うさ幼女、狼青年

勿忘草色の空に、薄い綿のような雲が浮かんでいる。
森の木々は青々とした、瑞々しい葉を衣のように纏う。葉の間から顔を覗かせる、丸々と膨らんだ蕾は柔らかに内側から押し開き、その丸く若草色の珠を綻ばせようとしていた。
ひらひらと舞踊る白い蝶の中に、タンポポのような色をした蝶が混ざる。
長く寒い冬が終わり、雪解け水も温みはじめる頃。
柔らかな日差しを浴びながら、一匹の子うさぎが野を駆けていた。
真っ白な、長くふんわりとした毛に覆われた耳をぴんと立て、金色のふわふわとした巻き毛を揺らし、跳ねるようにうさぎの少女はかけていく。
白いワンピースの裾は蝶のようにひらりひらりとはためいて、柔らかそうな少女の白い足を、時折のぞかせていた。
「あっ」
何かにつまづいたのか、それとも足がもつれたのか――うさぎの少女はあっという間に地面に伏した。
絨毯のような若草の中では、うさぎの少女の金色の巻き毛はタンポポの花を思わせる。
タンポポの綿毛のような、丸くふかふかとした尻尾が、ワンピースの上で小さく揺れていた。
うさぎの少女は立ち上がらない。
少女の頭上を、白い蝶が数匹舞っていたが、少女は地に伏せたまま動かなかった。
「……だからあれほど走るなと言っただろう」
転んで倒れた少女の傍らに膝をつき、ふわふわとした金色の巻き毛にそっと手をのせたのは、目付きの鋭い狼の青年だった。
花を育てる豊かな大地のような、濃い茶の髪に、雨を恵む雨雲のようなブルーグレイの瞳。引き締まった筋肉が見てとれる肌は、浅黒く逞しい。
狼が近くにいるのだというのに、うさぎの少女は逃げようとしなかったし、うさぎの少女が無防備に倒れているというのに、狼の青年はその柔らかそうな首筋に牙を突き立てることもなかった。
「お前は走り出すと必ず転ぶだろう――いい加減に学べ。理解しろ。走るな、危ない」
「だって……わたしうさぎだもの、走るの楽しいんだもん……」
「うさぎだから、というのは理由にならない。走るのは楽しいかもしれないが、転ぶのまで楽しいか?」
「……たのしくない」
「じゃあ走るな。少なくとも、俺が駄目だといったら止まれ」
呆れたように疲れた顔で諭した青年に、うさぎの少女が元気よく声を返す。
返事こそ立派だが、またやるのだろう、と狼の青年にはすぐに想像が出来た。
なにしろ、この会話は五回目なのだから。
それだけ転んでも懲りない少女には何を言っても無駄なのだろうが、青年は言わずにはいられなかった。
 早く立て、と促した狼の青年のブルーグレイの瞳を、うさぎの少女が上目遣いにじっと見つめる。
 よく熟れた果実のような綺麗な赤い瞳が、狼のブルーグレイのそれに映り込む。
 ふわふわとした巻き毛の上で、ひょこひょこと白い耳が動いていた。
 何かを期待するかのようにそわそわと耳は揺れている。
 その耳に噛り付きたくなる欲求を押し殺して、狼の青年は一言、「何だ」とだけ問うた。
「えっとね、いつものあれやってほしいなぁ、って……」
「……面倒だ。一人で立てるだろう」
 花のつぼみが綻ぶよりも緩く笑ったうさぎの少女に、狼の青年は不機嫌そのもの――といった表情でそれを切り捨てる。
 うさぎの少女は、地に伏せたまま、不服そうに頬を膨らませた。
「どうしてもだめ?」
「面倒だと言っている」
「ほんとに?」
「……」
 うるうるとした赤い瞳でじっとみつめてきたうさぎから、狼が目をそらす。
 ねえねえ、とうさぎは期待の眼差しで狼の服の裾をつんつんと引っ張った。
 寝転びながらもぽやぽやと暢気に笑って、己の服の裾を引っ張っているうさぎの少女に、狼はため息をついて、くしゃりと自分の大地の色の髪を片手でかきあげる。
 なんだかんだと言いつつ、このうさぎに甘いのは、狼の青年自身が良く知るところだ。
 
「……今回だけだ」
そう言って狼の青年は、うさぎの少女を抱き上げると、肩に担ぎ上げた。
うさぎの少女は狼の青年の頭を跨ぐようにしてから、右肩から右足を、左肩から左足を垂らす。青年に肩車をして貰った少女は、満足げに笑うと、青年の頭にぎゅっと抱きつく。
 濃く、落ち着いた色合いの茶の髪に、きらきらとした金色の巻き毛がふんわりと混じる。
「お兄さんだいすき!」
「……まったく」
青年はうんざりだと言わんばかりに低く呟く。
 声のわりには狼の青年の顔は、穏やかに緩んでいるのだか――それを知っているのは、いつだって勿忘草色の空だけだ。
 今日も、春の日差しは暖かい。

***

「何時まで寝る気だ……」
ふわふわとした、タンポポのように明るい金の巻き毛を撫でながら、狼の青年はぼそりと呟く。
うさぎの少女は幸せそうにゆるんだ顔をして、穏やかな寝息を立てている。
彼女が枕にしていたのは、他でもない狼の青年の尾だ。
その青年の尾を抱きしめるようにして眠る少女は、時折もぞもぞと動くだけで、狼の青年が頭を撫でても目を醒ましはしなかった。
うさぎの毛に比べれば、狼の毛は硬く、ふんわりともしていないのだが、なぜかそのうさぎの少女は狼の青年の尾を気に入っていた。
昼寝だろうとなんだろうと、寝るときはいつだって狼の青年に擦り寄って、尾を抱き込んで寝てしまう。
狼の青年が動けなくなってしまうのも毎度のことだった。
無理矢理にでも動いて仕舞えば良いのかもしれないが、ふやけた顔で幸せそうに眠る少女を起こしてしまうのは、狼の青年には何故だか気が引ける。
毎回不機嫌そうに舌打ちをしては、黙って頭を撫でてやるのも、やはり毎度のことだった。
「んふふ」
「……」
頭を撫でるたびにへにゃりとした笑みを見せて、うさぎの少女は満足そうに上機嫌な声を出した。

いつか喰ってやろう、そう思って拾ってきた『非常食』なのに、その『非常食』に振り回されている気がしてならない。
こんなはずではなかったのに、と狼の青年がため息をついたところで、じわりと自分を満たしていく正体不明のむず痒さには、歯止めはかからなかった。
最近では森で兎を狩ることにも躊躇いを覚えてしまう。
自分は誇り高き狼であったはずなのに、最近の獲物は専ら、鹿や栗鼠、小型の肉食獣ばかりで、この少女と出会ってからは確実に兎を仕留められていない。
馬鹿みたいに無防備な寝顔で、疑うこともせずに己の尾にしがみつくうさぎの少女を、狼の青年はじっと見つめた。
この少女を今ここで、跡形もなく喰い尽くしたなら、あの柔らかそうな白い膚に鋭い牙を突き立てたなら――
そこまで考えて、狼の青年はその思考を打ち払った。
あどけなさを全開にして眠るうさぎの少女は、柔らかそうではあるものの、まだ『食べ頃』ではないだろう。
――喰うのはもう少し旨そうになってからでもいい。
暢気に寝こける少女の鼻を摘まんで、狼の青年はうさぎの少女を起こさないようにして、自分もその隣に横たわった。
今までには感じたことのなかった、じりじりと身を焦がすような甘い気持ちには蓋をして。


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