クドラクとクルースニク:再会は劇的に
「裏切り者が。気でも触れたか」
「いいえ、私は正気のままよ」

 彼女を取り押さえようと向かってくるクルースニクを斬り伏せ、蹴り飛ばし、クルクは凛と立っていた。きっちりと結われた長い銀糸は風に揺られながらも、寄り添うように彼女と共にある。

 ──この銀の髪はクルースニクとしての“私の誇り”。

 切りかかってきた“同胞”の前髪を散らしながら、彼女はレイピアをふるう。
 吹き飛んだ男の白いコートは、葡萄酒のように赤く染まっていた。

 クルクの青に染まった双眸が見つめるのは、“正義”を歪めた者の顔。
 ニルスは綺麗な澄んだ青い瞳を持っているけれど──のそぎ込めば、その青が濁っていることにも気がつく。

 ──私の青の瞳は、私の正義の証。

 純粋なのだとは思う。悪をこの世から消し、より良い世界を作る。その考えには賛成だ。でも、そのためには手段を選ばないのは──果たして、“正義”といえるのか。
 意にそぐわぬ同胞を始末し、他人の弱みを握り駒として動かす。
 優しげな微笑みの裏で彼が創ろうとしているのは、冷酷な恐怖に支配された世界ではないのか?

 クルクを見つめるのは、いくつもの青い瞳だ。激情に塗れ、憎しみを露わに彼女を睨みつけている。
 彼女はその顔に憐れみを浮かばせて、柔らかい肉を切り裂いていく。
 正義の反対は悪なのだろうか。
 信念を正義というのなら、その信念の対局にあるものも、また、誰かの信念なのだろうか。
 クルクにはわからない。けれど、クルクにとって正しいと思える選択はこれしかない。クルクが守りたいものも、また。

 誰かを犠牲に紡ぐ世界に、未来はあるのだろうか。
 少し至らなくても、皆と手を取り合って作り出す世界の方が、クルクは好きだ。
 丁寧で礼儀正しいようで、その実冷酷な男より、粗野で女誑しでいい加減でも、他人の痛みに気づける男の方が、クルクには必要だった。

「誰も悪くないし、誰のことも否定しません」

 ──だから、いくら恨まれても構わない。
 斬りつける刃を押し退け、降りかかる攻撃をかわし、踊るように“同胞”の脇をすり抜け、クルクは銀の刃を振るった。

「けれど、恩人を害すのなら──私も容赦はしない」

 恩人に恩を返すのは“私の正義”だから。
 
 倒れた幾人もの同胞を見つめながら、まだ立っている“指導者”を見つめる。
 “指導者”の、柔らかい光を灯した青い瞳が、歪にゆがんだ。


***


 痛みが徐々に抜けていく体に、ニックは安堵のため息をつく。
 一時はどうなることかと思ったが、事態は彼の良いように進んでいるようだった。──ただ、彼の代わりにあの場に残った彼女が、ニックには気になっている。
 あの時にあの場から逃げたのは正しい選択だった。それは間違いようもない。ニックとて、下手に格好を付けて厚意を無駄にするような行いをするほど馬鹿ではなかった。

「“保険”も機能するかな──おそらくは」

 何か問題があるとすれば、彼女の半分はクドラクということだが──“秘薬”のおかげもあって体力は回復している。足にも腕にも痛みはないし、その気になればまた来た道を戻って彼女の元へ、王子様よろしく登場することも不可能じゃないだろう。

「クルクちゃんが怒らなきゃいいんだけどな──やっぱり、若干辛いだろ、あれは」

 髪や外套、顔についた血糊に指をはわせ、ニックはやれやれと息をつく。
 そこには平時の“王子様”じみた姿はない。
 ぼろぼろの、顔が腫れた銀髪の青年が一人。
 けれど、“戦乙女”に護られるほど、まだ耄碌はしていない。

