ハロウィンタウン:少女とクルースニク

 墓場に囲まれた森の奥、人など到底住めないような洞穴に、彼らは住んでいた。
 鳥の代わりに蝙蝠が飛び交い、ところどころ岩が崩れて開いている穴からは、青空の代わりに鬱蒼とした森の木々が微かに見えるだけ。
 時折聞こえる鳥の鳴き声は、その穴を介して洞穴に響いたが、穴を介して聞くその鳴き声は、低く、淀んだ空気を微かに震わせるような、不気味なものに変わっている。
 大抵の人間はそこに何がいるのかを知らない。そこは昼間はひっそりと静まり返った、ただの洞窟でしかない。
 洞窟のある森を囲むようにある、汚れた墓石の乱立した墓場は、人を寄せ付けないからなおさらだ。
 朽ちる寸前の簡素な木製の十字架は、盛り上がった土にそのまま突き刺されているし、誰が埋まっているのか、名前も判然としないほど風化した墓石には、蚯蚓が二匹這っている。
 不気味な森の近くの村には、古くからこんな言い伝えがあった。
 「森に近づいてはいけないよ。森の怪物に食べられてしまうよ」
 子供の頃に抱いた恐怖というものは、大人になってもなかなか消えない。それが姿の見えない、有るとも無いとも言い切れないものならなおさらのこと。
 森に近づく村人はいなかったし、村一番の腕白小僧ですら、「森に連れていくよ」と言えば大人しくなった。村人にとって森は、恐怖の対象だった。
 ――だから、誰も知ることはない。その森に、人間の少女が一人、暮らしていることを。
***


「よーっす、エカ。また本読んでんのか?」
「ミシェルさん。――昼間は暇だもの。この町の人たち、みんな寝てしまうから」
 薄暗い森の中の奥深くには、一つ大きな洞穴がある。それは確かにただの洞穴だったのだが、洞穴は蟻の巣のように、中で幾つもに分かれていた。
 地中深くに続く穴も有れば、外に出る穴もある。少女は外に出る穴を通って、洞穴の中よりは明るい森に出てきていた。
 出てきた穴のすぐそば、お誂え向きにある切り株に腰掛けて、少女はいつもこうして本を読んでいる。
 それはただの暇潰しで、書かれた内容も「錬金術の可能性とその未来について」などという小難しいものだったから、少女は話しかけられた瞬間にその本を閉じた。
 その瞬間、どこかの錬金術師の顔は、再び重い表紙と紙の束に押し潰された。
「読みかけだったろ?」
「ううん。眺めていただけ。難しくてよく分からないし」
「俺も分かんないから、お前が理解してたらショックだよ」
 はは、と軽い笑い声を漏らし、小難しい本を少女の手から取って、ぱらぱらとめくった青年は、アホくさ、と呟いて本を少女に返した。
 丁度「賢者の石」についての記述がされている部分が開かれたまま、少女の手へと本が渡った。
 けんじゃのいし、と呟いて少女は記述に目を走らせる。
 ――永遠の命、金を創りし至高のもの。
「錬金術、ね。金造ってどうすんだか」
「売るんじゃないの?永遠の命って云うのもついてくるみたいよ」
「賢者の石、とか言っておきながら望むのは富と命か。浅ましいなー。賢者が浮かばれねえよ」
 賢者がいるとは思えねえけど。
 そう呟いた青年を、少女はのんびりと見る。
 青年はどこかの司祭が着るような法衣に、どこかの農民が着るようなズボンとブーツを身につけている。
 はっきり言ってちぐはぐだし、もっとまともな格好をすれば、本で見た「王子様」になれるだろうに、と少女はいつも思っていた。
 きらりと光るような銀髪、泉のような青い目は、本の中の王子様とそっくりだ。
「いつも思ってたけど、ミシェルさんて変な格好よね」
「家の中で気合い入った格好しなくても良いだろ?」
 茶目っ気のあるウィンクに、少女は吹き出した。そう言われてみればそんなものなのかもしれない。
 確かに、彼が外に行くときには上等そうな服に外套を羽織っていて、やたら神々しかったのを思い出す。
「あれ、動きにくくて仕方ないんだよ。すぐに脱ぐことにはなるんだけど」
「そうだ。ねえ、変身して見せてほしいわ!」
「ヤダ」
 ミシェルと呼ばれた青年は、意地の悪い笑みを浮かべ、べぇっと舌を出した。
 子供っぽいその仕草も、どこかしっくりと馴染んでいるのは、彼の気さくさが大きいだろう。少女はむっとした顔をしたが、子供っぽく駄々をこねるなどはしなかった。
「私だけ見てないのに」
「見なくて良いよ、あんなの。エカには見せたくない」
「残念」
「俺が変身するってことはさ、戦いがそこにあるってことだぜ?」
 ミシェルと呼ばれたこの青年は、人のようでいて人ではなかった。
 
