ワンダリング・ライフ 1−10

 それで攻められなくなったら儲けものだと思ってるんでしょ、と凛音は続けて、リリーの方を見た。
 ちょっと不味いな、と悠斗は思う。側で見る限り、今現在の凛音の機嫌はあまりよろしくない。普段と対して変わらないように見えるが、悠斗には何となく分かる。


「甘いと思う」


 すっぱりと凛音は言い切った。ヴェインの纏う空気が変わった気がして、悠斗は黒衣の騎士を盗み見たが、こちらも表面上は普段と同じだ。
 ただ――凛音を見ている目が険しい。“騎士”としては、“王”に意見する凛音は許せないのだろう。
 凛音もそれに気づいたのか、ちらりとヴェインに視線を寄越す。
 けれど、結局そのまま目をそらした。あまり気にしていないんだろうなあと悠斗は頭をかく。
 
 そもそも、他人の行動を気にするような人間ではないから、扱いにくいのだ、凛音は。

「甘い、ですか?」
「甘いわ。無礼を承知で言うけれど、結局それって何の解決にもなってないじゃない」

 そしてやっぱり、話すのをやめる気はないらしい。
 勘弁してくれよと思った悠斗を慰めるように、肩に置かれたクラドの手が、一度だけ悠斗の肩を軽く叩いた。なんとなくこの人も分かっているのだろうかと思うと涙が出てくる。

 俺は異世界に来ても、|姉《凛音》に振り回されるのか。

「“通りがかりの旅人”として撃退しても、結局攻められるわよ。少なくとも私なら、その国が滅ぶまで攻め続けるわ。だって、“通りがかりの旅人”に撃退されたなら、それって偶然に近いものだと考えるでしょ?」
「そう」
「常識が違うだけなのかもしれないけれど、色々と間違っていると思うしねえ」


 中途半端で気持ち悪いと凛音は言った。


「国としては攻撃していないようにしたいけど、目障りな国は潰したい、ってことなんでしょ? 私が言うのは色々と納得いかないと思うけど、これって卑怯じゃない? いいとこ取りはやっぱり甘いと思うのよ、|私でも《・・・》」
「卑怯でない争いなどありますか」


 リリーの声は静かで、魔力制御の際にしていたお茶会の時の声音となんら変わりがない。凛音は黙ってリリーの顔を見ながら、続きを促した。

「お二人のいた世界とは、この世界が違うものであることは理解されているのでしょう? 世界を知らずして、この国を知らずして――卑怯であると断言しても良いとは思えません」
「|だから《・・・》言ってるんだってば」

 凛音は困ったように悠斗を見た。言いたいことがありすぎて言葉がまとまらなかったのだろう。双子でなければ分からなかったであろうその合図に、悠斗が口を開いた。

「すみません、凛音の言葉がまとまってなくてややこしくなったんですが、凛音が拘ってるのは卑怯云々じゃなくて――」

 常識、ひいては意識の差だと悠斗は言った。

「やっぱり、俺達と常識がずれてるんですよ、この世界」

 何と言ったら伝わるのかは分からないが、話すしかない。客観的なことの説明はうまい癖に、主観になると説明が下手になるのは姉の欠点だ。
 自分の中で話がまとまった状態で人に話すから、所々省略されたりして非常に分かり辛い。人にその思考をなぞらせようという気はないのだ。

 尤も、凛音の思考をなぞったくらいで理解できるとは思えないわけだが。

「俺や凛音が卑怯だと思っても、この世界なら当たり前のことがこれからもあると思うんです。俺達が選択しない手段でも、こちらでそれが一般的だった場合、確実にそれが問題になるだろう、と凛音は――言いたいんだよな?」
「大体あってる」

 不安になっての確認に、姉はこくりと頷いた。

「凛音と俺は|恩《・》がありますから、協力は惜しみません。でも、これから俺達、戦場に行くんですよね? そうなると話は少し難しくなるんです」
「何が問題だ?」

 低い声で聞いたヴェインに、悠斗は「一番大きいものだと」と切り出す。
 これを凛音は気にしていただろうし、悠斗もこれを気にしている。

「俺達、人は――悪魔とか、魔女とか――いえ、生き物はきっと|殺せない《・・・・》」
「どういうことだ?」
「俺達の世界にも争いはありましたけど、俺達に――“俺たちの生きている時代”に、戦争は|なかった《・・・・》んです。それは俺達にとって昔の出来事でしかないから、こうやって戦地に赴くのも初めてだし、もしかしたら凄く馬鹿馬鹿しいことかもしれませんが、俺達の年代じゃ、魚をさばくことだってないくらいです。つまり、血なんてそうそう見ない」

