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From:有馬茶々
  To:佐々木琲世

琲世さんおはようございます。
おへんじが遅くなってすみません。
今はタケさんといっしょに局へきています。
有馬特等からのお願いで、今日1日ぼくといっしょに居てくれるそうです。
寝坊したわけではないのでしんぱいしないでください。忘れものもないです。
これからスタンプをもらって、おしごとに行ってきますね。今日は4区です。それでは、また。
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色濃い興味の視線が刺さる局のフロアで、送信完了と共にスマートフォンをバッグへしまう。

「喰種が来た」「ああ、有馬さんの」せめてヒソヒソと声を落としてくれたら肩が縮こまる事もないのに、隠しもしない声はしっかりと耳に届いて息苦しく気持ちが沈む。自分は確かに喰種で有馬だけれど、あの人たちが言っている有馬とは別の有馬で、足元にも及ばなくて、もうなんというか、こわい。後ろに控えた平子を一瞥してそわそわ前髪を撫でつけながら、ひたすら居心地の悪さに耐えた。

なぜこんな思いをしてまでこの場に居るのかについては、茶々が彷徨きますよ、喰種が彷徨きますよ、その許可を得る為に巡回する区の局でスタンプを貰わなくてはならないから。数個集めてご褒美1つに繋がるそれは、何かあった時の始末をお願いして、きちんと茶々の位置情報が発信されている事を確認して、そしてやっと押してもらえる。命の価値を表したポコン、とした軽い音で。

犬の躾と同じだ。重要なのはきちんとスタンプを貰いに来て、逆らわない従順な心を確認する事。服従の鎖が錆びついていないか、確認する事。

薄汚い雑種に当然「いってらっしゃい」の一言はなく、まるで突き返すように放られるご褒美手帳に物言えぬ瞬きが悲しんだ。仕方ない、誰だって喰種と関わりたくはないだろうから。
この対応は多かれ少なかれ、ずっと繰り返されたこと。

今更傷付いたりなんか――しなければこの前髪が青い目を覆う事は無かったのだろうが、残念ながら弱虫の心は今日もまた針でぷつぷつとされる痛みを感じる。押し付ける前髪は視界を閉ざすシャッター。手放せる日なんて来るはずがない。受け入れてくれる人なんていないから。

ポコン、命の音は軽い。

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From:佐々木琲世
  To:有馬茶々

びっくりした…。何かあったのかと思ったよ。早とちりだったようで安心しました。4区に限った話ではないけど、くれぐれも気をつけてね。油断大敵、お家に帰るまでがお仕事です。

それでは茶々くん、行ってらっしゃい。
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ゴロゴロゴロ…

嫌がる犬を無理矢理お散歩させるように引きずっているそれは、局で受け取ったボードケース。茶々のクインケ。

白鳩を連想させるアタッシュケースは避け、誰かから提案されたギターケースも避け、もうなんだっていいや…と投げやりに選んだのがこれだった。4区に置いていたクインケがどの子だったか覚えていないが、どうせ使いこなせないのだからどれを選んだって同じだろう。騒音ともいえるキャスターの音が会話のない二人を五線譜で繋ぎ、どうにかこうにか雰囲気を和らげようと頑張っている。

局を出てもう随分と経ったが、ずっとこんな感じだ。喰種との遭遇なんてない。ある訳がない。白鳩丸出しの平子を連れていたのでは。

白鳩を隠して一般人に擬態するため新調したお洋服もこれっきり処分行き。いくら治安の悪い4区とはいえ今は昼間、今日はお散歩だけで終わる予感がする。怖い思いをせずに済んだと思えばいいけれど。

無言の痛みで沈むように伏せた青い瞳が砂利の星屑を見つめれば、誰かと道を共にする難しさを痛むほどに感じた。居心地が悪い。何か話題、

「えっと…、平子さんとお会いする、のは…ひさしぶりですね、」

4区らしさの荒廃路地。取って付けたような今更の挨拶。幾分か落ち着く薄暗い影で見上げると、令の確認か平子は手帳を開いていた。猫のプリントがバーンと載っているだけな茶々のスタンプ手帳とはまるで違い、シックな色合いの革。

