モンスター図書館

「あの、……こんにちは」
「ああ、こんにちは」
柔和な笑みを浮かべ、会釈をする青年に、魔女の少女もぺこりと頭を下げた。 いつもの席なら空いていますよ、という青年の言葉に、少女はほっとしたような笑いを見せる。
「今月末でしたよね?試験、頑張って下さいね」
微力ながら応援させていただきます、と口にして、青年は知性的な翡翠の瞳を柔らかく緩ませた。彼は、この図書館の司書をしている。
この図書館。
一見、普通の図書館であるのだが、実は、普通の、ごく一般的な人間には出入りすることができない図書館なのだ。
この図書館には人以外の――いわゆる『モンスター』達が日頃から集っていた。
『モンスター』と言ってしまえば、狂暴で醜悪、ヒトとは相容れぬ存在と思われがちだが、実を言えばそうでもない。

本は読むし、下らない話に花を咲かせ、感動的な話を聞けば、その瞳に涙も浮かべる。
ただ、ヒトより感情的だから、暴れ始めれば手には負えない。
陽気で暢気でお茶目な生物――それがモンスターだった。
青年の二代ほど前までは、この図書館の司書はモンスターだった。しかし、青年の五代前の司書の“素晴らしい過去の問題”から、よくよく時間をかけまくって見直された結果、青年の二代ほど前の司書から、ヒトがこの図書館の司書を務めることになった。
 少しだけ触れておくと、五代前の司書は――不幸なことに、ヒステリックで本を愛する、年老いた魔女であり、一般的に見てみれば粗雑で乱暴な、モンスター達の本の扱いに激高した結果、利用者をカエルに変化させてしまった、という過去がある。
そのせいか、今でもこの図書館の周りにはカエルが多数出没し、その度に事情を知っている図書館の利用者はその目に涙を浮かべながら――笑い転げるのだった。不謹慎にも。
しかしそれでこそのモンスターなのだ。同族がカエルに変化させられたにも関わらず、魔女を煽り倒して、心労で休養に追い込んだというのも、この図書館において代々の司書に言い伝えられる数多い『注意事項』の一つの例として挙げられているくらいだ。

『誰彼構わず相手にしないこと。怒らないこと。奴等は調子に乗るからな』

青年から数えて三代ほど前の司書、この図書館においての『最後のモンスターの司書』であった、ゴーゴンの女性は苦々しくそう言ったのだという。もっとも、その司書はその司書で、規則を守らなかった利用者をあっさりと石化させたというから――相手にする・しない以前の問題のような気もする。
数多い『司書と利用者の攻防の歴史』を踏まえ、「司書はモンスターじゃないほうが都合が良いのでは」という結論に至った今は、人間が司書を務めている。
「今回こそは、受かりたい……です」
「大丈夫ですよ、魔女さんは頑張っていますから。前回の試験だって、緊張したから失敗しただけじゃないですか。ここでやった時は完璧だったでしょう?あの狼男さんも褒めてらしたんですから」
司書の言葉に、自信無さげに頷く魔女の少女は、今回で三度目の受験となる『魔術試験』を今月末に控えていた。
白粉を叩かなくともうっすらと白い肌に、ほんのりと赤みを加えたようなココア色の髪の魔女は、極端なアガリ症であり、実力はあっても、ここぞという時に発揮できずにいるタイプである。
それ故に二回も試験に落ち、同じ魔女からは『落ちこぼれ』と揶揄されているのだが、少女は腐らずに今もこうして、毎日必死に勉学に励んでいる。
「……頑張ります」
「もう頑張らなくてもいいレベルに達している気はしますけど――備えあればなんとやら、ですしね」
神妙に頷いた魔女の少女に、司書は優しく笑いかけた。
毎日図書館で顔を合わせるからこそ、司書はこの少女が努力をしているのだと知っていたし、少女がなかなか試験に受からないことを嘆いてもいた。

