妖宴 6
 ふわりふわりと湯気が漂っている。どこか緊張した顔で、心細そうに小さな壺を抱きしめる娘に、玄冬はいれたての茶を勧めた。

「すみませんね、茶菓子がどうも見当たらなくて」
「いえ──いえ、お、お構い、なく」

 中途半端に裏返った声に娘は恥ずかしそうに頬を染め、目を伏せる。
 落ち着かないのだろうか、手にした壺の表面を何度も何度も娘は撫でて、玄冬の視線を避けるように俯いていた。
 雪のように白い髪、それに負けず劣らずの日の光を知らぬような、色素の薄い膚。伏せられてしまった瞳が、花のように赤いことを玄冬は知っている。

「遅いですねえ……お待たせしてしまって申し訳ありません、白桜さん」
「大丈夫、です……ええと、私は時間がたくさんありますから」
「そう言っていただけると、こちらとしても心が軽くなります──貴女の薬は本当に効く、と白秋も熱弁していましたからね。助かります」
「……そんな、私も本当に嬉しいです」

 顔を赤くしながらも、花がほころぶように微笑む娘──白桜には、かつての陰りは見られない。
 あの頃は陰気で哀れな娘であったのに、と頭の隅で思いながらも、玄冬は白桜に優しく微笑んだ。
 どうしてなのかは分からないが、玄冬は娘が綻ぶように笑うのが好きだった。悪意や下心なしに浮かべられる表情は、彼が見てきたものの中で一番可愛らしい。ともすれば愛玩動物に向けるような愛おしさを感じることもあるが──それは本質と少しはずれているであろうことも、玄冬は理解していた。

「白秋さんは、火傷が苦手でいらっしゃるのですね」
「妖狐でありながら火傷を嫌がるというのは、少しおかしい話でしょう?」
「いえ……! どなたでも、痛いのはお嫌でしょうから……白秋さんは、火傷をよくされるみたいですが……?」
「狐火のね、加減を間違えるんですよ」

 白秋が火傷をするのはそれだけのせいではないし、寧ろ玄冬の狐火のとばっちりを受けることの方が多いのだが、それは黙っておいても良いだろうと、玄冬はあえて口にしなかった。

「ふふ、妖狐の方でも加減を間違えることはあるのですね」
「ええ、もちろん。誰しも完璧ではありませんからね」
「でも、羨ましいです。私には、火を出すことも幻術を見せることもかないませぬから」

 仕方のない話なのですが、と照れくさそうに笑う白桜に、そんなことはありませんと玄冬は微笑んでみせる。柔らかい声音に、白桜の頬が染まった。

「貴女には類い希な才がありましょう? 貴女の薬で救われる者がおりましょう? 自分を卑下してはなりません。貴女は自分で思っているより、多くのものを有しているのですから」

 ついうっかりと白桜の頭を撫でてしまって、玄冬ははっとする。“あの時”のことを彼女は覚えていないし、自分は“あの時”のことを忘れさせたのだから当たり前だ。

「あ……ええと、あ、ありがとうございます……」

 顔を赤くしながらも、白桜はうれしそうに笑う。“あの時”もそうだったな、と玄冬は目を細めた。あの時と違うのは、今のは玄冬の気まぐれでも何でもなく、白桜が頭を撫でられるのが好きだと知っていてやったこと、というところだ。
 

 ──淫らに着崩された派手な着物。

 今は地味な着物に身を包み、穏やかに微笑んでいる。

 ──甘ったるい香の匂い。

 あれも嫌いではないが、今の白桜から漂う薬種の香りの方が、飾り気がなくて好きだった。

 ──囚われの身であることのしるしの、足枷。

 足枷はもはやその白く細い足首にはなく、彼女を繋ぎ留めるものなどはどこにもない。

 ──憂いを秘めていた、飾られたかんばせ。

 憂いの欠片もない、というわけではないけれど──今は、憂いよりも嬉しさや幸福感の混じった微笑みを浮かべているのをよく見るし、白粉と紅で飾られた顔よりも、照れで赤く染まる頬の方が愛おしい。

 変わったのだなと時の流れを感じてしまうのは、玄冬の気のせいでもないだろう。
 廓に“商品”として──モノとして佇んでいたときの白桜と、人里離れた僻地の村で、薬師として“兄”と暮らす白桜と。
 違うのは当たり前であったし、違うのは当たり前でなくてはならない。
 “兄”は白桜を大切にしているようだったし、白桜も“兄”を慕っているようだった。
 それがまた、玄冬の心をじわじわと締め付ける。

 ──貴女にあったのは、私の方が先なのに。

 元来、彼女が恥ずかしがり屋である事くらいは玄冬には分かっていたし、玉兎にしては珍しいほど、異性を苦手としているのも分かっていた──尤も、“あのような場所”にいれば、異性を苦手とするのも無理はないのかもしれないが。

 異性が苦手。そうあっても、白桜は猫又である“兄”の撫子だけには甘え、そして慕っているのだ。
 素直に羨ましいと思うし、妬ましい。
 血の繋がりはなくとも、白桜にとって撫子は“特別”なのだろう。言ってみれば、命の恩人であるようなものなのだし。
 あの時、無理矢理にでも自分のモノにすべきだったのだろうかと思ってしまうほどには──羨ましい。

 その後の彼女を思えば、玄冬が自分の記憶をかけらも残さずに白桜から消し去ったのは正解ではあったのだけれど。
 あの頃は自分も、様々なものに雁字搦めにされていたから、白桜を買い続けることも、廓抜けさせることもかなわなかった。
 すべての地位を手放した今、奇妙な偶然で白桜と再会したのが幸いだろう。

 ──賭博師が悪人であったらなあ。

 撫子が悪人で、白桜をものとしてしか見ていなかったら、幾らでも奪えたのに。
 白桜も撫子も、お互いを家族のように大切にしているし、過保護な気はしなくもないが、撫子は妹のように白桜に接している。撫子の隣で楽しげに笑う白桜の顔に、偽りも無理も見られない。

「玄冬さん……?」

 穏やかに、慈しむように見つめながら頭を撫でてくる玄冬に、白桜が首を傾げる。

「ああ、すみません──」

 あまりにも愛らしかったので、とからかうように口にすれば、白桜はかっと顔を赤く染めた。熟れきった苺とも劣らぬような赤だ。

「おう、今帰ったぞー」

 恥ずかしがって俯いてしまった白桜の頭に、白髪の青年の声が降ってくる。件の青年、火傷の薬を心待ちにしていた白秋だ。
 間の悪いことを、と笑顔で思いながら、玄冬は「おかえり」と紡ぐ。
 白桜の頭に乗せられていた手のひらは、今は玄冬の膝の上にある。
 白桜の壷を抱きしめる腕が、ほんの少しゆるんだ。



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bkm


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