妖宴 閑話 壱
 山奥くんだりまで足を運んでしまったことに、黒髪の青年は後悔し始めていた。何せ、話しかける人もいなければ、美しい景色が広がっているわけでもない。歩けども歩けども、獣道は獣道でしかないのだから。
 獣に襲われることも、ならず者に害されることも心配はしていないが、如何せん、退屈とは罪であり死に至る程の病である。
 これから向かう場所も、愉快ではあれど、楽しくはないだろう。荒む心の歪みをぶつけるための、そう、はけ口程度にしかならない。
 
「まァた、面倒なところに作ったものだ……」

 廓、とは、人目をはばかりはするものの、賑わっている場所に作られるべきものである。少なくとも、獣道を延々と行った先にあるものではない。獣道を越えてまで会う価値のある女などいるものだろうか?
 邪魔な前髪をかきあげて、黒髪の妖狐はため息をつく。

「なァにが“白毛の玉兎”だ。白染めだったら潰してやろう」

 廓ごと燃やしてしまえば、少しはこの鬱憤も晴れるかもしれない。
 お目当ての娘が偽りに塗り込められた者でないことと、偽りにまみれたものであること、両者を半々ずつ期待しながら、狐は山道を登る。
 春の日も沈み、桜が月明かりを受け、妖しい光をその花びらにともす頃の出来事だ。



「門構えは立派──ますますよく分からんな」

 獣道を登りきり、山の中にぽっといきなり現れたのは、門構えの立派な建物だ。はて、これは廓なのかと狐が小首を傾げれば、それを見計らったように鼠の小男が門を開ける。寺の坊主と変わらない出で立ちの小男に「生臭坊主じゃあるまいし」と狐の男は舌を打った。大方、男は鉄鼠であろうが──とある神社で幼少期を過ごした狐には、坊主の出で立ちの男が、このような場所にいるのは不愉快だったのだ。
 尤も、元神主であるこの狐は、自分のことなど棚に置いてしまっているのだが。

 物もいわぬ娘が二人、狐の男が門を抜けたところでぴったりと両脇につく。煩わしい、と言い掛けたところで、小太りの中年男が揉み手をしながら近づいてくるのに気がついた。
 まごうことなき狸爺だな、と口には出さずに狐は思う。自らと同じ、変化の術を使える妖怪ではあるが、格が違うと言っていい。

「これは、これは……黒き髪に底冷えのする金眼──玄冬殿、でございましょう」
「気安く呼ばないで貰おうか」

 脂ぎった男の顔に反吐が出そうになるのをこらえ、「白毛の玉兎は」と手短に問う。狸の男は奇妙に唇をゆるめ、「旦那様がお初にございます」と嫌悪を呼び起こす笑みを浮かべた。

「白染めの女でも出して見ろ、この建物ごと焼き払ってやる」
「滅相もない。“本物だからこそ”誰も手を出せなかったのですよ」

 親指と人差し指をくっつけて、古狸は円を作る。この下衆め、と狐が嫌悪感を露わにすれば、「これも仕事でございますから」と古狸は気にする風もなく笑った。
 要するに、「高すぎて誰も抱けない」と言うことだ。なるほどそれなら本物の可能性も高い、と頭の隅で考えて、自分にこの話が回ってきた意味を吟味する。
 身も蓋もない言い方だが、誰かに蹂躙された後の娘より、清いままの娘の方が、“商品”としての価値が高いのは明白だ。
 つまりは、ここで狐の男に娘の価値を下げさせようと──手の届く値段にしてしまってから、娘を買おうとしている輩がいる、ということなのだろう。
 
 そも、どの種の妖怪であれど、“白毛”とは貴重なものである。
 幸せを呼ぶだの、富が集まるだの、手に入れれば権力を手にできるだの、そんな曰くがついて回る者だ。
 それに加えての“玉兎”。
 玉兎とは元来、その艶やかな体つきで他者に取り入る種族だ。妖力も殊更になく、ひ弱な妖怪であるから、他者を籠絡して生き延びるしか手がない。ともすれば、成長すればするほど、玉兎には清いままの娘が少なくなっていく。それは、玉兎という種族に課せられた運命──ある意味での呪いと言えた。
 つまり、清いままの玉兎は珍しく、なおかつ白毛ともなれば、そこらの妖怪には手の出せぬほどの価値がついてもおかしくない。
 興味本位、ただの好奇心で覗きに来たとはいえ、それが本物である可能性が強まれば、狐の男もそれを実際に見てみたくなる。
 狸爺の言った通りの金額を払えば、狸は少々驚いたようだった。
 大方ふっかけたのだろうが──狐はとある地方の妖怪の総大将だ。ふっかけられたところで、有り余る財を処分するのに都合がいい、位にしか思えない。舐められたことに気付きはしたものの、涼しい顔で払ってしまえば顔を青くするのは狸の方なのだから笑ってしまう。

「だ、旦那、この額は」
「何だ? もっと高いとでも言うのか。幾らだ?」
「い、いえ、そうではなく」
「じゃあ何だ? まさか娘がいないとでも」
「いえ、この額は少々、調子に乗ったまでにございます──」
「もっと安い、と?」
「はあ──」