 ルシィと一緒に行った魚釣りで、釣った魚をルシィがてきぱきとさばくのを見て悠斗は驚いた。中学生ほどの見た目で、まさかさばくとは思わなかったのだ。
 悠斗が初めて魚をさばいたのは、つい最近の家庭科の調理実習でだ。凛音は小学校の時にはさばいていたかもしれないが、あの姉は色々と非常識だからカウントしない。

「それに、動物だって殺せません。虫は別にして」

 夏場の蚊に対して、人はとかく残酷である。命の重みは人も動物も同等だという割には、その中に虫は入っていない気がする。あの見た目が問題なのだろうか?

「動物もか?人ではなく?」
「はい。小動物だろうが何だろうが、俺達の世界じゃ基本的に動物は殺しちゃ駄目なんです。勿論、肉食もしますけど、それには食肉用に育てられる動物がいて――」
「お前達の目に触れることなく処理されるわけか」
「はい。一番|肝心な所《・・・・》は見なくても生きていけるんです」
「血に対する耐性と、自らの手で命を奪う経験は無いに等しい、という認識をするが、それであっているか?」
「はい。だから、俺達は戦場でも、奪うことに躊躇します。俺と凛音は、それが心配なんです。貴方達に当てにされても、俺達ははっきり言って足手まといですから。常識に差が|ありすぎる《・・・・・》」
「……そうか。それは盲点だった」
「俺達も驚いています。こんなことになるとは思ってなかったし」 

 正直なところ、二人ともこんなことに巻き込まれるとは思ってもみなかった。大鷲に乗って振り回されていたのが懐かしい。
 全てうまくいくわけは無いと思っていたが、のっけから大事である。こちらにきてから半月も経っていない。

「こっちの世界はな、場合によっちゃ人殺しも容認されるんだ。お前らの世界のことは分かんねぇけど、多分そっちの“常識”より緩いだろうな」
「ルールとかないの?」

 クラドの言葉に凛音が聞いた。多分ないと思うぜ、とクラドは答えてから、ちょっと違うなと前言を撤回する。

「国によってあったりなかったり、ってとこか?」

 この国は割と厳しい方ね、とフィリアが呟き、そうそう、とクラドも同意する。フィリアは建国者のリリーの方を見て、「自分がされて嫌なことは全て罪――だったかしら」と尋ねた。

「はい、大体は。ううん、明確に“これは駄目、アレは駄目”を決めてはいないのですが――異種族に対する侮蔑と、身勝手な殺生は禁じています。このあたりはきっと、お二人の世界とも似ていると思うのですが……」

 元々犯罪の起こりにくい国なのだそうで、これと言った明確な規律もないそうなのだが、それでも厳しい方なのだという。
 国によっては滅茶苦茶なルールがあるんだよなァとぼやいたクラドに、国それぞれですからとリリーが締めくくった。

「うん、やっぱり常識が違うから、私たちは役に立たないと思うわ」
「いるだけでも脅しになると思うんだけどな。お前達の魔力って色々変だしよ」
「いるだけで良いなら行くけど、ほんとにつっ立ってるだけよ? それでも良いの?」
「別に構わねえよ。相手が屍の王なら、出てきて屍と骸骨だろ。気の向く時に魔法で爆撃してくれれば良いぜ」

今回は俺とヴェインとフィリアが出ればそれで済むはずだし、とリリーを見たクラドに、そうなりますねとリリーも頷いた。
 フィリアも、「三人いるなら連れて行っても問題ないわね」と肯定を返す。
 どうやら、拒否権はもうないらしい。

