はあ。
いつもよりずっとずっと重苦しいため息は縺れて地に落ちる。優しくそよぐ教会の庭でちくちく元気な猫じゃらしをきゅっと摘まんだ茶々が、つんと上向いた唇を悩ましげに開いた。

「琲世さん、ぼく…こういう時ってどうしたら…。」

昨日のこと。何回も何回も洗濯機に苛められたタオルケットにだって劣らないほどヘトヘトで寮へ戻ったら、部屋の中から茶々の私物だけがゴッソリと持ち出されていた。年末のビンゴ大会で当ててから飾ってあるだけだった日本酒も、クリスマスに差出人不明で届けられた靴下型毛布も、大事な大事なパソコンも、ぜんぶ。

深く根付いた雑草の様に立ち尽くす茶々の背後、なんの気配もなく現れた有馬貴将から告げられたのはお仕事内容の変更。そしてお引越し。荷物は全て運んだから、あとは茶々本体を持っていくだけだ、と。

「…従っておくのが無難かもね。というより、今更覆すのも無理だろうから…。休みはいつまで?」

「明日までです、今日と明日の2日間…。こんなにたくさんのお休み…これもまた怖くって…。」

ぜんぶ、何もかもこわい。気晴らしに付き合ってくれた琲世と共に訪れた教会で、気落ちした様子の茶々が落ち着きを求めて前髪を引っ張る。分厚く切られた前髪、心のカーテン。いつもなら多少の安心を得られるこの行為も、どくどくと叫ぶ心臓を静めるまでには至らない。

今はとにかく状況がゴタついていて、もう、茶々自身何がなんだか。理解できた所で、牧羊犬が主の声に逆らえるわけがないのだけれど。

鍛錬、お仕事、お仕事、鍛錬、鍛錬、鍛錬、お仕事、ご褒美、鍛錬、お仕事、鍛錬、、疲労の繰り返しが茶々のリズムだったのに、2日ももらえたお休み。これもまた茶々の心を乱す。日常が変わってしまう不安から来る息苦しさに、裏返しのステンドグラスを眩しそうにチラ見して落ち着かない唇をむにむにさせた。

「可哀想に。とてもじゃないけどゆっくり出来そうにないね…。よかったら部屋貸そうか?本も好きに読んでくれて構わないし…どうかな、」

「いえ…新しいお家にも慣れないといけないので…明日はお昼寝でもして時間を潰そうと思います…。」

一つ、言いかけて口を噤んだ琲世。天使が通って途切れる会話。

しゃがみ込んで猫じゃらしの匂いを嗅ぐ茶々はのん気そうに見えるけれど、まあるい背中はいつだって寂しそうな哀色をしているから。心配だなぁ、心の中でだけ呟いた琲世が手帳を開いて予定を確認するが、茶々の元へ行けるのは夜遅く。それではかえって迷惑になるのが目に見えていて難しそうに寄る眉。次の日から新しい“お仕事”が始まると聞いているし、それも含めてとにかく心配なのに。せめて気持ちの面でも、なんとかしてあげたいと思う。

そんな琲世の優しさも、背中を向けている茶々は気付けない。

「それにしても、…穏やかです。」

赦されて茂る雑草から茶々が目を移せば、護るべき人間達が何人か見える。

花壇を覗き込んで笑い合ったり、神妙な面持ちで教会へ入ったり、なんの面白味もない空を見上げたり。喰種にとって餌となる彼らは力だって弱いのに、それでも幸せそうでとても不思議。いつ喰べられてしまうのか、死の恐怖を差し置いて恋愛や人間関係に大きな悩みを寄せて。とても不思議。

琲世も茶々も、そんな人間を護る為に日々を生きている。体は人間でないにも関わらず。

なぜだろうと考えた時、茶々自身は最初から人間を護る為に産まれてきたからだと納得できるけれど、琲世のことはよく分からない。気持ちが知りたいと詳しいことを聞ける様な間柄ではないし、そもそも突っ込んだことを聞くのも苦手。只々、不思議だなあ。そう思う。

雑種の喰種と人工的な喰種。似た者同士でも琲世と茶々は違う。琲世はなぜ、人間を護って生きるのだろう。

勝手な人間、好き好んで護りたいとは決して


――琲世さん、あの子…見てください。枯れたお花だけを髪に飾って…優しい子ですね、


思いやり溢れる幼子の傍ら、もの悲しく十字を掲げた祈りの庭で。

綺麗なガーベラの花束を抱いたヒトが、足元のクローバーを踏み潰して歩いていた。


Ace in the Hole
最後の切り札


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