陰気な娘だ。
肌は白を通り越してどこか青い。不健康そうだと思う。髪はなぜだか艶々としていたが、その色は重い黒だ。闇から持ってきて闇を閉じこめたような、黒髪。
瞳は妖しく紫色で、伏せがちな睫が瞳に陰を作っている。
──実に俺好み。
にたりと闇に笑うのは、物の怪でも魔物でもない。独占欲に満ちた死霊だ。
くすんだ金色の眼を闇に光らせて、するりと死霊は娘のそばに降りたった。
娘には在るべきモノがない。
ぼんやりと見上げてくる幼い少女に、死霊は甘く囁いた。
「──お嬢ちゃん、“お名前”は?」
返ってきた二文字に、死霊はますます愉しげに笑う。
──そうだ、この娘を俺のモノにしてやろう。
*
「ない」
いつか聞いた二文字。感情があるのだかないのだか分からないような声音で、黒髪の娘が静かに紡ぐ。それに気づいた男が振り返り、「何がないんだ?」と娘に問う。
「──ぬいぐるみ。小さい、ウサギの」
「あん? ──ああ、あの汚いやつか」
男の知る限り、娘は幼い頃からあのウサギを肌身離さず持っていた。多分白かったであろうその布と綿の塊は、娘と過ごした時間のぶんだけ汚れている。そんなモノのどこが大事なのか、男には少しわからない。
「いいじゃねえか、あんなの──」
「……」
男がそう口に出せば、娘は少し落ち込んだように目を伏せる。
めんどくせえな、とは口に出さず、男は少女の顔をのぞき込むと「代わりならいくらでもやるから」と頭を撫でる。
その言葉に一瞬悲しそうな顔をしてから、少女はこくりと頷いた。
「お前が望むものなら何でもくれてやるよ、ニヴァリス」
「……うん」
少女が悲しそうな顔をしたことなんて気づかずに、男は満足そうに少女を腕に抱く。
病気がちな娘は、驚くほどに軽い。
初めてであったときから変わることのない、血色を感じられない白い膚に目を細め、男は紛い物の肉体を動かす。
「さて、次はどこに行こうか、ニヴァリス?」
「……甘いものがたくさんある場所がいい」
「了解、俺のカワイイお姫様」
娘を抱えて微笑んだ男の周りには、人魂のような光の玉が、ひとつ、ふたつ、みっつ。
ふわふわと淡い光をまき散らし、光の玉は二人の周りをくるくると回り続ける。
月の光に照らされた二人の周りには、首のない肢体が、ひとつ、ふたつ、みっつ。
死体となった肢体には目もくれず、男は誰かの腕を踏んづけながら、次の目的地へと向かう。
この場で唯一の生者の娘がこほん、と小さく咳をした。
ばきん、と男の靴の下、骨の折れる音が響く。
*
ガランサス・ニヴァリス。
図鑑に載っていた白い花を指さして、珍しく少女が微笑んだ。
「ねえ、この花、わたしと同じ名前」
「だろうな。そこから取ってきてるから」
そうなの、と少女は紫色の目を丸くする。
スノードロップ。清廉で潔白な、慎ましい花。
膝に乗っている少女の髪をなでながら、金色の眼を持つ男はゆっくりと口の端をつり上げた。
何も知らない清廉な娘。
俺が名付けた愛しい娘。
娘の腹に回した手はそのままに、男は図鑑にその節の目立つ長い指を滑らせた。
男の指の動きをたどって、娘の眼は左右に動く。
花言葉、と娘は呟いた。
「希望……」
「そうさ、ニヴァリス。スノードロップの花言葉は“希望”。お前に贈りたかったんだよ」
希望、と小さく繰り返してから、娘はくすりと微笑む。素敵な名前をありがとう、と。
その言葉にどういたしまして、と優しく笑ってから、男は喉の奥で低く笑う。
どうしたの、と娘は訊いた。
何でもない、と男は答える。
──スノードロップの花言葉。
希望に満ちているのは、人に贈るまでだ。
手折って贈ったスノードロップは、あとは枯れゆき朽ち果てる。
──なあ、知ってるか。
スノードロップを人に贈る。その行動のさす意味は。
【貴方の死を望みます】。
──早く俺のものになってくれよ、ニヴァリス。