「それに――多分ね、貴方達はこういう戦闘に馴れておくべきなのよ」

 フィリアが凛音の後ろでそう言った。
 何故だと聞いた凛音に、フィリアはそうね、と首を傾げる。

「これは私の勘なのだけれど――多分、貴女達は、近いうちにこの国を出て行くわ。世界を見に行きたくなってしまうと思うの。でもね、今の貴女達では、どんなに力を持っていても、そうねぇ、追いはぎにすら勝てないでしょうね」

 奪ってでも守る覚悟はないでしょう、とフィリアは笑った。

「多分、こういう考えが『常識の差』というものなのね」

 この考えは私が悪魔だから出てくるものなのかもしれないけれど、とフィリアは穏やかに笑って、とんとんと凛音の肩を叩いた。
 凛音は、そう、と返して、短い髪をさらりと揺らした。

「突っ立ってるだけかもしれないけど、それで良いなら行きます。悠斗はどうする?」
「……俺も行くよ。凛音だけ行かせるのってなんか心配だしな」

 多分、凛音が決断しなかったら、悠斗はいつまでもうじうじと考えていただろう。
 けれど、彼には即断即決を得意とする姉がいる。
 迷ったときには姉の言うとおりにしておけば、少なくとも時間を無駄にしなくてすむ。

「心配ってどういうこと? 詳しく教えて御覧なさい?」
「いや……暴走するだろ」
「しないわよ。流石に異世界の戦場じゃ自重せざるを得ない……って、そういえば」

 凛音がはたと止まって、甲冑二人組に目を向けた。
 二人がピシリと固まったのを目にして、先ほどの凛音の「断るって言ったらどうなるの?」発言がいかに恐ろしいものだったのか、悠斗はまざまざと見せ付けられた気がした。
 クラドとは、そんなに怖い人だったのか。
 軽い青年――という印象を、少々訂正せねばならないようだ。

「この人たちの前で、滅茶苦茶素性バラしてたんだけど――|そっち《エリュシオン》側的には平気なの?異世界人が云々っていうのはそっちの混乱に繋がらない?」

 私達はせいぜい狂人扱いで済むけど、と言った凛音に、それなら問題ありません、と甲冑のうちの一人がしゃきりと背筋を伸ばした。

「“ヴェイン様の弟子”が|少々特殊な事情《・・・・・・・》で身を寄せているのは周知の事実でありますッ」
「それなら良いけど」

 いやなんかそれも不安じゃないか?と悠斗はひっそりと思った。
 簡潔に言うなら、『異世界人』の存在をあっさり信じる人間が沢山いるということだ。

 いや、或いはそれすらも『常識の差』で片づけられるのだろうか?だとすれば、数日前のヴェインの対応はやはり、凛音の言ったように『頭が堅い』のだろうか。
 よく分かんなくなってきたなと頭をかいた悠斗に、凛音が心配そうな顔をした。

「ごめん、やっぱり勝手だった?」
「えっ?いや、凛音が勝手なのはいつものことだろ?気にしてないぞ」
「今、すっごく『何でこうなったんだよ』みたいな顔してたじゃない」
「常識って怖いなって思ってさ」
「ああ……捕らわれてる人には驚異よねぇ」

 適当に言葉を濁した悠斗に、納得したように凛音が頷く。その口ぶりから察するに、凛音本人も常識に捕らわれていないことは自覚済み――というか、思い返せば常日頃から、凛音は自らで“常識に捕らわれない”と豪語している。
 もはや指摘するだけ無駄だ。

「つっ立ってるだけでもやっぱり不安だよな。流れ弾とか飛んできたりするのかな」
「いきなりねぇ。私も人のこと言えないけど」

 無理矢理すぎる話題転換だったが、誰一人としてそれにはつっこまなかった。常識云々より、差し迫った重要事項だから、というのが大きいだろう。

「鎧とかって貸して貰えますか? この際、身が守れるなら何でも構わないんですけど」

「ん?借りるつもりだったのか」

 目を丸くしたクラドに、やっぱり貸してはくれないか、と悠斗は再び頭をかいたが、クラドの「変なところで律儀だなお前」という言葉に、再び話がズレていることを認識させられた。

「防具も武器も揃えてやるから気にすんなって。借りもんは使いにくいぞ?」
「ああ。こちらが戦場に連れていくわけだしな。その辺りの支援くらいはさせてくれ」
「えっ?」
「|貸して貰う《・・・・・》んじゃなくて|貰っとけ《・・・・》ってことだ」

