ハロウィンタウン:ゾンビと魔女と人間と
 エカが“ハロウィンタウン”に住んでから、半年ほど時間がたった。見た目こそ恐ろしいモンスター達だが、話してみれば気さくで人の良い者達ばかりだ。人と過ごしていたときよりも楽しいなとエカはその顔に薄く笑みを乗せる毎日だが、困ったことが一つ。

 モンスターは夜行性だ。だがこれは、ある意味当たり前ともいえる。
 人間はそうではない。活動時間は日のでている間、要するに昼間だ。そして夜には眠る。
 モンスターとは全く逆の生活を送っているわけで、エカにしてみれば所々、生活に綻びが生じる。
 例えば、エカが朝起きるころにはハロウィンタウンの皆は眠りにつき始めることが多い。だから、少しつまらない。もっとも、普段ならばいつ寝ているのかもわからないような、昼夜逆転の生活もものともしないクルースニクの青年、ミシェルがエカにつきあってくれたりするのだが──そのミシェルは今、ハロウィンタウンの外に出掛けている。
 なんでも、クルースニクの“同胞”に呼び出されたらしい。吸血鬼ハンターのくせに吸血鬼を退治したことのない彼だから、遊びほうけているその生活態度を指導されるのかもしれない。指導されたくらいで生活態度を改めるような青年ではないが。

 ともあれ、起きるしかないなとエカはベッドの上で伸びをする。ふあ、とあくびを一つしてから、のろりとベッドからおりた。

「あら、起きたの」
「ツウィルさん」

 おはよう。ゆっくりと微笑んでから、ツウィルは朝ご飯できてるわよ、とエカに声をかけた。
 クロワッサンとサラダ、ソーセージにスープ。
 朝らしい食べ物ではあるけれど。

「ツウィルさん、今何時?」
「今? 皆が起きてくる頃合よ」

 あらら、とエカは目を丸くした。どうやら日が沈んでしまっているらしい。そうなると、“朝ご飯”というのも少々おかしくはあるが、この際それは置いておく。
 すっかりモンスターの生活になれてしまったのかしら、などと考えながらも、エカはクロワッサンをもぐもぐと咀嚼した。相変わらず、バターの風味がたまらない。
 どこで買うのだろうといつも思う。
 ツウィルの買ってくるパンはどれもみな美味しくて、けれどこの洞窟──“あなぐら”に、パン屋があるとは思えない。そうなると、外にわざわざでて買ってくるとでも言うのか。

「ツウィルさん、このクロワッサン美味しい」
「ほんと? 良かった、お店の人もきっと喜ぶわ」

 ふんわりと笑って紅茶を飲んでいるツウィルに、どこでこのパンを買ってくるの、とエカは尋ねる。
 ツウィルは少し考えてから、“じゃあ一緒に行く?”とエカの目を見つめた。
 少し考えてから、エカは頷いた。
 ツウィルのこの対応からして、多分普通の店ではないのだろうから。



「ついでに買っておきたいものもあるから──うん、そうね」
「買っておきたいもの?」

 優雅に珈琲を口にする魔女に、人間の少女は首を傾げる。ふふふ、と魔女はあやしくわらって、「薬の材料よ」と片目を綺麗に閉じた。
 ツウィルは薬屋を営んでいる。
 魔女の営む薬屋だけあって、エカが見たこともないような薬がたくさん売られていた。
 ヒトを蛙にしてしまうもの、嘘が言えなくなってしまうもの、一時的に動物に言葉を話させるもの。
 特殊な薬であればあるほど、特殊な材料を必要とするものだ。
 二人がこうして食事をとっている部屋。その奥の方を陣取っている大鍋で、ツウィルが薬を作っているのは、エカにはもう見慣れた光景になっている。

「そうそう、ここで暫く作ることになるお薬だけど、絶対に飲んだりしてはだめよ。まさか、ミシェルじゃあるまいし、エカはそんなことはしないと思うけれど……」
「そうね。ミシェルさんじゃあるまいし」
「あらよかった」
「そんなに危険なお薬なの?」
「ええ。健康な人が飲んだら、体が腐り落ちてしまうわ」

 何のためにそんな劇薬を作っているのか、とは聞けない。そしてまた、興味もない。
 腐るのはイヤだなあ、などと呟いたエカに、それほど悪いものでもないわよとツウィルは微笑む。

「さあ。ご飯を食べたら行きましょう」
「うん」

 

*

 はっ、と息をのんでしまったのはこの際仕方がないとエカは思う。
 目の前には二人のゾンビ。
 片方はどうやら女性らしい。腐りかけの顔からは、一部灰色の骨がのぞいているが、金色の髪と服の上から伺える胸の膨らみがそれとわかる。
 もう一人は男性だろうか。あらかた崩れ落ちてしまった肉体はぶよぶよとしているし、煤けた煙突のような色をしていた。

 ──そのゾンビの男性が、パンの生地を作っている?

