ワンダリング・ライフ 1−8
 深く、薄暗い森の中に彼女はいた。


 顎より少し下辺りの位置で切りそろえられた黒髪が踊る。 ダンスのステップを踏むように、軽やかに後ろに飛び跳ねて、息を落ち着けて、彼女は短刀を構えた。
 目の前のそれは、そんな彼女など見えていないようだったけれど。

(見えるわけないか)

 凛音は自嘲気味な笑いを浮かべる。
 凛音と向かい合っているのは、眼球などとうに腐り落ちたもの。白とも灰色ともつかぬ陰鬱な色に身を染めて、死してなお動き回る骸骨兵。
  ぽっかりと穴のあいた、かつて眼球が収まっていたそこには、 赤黒い光がぼんやりとともっている。
  生理的嫌悪感を催すその姿は、ゲームやアニメとは違って、そこに確実に存在していた。
  初めて見る異形の姿に、吐き気が忍び寄ってくる。何でこんなものがいるのだろう、などと思っても答えは出てこない。ここでは、凛音たちの識る常識は、無いに等しいから。


(早く帰ってきてよ……)


 一緒に来ていた弟の悠斗は、応援を呼びに行かせている。 体力があるから、走っても味方の元までは持つだろうし、なにより凛音より早い。
 なおかつ、回復手段のある凛音がここに残った方が骸骨相手に粘れるだろう、という二人の無言の会話の結果だ。双子ならではのアイコンタクト。二人だけにできるそれ。


  何で森の中にこんなのいるんだろう。普通お墓とかじゃないの?


 凛音はそんなことを考えながら、明確な意思を持って『約束 の塔』へ向かおうとする骸骨兵の足止めを始めた。
 白い骨には腐り落ちる寸前の革鎧がまとわりつき、骸骨が歩く 度にぶらぶらと揺れる。 手に持った長剣は錆びていたり刃こぼれしていたりと切れ味が 悪そうだが、武器には十分な代物。 まずは武器をどうにかしようと、凛音は短剣を手に骸骨へ向かう。

(短剣しかないのが怖いわねぇ)

 近距離から攻撃しなくてはならないのは、やはり色々と怖い。凛音がやってきたのは所詮、護身術の域を抜けないし、人ならざるものに対面したのも初めてだ。 出来ることなら安全な距離を取って戦いたいところ。


 金属鎧を身につけた兵士よりも軽い足音で歩む異形はどう見ても、無害ではなさそうだ。銃とかがあれば良いのに、と凛音は思うが、銃があったところで、巧く扱える自信はない。まず、触ったことすらない。


  薄暗い森は不気味だ。
 どこかにもっとこの骸骨がいるのかもしれないと思うと、凛音の背中に冷や汗が伝う。 魔法も使えると言えば使えるが、完全に魔力制御できているわけではないから、安心しては使えない。 仕方ないわ、と凛音は、骸骨の腕に狙いを定めた。


(剣を使えなくさせれば)


 幸いなことに、相手は凛音にお構いなしだ。
 それじゃあやってみましょうかと自分を鼓舞するために呟いて、汗で滑り落ちそうな短剣の持ち手をしっかりと握る。一度だけ、服の裾で汗を拭った。 狙うは長剣を持った方の腕の関節。 骨としての関節を外すのにどれだけ力がいるのかは分からない が、やらないよりやった方がましだ。 紫紺の胴着をはためかせ、凛音は短剣を白灰色の骨めがけて振 るった。


「嘘ぉ」


 呆気なく関節が転がる。ぎらりとした短剣に跳ね飛ばされたそれは軽い音を立てて土に落ちた。
 骨は、濁った光を跳ね返す剣を持ったまま。 蜥蜴の尻尾のように蠢くことはせず、まるで何かの小道具――ドラマの白骨死体の一部とか――のように、ただそこに転がって いる。 嘘ぉ、と凛音は間抜けにも呟いてしまった。だから気づかな かった。

 凛音の方に、赤黒い光を灯した頭蓋骨が向いたことを。


 気づいたときには遅かった。ただ歩くことしかできないのだと、自分のことには気を払わないのだと思っていた凛音が甘かった。
  骸骨兵は片腕のまま、凛音の体に手をのばし、凛音の髪を掴んだ。 そのひんやりとした感触、鼻を掠める土くれの臭い。


 ひきつったような叫びすら上げられず、凛音の心臓は恐怖に凍り付いた。カタカタと骨が当たる微かな音。無言の兵士は凛音の恐怖を煽っていた。 無理矢理頭を動かして、白灰色の拘束から逃れようとする。
 ぶちぶちと髪が抜ける音とともに、ばつん、とそれよりも大きな音がして、凛音は地面に転がった。


  何かが風を切って、凛音と骸骨兵の間を奔っていった。よく見れば、それは槍。どこか見たことのある、この槍の持ち主は――


「大丈夫かー?」


 駆けてくる赤茶の髪は、槍投げの槍を投げきったような格好で、一瞬止まっていた。
  暖かな蜜柑色の目に、凛音の体に残っていた冷たい骨の感触が霧散する。 その後ろに、応援を呼びにいった弟の姿も見えた。は、と凛音は小さく息をついてしまう。腰が抜ける。


