ワンダリング・ライフ 1−14
 そんな和やかな空気の中、姿を現したのは一人の女性だ。
 燃えるような赤い短髪を風に揺らし、動きやすそうな――少々大胆な露出のある軽装に身を包んでいる。
 出るところは出て、引っ込むところはひっこんでいる女性的な体型とは裏腹に、来ているそれは勇ましい海賊のようだった。シャツの胸元がこれでもか、といわんばかりに開かれているが――凛音の見立てでは、セクシーさのアピールというより、ただ単にボタンがしまらなかっただけ、といったような、ある種の雑さを感じる。

「緊迫感も何もあったもんじゃないねェ」
「あ? ……おう、ミシアじゃねえか。足はどうだ?」
「フィリアのお陰ですっかり良くなったよ。んで、クラド殿にリリー様、そしてそっちのお嬢ちゃん――にフィリアはなんで戦場のど真ん中で立ち話なんかしてんだい?」
「成り行き上って奴だな」

 呆れた顔をした“ミシア”に、誰この人、と凛音は顔色を変えずに思う。
 それに気付いたのか、それともたまたまなのか、妙にさばさばした口調の女性は、凛音の顔を覗き込んでにかりと笑った。花で例えるならひまわりとか、そのあたりだろう。

「あたしはただの一般兵だよ、お嬢ちゃん。ミシアって言うんだけどね――あんた、もしかして“リンネ”かい?」

 凛音は頷くことでそれを肯定した。へええ、ほお、と興味深そうに凛音の顔を見つめ、頷くミシアはなんだか楽しそうだ。そんな場合じゃないと思うのだけど、と凛音が口にすれば、ヴェイン殿なら大丈夫だよとミシアは快活に笑う。

「異世界から来たんだってね? ――そういえば、さっき弟さんのほうに会ったよ」
「あ」

 頭からすっかり抜け落ちていた存在に、凛音はさっと表情を変える。違和を感じてはいたのだが、その原因が何だったのかは今の今まで分からなかった。そう、悠斗がいなかったのだ。
 やはり私も混乱していたのね──、と妙に冷静になった凛音の近くには、凛音の視界には──弟の悠斗の姿はない。
 けれど、悠斗を任せたはずのフィリアはここにいるのだ──おかしい。
 どういうこと、と凛音がフィリアに詰め寄れば、フィリアはミシアのほうへと視線を向ける。

「ミシア、ユウト君は? 私、ヴェインたちを追いかけるときに貴方に託したのだけれど」
「うん。その後にこっちで|お嬢ちゃん《リンネ》とリリー様が交戦中だからって、フィリアに伝えに行こうとして、連絡を寄越した兵士にユウトを託したよ」
「ふうん? で、ミシアさんとフィリアさん――肝心の、悠斗は?」

 女性二人が顔を見合わせる。
 同時に凛音の方へと振り返り、「分からない」と口にした。

「あ、あのねえ……! 護ってくれるって言うから託したのよ!? ねえ! 人の弟を何だと思ってるの――っていうか、情報の伝達が雑すぎるわ!」

 たった今、目の前で行われたあんまりな状況報告に、凛音が思い切り怒鳴る。
 クラドがほんの少し驚いたような顔をし、リリーがおろおろとうろたえた。
 護ると宣言しておいて、その保護対象が行方不明など――あんまりに雑だ。雑すぎる。
 服装から感じた雑さは、あながち外れてもいなかったらしい。

「あ、あの、リンネさん――」
「ほんとに! ほんっとに、人の弟を行方不明にさせちゃってくれちゃってどうするおつもり!?」
「あ、あの、」

 控えめなリリーの制止は凛音には届かず、ミシアとフィリアは凛音の剣幕に驚きながらも、頭を下げている。
 クラドだけが気遣わしげにちらちらと周りの気配を探っていたが、凛音はそれすら気がつかなかった。

