ワンダリング・ライフ 1−6
 高月凛音も、高月悠斗も、あちら側の世間一般では「天才」として知られていた。
 天才とはつまり、天から授かった才が人より抜きんでているとか、そういった人につけられるレッテルのようなもの。
 それは「高月姉弟」の二人につけられるべき名称ではない筈だ、と常日頃から彼女は思っていた。

 二人とも天才などではなく、度を越した負けず嫌いか、暇を持て余しまくったちょっと変な人辺りだろうと。
 この世界に来てまだ一週間も経っていないが、それを強く感じる。特に自分の場合は負けず嫌いなんじゃないかなと凛音は常に思っている。
 
 周りができて自分が出来ないのがたまらなく悔しい。

 常識に縛られるなんて、と思っているのも事実だが、また一方で「自分たちの常識」が通用しない世界に居ても良いのかと不安になる。
 尤も、そんなことはおくびにも出さず生活している。演技なら任せろと胸を張って言える自分だ、周りは全く気づいてない。気付かせる気もないわけだが。
 その不安だって目の前に新しいものをぶら下げられてしまえばどこかに吹っ飛ぶ。

 ……とは言ってもねぇ。こんな常識には馴れたくないわ……。


「ちょっとー、悠斗ー、あんた死にたいのー?」
「まだ死にたくねぇな」
「私だって嫌よー?」

 大きな鳥の背に乗って、大空に舞い上がってしまった姉の姿をその目に焼き付け、悠斗はせめてもの慰めにと手を振って見せた。
 こんな時でも若干の冷静さは作動するらしい姉は、般若なんて可愛らしく見えるほどの凶悪な形相を浮かべ、「後で覚えてらっしゃーい」と地上にいる弟を睨みつける。
 妙に間延びした言葉が恐怖心を煽るだなんて、悠斗は今初めて知った。
 姉の姿はどんどん小さくなっていく。
 こうなってしまったのは悠斗のせいでもなんでもない。そう、言うなれば――

「事故だ事故」
「それで良いのかよ」

 冷静と言うよりは動じなかった、と言った方が正しい悠斗に、クラドがつっこんだ。
 双子は今まで、クラドに習って大鷲で空を飛んでいた。この国の移動手段としてはそこそこポピュラーらしい。
 
 最初こそ「大鷲って言ったって人より小さいだろうな」などとタカをくくっていた双子にとってみれば、大鷲は本当に規格外な大きさだった。常識外れともいえる。
 凛音が乗っていった大鷲は自動車とどっこいどっこいの大きさだろう。それでも普通サイズというのだから、「Lサイズはどうなってますかねー」なんて気軽に聞けない。怖い。

「笛で戻ってくりゃ良いけど」

 首にかかっていた金色のホイッスルを口元に当て、クラドは思い切り息を吹き込んだ。
 宵闇を切り裂く雷鳴のような、澄んだ高い音が、飛び立った大鷲を追いかけるように放たれたが、大鷲はこちらを見向きもしない。

「やっぱダメか」
「大丈夫かな」
「筋は良かったし、手綱さえ放さなきゃ大丈夫だと思うけどなァ」

 形だけの悠斗の心配の言葉に、それでも心配だなありゃ、とクラドが頭をかいた。
 そのわりには緊張感が全く無いのは何故だろう。と悠斗は思う。姉の才能か、それともこの男性のユルさか。
 とりあえず行くか、とクラドは再びホイッスルを構えた。しかし、色は先程とは違ってどす黒い。

「最近喚んでねーんだけど、まあ平気だな」
「喚ぶ?」
「おう。ビビって腰抜かすんじゃねーぞ?」

 いつもより得意気な顔をして、クラドは黒いホイッスルを口に持っていく。さっきとは違って慎重に息を吸い込むと、それをゆっくり吹き込んでいった。

 自然に例えるなら大地の地響き。
 動物に例えるなら獅子の雄叫び。
 季節に例えるなら、吹雪の吹き荒れる冬。

 重低音、という三文字で表すには、その音は些か雄大すぎた。腹の底に響くと言うより、大地が響いて揺れている。
 バランスをくずして転びそうになれば、すかさずクラドが悠斗を支えた。

「転びそうになっても転ぶなよ」

 いつものユルさはそこにない。蜜柑色の目が、ゆらりと燃えていた。
 ヴェインが見たら目を丸くするかもしれないと悠斗が思うほど、いつになくクラドは真面目だった。

「喚びだした時にひれ伏してて見ろ。馬鹿にされんぜ」

 何に、とは聞けない。聞く前にそれが現れたからだ。それは怪獣映画で聞いたような鳴き声を上げて、クラドと悠斗を血のような赤い目で見つめていた。
 鱗は黒金のように照り輝き、鋭い爪は忍者の持つ苦無のように剣呑な光を煌めかせている。

「見るのは初めてだろ?」

 ばさばさと大きな翼が風を打ちつける。クラドの腰に巻いた大きな赤い布が、炎のように揺らめいていた。
 見たことなんて、ゲームの中でしかない。
 巨大な蜥蜴に蝙蝠の羽をくっつけたような、悠斗の世界では想像上の生き物とされていたそれは。