「ユウト、姉ちゃん守ってやれよ?」
「言われなくても。悪い、若干遅くなった」


 前半は頼もしい兄貴分に、後半は血を分けた姉に。少しすまなさそうな顔をして、悠斗が凛音の側に駆け寄った。


 一瞬迷ったように、凛音の頭についていた骨を見つめ、躊躇いながらも悠斗はそれを掴み、放り投げる。骨に絡んでいた髪はプチプチと音を立てて道連れとなったが、この際良いだろうと悠斗は凛音を無理矢理立たせた。


「死ぬかと思った!」
「良かったな死ななくて」
「はっは、悠斗って冷てェな」


 クラドは笑いながら、骸骨の腕に向かって放り投げた槍を回収すると、緩く構えて、両腕を失った骸骨兵を見据える。


「何だよ、武器持ちの片腕は処理済みか。正しいけど」


 ただ、正攻法で攻めると骨が折れるな、とにんまりしながら、クラドは凛音に呼びかけた。


「燃やすからちょっと下がっとけよ。一応な」
「一本一本バラすのは?ダメ?」
「今の今まで腰抜かしてた奴たァ思えねー台詞だな」


 妙な冷静さを発揮した凛音にケラケラ笑って、クラドは槍の穂先に炎を纏わせる。 そして、そのままあっさりと骸骨の頭に突きを入れた。
 顔の真ん中からひびが入り、動きを止めた骸骨は、鼓動一つ分の後に、青い炎に包まれる。
  呻き声も断末魔の叫びもなしに燃え上がる骨。クラドはそれを 平坦な目で見つめ、思い出したように、転がっていた両腕もその炎の中に放り込んだ。


「燃やしてやんのが一番なんだ。骨は残んねーし、また動くこともねーし、供養になるらしいしよ」


 ぱんぱんと手を叩いて槍を振り、穂先についていた灰を落とす。クラドはそのまま双子へ振り向いた。


「さんきゅ、お前達が見つけなかったら、ちょっと面倒だった」
「あれって何だったの……」
「下見じゃねーかな」
「下見?」


 凛音の顔は青ざめている。神経質に頭を振って、少し残った冷たい感触を振り払うようにしていた。悠斗がそれに気づいて、頭をぐしゃぐしゃに撫でる。
 髪が乱れるでしょ、と凛音は強がった。


「とりあえず帰んぞ。ヴェイン辺りに報告しないとなー」


 こんなとこから来るとか聞いてねーんだけど、とうんざりした顔をして、クラドは双子に悪かったな、と言葉をこぼした。


「初めてあんなの見ただろ?怖い思いさせたな」
「……割と」
「こっちってやっぱあんなのいるんだな。凛音が髪掴まれてたときはビビったけど」
「悠斗、ホント死ぬかと思った、私」
「残してったこと後悔したからな」
「私も残ったこと後悔したわ。あんたを置いていけば良かった」
「ひでえな、姉とは思えない台詞だぞ、凛音?」


 あー怖い。頭をふるふると振った凛音に、割と平気そうだな、とクラドが笑う。だって今更泣けないでしょう、と凛音も小さな笑みを浮かべた。
 少し引きつっているところに恐怖の名残を感じるが、流石は常識に捕らわれない、と自らで宣言するだけあって、もう落ち着いている。
  三人で急ぎながら森を抜け、まっすぐ町を抜けて約束の塔まで向かう。
  森の中のものより随分と暖かな風に、凛音はひっそりと息をはいた。正直、生きた心地がしなかった。 悠斗は何も言わず、凛音の頭をぽんと叩くだけ。


「お墓とかでエンカウントしたなら、こんなにビビらなかったのに……」
「何だよそれ」


 そっちの方が怖くないかとつっこんだ悠斗に、その分覚悟できるじゃないの、と凛音がいう。 虫を外で見る分には何とも思わないが、家で見るとイヤな感じになるじゃない、と凛音は説明した。分からないこともない。


「まさか森に出るとか思わないじゃないのよ。熊とかなら分かる けどぉ」
「森の中、か。……熊と骸骨だったら何か骸骨の方が安全な気がするんだよな、俺」
「……熊って森の中じゃ、何か無敵っぽい感じするもんねぇ。骸骨で良かったかも」
「俺、お前らの価値観が未だによく分かんねーわ」


 熊の方がマシじゃね、と笑うクラドに続いて、凛音と悠斗も転移陣に足を乗せる。三人はもう、塔の内部の転移陣についていた。
 二人はクラドの後ろについてきただけなのだが、クラドはどうやら、エリュシオン国内の近道や抜け道を熟知しているらしい。
 両足を乗せた転移陣から、フリーフォールに乗ったような浮遊感を感じ、まだ慣れない二人は顔をしかめる。
 転移陣から降りた後、三人は塔の中、ヴェインを探していた。
  クラド曰く、ヴェインは大抵、塔の中か塔付近にいるらしい。 今日辺りは塔ん中にいるだろ、との適当な言葉に「根拠は?」と、悠斗が訊けば、「勘、又は長年の経験だな」と返された。


「あんまり急がなくても平気そうだけどな」
「大事なことなんじゃないの?」


 呆れたような凛音の言葉に、そもそもあいつが気付かない訳がねーよ、と彼はユルい笑みを浮かべる。


「いつもの部屋行ってみっか」
「はーい」
「また転移陣に乗るのか……」

 独特の浮遊感が苦手らしい悠斗が、顔をしかめる。そのうち 馴れるだろー、とクラドはお構いなしだった。


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