 安いわけではないのですが、ともごもごと口にする狸に、じゃあなんだと狐は睨みを利かせた。
 お気に召します娘かどうか、分かりかねるのでございます、そう口にした狸に、「しまうのも面倒なのだから、ならば最初から出させるな」と狐は吐き捨てる。どうせ捨て金だからと取っておくように言えば、狸は身を震わせながら代金を懐へと仕舞った。
 所詮は低級の妖怪なのだろうと、冷えた目でそれを見る。庶民とは、高額の金を手にしたときには小心になる、そう狐は知っていた。
 こういった職についている狸にしては、随分と金の匂いになれていないものとも思ったが──何せ、“物が物”である。白毛の玉兎など、上級の廓主ですら抱え込めることは希なのだ。
 男が震えてしまうのも、無理はないのかもしれない。


 狸に案内された場所は、屋敷の奥の薄暗い座敷だ。ごゆっくり、と一言残して消えた狸を気にすることもなく、ゆっくりと襖を開ければ、其処からふわりと漂うのは、甘ったるい香の匂いだ。ちらちらと揺らめく蝋燭の光に白い膚を舐めさせているのは、淫らに着崩された着物を纏う娘。
 雪のように白い髪の、赤い目の玉兎だった。

 愁いを帯びた顔は、幼さと儚さ、どこか匂い立つような艶やかさを漂わせ、少し引っ張れば解けてしまうような布にくるまれた身体は魅力的な曲線を描いている。
 着物の袷目から伸びる、白く柔らかそうな足の先、足首に嵌まった足枷が、彼女を廓の所有物であると知らしめていた。

「本物の白毛、か」

 狐の呟きには言葉を返すことなく、玉兎の娘は身体をびくりと震わせるのみだ。
 怯えるようなその瞳は、間違いなく食い物にされる者の顔であり、それがどうしようもなく狐の心を揺すぶった。

「売られでもしたのか」

 自らこのような場所には来るまいと狐が口にすれば、娘は俯く。
 小さな声で「はい」と答えると、娘は涙を一筋流した。

「同族の集落を、燃やされて」

 ぽつぽつと娘が語る話を繋ぎ合わせれば、どうやら娘のいた集落は、とある妖怪の一段に滅ぼされてしまったのだということらしい。珍しさと美しさで廓に高く売られた娘は、それからずっとこの場で客を待っていたのだと──語った。

「嗚呼、でもきっと、わたくしは幸せな方なのね」

 こんなにも凛々しい方に買われるのだもの、感謝をせねばなりませぬ。

 睫毛に透明な滴をつけたまま、微笑む娘の顔は痛々しい。どうにもやり切れなくなって、狐の男は玉兎の娘を抱き締めた。
 もしかしたら、これが演技なのかもしれないし、玉兎にとっての“身を護る術”、なのかもしれない。けれど、たとえ哀れっぽい演技で同情を誘っていたのだとしても構わなかった。

 荒む玄冬を見かね、廓にでもいってこいよと冗談を飛ばした幼なじみを思う。その幼なじみの言葉に重ねるようにして、配下の妖怪が口を出し、「山奥の廓には白毛の玉兎がいる」などということを知り。
 これほど美しい娘とは思わなかったし、これほど心を奪われるとも思わなかった。玉兎が他者を誘惑するすべに長けていることはしっていたが、ここまで見事に愛らしいのならば、それは虚構ではなく、ある種の“本質”なのだろう。
 見目がよいから利用され、使えなくなったら襤褸雑巾のように捨てられる。
 “狐”であるが故に“兎”との縁も深い男は、“玉兎”という種族が虐げられるものであることも知っていた。

「お前、名は」
「白桜、と名付けられました。──白い桜。わたくしのおりました故郷では、雪が溶け、鶯が鳴くと、雪のように白い花びらが散るのです」

 着崩した着物の丁度胸元あたり、紺の布地に映える白い桜が散っている。
 柔らかい身体を抱きしめ、娘の顔を胸に埋めさせた。後頭部に回した手のひらでそっと頭を撫でれば、娘は一瞬だけ身体をこわばらせる。
 おずおずと、娘が顔を上げ、玄冬の顔をのぞき込む。

「旦那様、白粉が、お召し物に」
「着物程度、汚れても構いはしないさ」
「ですが」
「しばらくこうさせてくれないか。お前の体温は心地いい。──ああ、いっそ、添い寝だけでいいか」

 ──飢えているわけでもなし。

 抱き寄せた体の温かさは、玄冬のものと変わりはしないのに、両者の立場は大きく違う。白桜はどこか困ったような、焦ったような顔をして、玄冬の胸にすがりついた。

「こ、困ります──。 その、あの……抱けぬほど、魅力のないものでしょうか、私は……」
「そういうわけではないが──」
「旦那様、抱かれぬ者はただの穀潰し、なのです」

 どんな仕置きを受けるか、と顔を青くした娘に、玄冬は考え込んでしまう。哀れな娘の事を思って発した言葉だったが、娘にとっては逆効果だったらしい。今まで手を出せた客もいないとのことだったから、それはそれで肩身も狭かったのだろう。
 高すぎて売れ残る。それは、売るほう側としても頭の悩む商品なのだから。

「それに、わたくしは、──優しい旦那様になら」

 抱きしめて下さった貴方なら。
 手荒にされようとも、怨まずにいられる気がいたします──。

 そうやんわりと、寂しげな声で言われてしまったら、玄冬にも否やはなかった。
 元より、抱きたくない、というわけではなかったのだから。




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