――ああ、なんだか…。
フツーを大きく下回ると卑下している茶々からしたら平々凡々を自称している平子にもよく似合っていて、とても、お上品に見えた。こんな事を言っても謙遜されて終わりだろうけれど。丸手あたりだったら、もっといいモン買えよと背中を思い切り叩くだろうけれど。茶々からしたらとても、お上品に見える。平々、凡々の男でも。

静かに見下ろされる痛みはやはり耐え難く、ちょいちょいと前髪を引っ張ってすっかり弱虫の癖付いた瞳が沈んだ。何も面白いことなんてない濃い灰色のコンクリートへと。

「運動会以来、でしょうか…」

「そうですね。あの時は茶々さんと有馬さんのお二方に度肝を抜かれました」

「あれは……………あんな事をされるとは思わなくて…こわかったです、何されちゃうんだろうって…。僕もびっくりしました…」

あの時、とは。

“CCG殺生なしの大運動会”
協調性、競争力、お遊び、色々な目的の元、白鳩に穴があかない程度の少人数でグループ分けされ数日に渡って開催された小規模な運動会。平子は実行委員の1人として、そして審判員の1人として参加していた。

「でも…ありがとうございました。その………おやこ、…競争のとき…」

もじもじ。
“親子”なんて擽ったい響きは本来落ち着く暗さである路地裏ですら小声にさせ、両手で押さえた前髪が「頑張って」「恥ずかしがらないで」と一生懸命に励ます。有馬貴将とは親子として過ごした時間なんて全くといっていいほどなかったから、あの時も最後の最後まで辞退を願い出ていたんだっけと苦く苦く思い出した。

その願いもむなしく白組対黒組の激戦、茶々は有馬と共に白組代表として親子競争に駆り出されたわけだが、これがまた随分と悪どい競技で。二人三脚のように親子の片足を縛り、大はしゃぎした実行委員倉元たちにより豪速球で撃たれる大量のボールを避けながらゴールを目指す、というもの。当たったらインクが弾けて即負け。倉元からの容赦は米粒一つとしてなし。

負傷者続出の騎馬戦やリアルファイトに発展した綱引きに比べれば殺伐とした空気も緩み、親子の競技ということで小学生の可愛らしい子や反抗期真っ盛りの高校生息子などほのぼのとした家族色が目立つ中、際立っていたのは自慢のご子息を引き連れた黒磐巌だった。父に見合う体格を持ち、へっぽこの茶々にさえ深く深く頭を下げる礼儀正しい息子さんは輝かんばかりで、前髪のフィルター越しでなければ直視ができなかったほど。

この競技は色々な意味で圧倒された。隣に立って呑気に眼鏡を拭いている有馬にも、お互い全力を、と熱く意気込む黒磐親子にも。

ああ、思い出すだけでも涙が滲むようだ。腹を痛めて産んでくれた母がいるわけでもない、産声を心待ちにしていた父がいるわけでもない、独りぼっちの茶々にとってあの空間は辛かった。場違いだった。

「…あれが親子競争かと聞かれたら答えに迷いますが、有馬さんが予想外の行動に出る事は想定済みです。それに…そう堅く縛る様な行事でもなかったでしょう」

スタートのピストルが鳴った瞬間、
機転を利かせ過ぎた有馬が取った行動は茶々を小脇に抱えてさっさとゴールを目指すこと。もちろん茶々自身だってぶったまげたし、迷惑を掛けない様にと一晩中悩んで荒れに荒れていた胃は張り裂けんばかりの痛みを覚えた。物凄くギリギリでボールを避ける怖さもそうだが、何よりあの有馬貴将に抱えられているという受け入れがたい事実。