「“乙女”にエスコートされるようじゃ俺もまだまだ」

 ──エスコートするのは俺の役目。

「気合い入れっか」

 “始祖”だって伊達ではないのだと、ニックはにやりと笑ってみせる。
 自分はともかく──自分の目の前で女性を傷つけられるのは癪に障るし、何より彼自身の“使命”──“女の子を可愛がること”に関わる。
 一転して真面目な顔つきに変わると、ニックはその青い瞳を輝かせた。
 一陣の風が吹く。
 “彼女”がクルースニクならば、クルースニクの大元である“始祖”にはその大体の位置が掴めたし、クルクはニックの血を口に含んでいる。

 頬に触れ、舐めとられたニックの血。
 ただのクルースニクのものなら、それは何の意味も成さなかっただろう。

 けれど。
 
 腐っても彼は、“最強のクルースニク”──“始祖”だった。


 瞼を閉じ、ニックは脳裏にクルクを思い浮かべる。クルクの気配は察知できた。
 クルクの中にある自分の血も。

 ニックは目を開ける。
 ぼんやりと靄のように身体が透け、空気へと溶けていく。

 “始祖”に許される能力の一つ、【転移】。
 自らの血液を分け与えた者の元へと飛べる能力だ。
 クルクがこれを知っていたとは思えないが、クルクがニックの頬へと口付けたのは、彼にとってうれしい誤算。どんなゲームでもそうだが、手札は多いに越したことはない。選択肢が多くとも、ニックはその中から一番最適なものを選び取る自信があった。

 ──伊達にギャンブラーやってねえからな。

 タンポポの綿毛のように、空気中に霧散した光の粒は、単身で剣を振るう“戦乙女”の元へと飛んでいく。
 

***


「流石は“戦乙女”。数多のクドラクの血を浴びただけのことはある」
「──褒めても手加減はしませんよ」
「手加減? 私が君にすると言うのなら分かるけれどね」

 立っているのは男と女。男は細い杖で、女は細身のレイピアで、延々と続く斬り合いを続けていた。
 とはいえ、女の方は男と斬り合う前にも、複数人と切り結んでいる。
 男に比べて、体力が残っていないのは明白だ。性差もある。それでも、クルクは大地に足を踏ん張って、ニルスと対峙していた。
 打ち合う武器は細い杖のはずなのに、その攻撃の一つ一つは酷く重い。重さに耐えかね、次第に痺れ始める手のひらからは力が抜けていく。

「手加減は必要ですか、“戦乙女”?」
「──要らないわ。どうせ死ぬなら、本気の貴方と戦って死ぬ」

 これ以上攻撃を受け続けるのは危険だ。そう判断して、クルクは男の細い杖を避けることに専念し始める。

 ──私の役目は“倒すこと”じゃない。

 倒せたら言うことはないが、ニルスと自分の実力差があることは知っている。本調子ならまだやり合えたかもしれないが、今は本調子とは言えない状況だったし、何よりクルクがするべきなのは“足止め”だ。
 ニックが、遠いところへ──安全なところへ逃げられるだけの時間を稼げれば、それでいい。

「本気の私、か。──貴女には受け止めきれないでしょうね」
「どうかしら。貴方が見下す“なり損ない”でも、やるときはやるのよ」
「“なり損ない”か。自分のことをよく知っているじゃないか。クルースニクはおろか、クドラクにすらなれない半端者」

 安い挑発に乗ることもせず、クルクは微笑む。
 振り下ろされる杖を受け止めても、その手のひらにはもうその感覚はない。
 使い物にならないわね、と少し自嘲気味に笑ったクルクの手から、レイピアが弾き飛ばされた。
 ニルスの笑い声が響く。

「“戦乙女”も堕ちたものだ。──半端者でありながら、クルースニクと名乗るとは烏滸がましい」

 吐き捨てるようにそう言ったニルスに、クルクは挑発的に笑った。

「でもきっと、私は貴方より“クルースニク”よ」

 ニルスに脅迫めいた取引を持ち込まれてから数ヶ月。
 クルクだって、ただ言いなりになっていたわけじゃない。
 ニルスの計画を知らされ、ニックが狙われていることを知り、助けようと思った。
 彼は以前、彼女にこう告げている。

 ──“どうありたいかは自分で決めろ”。

 クルクはそれに答えを出している。
 私はクルースニクだ、と。

 ──それなら、私が善いと思ったことをするまで。

 だから、そう導いてくれた“恩人”を助けることにした。とある界隈では有名な、洞窟に引きこもっている魔女に“秘薬”の調合を頼み、もしもの事態に備えて臨んだ。
 計画はうまくいったと言っていい。