 不衛生、という文字がエカの頭に浮かんでしまったのは仕方がないだろう。
 エカとツウィルは、エカ達がすんでいる洞窟内の一角にあるにパン屋に来ていた。
 普通のパン屋に見えたのだが、そこの店長はまさかのゾンビ。冷えた洞窟にはハエがいないから、ゾンビの二人にはハエなんてたかっていないけれど、外にでたら確実にウジもわいている頃合いだと思える腐敗具合だ。
 パンには発酵が必要とはいえ、作っている本人たちまで発酵しているとは思わなかった、とエカが小さく呟けば、こら、とツウィルが苦笑した。

「見た目は確かに怖いかもしれないけれど、本当に良い方達なのよ? ビルゾンさん、フレリシュさん、こんにちは」
「おお、ツウィルさん。……おや、小さな子だね」
「ええ。私が引き取った人間の子よ」
「あらあら。魔女に育てられるなんて、この子、賢くなるわねえ……ふふ、今のままでも賢そうだけれど」

 男性の方のゾンビにはビルゾン、女性にはフレリシュ、と呼びかけて、ツウィルはエカの頭をなでる。
 「ああ、ごめんなさい、顔が怖いわよね……」と声のトーンを落としたフレリシュに、エカは「そんなことない」と首を振った。実際は少し怖かったけれど、それよりもこの二人に悲しい顔はしてほしくなかったのだ──何故か。
 エカの言葉にフレリシュは優しく微笑んで、「優しい子ね」と柔らかく紡ぐ。その声があんまりにも優しいものだから、エカは小さいときに亡くなってしまった母親を思い出した。母の匂いも声も姿も、今となっては忘却の彼方なのに。
 少しだけ、胸の奥が痛む。

「……エカ?」
「何でもないよ、ツウィルさん。ちょっと、……なんだろうね、ここの人たちは優しいから、わかんなくなっちゃった」

 えへへ、とエカが浮かべた笑みに、ツウィルは何もいわずに頭をなでる。柔らかい光をともした三組の瞳が、小さな人間の少女を見つめていた。

「あ、ええとね、あの」

 優しい瞳に照れたエカが、珍しくたどたどしくも言葉を紡ぐ。くすくすとツウィルがそれに笑って、ビルゾンの方に悪戯っぽく目配せをした。
 何だろう、と首を傾げるゾンビの夫妻に、エカは精一杯の言葉で話し始める。パンがおいしいこと、今まで食べた中で一番のお気に入りであること、朝食にここのパンがでると一日が幸せになること。
 少し大げさかなあ、と話しながらもエカは思ったが、エカが話し終われば、ゾンビの夫妻はにこにことして顔をほころばせていた。

「貴方、聞いてらして? ……ふふふ、嬉しいわね、こういうの」
「ああ。自分たちで作ったものにこんなに可愛いお嬢さんが讃辞の言葉をくれるのだものなあ。毎日頑張る甲斐があるってものさ」

 肉はくさりおちていて、表情は読みにくくあるけれど、それでも確かに夫妻は満足そうに笑っている。
 そうだわ、とフレリシュが声を上げ、店の奥へと引っ込んだ。

「折角だもの。焼きたてはいかが?」
「わ……!」

 ふんわりと甘いバターの香るそれは、エカが好きなシュガーロールだ。シュガーバターを生地に練り込んで焼き上げるから、バターの香りと優しい甘味がなんだか懐かしいような、幸せな気持ちにしてくれる。

 何やら薄い手袋を片手だけにつけたビルゾンが、ボードに乗っていた焼きたてのシュガーロールを一つ摘み上げてエカの手のひらへと落とす。
 ツウィルを上目づかいにみれば、良いわよ、と視線だけで返される。ツウィルからしてみれば、貰ったらすぐに食べても誰も怒りはしないのだが──エカは許可を取る癖がついているらしい。その仕草は、どことなく小動物を思い起こさせて、ついつい可愛さに頬が緩んでしまう。
 幸せそのもの、と言った顔でシュガーロールを頬張り始めるエカはリスのようで、ツウィルも夫妻もほほえんでしまった。

「とっても! とっても美味しかったです、ビルゾンさん、フレリシュさん!」
「そう。それはよかったわ」
「おいしそうに食べてくれるからこっちがうれしくなってくるよ」

 少し照れるけれどね。そう笑って、手袋のついていない方でビルゾンが皮膚からのぞく頭蓋骨──耳の後ろあたりだ──をかく。そういえば、とエカは目を輝かせた。

「ねえ、その手袋ってなあに……なんだか、布でできているようには見えないのだけど」
「ああ、これは【ビニール手袋】というらしいよ」

 布にしてはやたらと薄く、手袋の中の手が透けて見えるそれは、目にしたときからエカの興味を引いていた。ビニールってなあに、とエカが訊ねれば、「水も通さない布みたいなものかなあ」と曖昧な答えがビルゾンから返ってくる。