 「クルースニク」という名で人々から崇められ、あるいは怖がられる彼は、人以外の――獣の姿を取ることができた。
 彼が獣になるということは、即ち、戦いがすぐそこにある、ということでもある。
 彼は、生まれながらのヴァンパイアハンターだった。
 クルースニクとは生まれながらにして吸血鬼と戦う宿命を背負わされた者のことだ。母親の胎内から取りあげられた際に白い羊膜をつけて生まれた者が、クルースニクとなるし、赤い羊膜をつけて生まれた者は、クルースニクの敵とも言える、クドラクになるという。
 クルースニクはクドラクと戦う運命を背負わされていて、クルースニクはクドラクと戦う際に、人ではない姿、獣や火の玉に変化するのだという。
 少女はその話を、今は亡き兄と共に、古くから伝わる伝説、又は童話として、昔よく聞いていた。
 そんな童話の主人公の「クルースニク」が、少女の前でこうして微笑んでいる。
 いわば善の、光の象徴であるはずの彼だが、彼は一般的なクルースニクではなかった。
「嘘よ。だってミシェルさん、ミスター・ヴィトランカと仲良しじゃない。戦うことなんてあるの?」
「はは、どうだろうな?あんまり戦いたくはねえけど」
 生まれもっての「吸血鬼を始末する」という使命をあっさりと放棄し、彼は怪物たちが集まる洞穴で、のんびりと暮らしていた。
 たまに洞穴の外の町に出かけては色々な物を仕入れてきたりするのだが、そんなクルースニクは世界を探しても彼一人だけだろう。ヴァンパイアハンターが商人と大して変わらない生活を営んでいる現実は、外の人間からしたら卒倒物だ。
「良いんだよ、勝手に祭り上げられて『吸血鬼相手にしろー』とか言われたって困るんだよ。こっちの都合をまるで考えちゃいねえ」
「まあ、そうね」
「クルースニクだかクドラクだか知らねえけど、体にくっついてたお袋の体の一部程度で人生左右されちゃたまんねえよ」
 クルースニクも元はただの人間です、とミシェルはエカに宣言し、ふうと息をついた。
 薄暗い森の中では白っぽいエカの服装も、くたびれてはいるがれっきとした白い法衣を身に纏ったミシェルも、木々の影で暗い色に染まる。
 ひゅうひゅうと吹く風は、悪魔が口笛を吹いているようでほんの少し気味が悪い。
「昔は一応真面目だったけどな……いや、これだと今は不真面目みてえだな」
「クルースニクだということを配慮しなくても、世間的には今も不真面目だと思うわ、ミシェルさんは」
 エカの言葉にミシェルは面白そうに微笑んだ。
「どのへん?」
「女たらし、遊び放題、適当、ふざけてる。人の基準でもミシェルさんは不真面目だと思うの」
「クルースニクとしても人としても最低か。そりゃ良いや。気が楽だな」
「私はそういうミシェルさんは嫌いじゃないけど」
 付け足されたエカの言葉に顔をほんの少し綻ばせ、そりゃ嬉しいやとミシェルは揶揄するような声をあげた。エカもそれを見てにやりと笑う。
「私、人間なんかよりここのヒトたちの方が素敵だと思うもの」
「概ね同感だな」
「みんな優しいわ。変わってるけど」
「お前にゃ言われたくねえだろうな」
 ミシェルの言葉にクスクスと満足そうに笑って、エカは切り株から立ち上がった。
 ぱんぱんと尻を叩き、切り株においた本を手に取る。
「もうそろそろ起きてくるわよね?」
 太陽は沈もうとしていた。


***

「あら。ミシェルにエカ。どうしたのよ」
「ちょっと外にいたの。本読んでた」
「俺はシャゴールが起きてくるまで暇潰ししてた」
 洞窟に入った瞬間にかけられた声に、エカは丸い目を嬉しそうに細めて、声をかけてきた女性に抱きついた。
 女性はカンテラを片手に、洞窟内の燭台に一つ一つ火を灯していたらしい。
 カンテラを取り落とさないように少し高く掲げながら、女性は抱きついてきたエカの頭を柔らかく撫でた。
 エカの銀色とは真反対の漆黒の長髪が、カンテラと燭台の光を受けて、濡れたようにつやつやとしている。
 女性はエカを撫でた時にこぼれ落ちてきた一房の黒髪を耳にかけ、それからのんびりした声で、残念ねえ、とミシェルに声をかけた。
「シャゴールなら、今日は起きられないと思うわ」
「……またかっ!」
 うふふ、と妖しい笑みを浮かべた女性に、ミシェルは頭をがしがしとかく。エカとお揃いの煌めく銀髪は、洞窟の中でも星のようだ。
 女性は変わらずに笑い続け、その夜を表したような黒い眼を、不意にミシェルへと向けた。ぎくり、と青が揺らぐ。女性の目は笑っていなかった。
「勝手に持ち出したでしょう」
「いや、あれは必要だったからさ」
「言い訳ならシャゴールからもう聞いたわ」