「龍……」
「正確には飛龍だけどな。よし、乗れ」

 軽く、けれどどこか注意を喚起させる声でクラドは言った。
 飛龍はぎろりと悠斗を睨んだが、翼を畳むと大人しく地に伏せる。「鱗はあんまり剥がさないようにな」とクラドは笑うと、先に悠斗を飛龍に乗せた。

 ――期待はしていなかったが、やはり大鷲よりも乗り心地が悪い。
 尖った鱗が服のあちこちに引っかかった。馴れているのだろう、クラドは馬に跨るような気軽さで飛龍の背中に落ち着いた。

「良いか?お前は手綱を手放すなよ。放したら死んだと思えな」
「了解」
「ま、落ちねーように俺は後ろ乗るけど、一応な。よし、飛べ!」

 龍の腹をブーツの側面で蹴れば、龍はやれやれといった感じで翼を広げた。風が顔に直接当たり、思わず目を瞑る。
 馴れれば楽しいんだよなー、と軽く笑い、クラドは一度叫ぶ。

「女を乗せた大鷲に並んでくれ」

 龍は一鳴きして、大地を蹴ると、その大柄さからは想像できない早さで空を駆けていく。
 あっち側の世界で自分が乗っていた車より早いかもしれないと悠斗は思った。
 木や建物がないし、風景も代わりばえがしないからわかりにくいが、顔に当たる風は結構なものがある。
 よく平気だなと後ろを向けば、クラドはちゃっかりゴーグルをかけていた。

「悪りィな。一人分しか用意してねぇ、っつーか予想外」

 前向いとけ。人差し指で指示されて、悠斗は顔を俯かせるような体勢で風をよけた。
 耳元の風切り音が心地良い。まるで鳥になった気分だ。

「まさか大鷲ぶっ飛ばして飛龍に乗せることになるなんてなー」

 風に流されていてもよく聞こえるように、クラドは声を張り上げている。
 こっちもまさか飛龍に乗れるとは思わなかったと悠斗が言えば、貴重な体験だぞコレ、とクラドは満足そうに笑った。

 曰く、この世界でも飛龍と呼ばれる存在は珍しいのだという。人を乗せることを許さない飛龍も多く、飛龍に乗るのは一生のうち一度、あるかないかだそうだ。
 飛龍の一部は〈龍使い〉と契約を交わし、笛一つでどこにでも馳せ参じるらしい。
 どこかふてぶてしさのあるこの黒飛龍を見て、本当かよと悠斗は思った。

 ――さっき思い切りにらまれたぞ。

 馳せ参じるようなタイプには見えない。

「こいつはな、俺と戦って負けたんだよ。だから俺は龍使いって訳じゃねーけど、こいつを行使してんだ。まあ、言うなれば親分とふてぶてしい子分だな」

 飛龍が憎らしげに唸る。
 この軽い男に負けるのはさぞ悔しかろうとは思うが、戦って負けたなら仕方ないだろう。

「龍に力を認められると、爪を折って渡してくるんだ。それを加工して笛にすると、その笛の持ち主の言うことを聞くってわけだ」
「倒せば良いのか」
「そ。倒せば良い。爪を貰えたら後はこっちのモンだ。笛にすりゃ良いだけだからな」

 魔力で加工すると簡単だぞとクラドは言う。

「ま、なんだかんだ言って、倒すのも難しいけどよ」

 結構苦労したぜ、とクラドは笑って、龍の鱗をそっと撫でる。
 口で言うほどふてぶてしくは思っていないのだろうと悠斗は思った。

「お。アレだな」

 前方に胡麻粒ほどの黒点が見える。

 恐らく、凛音が乗っている大鷲だろう。すぐに追いついてしまった辺りに、飛龍の早さを感じる。
 黒点は段々と人と大鷲の形を成してくる。慌てているかとも思ったが、凛音は冷静なようだ。バランスを崩すことなく、風を切っている。

「髪が長いまんまだったら見つけやすかったんだけどなー。あの鳥に並んでくれ」

 凛音はこちらの世界に来てすぐ、長かった髪をばっさりと切っていた。動くのに邪魔だとか頭が重いとか、実用的な理由でしかなかったが。
 「失恋して……」とかっていう理由はないの?と笑って聞いたルシィに、恋人ってめんどくさいじゃない、と凛音は軽やかに答えた。
 姉とはそういう人物だと理解していた悠斗とは違って、ルシィはカルチャーショックを受けていた。

「よおー」

 凛音の隣に並んですぐ、気軽な挨拶をクラドが交わす。何か凄いのに乗ってるのねぇ、と興味で目を輝かせた凛音に、飛龍が紅い目を向ける。

「この子もクラドさんの?」

 物おじすることなく見つめ返した凛音に、大鷲が小さく鳴いた。龍から少しずつ距離を取っているように見える。
 その背に乗る凛音は手綱を少し引いて、囁くように声を落とした。