 武器防具ならヴェインが良いもの持ってくるからさ、とクラドはニカリと笑う。
 ヴェインの方も、「責任を持って選ぼう」としっかりと頷いていたから、双子はこれで良いのかな、と顔を見合わせた。

「ただ、鎧とか甲冑はお前達には合わないから止めとけ」
「合わない?」
「おう。戦闘に不慣れなのに金属の塊を身につけていくなんざ、的にして下さいと言ってるようなもんだからな」
「ユウトは皮鎧辺りが妥当だろうな。リンネは法衣が適当だろう。動き易さと軽さを重要視した方が良い」
「その辺りは分からないから、ヴェインさんに任せるわ」

 戦場に赴く装備など、|戦闘《その道》のプロに任せた方が絶対に良い。

 それでも、あんまり奇妙なデザインのものは持ってこないで欲しいと告げれば、奇妙とはどんなものを指すのかとヴェインは真面目に聞いた。
 ほんとにこの人良い人なんだろうなと悠斗も凛音も思ってしまう。対応が真摯というか、誠実というか。
 真面目だからこそ恐くも見えるのだろうが、人は良さそうだ。

「妙に露出が多いのとか、なんかこう――無駄にとげとげしてるとか、服の色が目に痛いとか?」
「それはまず、“戦闘時に着用する”という点において、真っ先に除外されるべきではないのか?」
「それなら安心なんですけど、俺達の世界だとそういうものもあって」
「君たちの世界に争いは殆ど無いのだろう? 何故、防具があるんだ?」
「無いんですけど、あることにはあるというか……ああもう、ややこしいな――仮想的な争い? において、そういうものが多いんです」
「……奇妙だな、そちらの世界は。争いがないのにわざわざ争うのか」
「争いというには娯楽的な面が強いんですけど」

 ゲーム、と言って通じるとはとても思えない。凛音曰く頭の堅い騎士は、暫く不可解そうな顔をしていたが、「これも常識の差か」と呟いて不可解そうな顔を元に戻した。

「では、私は退出させて貰おう」
「お疲れさまでした。お二人の防具の件、お願いしますね」
「はい」

 

 リリーに短くそう返し、部屋を出ていったヴェインに、ありがとうございますと双子は揃って声をかけた。去り際にスッと片手を上げたところをみると、感謝の気持ちは伝わったらしい。
 「何か今の動作カッコ良かった!」とはしゃぐ凛音に、スマートだったなぁと悠斗も同意する。何度も騙されたりしているのに憎めないのは、やはりヴェインの根底にある真面目さが大きく影響しているのだろう。
 黙っていると無愛想で怖い感じの美丈夫だが、たまに見せる真面目さ故の天然ボケや、少し意地悪な揶揄なんかを見ていると、そんなに怖くない人だというのが分かる。

「ヴェインに防具見て貰えるとか、そうそう無いから感謝しろよ」
「貴重な体験よね」
「ヴェインさんの見立てって本当に素晴らしいですから。ユウトさんもリンネさんも、安心して良いですよ」

 にっと笑うクラドや、穏やかな笑みを浮かべるフィリア、にこにことしているリリーに、双子は素直に頷いた。
 甲冑二人組も、凄く羨ましいですッ、と鎧をガチャガチャと言わせている。

「あいつ、人に合った装備を見繕うのが得意なんだよ。俺の槍もあいつが見てくれた物だし」
「そうなの?」


「おう。ルシィの〈|夜の短剣《ナイトダガー》〉とか、ミリアの〈|祝福のリボン《ハッピーリボン》〉もあいつが選んでただろ。リリーの〈|幸運の書《ラック・ブック》〉を選んだのもあいつだしな」
「私の|氷雪の髪留め《スノー・バレッタ》を選んでくれたのもヴェインだったわね」
「ヴェインさんの選んでくれたものは本当に馴染みますから」

 楽しみにすると良いと思うぜ、というクラドの言葉に、二人とも俄然楽しみになった。
 交わされた会話の半分も理解できなかったが、彼の見立てが素晴らしいというのは伝わってきたのだ。
 

 ――それが、行きたくはない戦場に赴く装備の見立てだというのが、ほんの少し切なかったけれど。




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