「すまないね、ちゃんとした答えを返せなくて。これはミシェルが私達のためにと買ってきてくれるものなんだ」
「ミシェルさんが?」
「ああ。彼は商人をしているだろう? 何せ私たちはこんな種族だからね、そのままの手でパンを焼くのは不衛生だろう? だから、彼が外にでる度に買ってきてくれるんだ。これなら水も通さないから安心だよと」
「へえ……」
「出所は教えてくれないんだけどね」

 企業秘密、とウィンクされるのだという。そして、代金も受け取らないのだとか。

「そういえば彼、今はハロウィンタウンの外にいるのだろう?」
「ええ……“同胞”に呼ばれたのだとか」

 ビルゾンの問いにツウィルが答えれば、フレリシュが心配そうに眉根を寄せた。

「大丈夫かしら……」
「本人は準備をしていきましたし、殺しても死なない人ですから。平気だとは思うのだけど……」
「準備ってことはあなた」
「ええ。“アレ”の注文が入っています」
「そう。なら平気ね……材料はあるの?」
「後一つ必要なものがありまして。今からそれを買いに行こうと思っています。ここのパンをその人へのお土産にしようかと」

 あらあら、とフレリシュは微笑み、町長さんのところかしら、とツウィルに尋ねる。それに是と答え、「あの人の好きなものをお願いします」とツウィルは苦笑いをした。

「あの人は気まぐれだから。……ああでもツウィル、貴女運がいいわ。ちょうど焼きあがったのよ──」

 そうしてフレリシュが渡してきたのは何の変哲もないパンプキンパイだったのだが──
 ツウィルの微笑みも、フレリシュの笑いも、ビルゾンのそれも。
 急に苦笑いになった。



***


 苦笑いになった意味はよく分かった。
 
 洞窟内のくせにやたらと明るい大きな穴に、人が一人──いや、かぼちゃがひとつ佇んでいる。
 真っ黒な燕尾服、白い手袋、すらっとした長い足の先には汚れ一つない革靴。これだけなら何処かの紳士かとも思わなくはないのだが。

「かっ……かぼちゃ……」

 思わずエカは呟いてしまう。至って紳士的な服装を、上へ上へと見上げていけば、そこには綺麗なオレンジ色のかぼちゃ頭。それが本当にかぼちゃなのか、それともかぼちゃをかぶっているだけなのかは分からないが──かぼちゃの好物がパンプキンパイというのは──どうなのだろう。

「ジャック町長?」
「あ。ああ、おやおや。ツウィルさんじゃありませんか。ネー?」
「こんにちは。今日は町長に売っていただきたいものがあって。これ、お土産です」
「おや! これはワタクシの好きなパンプキンパイ! いやあ、ありがたいですネー」
「それで、売っていただきたいものなんですが……」
「はあ。ほお。貴女がここにきたということは“秘薬”の材料探しですネー? しかし貴女は先日、秘薬を誰かに送りはしませんでしたか?」
「ええ。今度は別の依頼人──というか、ミシェルに頼まれてしまって」
「ほお。……彼ですか、これまた、いやはや」
「本人は“保険”と言っていましたから、特に不安がることはないと思うんですけど」
「“彼”がいうなら問題ないですネ、素行には問題が大ありですが、それもまた一興。それでは材料を」

 外にいるかのように眩しいのは、壁一面に光るこけがついているからだとエカは知った。触れてみれば仄かに温かい。話し始める魔女とかぼちゃ頭を尻目に、エカはじっくりと苔を観察し始めた。
 ふと周りを見てみれば、洞窟内だというのに土が盛り上がっている。よくよく見れば、そこら一帯が畑を模したものだと気がついた。
 じっくりと畑も観察していれば、後ろからとんとんと背をたたかれる。振り返ればそこに──



 カボチャ頭だ。
 多分、拳一つも顔の間に空間がない。きゃっ、と驚いたエカは自分でもびっくりする勢いでツウィルの背後にと隠れる。心臓が早鐘を打っていた。

「止めて下さい町長さん、怖がるわ」
「これはこれは。知り合いによく似たお嬢さんだったものだから──ただ、あの子とは目の色が違うネ。まあもう良いんだけど」

 何のことかと首を傾げた二人に、こっちの話とかぼちゃ頭はわらう。
 何故かタケノコを抱えているツウィルに、視線で「これはなあに」ときけば、「お薬の材料」と答えられた。煮物でも作る気なのだろうか。

「すくすくタケノコは成長が早いですからネー。“秘薬”に欠かせないんですよネー」

 何のことかとエカは首をまたもひねるが、ツウィルが否定しないから真実なのだろう。薬とは摩訶不思議だとエカは納得しながら、口を開いた魔女の言葉をおとなしく聞いた。

「町長さん、多分、この町にまた人が増えるわ」
「おやおや。それは“魔女としての預言”?」
「いいえ。きっとこれは、“女の勘”ね」
「それならきっと当たりますネ。貴女は女の勘を外したことはないから」

 楽しくなりそうだ、と笑うカボチャに、ツウィルが「そうね」とだけ返す。
 その顔に何故か厳しいものが浮かんでいるのが、エカには気になった。


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