クドラクとクルースニク デートの約束
「だから違うって言ってんだろうが」

 埃っぽく薄暗い、朽ちた礼拝堂の中に、どこか他人を馬鹿にしたような青年の声が響く。
 色とりどりのステンドグラスには、この世を生み出したとされる唯一神の姿が象られていたはずだが――それも所々割れ、色付き硝子が落ちてしまったせいで、創造主とはとても言えない、無惨でおぞましい姿をしていた。
 首だけが割れ落ちた創造主のステンドグラスには、何らかの悪意があるような気すらしてくる。実際にはただの偶然であっても、だ。
 青年はそんなステンドグラスの破片や、一部崩落した礼拝堂の石の天井の欠片を踏みつけながら、酷くだるそうに、朽ちかけた木製の長椅子に腰掛ける。
 勢い良く投げやりに腰掛けられた長椅子はキシリと悲鳴のような不気味な音を立てたが、青年は気にしなかった。

「俺はクルースニクだ、なんて名乗ったことはねえよ。少なくともアンタにはな」

 あんなのは童話の登場人物だろうが、とうんざりしたように吐き捨て、その年でメルヘン趣味か? と余計な言葉を一言添えてから、礼拝堂の入り口に立つ老紳士に返す。

 無礼な言葉を投げかけられても、老紳士は何も言わずに立ったままだ。手にした杖ですら動くことはない。

 崩れ落ちた天井から差し込む光が、細い糸のように青年の頬に垂れる。
 まるで舞台の主演のような光の差し込み具合に、青年の艶やかな銀の髪がきらきらと煌めく。
 男にしては長めの髪を、緩く結った藤色のリボンは、だらりと長椅子に腰掛けている青年のように、煌めく銀髪に混じりながら垂れている。
 どこかの王子を思わせるような、光沢のある白いコートが、青年の動きにつられて揺れた。
 不躾にも足を組んだ青年は、面倒くさそうに膝にひじをつき、立てた肘で頬杖をついて、深く息をつく。
 
 老紳士は何も言わず、やはり入り口付近で石のように立っている。

「俺がクルースニクだとして、おっさんは何しにここに来たんだ?吸血鬼でもあるまいし、退治でもされに来たのか」

 自殺志願は勝手だが、幇助はしてやんねぇぞ、と足元の小石を蹴飛ばして立ち上がり、青年はコートの内ポケットから小瓶を出すと、それに口をつけて、中身を飲み干す。
 空になった瓶を適当に放り投げれば、葡萄酒と書かれた小瓶のラベルが、地に落ちた途端に瓶ごと割れて飛び散った。
 底の方に残っていた葡萄酒も飛び散り、まるで血のような赤い華を真っ白な石の床に咲かせる。
 かつては礼拝堂として機能していたこの場所は、今や見る影もなく荒れ果てていた。

「何か答えろよおっさん。用がないならそこからどけ」

 嫌味なほどにっこりと笑ってそういった青年に、老紳士がやっと口を開いた。
 歳を経て白くなってしまった髪、青年の白いコートとは正反対の、夜を思わせるような黒色のマントがばさりと音を立てた。
 青年はその青い瞳をすっと細める。

「ごまかそうとしても無駄だ、クルースニク」
「あん?」

 見た目同様に重々しい声音が、皺だらけの顔を持った老人から発せられる。
 見た目だけは誠実そうな青年は、非常に無礼で短な一言と共に老紳士に舌打ちをした。

「銀の髪、青い瞳、白い衣――お前がクルースニクでないという証拠はない」
「年寄りらしい頭の固さだな、おっさん――何だアンタ、銀髪に青い瞳の女の子が、真っ白なウェディングドレスを着ていても『クルースニクだ』って突撃か?」

 幸せな門出をぶち壊しかよ、俺でもそんな事はしねえのに――と、わざとらしく肩をすくめ、青年はやれやれと揶揄するように首を左右に振る。
 力を込めるようにして、老紳士が手にしていた杖を握りしめれば、老翁の手にした杖が、微かに震えた。

「黙れ若造が」
「俺ァ若くはねえよ?まあ、おっさんに比べたら若いかもしんねえけど──あ、いや、多分おっさんよりは歳くってるかもな」

 少なくとも若造じゃないぜ、とにやりと笑って、銀髪の青年はコートのポケットに手を突っ込んだ。

「貴様に殺された同胞の恨み――貴様は私が討つと決めたのだ」
「あ? 俺は生まれてこのかた、人殺しなんかしたことねえよ」
「黙れ! 吸血鬼の兄を持つ貴様が、何故兄と同胞の者を討つ!」

 だから殺してねえよ、と青年はぼそりと呟いて、面倒くさそうに首の後ろをかいた。
 銀髪が青年の指に引っかかる。それを適当に引き抜けば、青年の髪を縛っていた藤色のリボンがするりと解けた。
 銀色の髪が青年の肩にふわりと広がる。辛うじて引っかかっていた藤色のリボンをつまんで、青年はうんざりしたように息をつく。

