、妹とそっくりな顔で、妹とは、全く違う笑みを浮かべている。
 まるで、別世界の彼女を見ているようだった。

「それでは“ルティカル・メイラー”様。──二度とお会いしないことを願って」

 にこりと儚く笑って、ニルチェニアは頭を下げる。白い髪が揺れて、日差しに煌めいた。
 
「じゃあね、“お兄様”」

 彼は彼女を追いかけようとした。けれど、足は棒のように動かない。ニルチェニアはどんどんと彼から離れていく。何度のその名を呼んでも、彼女は振り返りすらしなかった。


 ふと、視界がぼやける。
 視界いっぱいに広がった銀に、彼ははっと息をのんだ。

 ──俺の部屋、だ。

 よく晴れているのだろう、開け放った窓からは日が射し込んで、レースの白いカーテンはふわりふわりと舞っている。四人掛けのソファに横になっていたことにルティカルは気づいて、それから腕の中にある存在にも気がついた。
 銀色の髪の、彼の妹。

 成人を迎えたばかりとはいえ、未だに自分にべったりの妹に苦笑を漏らす。

 ──そうか、二人で午睡を。

 夢の中の妹にそっくりな娘のことなど頭から儚く消えて、彼は腕の中の銀を撫でる。
 ん、と小さな声を漏らして、妹が彼へと擦りよった。



***

「ルティカル兄様」

 幸せそうにとろけた表情で、自分を兄と呼ぶ娘に、ルティカルは目を見開いた。
 妹そっくりの娘だ。食い入るように見つめても、それは見間違えなどではないことを思い知らされる。
 瞳の色と髪の色は違った。
 多分、自分に都合の良い夢なのだろうとルティカルは、思う。

 紫の瞳ではなく青の瞳。白い髪ではなく銀の髪。
 彼の妹である“ニルチェニア”がその色を持って生まれてきていたなら、きっとこの、目の前にいる娘と同じ容姿だったのだろう。そして、離れて暮らすこともなかった。

「ルティカル兄様」

 自らを厭う“ニルチェニア”と同じ声で、ニルチェニアにそっくりな娘は甘く囁く。“ニルチェニア”は、彼にこんな風にして話しかけることなんてないから、これが夢か行き着く場の無かった妄想か──そのどちらかは分からずとも、現実でないことは理解できた。“ニルチェニア”が彼の名を呼ぶときは、だいたい不機嫌そうな色を伴っているか、それとは逆に何の色も乗せない──無関心な声か。
 そういう声を向けられるだけのことをした自覚はあるから、ルティカルは何も言わない。言える資格が自分にはない。
 けれど、こうやって妹に、甘えて貰いたかった部分はある。

 だから夢なのを良いことに、小柄な体を抱き締めた。
 しなやかで柔らかな体は、ルティカルと同じ血が流れていても全く別の物であることを伝えてくる。

 ──ふつうの家族でいたかったんだ。

 くすくすと娘が笑った。

「“イルツェニカ”」
「なあに、ルティカル兄様」

 夢ならば、と呼んだ名に、“イルツェニカ”はやんわりとした声を返す。“妹”はこの名で呼ぶことを許さない。やはり夢かと自虐的に笑って、ルティカルはひっそりとつぶやいた。

「──お前に妹になって貰いたかったんだ」
「──わたしも、“お兄様”がおにいさまだったら、よかったのに」

 きっともう会えないわ。会うこともないでしょう。

 小さく笑ったイルツェニカの頭を、幼かった頃のようにルティカルは撫でる。そっと頬を伝った涙に、どんな意味があったのかは分からない。

「さよなら、わたしのお兄様。──だいすきでした」

 ルティカルの腕をふりほどき、娘はどこかへとかけていく。その背中にかける言葉も見つからず、ルティカルはその場に立ち尽くした。


 ──さ…… ──ゅうさ……

 遠くで妙な声がする。
 どんどんと崩れていく景色に、ルティカルは夢の終わりが近いことを知った。

 ──ああ、この声は。


「中佐ー!」

 ばす、と間抜けな音がして、ルティカルの顔に枕代わりのクッションが跳ね返る。
 何だか妙な夢を見ていたな、と思いながら、ルティカルはクッションのとんだ方向を見た。
 茶の髪に緑の瞳の、女の部下が仁王立ちでたっている。

「中佐ッ! いつまで寝てるんです!? さっきからずっと呼んでましたよ! 帰っちゃいますよ妹さん!」
「ああ、今いく──は? 妹?」
「ニルチェさんですよ! ニールーチェーさーんー!」

 大声で言わずとも、とルティカルはそのうるささに顔をしかめ、妹がやってくるという驚きに慌てた。まず会いに来ることはないのだ、あの妹は。

「何でいきなり……」
「知りませんよ。あ、でも結婚式の話とかじゃないですか〜? きゃっ、彼氏とゴールイン! 乙女の夢ですし!」
「俺は認めん!」
「中佐が認めなくても二人の結婚は法が認めてくれますから」

 からかいながら焦らせてくる部下に、八つ当たりとも言えるような言葉を放てば、部下は冷静な言葉を返してくる。
 ばたばたと、妹の待つ応接間へと向かったルティカルの頭からは、夢のことなどぬけ去っていた。


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