そして、失格への懸念。身長が180cmもある有馬に対して茶々なんてサバを読んで150cmしかなく、足の長さも違えば歩幅も違うため勝ちに行くには大きなハンデになる事は自分でもよく分かる。だがこんな無理をして反則カードをもらってしまったら白組にポイントは入らず、有馬さんはいいけどお前はダメだと絶対に意地悪を言う人達が出てくるから。平穏でいたい茶々にとってはそれが嫌で嫌で仕方なかった。

「失格になっちゃいますー!」と涙声で訴える茶々に対して「タケだから」と当たり前の様に答えた有馬と、ゴール後、おイタをして捕まった猫の様に抱えられたまま「失格ですか?大丈夫ですか?」と半泣きで問うた茶々に対して「まぁ、有馬さんなので」とあっさり許した平子。

結果的には平子が言う様にこれも作戦の内と捉えられお咎めはなかったが、白組のポイントに大貢献した代わりに酷く心に残る競技となった。もちろん悪い意味で。

「…………審判の方がタケさんで良かった、です…。うう…こわかった…、」

「お察しします」

ボードケースのお散歩綱を手首に引っ掛けたまま両手で顔を覆う茶々に、かつて有馬に振り回された一人である平子はコクン、と頷いて労わりの言葉をかけた。コンビを解消した今も離れた息子の監視を頼まれて休日を返上しているあたり、完全に逃れられたとは間違っても言えないが。

「リレーも失敗しちゃうし…大玉転がしも玉だけ先に行っちゃうし…運動会のことは思い出すだけではずかしいです…。なんでこの話したんだろう…」

そう言って、また顔を覆う。一番盛り上がるから初めにやっちゃうか、と第一種目に選ばれたリレーに関しては、
間近で聞いたピストルの音にへたり込んだ茶々に好スタートもクソもなく、すぐに気付いた琲世がわざわざ戻ってきて茶々の手を引き走るという珍事があった。

大玉転がしはもうそのまんま。
勢い余ってすっ転んだら玉だけが物凄い勢いで転がってった。審判員平子が体を張って大玉を止めてくれなければ無駄な負傷者が出ていた事だろう。なにせ玉の向かう方向には、ぼーっと観戦するあの有馬がいたから。それこそ何をやらかすか分かったもんじゃない。

出た種目全部でやらかしていること、順を追って思い出してしまいこの話題を出した事を大きく後悔する。その都度平子や琲世にフォローされてなんとか凌ぎはしたが、心から申し訳ないばかりだ。

顔を覆ったまま歩くからお行儀悪く蹴ってしまう空き缶、静かな会話の中では心臓がドキッとする様な大きな音がカランカランと響いた。

「び…っくりした、」

驚きでぴょん、と飛び上がった茶々が目をやったそれ、何度も地面と頬擦りしたのかロゴが擦れて読めない。きっと何処かの誰かが一生懸命考えたであろう大事な商品名もこんなズタボロになるのなら、思案の一滴もない“D66の3”なんて数字しか割り振られていなかった自分の名前はどれほど擦り切れている事だろうか。きっと、この空き缶よりも汚くのっぺりしているに違いない。

こんなだから大玉もちゃんと転がせないしリレーのバトンだってすっぽ抜けるんだ。

運動会の有様を見れば明らかだが、産まれた事すら誇れない茶々は“とにかく脆弱”の一言に尽きるこの性格が災いして何事も失敗ばかり。精神が肉体や判断力に齎す力というのは決して馬鹿に出来ず、運動会も白鳩としてのお仕事も、すべて。

自信が無いなら無いなりに、名前でも持って生まれた能力でも自信に繋がる欠片を集めたらいいのに、今の名でさえ誰からもらった名前なのか、どういう願いが込められているのか、少しとして知らない茶々は大きな声でカランカランと問い掛ける権利を自分から手放している。それは声を上げる勇気がないからでもあるし、応えてくれる人なんか居やしないんだと卑屈になっているから。声帯切除された犬の方がよっぽどモノを訴え、自信を持っているだろう。茶々にとって現実なんて、怖いことしかない。砂糖の城よりも脆弱な精神。