「おい、リンネ、お前の気持ちは良く分かるし、確かにこっちがいい加減だったのは認めるけどよ――少し黙れ」
「はあ?」

 思わず「怖え顔……」と呟いたクラドに、凛音が眉を吊り上げる。

「こっちは右も左も分からない戦場で弟が行方不明になってんのよ。わかる?」
「いや、それは分かってるし申し訳ないんだ、け、ど、よ……」
「何よ」

 不自然に途切れるクラドの声に、凛音は後ろを振り返り――叫んだ。


 ヌラリとした、顔のない待ち針のような黒い身体。その全身をズタズタに引き裂かれ、触手も半分以上が醜く引きちぎれた“それ”。
 コールタールのようなネトネトとした黒い液体を、全身から噴出させている“屍の王”がそこにいた。
 
「だから黙れって言ったんだよ…… 戻って来ちまったじゃねえか」
「説明不足よ、私の言葉がうるさいから黙れっての言ったようにしか聞こえなかったもの」
「実際その通り──ってのはおいとくか。リリー、やれるか?」

 振り返ったクラドに、リリーは小さく頷く。凛音の声に引き寄せられた屍の王を追って、ヴェインが走ってくるのが分かる。銀色の刃は相変わらず、鋭い光を返し続けていた。
 リリーが手に短刀を持ち、手負いの王に近づいていく。きらりと短刀が夕日にきらめき、橙色の光をその刀身に灯し──


「この野郎──ッ!」

 凛音には馴染みの深い声。その雄叫びとともに、待ち針のような頭に、深く“刀”が突き刺さった。短刀よりも遥かに殺傷力のある、長い剣。
 深く刺さった刀に突き破られるようにして、黒い頭が破裂する。ネトネトとした、粘着質な黒い液体が、あたりに飛び散った。
 ひくひくと暫く痙攣していた体が、やがてピクリとも動かなくなり──

「ユウト……お前最悪だよ……」

 黒い液体を全身に浴び、夕日の中で肩を震わせながら振り返る悠斗を、クラドが呆然として見つめた。

「どうしましょ……ユウトくん、あなた“屍の王”を──」

 フィリアまでもが呆然と呟く。その言葉に、リリーの顔が青ざめた。
 悠斗の足下に転がる、黒いそれは、とうにこと切れている。
 それが意味することを察した全員の頬を、血腥い風が撫でていった。





*


「くっそぉ……」

 悠斗の遥か後ろから、「止まってください!」と静止を呼びかける兵士の言葉には耳も貸さず、悠斗は戦場を駆け抜けていた。
 現在の状況をざっと頭の中で整理する。
 
「俺と凛音が別れて――俺はフィリアさんと戦場に――で、戻るように言われて――ミシア、って人と本拠地に戻るところで――」

“屍の王と戦闘中ですッ!”

 一つ一つを口に出していけば、生まれるのは安心感ではなく焦燥だ。
 最後に耳に残った兵士の言葉が、悠斗の頭の中で跳ねては消えていく。
 その後に頭の中に現れるのは、いつだって無茶ばかりする姉の笑顔だ。
 姉の無茶は往々にして成功することが多かったけれど、今回ばかりはそうもいかないだろう。双子だから、とか、そういう安易な理由ではなく、悠斗の中には漠然とした――けれど、確実な不安があった。
 あの姉のことは、悠斗が一番良く知っている。きっとまた、突拍子も無い無茶をしている。
 例えば、逃げずに周りの治療をし続けるだとか、腹をくくって敵の前に姿を現しているだとか。


 もし。もし万が一、姉に何かがあったとしたら――姉の身に、“何か”があったとしたら――。

 ――俺はどうすればいい?

 答えは出てこない。
 昔から、ずっと傍にいた彼の“双子の片割れ”。
 あの、小憎たらしくて人をからかうような笑顔。悪戯好きな性格、ずる賢い頭脳。
 ああ見えて実は繊細で、|自分《悠斗》のことを気遣ってくれるのも知っている。

 前に進むのが凛音なら、その背中を護るのは――彼女の背中を護るのは、悠斗しかいない。
 悠斗が護ってくれると知っているから、悠斗に道を拓こうとするから、凛音は前へと突き進む。

 だったら。

 ――だったら、“何か”なんて起こさせやしない。

 ぎりりと歯を食いしばり、悠斗は風のように戦場を走る。すれ違うエリュシオン兵の目つきが、死神を見るようなものであったことを、悠斗は知らない。
 彼の切れ長の瞳に、復讐を誓う騎士の如き覇気があったことも、その足元から、不穏なオーラが漂っていたことも、彼は気付かなかったからだ。