 抵抗できなくなるまでたっぷりね。
 目だけは笑わない微笑みでそう言った彼女は、間違いなくこの空間の支配者だ。
 ミシェルは冷や汗を額に浮かべながら、人差し指で頬を軽く引っかいている。
「なあ、そんなに怒らないでくれよ、ツウィル」
「そこらの女みたいに簡単に落ちるとでも?」
 甘えたような、同情を引くような顔を作ったミシェルは、子犬の様に従順そうな目をして、女性に近づいた。
 おそらく普通の女性なら、これであっさりと落ちるはずだった。何故ならミシェルは顔が良い。
 黙っていればどこかの王子然とした美青年なのだ、そんな顔で甘えられたら大抵の物事にはカタがつく。その上、ミシェルはそれが自分の武器だとよく知っていた。
「だよな」
 そして、そんなことくらいじゃこの女性の機嫌は直らないということも、よく知っていた。
「あのねえ、あれは高価な薬なのよ?」
「知ってる。でも、ツウィルならすぐに作れるだろ?」
「当たり前だわ。私をなんだと思っているのかしら」
「じゃあ良いだろ」
 蝋燭に照らされた二人の影が、洞窟の壁に影絵のように張り付いている。妙な方向に引き延ばされているが、エカはそれをじっと見つめていた。
「良くないわ」
 影が動く。びくり、と男の方の影が身じろいだ。
 女の方の影が滑らかに男の影に近づき、つっ、と細く、長い指が男の胸をなぞる。
「自白剤。何に使ったの?」
 蝋燭に揺らめく炎のように、女の声は柔らかい。
 一方で、男の方はといえば風前の灯火という奴だった。完全に萎縮してしまっている。
「仕事でちょっと、な?」
「あら貴方――仕事してたの?」
「一応、クルースニクだからな」
「その割には、シャゴールも一緒だったみたいね?」
 男の影が後ずさる。エカは影絵から目を離し、目の前の二人を見つめた。
 青年は冷や汗をタラタラと流しているのに対し、ツウィルの方は柔らかな笑みのままだ。
「……魔女に隠し事?」
「悪かった!町の情報通に一番可愛い町娘は誰かって聞き出しただけなんだ!」
「くっだらない理由ね」
 にっこりと吐き捨て、ツウィルは法衣の襟をぎりぎりと掴む。
 エカはそっとミシェルから目をそらした。
 ツウィルと呼ばれているこの女性は、正しく魔女だった。薬も呪いもお手のもので、災厄も祈りもまき散らす。
 可憐で柔和そうな見た目からは判断できるはずもない狡猾さと凶暴さは、間違いなく闇の生き物のものだった。
 とはいえ、普段は本当に柔和で可憐な女性なのだ。一緒に暮らしているエカはそれをちゃんと理解している。ツウィルが豹変するのは、自分の作品ともいえる薬を、無断で使用されたときだ。
 そのときの彼女は柔和さを上塗りしただけの破壊者となる。相手が泣いて許しを乞うまで――否、相手が泣いて許しを乞うても、彼女自身が満足するまで、彼女は絶対に許さない。
 そして、彼女の琴線に触れるのは、専らミシェルとシャゴールだった。二人とも馬鹿ではないはずなのに、学習能力が足りていない。
「盗みを働くクルースニクなんて聞いたことないわ」
「悪かったって、代金は支払うからさ」
「当たり前でしょう!」
 呆れた顔をして、魔女は法衣から手を離す。クルースニクはほっとした顔を見せた。
 真っ黒なドレスに似たローブの腰に手を当てて、魔女はため息と共に説教をし始める。
 エカはもう馴れてしまったが、本来は善の象徴であるクルースニクが、災厄の象徴ともいえる魔女に、常識や善悪について説かれているのは、一般的に見たらひどくおかしなものだった。
「使うなら使うと言って」
「そうします……」
 うなだれたと言うよりは説教に飽き飽きした様子のミシェルにツウィルはすっと目を細め、遠慮なく足を踏んづけた。
 おとぎ話に出てくる王子のような外見には相応しくない呻き声がミシェルの口からは漏れる。
 ツウィルはわざわざ小指の太さくらいのヒールの靴で踏んだから、エカにもその痛さは想像できた。それにしても、ひきがえるの鳴き声を幾分か高くしたような呻き声は、なかなかに気持ち悪い。
「ああすっきりした」
 開店準備始めなくちゃ、とつかつかと歩いていったツウィルは、去り際にエカにこう声をかけた。「ヘンな人について行っちゃだめよ」と。
 いつもの言葉にエカは頷き、母代わりの魔女に手を振る。柔らかく笑った魔女の彼女は、エカに小さく手を振って、カンテラを片手に洞窟の奥へと進んでいった。
 黒いローブが完全に見えなくなったところで、怖いなー、とミシェルが息を吐く。怖いと言ったわりにはけろりとした顔だから、あんまり反省はしていないのだろう。
 クルースニクでなくても褒められない態度に、エカは「これだから不真面目だと言われるのよ」とミシェルの顔をみた。ミシェルはへらりと笑う。
 エカには、次に彼が何と言うかは予想できていた。
「わり、一緒に来てくれねえ?」
「――ヘンな人についてっちゃ駄目って、言われたばっかりなの」
「俺は人じゃねえし。クルースニク」
 そういうのはただの屁理屈、と言いながらも、エカは仕方ないなあとミシェルの後に続く。
 入り組んだ洞窟内の道を迷いなく歩けるのは、ミシェルがそこに頻繁に出入りしているからだった。
 洞窟は蟻の巣のように幾つもの道と幾つもの部屋に分かれているが、意外にも洞窟以外の場所につながっている道は、三つだけだ。
 