「もういいよ。アンタと話してても時間の無駄ってのが、この数分間で理解できたぜ」

 ほどけたリボンを結びなおし、青年はゆっくりと老翁に目を合わせる。
 氷のように冷たい青の瞳が、老翁を射抜いた。


***

「で」
「で?」

 不機嫌なのかそうでないのか、よくわからない無表情を顔に張り付け、銀髪の女が青年を見やる。銀髪の女の左手には、コーヒーのはいったマグが握られていたが、それは口を付けられることもなく、放っておかれている。
 
「で? それでどうなったのかしら?」
「あ?」
「それで、どうなったのかときいているのよ」
「逃げた」
「はあ?」
「おっさん、俺が銃を取り出したら警戒し始めてなァ。一発撃ってトンズラかました」
「あら? あなた、吸血鬼は殺さないのではなかったの?」

 こてんと首を傾げた女性に、殺さない訳じゃねえよ、と青年はつまらなさそうに答える。

「今まで殺してないってだけだな。使命云々はどうでもいいとして、必要があれば殺るんじゃないか?」
「じゃあ、致命傷にならない程度に?」
「いや。そもそもが煙玉だからな。傷すらつけらんねえだろうよ。いやあ、あのおっさん、ビビった勢いで大きく息吸ってたからなァ……可哀想に、やたらむせてたぜ」

 老体にはやさしくしなきゃな、と思ってもいないようなことを紡いだ青年──ニックに、女性は冷たい目を向けた。いつものこととはいえ、やはりなかなかの屑加減だと思う。分かりきってはいたことだけれど。
 女性が一口コーヒーを飲めば、それで、とまねするかのようにニックが口を開く。彼の手の中には、コーヒーではなくワインの入ったグラスが握られていた。まだ、昼前であるのに。

「なあに?」
「お仕事大好きなクルクちゃんが、どうして俺みたいなのをデートに誘ったんだ?」
「デート? 勘違いはやめて貰えるかしら」

 遠慮なく顔をしかめた銀髪の女性──クルクに、「ちょっとしたジョークなのに怖い顔すんなよ」とニックは肩をすくめる。頭の固さだけは変わんねえなこいつ、と口にする前にクルクが口を開いた。
 ことり、とクルクの手にしていたマグがテーブルにおかれる。飲んでいたグラスの中のワインを空にして、ニックもグラスをおく。

「召集令が出たのよ」
「それは聞いたぜ、お嬢さん? それでもって、“慣例通りに”俺は出ない、ってのも伝えたはずだ」
「それが、そうはいかないのよ──だから私が、あなたを連れてくる役目を担ったの。押しつけられたのよ。お分かりかしら、“ニック様”?」
「んだよ、今更……」
「貴方、“始祖”に近いんですってね? 私、クルースニクの始祖は立派な人だと思っていたから、ガッカリだわ」
「安心しろ、“始祖”に近いってだけで始祖じゃねえから。まあ、今となっちゃ俺みたいなやつは、俺以外にはいねえから──事実上の“始祖”かもしんねえけどな」

 まじめに会話を聞りだしたはずが、青年の手によって妙ないい加減さを伴ってきてしまった。それを感じてクルクはため息をつき、何でこんな人が、とうなだれる。
 “始祖”とは、クルースニクの大元──つまりは、原点であり、比類無き強さを持ってこの世に善を振りまいた、とされている。一般的に語り継がれる“クルースニク”の童話、寓話、神話、民話、伝説……いわゆる、御伽噺の域を出ない話は、“始祖”の話をベースにしたものが多い。だからこそ、話に出てくるクルースニクは皆一様に礼儀正しく正義感の強い、清い人物であるのだが──その“始祖”に近いらしいこの青年は、全く別の駄目っぷりだ。屑と言ってもいいかもしれないし、クルースニク的にも人間的にもアウトだろう。

「冗談でしょう、と言いたいところだけど──今はそれどころではないからおいておくわ。貴方にはどうしても来て貰わなくてはならないの」
「面倒くせえなァ……俺なんかいたっていなくたって変わんねえだろうよ……いや、いない方がスムーズなんじゃないか?」
「それは私も思うけれど……“同胞”がどうしてもというから」
「あー……あいつだろ、やたら頭の固そうな銀髪に青目の」
「クルースニクはみな銀髪青目だとわすれたのかしら?」
「一様に頭も堅いしな」
「尚更誰だかわからないじゃない」

 とにかく来て、とため息をつくクルクに、お嬢さんの頼みなら仕方ないな、とクルースニクの青年は、髪をかきあげた。黙っていれば“始祖”としても申し分はなさそうなのに、口を開けば屑なのだから、世の中とはかくも不条理なものである。

「あ、じゃあ行ってやるから俺の頼みも聞いてくれ」
「何?」
「面倒が終わったらデートしようぜ、行き先は俺任せで」

 にこりと微笑まれ、クルクは脱力する。どうせ本気でないことは明白だからと、彼女は呆れるようにそれを了承した。お、ラッキー、などと笑っているあたり、断っても問題はなさそうだったが──

「面倒に巻き込んだお詫びはするわ」


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bkm


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