 鬼神の如き形相で駆け抜ける少年の耳に、よく知った少女の悲鳴が聞こえたのは、それからすぐのこと。
 心臓を鷲掴みにされたような衝撃だった。
 姉の叫びは、真っ直ぐに悠斗へと届く。
 悠斗は背中を冷たい手で撫でられたような 、嫌な感覚を覚えながらも、わき目もふらず、ただ声のする方へと走る。
 悠斗が目にしたのは、見知った悪魔と魔女が数人と、得体の知れない化け物を見て、絶叫を上げた姉の姿だ。
 その姉の着ている法衣の片口は破れ、紫紺に染められたそれは赤黒い染みができている。
 姉の頬に張り付いていた赤い“それ”も、悠斗の目にはよく見えていた。

──アレが凛音を!

 怒りに我を忘れていた悠斗には、そこから先のことは、スローモーションのようで。
 
 腰のベルトに付けた鞘に収まっていた刀を取り出したのは、ほぼ一瞬だ。ゆっくりと止まっていくような世界の中でも、その行動を起こすのは速かった。
 取り出した刀に力を込めれば、刀に魔力が宿るのを感じる。まるで体力を奪われているのでは、と思うほど体は怠くなったが、悠斗にはそんなものはどうでもよかった。
 自分のコントロールが利く範囲。そこまで距離を詰めて、悠斗は腹の底から怒りの叫びをあげる。
 刀を槍のように持ち、持った腕を後ろへと引く。

「この野郎──ッ!」

 叫びとともにねらいを定め、黒い待ち針のような頭にそれを投げつければ、刀の進行方向にあった触手はちぎれ飛び、凛音に延ばされようとしていたそれらはボトボトと地に落ちる。一瞬の間もなく走り抜けた刀は、真っ黒な頭へと突き刺さり──

 それは水風船が弾けるように、黒く粘着性のある液体をまき散らしながら、破裂した。
 からん、と音を立てることもなく、刀が地に落ち、それがぴくりとも動かなくなったのを悠斗は見届ける。
 全速力で走ったのと、刀に魔力を吸い取られたのと──二つの疲労で肩を震わせていれば、呆然としたような呟きが二つほど耳をかすめた。
 なんと言っていたのはわからない。悠斗自身の荒い息遣いで聞こえやしなかった。
 けれど、クラドとフィリアが呆然とし、ヴェインとリリーが顔を蒼白に染めたのは、悠斗からでも見える。
 落ち着こうとした頃には、息の根を止めたそれから、黒い靄が溢れ出て──

 悠斗の体を包み込んでいた。


「リリー!」

 悲痛な叫びが、フィリアから漏れ出る。カウントが、とつぶやいたヴェインが、悠斗の頭上を指さす。悠斗がその指の先を見れば、何やらわからない記号のようなモノが浮かんでいる。

「九」

 凛音が呟いていた。
 姉にはこの記号が読めるのか、と悠斗は思ったけれど、よく見ればなぜか──悠斗にも読める。
 “オマケ”か、と一瞬だけ頭によぎり、それから悠斗は戦慄した。


 ──これは、何のカウントだ?

「リリー、解呪は!?」
「あと九──いえ、八秒では──間に合わない! 今やっています、が!」

 リリーの両手からツタが延びるのを悠斗は見ていることしかできない。その傍らで、凛音が短刀を取り出していたことにも気付かない。

「これ、何なんですか!」
「下手しなくても死ぬ呪いだ! 死んだ後は“ヤツ”と同類に堕ちる!」

 叫んだ悠斗に、クラドも叫び返す。その傍らでは、淡々とした声で五、と凛音が呟いている。その声でやっと、凛音が短刀を取り出していたことに、全員が気づいた。

「リンネ!?」
「お前まさか、ユウトが屍の王になるくらいなら、自分で殺そうってのか!?」
 
 ヴェインの言葉にも、クラドの叫びにも、凛音は無言のままだった。彼らには凛音の短剣に絡みつく、禍々しい色の魔力が見えていたのだが、悠斗には見えていなかったのが幸いだろう。
 二、と凛音は静かに呟くと、悠斗へと距離を詰める。そしてそのまま短剣を振り上げ──



 悠斗を、切り裂いた。


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