 ──そもそも、この計画にはクルクの生存は含まれていない。
 この男、ニルスを相手取って二人とも生き残れるとは考えていない。
 ニルスだって、肩書きだけの“指導者”ではないのだから。ニックの実力はクルクには分からないから、まともにぶつかって通用するのかも分からなかった。
 だったら、確実に一人を助けた方がいいだろう。
 
「なり損ないが何を……! クルースニクを侮辱する気か!」
「私は事実を言ったまで。私はこの場の誰よりも“クルースニク”よ」

 ニルスの持っている“クルースニク”への誇りは本物だ。純粋すぎてゆがんでいるけれど。
 “クルースニク”を高尚なものだと考えるがあまり、クルースニク以外の者には酷薄だ。

 クルースニクもクドラクも、本質は大して変わらないことを、クルクは彼と彼の兄から感じ取った。
 日に弱いクドラクでも、そうでないクルースニクでも、太陽の日差しは眩しいのと同じように。
 ニルスはそれに気づいていないのだろう。
 誰の目にも太陽が眩しいことに。

 きっと、とクルクは憤怒の形相で杖で殴りつけてくるニルスの顔を見つめる。
 
 ──彼は“クルースニク”に憧れを抱きすぎてしまったのかもしれない。否、“クルースニク”の“始祖”という存在に憧れを抱きすぎたんだ。

 だから、ニックという“クルースニクの始祖”を見て落胆したのだろう。
 彼の抱いていた“始祖”のイメージ、清く気高く美しいそれとは、かけ離れていたから。

 ニルスを見ていれば、ニックに対しての憎悪に気づくことなんて簡単だ。クルクに取引を持ちかけてから、たびたび彼が話していたことがある。

 “以前、ひとりのクルースニクを始末している”。

 それはニックと仲のよいクルースニクだったのだという。そしてまた、ニックと似たような考え方を持っていたクルースニクなのだと。
 友人を救えなかったニックは、それから消息をたったらしい。
 再び消息が掴めた頃には、以前より増して“クルースニクらしくなくなっていた”とニルスは苦々しく語っていた。

 重い杖の一撃を体に受けながら、クルクはぼんやりとし始めた頭で思う。

 ニルスは“理想のクルースニク”をニックに押しつけて、勝手に夢見ていたのかもしれないが──ニックは、“クルースニク”であるまえに“ニック”なのだ。

「何をしても無駄よ。──彼は、“同胞”には戻らない」
「うるさいッ!」

 命の危機を感じ取れば、ニックが“クルースニク”として帰ってくるのかもしれないと思ったのだろうが、そんなことで自分の根本を変えるほど、あの男は“軽くない”。
 軽薄な性格に軽い口調のせいでごまかされがちだけれど、その本質が誰よりも気高いのをクルクは知っている。
 だからこそ、“どうありたいかは自分で決めろ”と彼は言える。

「死ねッ! なり損ないに居場所はない!」

 自らの心臓を貫く勢いで突き出される細い杖。
 反射的に目をつぶるクルクの前髪を、一陣の風が揺らしていく。

 がちん、と金属のぶつかる音がした。
 心臓はいつまでも突き破られない。

 そっと目を開ける。

 ぼろぼろだけれど、陽光を受けて、誰よりも優しい光を灯した白いコートが目にはいる。

 男にしては長い髪。それを纏めた藤色のリボンは取れかかっていたけれど。

「──女の子に暴力をふるうのは、“善の象徴”のすることじゃねえだろ」

 腰につけていた“脅し用”の煙玉の詰まった拳銃で、クルクへの一撃を防いだニックが、そこにいた。

「悪いな、クルク。──“女の子を護る”のは“俺の使命”の一環ってことで」
「……ばかね」
「デートに響かない程度にしておくから。まあ許せ」

 飄々とした言葉に、クルクの気が抜ける。“秘薬”は役目を果たしたようだ。
 その白い姿をぼやけていく視界に入れながら、クルクは意識を手放した。


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