クドラクとクルースニク 5

 深夜というには遅すぎる時刻。
 丁度、鶏が鳴き、パン屋が仕込みをはじめるような時間帯、いわゆる早朝。
 白く糊の利いていたシャツをよれよれにして、白いコートから煙草、香水、酒――夜の匂いを漂わせて、その青年は立っていた。
 村はずれの墓地を越え、流れる小川をもっと先へ、木々が生い茂る山林の中、ぽつんと佇むようにして建っている山小屋の前。
 白いコートを着た上品そうな顔立ちの青年は、顔立ちからは想像もつかない『上品』などとは言いがたい、粗野で乱暴な行動をしていた。
 ガンガンどんどんと、木製のドアがノックされている音が、静かな山林に響き渡る。
 バサバサと小鳥が迷惑そうに飛んでいった。
 
 ブーツの先のほうで木製のドアをガンガンと蹴り付けているその青年は、山小屋の主がなかなか戸口に現れないことに首を傾げる。
 いつもならばこのあたりで、不機嫌全開で扉を開けるのだが。
 
 ――さては出てこないつもりか。
 ふむ、と青年は目を細め、口の端をつっと持ち上げて笑った。
 いれて貰えないのなら、入れば良いだけの話だ。
 上品な顔に、とても上品とはいえない笑みを浮かべ、青年は自分のコートの内ポケットを探る。
 青年のコートの内ポケットには、常に細い針金が入っていた。
 何に使うのかと問われれば――勿論、『鍵の代わり』に使うのだ。
「こんな小屋に鍵なんざ、意味ねえと思うけどな」
 細い針金を、青年は鍵穴に差し込んだ。
「お仕事大好きな“吸血鬼ハンター”か、よほどの馬鹿じゃなきゃ、吸血鬼の家に入ろうとはしねえだろうし」
 その“吸血鬼ハンター”と“よほどの馬鹿”の二つの要素を持ち合わせていることに、青年は気付いても気付かなかったふりをした。
 差し込んだ針金を、上下左右に少しずつ揺らす。かちりと引っかかった部分に針金を絡めるようにして、青年は糸のように細い金属の棒をゆっくりとまわした。
 軽い音と共に、鍵が外れたことを悟る。
 針金を引き抜き、コートの内ポケットにしまうと、青年はドアノブに手をかけ――
「本当に貴様は常識が無いな、クルースニク」
 青年がドアノブに手をかけた瞬間に、勢いよく扉が開く。
 あと少しで青年はその高い鼻をドアにぶつけるところだったのだが、持ち前の反射神経の良さでそれを回避した。
 青年が鼻を打たなかったことに、ドアを開けた男がチッと舌を打つ。
 闇そのもののような黒い髪。血のように赤く、人を睨みつけているかのような眼は、眼鏡のレンズの向こう側で青年を冷たく見据えている。
 彼こそが、青年とは旧知の間柄の、この山小屋に住む吸血鬼だった。
「人がいるのが分かってて、勢いよくドアを開ける奴には言われたくねえよ」
「不快な臭いをさせながら、他人の家に来る奴には絶対に言われたくないな」
 眉間にしわを寄せて吐き捨てた男に、クルースニク、と言われた青年はけらけらと笑った。
「『他人』とはまた水臭い!種族は違えど俺たち双子だろ、クドラク?」
「認めたくは無いが事実だな。三拍子揃ったクズが私の弟とは、神も残酷なことをするものだ」
「吸血鬼が『神』とはお笑い種だなァ、オニーサマ?」
 繊細ながらもすっきりとした、端正な顔を酷く歪め、クドラクと呼ばれた男はため息をつく。
 『クルースニク』という、生まれながらにして“吸血鬼ハンター”として生きることを定められた種族に生まれついた銀髪の青年。
 『クドラク』という、人の生き血を啜ることで、永らえ生きる“吸血鬼”という種族として、この世に生を受けた黒髪の男。
 二人は種族こそ違えど、正真正銘、血の繋がった兄弟だ。それも、よりによって双子。
 生まれた際に白い羊膜をつけていたなら、その赤ん坊は“吸血鬼と戦う使命”を背負わされ、善の象徴である『クルースニク』として生まれてくる。
 生まれた際に赤い羊膜をつけてしまっていたなら、その赤ん坊は“闇の生物”であり、悪の象徴である『クドラク』として生を受ける。
 同じ母の胎から、青年は白い羊膜を、男は赤い羊膜をつけて生まれてきた。
 だからこそ、双子であり因縁の相手であり、旧知の間柄なのだ。
 もっとも、両者共に『種族としての使命』は果たす気は無いのだけれども。