「もっと自信を持って下さいね、今の貴女なら大丈夫ですから」
「……はい」
控えめながらも照れくさそうに微笑んだ少女に、司書も笑って返す。
見つけておいて頂けると嬉しいです――と、先日に控えめな言葉で頼まれていた、魔術関連の書籍を取り出していれば、カウンター越しの魔女の背から、ぬっと大きなものが現れる。
 少女の背の向こうから現れた大きな影は、魔女の少女と司書にはさまれたカウンターの中央に積み重ねられていく、魔術関連の書籍をごそっと持ち上げた。
あ、と魔女の少女が慌てたような声を出し、後ろを見やる。一方で、司書はニッコリと笑って、その大きな影に挨拶をした。
「こんにちは狼男さん。申し訳ないですが、そちらの書籍は既に予約済みで」
「……見りゃわかる」
にこにこと笑い、からかうようにそう言った司書に、狼男は舌打ち混じりに苦々しい声を漏らした。
「良かったですね、魔女さん。狼男さんがいつもの席まで運んで下さるそうですよ」
「え?え――あの」
「魔術関連の書籍は数も多いですし、一冊一冊が重いですからね。確かに女性には運びにくい」
「え、でも……」
「気にすんな、嬢ちゃん」
「狼男さんもこう言っておられますし。いやあ、優しいですねえ、狼男さんは。仕事がなかったら私が運びたいくらいなんですが」
あわあわと慌てる魔女の少女に、司書はとても良い笑顔で言葉を重ねる。
司書が言葉を重ねていけばいくほど、狼男の顔は苦々しくなっていき、司書はそれを見て面白がるようにその手に書籍を追加していった。
魔女の少女はそれを見て、不安と申し訳なさの入り交じった顔でぺこぺこと狼男に頭を下げている。
気にするなと狼男は魔女に声をかける一方で、司書の方をぎろりと睨み付けていた。
「はは、行ってらっしゃい」
司書は、カウンター越しに人のよい笑顔を浮かべながら、ただひたすらに慌てていた魔女の少女に手を振り、狼男にはにやりとある種“別の笑み”を浮かべて、魔女の少女の後ろについていく狼男を見送った。
司書が浮かべた笑みが気にくわなかったらしい狼男が、チッと舌を打ったのだが、司書は笑顔でそれを無視した。
「大人しそうな娘に恐い顔のおじさんだもんな……」
 狼男は何と言うか――見た目だけで言うのなら「簀巻きにして海に沈める系」の中年男性であり、黒いスーツに胸元の開いた暗い臙脂色のシャツ、ごつごつした金色の指輪など――明らかに「そっち系」で。
 対する魔女の少女はいかにもといった良家の子女風だから、見方を変えれば十分に危ない光景だった。
 外見はどう見ても怖くて厳しそうな――否、怖くて付き合うのはご遠慮願いたい系列ではあるが、そう見えて実は面倒見がよいのも狼男だった。
 時たま図書館に訪れては騒動を起こしていく、サキュバスとインキュバスの幼い双子の面倒も良く見ている。司書は狼男にサキュバスの少女が肩車されていたのをばっちり目撃していた。
 過去に魔女の少女から「狼男さんからミルクティーを貰った」と涙目で相談を受けたこともある。
 これをタネに、満月の夜に食われてしまうのではないかと危惧していたらしい少女には、「ただの純粋な厚意ですよ」と司書はにっこりと笑って返したのを覚えている。
 ミルクティーと引き換えにお前の命をくれ、なんて随分けちな人狼というか――顔が怖いだけで純粋な厚意も疑われてしまうのだから、何とも言えずに不憫だ。
「ああら司書さん……今日もとぉっても美味しそう……ご機嫌いかがかしら……?」
 ぼんやりとしていた司書の目の前に、かしゃかしゃと音を立てながら、絹のように白い髪のアルケニーがやってくる。
 上半身は豊満で美しい女性の体なのに対し、下半身は毒虫のようにおどろおどろしい紫をした、蜘蛛の体のモンスターだ。
 色っぽく体をくねらせて近づいてきた、上半身だけは美女のモンスターは、絹よりも滑らかなその白い手を司書の頬に滑らせると、ほう、と熱っぽいため息をつく。
「ああ、その蜂蜜のような金髪……ミントのような瞳……なんて美しいの……美味しそうだわぁ……」
「何を言っているのですかアルケニーさん。私より貴女の方がお美しい――そのしなやかで細いおみ足、美しい髪、すべらかな手――かの女神は貴女の美しさに嫉妬して、機織勝負に無理やり勝ち負けをつけたのでしょう」
蕩けるような笑みを浮かべる演技をしながら、司書もアルケニーの方へと手を伸ばした。
 絹のように白い、艶やかで長い髪を愛しいといわんばかりにゆっくりと撫でれば、アルケニーの頬がふんわりと赤く上気した。
 
「貴女のような美しい方の血となり肉と成れるのなら、私の命など惜しくはないのです――」
 ですが、と司書の青年は悩ましげなため息をつき、アルケニーの白い両手をさらうように、両手でアルケニーのそれを掴んだ。
 アルケニーの瞳に、司書の緑色の瞳が映る。
 アルケニーが、はっと息を呑んだ。
 司書はそれを見計らったかのように、舞台役者のようにつらつらと言葉を並べていく。
「貴方の血と成り肉と成ってしまっては、貴女のその美しい姿をこの双眸に映すこともままならなくなってしまいます」 
 それは私にとってこれ以上ない苦痛――と、熱っぽく司書が語ったところで、アルケニーは苺よりも顔を赤くし、ぱっと司書から離れてしまった。
 
「……そこまでいうなら、今日は見逃してあげるわぁ」
 来た時よりは脚の動きはぎこちなく、ともすれば絡んでしまいそうな足の運びではあったが、アルケニーはそのぷっくりとした蜘蛛の下半身を、左右に揺らしながら恋愛小説の棚のほうへと歩いていった。
 後姿に紫芋を重ねてしまった司書は、今日の夕ご飯はスイートポテトにでもするか――と、きわめて適当なことを考えていた。
「相変わらずいい性格してやがるな、お前」
「おや。もう宜しかったので?」
「どういう意味だ」
 不機嫌そのものの顔で戻ってきた狼男に、青年はにっこりと笑って「そういう意味です」と答える。
 図書館に良く響くように舌打ちをした狼男に、司書は人差し指を立てた。
「館内にはお静かに、ですよ」
「さっきまで三流メロドラマを演じてた三文役者がなにを言ってやがる」
 は、と鼻で笑った狼男に、「主演男優賞ものの演技だと思ったんですけどねえ」と青年はのんびりと返した。
 
 穏やかでおっとりとした、悪く言うととろそうで鈍そうなイメージを持たれる、この人間の青年は、実を言えば小賢しい。
 そうでもなければ個性派揃いのモンスターに囲まれたまま、この図書館の司書なんて出来やしない。
 この図書館の司書である、ということは、――つまりそういうことである。
「芸は身を助けるというでしょう?私の演技力で彼女に食われることを回避し続けているだけですよ」
「ひねくれ曲がった根性で、これからも捕食を免れてくれよ、せいぜいな」
「言われなくとも」
 ふふん、と笑った司書に、狼男はまた一つ舌を打った。
 モンスターであろうと人であろうと――【図書館】という空間においては、「司書」に逆らえるものなどいないのだ。



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