「おい、ジョシュア。ジシャン呼んでこい、ジシャン」
「またですか」
「またですよ。……ったく、アイツもそろそろ自信持って良い頃なんだけどな。ま、それまで頼んだぜ。“助手のジョシュア君”」
微妙に白い歯をのぞかせて、ニッと笑うのは、この旅一座の主の獣使いだ。ライオンだか虎だかクマだかに引っかかれたらしく、顔の半分に三本、長い線が横切っている。それは左目から右頬の下あたりまで、大胆に顔を横切っていたが、一座の主のこの男曰く、“獣使いとしてはくが出る”そうだ。
獣を使いこなせてないからそんな目に遭ったのでは、とジョシュアは思うが、きっと口に出さない方がいいことも世の中にはあるだろう。
ともあれ、今夜の公演時間まではあまり時間がない。
旅一座を支える出演者として欠かせない、先輩マジシャンのジシャンの元へと、ジョシュアは行くことにした。どうせ、また、人気のない舞台裏で、死んだような目でぼそぼそと何かを呟いているのがオチだ。
*
「私なんて……わたしなんて……今までどうしてやってこれたのか……あああ……もういっそ殺してよ……
ぼそぼそと、呪詛のようなささやきが聞こえて、ジシャンはとある大道具の入った箱の側で動きを止めた。今日はここか、と辺りを見回す。カラフルなボールに玩具みたいなナイフ、松明の束がいくつかおいてあるところをみると、多分ここはジャグラーの道具置き場だろう。
よくもまあこんなところに──と感心しながら、問題の囁きが聞こえた箱の裏に回る。
薄暗い中、その中でも更に暗いような箱の陰に、探し人はいた。
黒と黄色の縦縞の派手なスラックスに、茶のブーツ。黒いベストに赤いリボンを首もとにつけた、ショートカットの小柄な女。
舞台用の衣装は華々しいが、本人の纏う空気は鬱々としている。
ジョシュアが近づいたことにも気づかず、ジシャンは俯いたまま後ろ向きな言葉だけを吐き出していく。
すすり泣かないのは、もう、その顔に舞台用の化粧とペインティングが施されているからだろう。
その辺は何というか、さすがプロだ。こういう所はしっかりしているというのが、このマジシャンの良いところで悪いところだとジョシュアは思う。
「先輩、公演時間迫ってますよ」
「……えっ……もう、なの……」
「はい。さっき団長に言われましたからね。さっさとして下さい、先輩」
ジョシュアの言葉に、よろりとマジシャンの女は立ち上がり、俯いたまま大きなため息をつく。
ジョシュアが再び声をかけ、ようやっと持ち上がった顔には、生気は全くない。
蝋人形、よくて抜け殻といった体だ。これでよくもまあ、看板なんぞを務められるものだとも思うが、ジョシュア自身、ジシャンのマジックに惹かれて一座入りをした経緯があるから、ジシャンの実力についてはもう、痛いほど理解している。
もっとも、ジョシュアはマジックをするには不器用で、ジシャンの助手をしながら、ナイフ投げやダーツを投げてみたりしているのだが、一座入りからあまり日が経っていないこともあって、まだまだ新米のパシリ扱いだ。
あまり旅一座に入った実感はないが、まあ悪くないとジョシュアは思っている。下積み時代なんて、どこもそんなものだ。
習うより盗め──事実上の彼の師匠に当たる道化師はそう言っていた。
今のところ、彼が道化師から盗めたものは、真っ赤な付け鼻程度だ。最近嫌みな仕打ちを受けたから、嫌みには嫌がらせで対抗してやろうという、ジョシュアのささやかな抵抗だ。
「ああ……ジョシュアくん、これはピェーリさんに返さないと……困ってましたよ」
「はっ?」
いつの間にか、死んだ眼の女の手の中に、彼が持っていた赤い付け鼻が収められている。
公演時間ぎりぎりに道化師に持って行ってやろうとして、彼はそれをポケットに入れておいたはずなのだが。
ぽんぽんと、ポケットを叩いてそれがないことに気づく。
「意地悪しちゃだめですよ……ああ見えてピェーリさん、ジョシュアくんのこと、気に入ってますから……」
ほら、と手の中に付け鼻を落とされて、ジョシュアは一瞬固まった。
──スりやがった。
手品師ほどの器用さと、ああ見えてなんだかいろいろ見ているらしいジシャンの観察眼のなせる技、なのだろうが、不意打ちは心臓に悪い。
「先輩」
「ああ、もう、大丈夫です……あとはもう、死んだ気で頑張ります……」
ふらふらと獣使いのコンテナに向かおうとしているマジシャンは、一度、用具入れに派手に突っかかって転んだ。
「そこ、用具入れがあるって言おうとしたんですが」
時すでに遅し、というやつだ。