「龍が怖いとか言わないわよねぇ?」

 さっきまで随分荒っぽい飛び方をしていたのに、急に臆病になるじゃないのと凛音は半眼で大鷲の頭を睨みつける。
 凛音の髪は結構乱れていて、普通に風に流されただけでは付きようのなさそうなクセが幾つも付いていた。

「そいつ、宙返りが好きなんだよな」
「身を以て体感致しました」

 凛音の笑顔が凍っている。フィリアみたいで怖いから止めてくれとクラドは竜の背で後ずさった。
 フィリアさんてそんな怖い人だっけ、と悠斗は記憶をさらう。海みたいにおおらかな人だったと思うのだが。

「つか、結構馴れてんな。もう一人で乗っても平気そうじゃねーか」
「死ぬ気で言うこと聞かせましたよ」
「死ぬ気だったのって大鷲の方だろ…」

 凛音を乗せながらプルプルしている大鷲は、今や龍よりも凛音の方を怖がっているように見える。
 悠斗の言葉に、クラドが「確かに」と言った。勿論、悠斗にしかその声は聞こえない。

「あんまりビビらせんなよ?落ちんぞ」
「この子が落ちる時は私も一緒だから、そんなことしないわよねぇ?」

 凛音の言葉に、大鷲が助けを求めるようにして二人の方を見つめた。二人は生温い笑みを作って首を横に振る。

 諦めろ。

「じゃあ降りるか。凛音、もっと高度下げて、右に回れ」
「はーい。高度下げて、回れ右!」

 声高な、いや寧ろやけくそな大鷲の鳴き声が響く。
 鷲は、目にも止まらぬスピードで右に旋回したかと思うと、凛音を振り払う勢いで高度を下げる。しかし、そこは凛音。涼しい顔で手綱を持ちながら、体勢を屈めて鷲に何事か囁いた。

「おお、凄え」

 大鷲は急にスピードを緩め、彼女に負担がかからないように飛び始めた。
 飼い主のクラドもびっくりな従順っぷり。さすが暴れる魔力を純粋に自分の力で押さえつけただけはある。大鷲も武力行使で操ることにしたらしい。
 制圧とか得意そうだなとクラドは感心していた。
 少女の得意技としてはどうかと思うチョイスだが、反論はできない。

「あれならもう平気だな」

 後ろについて飛んでくれ、とクラドが言えば飛龍は嫌そうに鳴きながらも、契約主を振り払わない早さで緩やかに旋回し、大鷲の後ろにぴったりとつく。
 ふてぶてしいのは態度だけなのか、と感心すると同時に、悠斗は少し羨ましく思った。
 
 ――俺も飛龍欲しいな、なんて。

 *

「はい、お疲れさまー」

 飛び立った地点から寸分違わぬ地点に降り立った三人は、乗せてくれた動物を労っていた。
 ありがとう、と頭を撫でる凛音に大鷲が震えていたのは二人は見ていない。見なかった事にしたので見ていない。

「さんきゅ、助かった」

 一方で黒い飛龍とクラドは適当な挨拶の中、さっさと餌の干し肉を渡して飛龍を帰らせていた。
 ウエストポーチにいつも干し肉を入れているのだろうか。
 もっとくれ、と言わんばかりに擦り寄ってきた飛龍に「そういう時だけ愛想良くしてもダメだぞー」とクラドは笑って、不満そうな飛龍を飛び立たせていた。

「あれってどこに帰るの?」

 大鷲を一通り撫でてから凛音がクラドに尋ねる。どっかその辺の山じゃね、とクラドは返した。
 あんなの飛んでたら目立つわよね、と言った凛音に、飛龍って小さくもなれるしそうでもねーぞとクラドが大鷲を撫でた。
 大鷲はほっとしたように飼い主にすがりついている。
 

 それを見て噴出しながらも悠斗がよしよし怖い目にあったなー、と声をかければ、凛音が失礼ねぇ、と肩をすくめた。

「私死ぬかもしれなかったのよ?最初宙返りされた時は流石に叫んだわ」
「リンネ、俺の方がびっくりだっつうの。乗り方指南してやろうと思ったらもう飛んでやがる」
「悠斗が手綱持てよっていうから持ったら飛ぶんだもの、この子」
「それに関しては申し訳ない、と思ってる」
「本当にぃ?貴方、『事故だ事故』って言ってたじゃないの」

 耳良いな、とクラドが笑えば、黙っててくれれば良かったのにと悠斗が肩を落とす。
 信じらんない!と凛音は膨れ、悠斗の臑を蹴った。
 いってぇ、と涙目になる悠斗に凛音はにっこりと笑いを浮かべる。

「覚悟はあるわよねぇ?」

 目の前で繰り広げられる一方的な姉弟喧嘩に、クラドはゆるく笑って大鷲を撫でる。

「おつかれさん」

 大鷲は満足そうに鳴く。
 

 ――翌日、姉と同じように振り回される弟が約束の塔から見えたという。


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