「――…、」

ほら、変な方向に思考が転んだ。やめよう、もうやめよう。運動会の話はやめよう。醜態しか晒していないし有馬の絡んだ話題は暗い気持ちになる。

「えっと………名前、って…不思議ですね…。平子さんは、ヒラコタケなので…タケノコとか…キノコみたいです、とても…」

「…。」

「ヒラタケ、ヒラコタケ、」

空き缶を拾ってダストボックスまで持っていく茶々は、舌に亀裂が入ったかの様な拙さでポツリと呟く。ヒラタケ。そこに無礼を働いた意識はない。丈という名にどのような由来があるのかは当然知らないけれど、名は体を表すとはよく言ったもの。カッチリしていて平子らしく、純粋にいい名前だと思う。

和修 吉時
   佐々木 琲世
            有馬 貴将
      真戸 暁
      鈴屋 什造

柔らかい棺のベッドへ寝かせるようにそっ、と廃棄した空き缶へ、お疲れ様と伝えたくて鼠色の睫毛をお辞儀に伏せた。

「…有馬さんにも、」

「?」

「似たような事を言われました」

メビウスの帯だった。運動会からさよならをしたとしても、気付けばまた有馬の話に戻っている。

一度見上げた平子と振り返ったゴミ溜め、表と裏はハッキリしているのに境目の自分がイカサマを働いて捻れの輪を作っているらしい。共通の話題なんて彼ぐらいしかない事を思えば表裏以前に仕方のない事、必然的な事、だけれど。

それでも、こう。相手から有馬の名前を出されると。“血は争えませんね”、と。誰か、誰かの声が聞こえる気がして。

隠すことも出来ずにどんどん沈んでいく気分はまるで水溜りのように這い蹲るから、遡り遡った運動会の話題をああもうどうしてと怨んだ。責めるべき始まりはやはり自分だった。

「――……ご、ごめんなさい…」

「いえ、そう言われる事も珍しくはないので。…少し休みますか」

栗の殻に似たフードの上から前髪を押さえて動揺値を表す茶々に、特別な声を掛けるわけでもなくスプレーの落書きだらけになったベンチの埃を軽く払う平子。

――休むって、ここで?平子さんとベンチで?

それなりに顔を合わせている琲世と共をするのとはワケが違う。

――今埃を払ってくれた所に座ったらいいのかな。それともその隣?一番端っこ?…地面?

そうして一気に増す緊張と気を遣わせてしまった申し訳なさから肩を縮こまらせた茶々が、ボードケースをぎゅう、と抱き締めた。ら、

バキバキ!
数百数千本と束ねたボールペンをぺしゃんこにした様な酷い音を立てて、くの字に折れるケース。茶々のクインケ。ぶっ壊れた。

「ああっ…!」

「…、」

「ま、またやっちゃった…どうしよう…!」

「……すみません。俺のせいですか」

ただですらサボりと変わらない1日なのに、クインケまでぶっ壊したとなったら。上にも怒られるし琲世にも怒られる。

今ここにいる平子にだってまた気をつかわせているし、ああもうどうしようとパンク寸前の頭が嘆き、トドメと言わんばかりにもう一度複雑骨折のケースを抱き締めた。


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From:有馬茶々
  To:佐々木琲世

ごめんなさい琲世さん。おこらないで聞いてください。
ぼくは今日もクインケをこわしてしまいました。
でも琲世さんがつけてくれたおさんぽ綱は無事です。
これから有馬特等にほうこくをしてお家にかえります。
きちんとごめんなさいをしますから、琲世さんおこらないでください。
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今日も一日、いい事なんてない。


SeA of TReeS
堂々巡る有馬樹海


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