 この洞窟がある森の中には、大きな古城が建っている。森に囲まれたそこには今や人はすんでいない。その古城のワインセラーと、この洞窟内の道は、一カ所だけ繋がっていた。
 残りの二箇所の内、一つはエカが先ほどまで本を読んでいた、森の中でもわりと開けた場所に出る道と、もう一つは抜けても周りは木が鬱蒼と生い茂るような、そんな薄暗い大自然につながる道だ。

 何故、古城と化け物が棲むような洞窟がつながっているのか。答えは簡単だ。
 古城に人は住んでいないが、化け物は棲んでいるのである。
「この道通ったの久しぶりかも」
「最近はこっちに来てるもんな、あいつ」
 足場があまり良くないからと、エカを抱えたミシェルは洞窟をスタスタと歩いていく。奥に進めば進むほど、土の匂いは消えて、しっとりした、黴臭いような空気が漂ってきた。
 見慣れた土の壁も、いつの間にか石に変わっている。染み出た地中の水分が、ぴちゃん、ぴちゃん、と地面を打っていた。
「壁より地面を石張りにして欲しいもんだが」
「同感」
 気を抜けばすぐに滑ってしまいそうな地面の濡れようだが、古城の主にとってはそんなことはどうでも良いのだろう。彼はあまり歩かない。大体において“飛んでいる”。
「お、よーし」
 見えてきた石扉に、ミシェルがのんびりと声をもらした。
 ミシェルは片手でエカを抱いたまま、普通の人間なら、一人では開けられないような石扉を易々と開けてしまう。それが出来てしまうのは、彼が『クルースニク』だからなのだとエカは知っている。
 石扉の先の道はきちんと整備されていて、これなら歩けるな、とミシェルはエカを下ろした。こつ、とブーツと石畳のぶつかる音がする。
 少し進んだ先にはまたしても石扉があった。申し訳程度に欠けているところに指を引っかけ、ミシェルはそれをスライドさせる。
 ずりずりジャリジャリと重い音がして、扉が開く。
 開いた先は一見行き止まりのようだが、そうではない。
 ミシェルは少し低い天井に手を這わせ、窪んだところに手を固定させると、それを思い切り押し上げた。
 丁度、床を真四角に切り取られて作られた物置から、二人が蓋を押し上げて出ていくような状況だ。
 ごとん、と音がして、黴臭くはない空気が入ってくる。
 四角に切り取られたようにぽっかりと開いた天井は、古城のワインセラーにつながっている。
 エカを抱え上げて先にワインセラーに出したミシェルは、エカの次に穴から這い出てきた。よっこらせ、と親父臭いのはいつものことなので、エカはそれを放っておく。
 エカはこの道を通るのが好きだった。探検をしている気分に浸れるし、出た先が古城のワインセラーだなんて、これから潜入するようでスリルがある。
「よし、行くか」
 ミシェルの言葉に頷いて、エカは彼の後についていった。


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