 クルースニクは『善の象徴』など「糞喰らえ」と鼻で笑い飛ばし、酒を飲み女と遊び、博打を打って怠惰な生活を送っている。その様は、吸血鬼たるクドラクから「三拍子揃ったクズ」と評されるほどだ。
 一方のクドラクは、理性的で慎ましい、きわめて模範的な生活を送っていた。酒にも女にも博打にも手を出さず、読書を唯一の趣味とし、人の血液を摂取することもあまりない。「吸血鬼らしくない」ほどに。
 だからこそ、お互いで殺しあう必要も無かった――顔を会わせる度に罵倒しあう程度だ。
「ちょっと風呂貸してくんねえ?」
「断る。川で冷水でも浴びて来い」
「まだ夏にもなってねえんだぞ。風邪引くっつーの」
「私は『馬鹿は風邪を引かない』という定説を信じている」
「迷信に決まってるだろうが。馬鹿でもアホでもサルでも風邪ぐらい引くぜ」
 酒臭さを撒き散らしながらそう言うクルースニクに、クドラクは無表情で家の中に引っ込んだ。
 そのままドアでも閉めるのだろうかと思っていたクルースニクの前に、クドラクが再び姿を現す。
 不機嫌を通り越して無表情のクドラクの手には、見慣れぬバケツが存在していた。
 何だよこれ、とクルースニクが口を開いたその瞬間を見計らって、クドラクの持っているバケツが、クルースニクの顔に飛んでくる。
 バケツから飛び出た冷たい液体の塊は、正確に青年の頭を直撃した。
 液体の直撃から一拍置いて、月の光のように優しげな銀髪から、つるりと雫がおちていく。
 よれよれになってしまった白いシャツにも、煙草のやにの臭いが移った、金色の上品な刺繍が施された白いコートにも、じわりと液体がしみこんでいく。
 髪を結っていた藤色のリボンは、ぺたりと潰れて彼の銀髪にへばりついていた。
 辺りには苺のような、甘い香りがふわりと漂っている。
「ッ、てめえ……お前、ふっざけんなよクドラク……」
「水の滴るいい男、とでも言っておくか?良かったな、クルースニク」
 細く美しい銀髪の一房から、ぽたりぽたりと雫が落ちていく。
 それを鼻で笑いながら、クドラクは液体消臭剤の入っていたバケツを、クルースニクの足元に放る。
 がこんと少々間抜けな音を立てて、そのバケツはクルースニクのブーツに当たった。
「ほんと……お前……くそ、目に沁みる……」
「通常は顔にはかからないはずのものだからな」
 それは痛いだろう、とクドラクがさらりとそう言えば、クルースニクは、良く分かってんじゃねえかこの野郎――と、コートの袖のほうで顔についた消臭剤をごしごしと拭う。
 ようやく見えるようになった目で、クドラクを睨むと、足元に放られたばかりのバケツを、クドラクに向かって蹴り返した。
「おっと」
 それを難なく受け止めて、クドラクはクルースニクににこりと笑いかけた。
「貴様の醜悪な『後付けの体臭』を処理してやったんだ、感謝されることはあっても、このような無礼な行いをされる謂れは無いと思うが?」
「人の顔に消臭剤をぶちまける奴には言われたかねえよ」
「尤もな言い分だな、クルースニク?」
 しかし、とクドラクはゆっくりと続ける。
 血のように赤い瞳が、冴え渡るような冷たさを持ち始めたことに銀髪の青年は気付いた。
 
「それは君が至極真っ当な青年であり、早朝に酒・煙草・香水臭い状態で他人の家に出向かなかったら通用する話だ」
「他人だなんて水臭せえなオニーサマ?」
「君と血が繋がっていたことを、これほど恨めしく思うこともそう無いだろうよ――」
 
 黒っぽいジーンズのポケットに手を突っ込み、中から水の入った瓶を取り出した自らの兄に、クルースニクは腹を抱えて笑った。
「お前、消臭剤の次は聖水かよ――人を魔物扱いするなっつーの」
 そもそも吸血鬼が手にするモンじゃねえだろ、と笑い転げた吸血鬼ハンターの青年に、蓋を開けた硝子の瓶を、吸血鬼の青年が投げつける。
「魔物の方がまだまともだ」
 青年の顔に聖水入りの瓶がぶつかったことを確認し、吸血鬼は山小屋の扉を閉める。
 苺の甘い香りと共に、ずぶ濡れで取り残される青年を、風が優しく撫でていった。


prev next



bkm


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -