Runaway Bride




───未練タラタラな男は嫌いですか?泣きぼくろがあって、ほらちょーど僕みたいな、───





「可哀想に…運が悪かったんでしょうね…」

廃棄を待つ冷たい檻の前。哀悼を装う如何にもな声が酸素に融けた。両指先を合わせ眉を困らせる姿は儚く、跪いて十字に祈る信徒にも似ている。

──しかし、それも外面だけだ。
墓地と大差ない保健所に手向けられる言葉としては何ら場にそぐわないものでもないし、不謹慎でもない為背後で控える役員も顰蹙する様子はないが、その言葉を口にしたのは誰かという問いに“旧多二福”の答えが返ってくるとしたら、本人が如何に切ない涙を浮かべようと不謹慎の烙印を押すべきである。
騙されてはいけない。信じてはいけない。どこかの絵本にも描かれていただろう、嘲笑う立場の者は好んで羊の皮を被るのだと。おさなごが笑い合ったまま読めるよう希釈された絵本から、舌先で曼珠沙華の根を結ぶ旧多二福という男から、羊の皮を信ずるべきではないと学ばなくてはならない。

格子の隙間より凝然と外を注視する瞳がよっつ。二匹の犬。彼らは廃棄を待つだけの手放された命であり、それなのに最後のその日まで餌をもらえる綱渡りの命だ。旧多の為人を本能で察しているのか、全てを諦めているのか、お天道様の元で頭を撫でてくれた温かい手を待っているのか、鳴く事もせず檻の奥でジ、としている。愛しい人の膝元を想像しながら、冷たいコンクリートの上、二匹身を寄せ合って。

両隣の檻にも同じように廃棄を待つ犬達がいた。格子に飾られているプレートには曜日と日付が記され、首輪をしたまま静かに佇む無垢があと何日の命であるのかを囁く。持ち込まれてから廃棄までの期間は一週間。場所によっては三日程度で殺処分とする保健所もあるそうで、惨憺な檻で幸も不幸もあったものではないのは至極正論とした上で、一日でも多く新たな居場所を待てるという点だけを考えたら、“一週間”の数字はまだ恵まれている方だといえた。

しん、と耳を刺す寂寞は不自然である。何匹もの命が死を待つ場所とは思えず、古井戸の様に変化なく淀んだ瞳で犬達を眺めていた旧多は、口を開けば汚い音で喚く人型よりもゴミ同然となってしまった彼らの方が余程利口だと思った。

「愛せもしないのにどうして受け入れたんだか」

ねえ?
そう言い肩越しに振り返る旧多に対し、言葉の真意を裏返す前に“もっともです”と首肯し俯く役員。一層と静まり返る空間から察するに、愛を絡め語って見せた言葉を慈愛の器から溢れ出た涙とでも捉えたようだ。

口角が吊ってしまうまま下唇を噛み、正面へ双眼を戻すと犬達の潤んだ瞳とかち合う。笑いを堪える様子は間違いなく映っているだろうに、腕を組むさなか唇へ“しー”、と人差し指を立てるだけで内緒話を察してくれるところはやはり利口である。

今日は趣旨を違えている為なんにもしない。しかし、もしも犬達に言葉が通じるのだとしたら、“貴方達が背を預けているそれはガス室への扉ですよ”と教えて差し上げただろう。同時に、辛気くっさい顔で俯く後ろの役員さんには“結局自分達が殺すんだからそんな悲しい顔はやめましょーよ”、とでも。

こうして綺麗な心を装い綺麗────な命に触れる自分を、薄暗いコンクリートの所為か不潔さが漂う天井の隅で窃笑しながら俯瞰すると、それこそ薄ら寒い演目に腹の底より笑いが溢れ、いっそ嘔吐を誘う不快感が胃を擽った。

気晴らしに訪れた廃棄場でも羊の皮で遊んでいる道徳観念の無さ。むしろ、こんな場所へ気を晴らしに来る神経の異常性。糸繰ごっこのお仕事をこなす中で頂いた笑気麻酔は、一般的に収まるべきであった趣味嗜好パズルの上下左右を組み替え、皮を脱げば他人から顰蹙を買いがちな精神構成へと完成させてくれたらしい。それでも結局は枠組みに納まっているのだから、細胞分裂が始まる頃には既にこうなる事が決まっていた、のかもしれないが。

温もりだけを遺していく影は残酷だと、廃棄場の酸素を吸う命全てが知っている。鞠をつく音が心臓の裏側で微笑んだ。鼓動に紛れて尾を引いては枝垂れ柳が泣いた夜へと帰還する自己の足取り。帰りに寄るペットショップまでの経路を脳内で辿りつつ、切なく鼻を鳴らして近寄って来た犬に首を傾げると、背後に佇む役員の踵が控えめに地を擦った。

「…引き取られるご予定ですか?」

「はい?」

ワケの分からない言葉を投げ寄越す掠れた声、それが旧多を振り向かせる。訊き返された事による動揺から揺らぎを灯す役員の目は細かい瞬きと共に檻の犬達を指し示し、並んだ靴底が控えめに鳴く。これだけでたじろいでしまう人間がよくもまあこんな職に就いているものだ。弁えて口を噤むアレを見習ってほしい。

───…ああ、ただ見学をしに来ただけなのでもう充分満足しました。楽しかったです」

廃棄場でにこりと淀む微笑みはせめてもの礼か、餞か。「“楽しかった”?」振り向いた旧多以上に訝し気な役員には、今し方自身が口にした“楽しい”の意味さえ理解に時間を有している事だろう。聞き間違えを疑って中途半端に笑う様子が如何にもである。短調の男が羊の笑みを崩さない絵面も手伝って、余計に言葉の意味を測りかねているようでもあった。

「そろそろ帰るかな〜」、鼻歌に似た声は柔らかく、そそくさ出口へ向かう足音の方が幾分も鋭い。罅割れたコンクリートを叩く踵。硬質で上品な音には変わりないのに、去る短調の後ろで首を傾げる犬が底抜けに無垢なものだから、壁や檻に反射しては鼓膜に届く踵の声が無情に尖る。

一度だけ吠える犬の声に、一生懸命でとても宜しいと小さな笑いが零れた。

「思い出しちゃうなあ」


───“僕達にとって最後の日”までは処女でした。頬に白百合が添えられる頃にはもう…ブフッ、すみません───

命が終わる糜爛した静けさに無音の瞬きすら煩い中、昨日の自分だけが幸せそうな声で笑う。脳内と外面は背き合ってなくてはいけないのに、ああ駄目だ、今も笑えて仕方ない。




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